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「…そう…そのお役目というのは…」とコトノハさんが目を伏せ、その「お役目」の内容を明かそうとした――そのとき、
「昔はよかったのぉ…」
とここでロクライさんが、哀愁 ただよう酔っ払いオヤジっぽ…いや、哀愁の漂う調子でつぶやいた。
その呟 きに引きつけられてふと見ると、ロクライさんは、…いやいつの間に…? 酒瓶 、それも一升 瓶の細い首をしっかとつかんで、それをぐっとあおったなり、
「…ぷはぁ…っ、…昔はのぉ…」と不満げにくだを巻きはじめながら、その酒瓶の底をゴトン! と床に叩きつける。そしてういっく、と酔いどれらしいしゃっくりまでしたロクライさんは、真っ赤な顔で何かどこかを据わった目で睨みつける。
「人の子みーんながワシらのことを信じとった…。のお…みーんなワシらを頼りにして、なんか嬉しいことがありゃあみーんなワシらに逐一報告し、逐一感謝して、そいでなんか困ったことがありゃあ、どんなにちいちゃいことだって、なぁんだって聞かせてくれたもんじゃ…――ところが今はどうだ! 神なんざいない、神なんざ夢幻、神なんざファンタジー、神なんぞ所詮想像の産物だぁ? ――こうして実際におるわいっ!!」
そしてロクライさんは、「っまぁったく、嘆かわしいことよのぉ…!」と言ってまた酒瓶をあおる。
「……、…」
……もはや完全に酔っぱらいオヤジである。
とはいえ、まあ確かに神様からすると、ちょっとさみしい気持ちはあるのかもな――。
もちろん神社仏閣 、ひいてはご神仏を大切にしている人も決して少なくはないが、ただ何かと多忙な現代の日本人においては、たとえば初詣 や祈願、ご祈祷 、お葬式、あとは観光、…そうして人生における節目なんかには神社仏閣に訪れても、「足しげく通う」というような人は事実少数派になったといえることだろう。――ましてや、昔はどの家にも神棚があったというが、現代において神棚のある家というのは、一体どれくらいあるのだろうか?
そうなってくると、「子孫のようにかわいい」人間たちがなかなか神社に来てくれない、というのは、神様からすると可愛い孫がなかなか家に来てくれなくなっちゃった、という感じなんだろうし――神棚がないというのも、かわいい孫とぜひ一緒に住みたいのに部屋を用意してくれない、みたいな寂しさはあるんだろうな。
「初詣だなんだのときだけ願い事なんぞしおってからに、…それを叶えたって感謝もされないんじゃ、ワシらもやる気出んよのぉ! なあ! お主らもそうは思わんか!」
とロクライさんが赤ら顔をいかめしくして、大声で言いながら僕たちを見回す。
「…………」
「…………」
「…………」
しかしカチャカチャ…箸と器のぶつかる音が沈黙を深める。誰もうんともすんとも言わないで食事を進めている。目も合わせない。揃って知らぬ存ぜぬの態度である。
「……、…」
ちなみに僕は(間 をもたせるために何か食べようにも、ハルヒさんが僕の箸を使っているため)上のほうを鋭く見やって真面目な考え事をしている――ふりを、している。
――それはなぜか?
そうだね、にしろ、違うよ、にしろ、この状態のロクライさんに一言でも反応をしたなり、余計に面倒くさい(酔っぱらい特有の)ダル絡みをされるからである。
僕もロクライさんが酔っている姿は幾度となく見てきた。基本はガッハッハと楽しそうに酔っぱらっていることのほうが多いが、それでもこの『昔はよかったオヤジ』になった姿もしばしば見てきた。で、大概の場合、こうなったほうが厄介なのである。ちょっとしたことで泣くわ怒るわ、酔いつぶれて寝るまでバカデカ声でしゃべりかけてくるわで――ほんっと面倒くさいのだ……そしてそれは、およそこの場にいる全員がよくわかっていることなのだろう。
「なんじゃあお主ら、揃いも揃って無視か! いや〜〜冷たいのぉ〜…! 家族までワシを無下 に扱うとは、まぁったく、なんちゅー冷たい世の中じゃ!」
「もうおよしよお前さま…、だから酔うなとあれほど…」と祖父が呆れたように諌める。
……おそらくロクライさんを抑えられるのは自分だけだ、と思ったのだろう。彼のそれに「なんじゃあお前まで…!」と案の定絡んでいるロクライさんは、…(生贄 となった)祖父に任せよう。
「うぐ、だってワシ、寂しいんだもん…っ!」
「あぁあぁそうだな…可哀想に…」
「……、…」母が呆れた顔でオレンジのその瞳をまわす。――その彼女の瞳の終着点は僕である。
「…まぁそうね…、お義父 さまがおっしゃるとおり、事実わたくしたち神と人間の子らとの距離は、昔よりかは遠くなってしまいましたわ。…だからわたくしたち家族は、人間の子らを直接幸せにするために、この地上へと降り立ちましたの。――それこそが、わたくしたちが高皇産霊尊 からおおせつかった、〝お役目〟ですわ」
そして母は聡明な目つきで僕を見たまま、そ…とその小さい顔を傾ける。
「…けれど…もちろん神として人間の子らを幸せにするというよりかは、人間として彼らの幸せをサポートする…というような方法でね…――たとえばわたくしなら、素敵なファッションアイテムやコスメティックを提供することで、美しい女性たちをより美しく魅 せるお手伝いをしていますでしょう。――要はわたくしたち、そういった社会活動や創作活動などで、各々がそれを〝お役目〟として、人間の子らの幸せを支えているのね。」
「……あぁ…」
なるほど…――たしかに母が提供するアイテムで、きっと世の女性たちは幸せになれている。
祖父もそうだ。彼の運営する事業、こと洋服のように着られる着物なんかは、着物に憧れるけれども着付けはハードルが高い、という人々にとっては理にかなった救世主的なアイテムである。――またこの不況のなかでのおしゃれさんのお財布の味方、お手ごろ価格で高品質なファストファッションアイテムを提供しつつ、才能ある芸能人たちを輩出する芸能事務所を経営しているロクライさんも、…その魂をふるわせる歌声と天使のような笑顔で人々を幸せにしているChiHaRuさん、すなわちハルヒさんもそうである。
母はそのやわらかいオレンジの瞳で僕を見ながら、「もちろんあなたもよ」とほほ笑んでそっと箸を置き、その右手をペンをにぎるような形にすると、宙にくるくると円をえがく。
「ふふ、あなたらしいわね。ほんとうにぴったり。だってウエちゃん、学問、技芸 はもとより、婦女子 に加護を与えていた神でも……」
「は、…腐 女 子 っ?」
僕は耳を疑った。
たしかに僕は愛する腐女子たちに「神」と呼ばれて…いや――技芸…すなわち美術や工芸などの技術のこと、…ひいては絵や小説なんかを創 るための技術でもあり…、そして学問はシナリオ構築に必須……かつ「腐女子」に加護を……?
えっということは、天上春命 はまさかの正 真 正 銘 お 腐 れ 神 たる「腐男 神 」、まさかあんなに取り澄ましていた彼が実は腐 女 子 の 神 だったっていうのか…?
「はは、違うってー…」とハルヒさんが僕の右隣で笑う。
「婦人の婦 、女 、子どもの子、で…〝婦女子〟。ウエは女性や子どもを護 ったり助けたりしてた神ってこと…」
「…あぁ…、……」
なんだ婦 女 子 か…同音異義語の……。
ただ彼は「あーでもぉ…」と虚空をぼんやり見上げる。
「その中にはもちろんその腐女子も入ってるし、創作の神でもあるし……そしたら結局、〝腐女子の神〟でもあったのかぁ……」
「いずれにしても遠からずでしょう」と母が言う。
「特 定 の 、とはいえ…今も女性たちを喜ばせているのには違いないんですから…、ね――BL漫画で。」
「……いや、…んまぁ…そう…だけど……」
もはやダジャレじゃないかよそうなったら…――しかし、まさか女性や子どもたちを守護をしていた「婦女子の神」が、今やお腐れファミリーを喜ばせる「腐女子の神」に……とすると僕だけ「お役目」とやらのスケールが限定的すぎないか…?
――だが、
「……、…」
もし本当に僕がアメノウワハルノミコトなんだったら、僕のこの日本で果たさなきゃならない「(天に課せられた)お役目」というのが要は…――本当に「BL漫画家」になること、ひいてはそれで愛する腐女子たちを喜ばせること…――すなわちこの僕の「BL漫画家」という職業は、いろんな意味で「天職」には間違いない…ということなのかもしれない。
……すると自信がつくような気もするが、…そもそも僕、本当にアメノウワハルノミコトなのか…?
「うん。そうだよ」とハルヒさんがやはりしれっとそれを肯定する。
「……、…」
やっぱりどうも…自分のそれに対してだけは、どうも受け入れがたいというか、…うーん……。
とここで母が、
「ちなみにパパは、BL作品にももちろん関わっていらしてよ。」
「……へ…」
僕はそっとコトノハさんを見た。
きょとんとした丸い目で僕を見た彼の、その片頬はすこしふくらんでいる。何かを食べている最中だったんだろう。
「……あーーと…、……」
気まず……ふと目を伏せる。
僕は「そうなんですか」とも言いにくい。
――僕は何かしら職業を明かさなきゃならない折には、いつも「漫画家」としか明かさないのだ。
嘘は言っていない。わざわざジャンルを指定する必要もないことだろう。だが、ちょっと(特にオタクではない人相手には)「ありがたいことにBL漫画を描いてご飯を食べさせていただいています」と大声では(いや小声でも)言いにくい、というか小心者の僕はなかなかそうは言えないのだ。
で……あきらかにオタクじゃない、あきらかにパンピー、それも男性のコトノハさんに――特に男性には理解されにくいジャンルだ――「BL作品にも精通 されているんですか」なんて、それを聞くだけの勇気は僕にはない。
ごくんと嚥下の音がした。
「……確かに私はBL作品にも関わっているよ。…知恵と言葉の神でもあるからね。」
とそう明瞭な声でいうコトノハさんの言葉に、しかし僕の先ほどまでのきまり悪さがたちまち晴れた。
僕は目を上げる。彼はなんら苦々しさのない、澄んだ青白い瞳で僕を見ている。
「ほとんどの物語には、言葉というものが用いられているだろう。それだから私はあらゆるクリエイターたちに、台詞 などをインスピレーションとして下ろしているんだ。…もちろんBL作品においても…――BLというジャンルも本当に素晴らしいよね。」
そう言ってコトノハさんはほほえんだ。
「…おお…」
なんだ、雑 食 ながらコトノハさんもお腐れ紳士 だったのか、唐突にある種の固い仲間意識――お腐れファミリーの絆――を感じる。
ところで…僕はちらりと隣のハルヒさんを見た。
彼は右手に僕の箸を握ったまま、ぼんやりとした顔で目を伏せている。その曖昧な目線のさきにあるようなないようなな八寸の器には、まだローストビーフやら若鮎の南蛮漬けやらが残っている。
……次は何を食べようか迷っているのだろうか?
とはいえ…そろそろ自分の箸で食べてくれないだろうか……僕もそろそろ食べ…「あ、ごめんねぇ…」と彼はごまかし笑いを浮かべ、
「……んむ、…」
……箸を返してくれるわけではなく……その箸で僕の八寸の器から栗きんとんを全部すくい、僕の唇に冷たいそれを押しつけてくる。僕はもう諦めて口をひらく。
「ちなみに、私には神としての通り名が他にもあってね…」とコトノハさんが微笑んだまま言う。
「武乳速 、麻刀方 、天見通 、速経和気 ……」
「……、…」
コトノハさん…神様の名前までめちゃくちゃ多いのかよ…――彼は他にもいくつかつらつらと名前をあげ連ねたあと、「はは…」と照れくさそうに目を細めて笑った。
「…私は言葉の神であるから、ひょっとするとペ ン ネ ー ム の 神 でもあるのかもしれないね。…これは我ながら悪い癖だが――ついつい思いついたなり良いと思うと名前を変えたくなってしまって、すると、どうも後世の人の子たちを混乱させてしまっていたようなんだ…。あはは……」
「……、…、…」
あははって、何とコメントしたらいいのかもわからないが、…幸い僕の口の中はいっぱいに和栗のほっくほくな栗きんとんが詰まっている(ハルヒさんに二口か三口ぶんのそれを一気に全部ぶっこまれたのである)。
これは砂糖を加えているような甘みではない。洋菓子の栗のはっきりとした甘味とはちがって、和栗そのもののそれのような上品なまろやかな甘味と、そのでんぷん質なほくほく具合が、そして和栗のかけらばかりか、それそのものもひと粒のっていたので、…やっぱり高級料亭のそれというだけある。大変リッチな感じでおいしい(叶わずももっと味わって少しずつ食べたかったが)。
「……、…」
ていうか今さらだが、…これ…もしや推しとの間接キスなんじゃ…――すると僕の隣で、
「うんうん…あとでほんもののキスしよ…?」
と色っぽいささやき声で言うハルヒさんに、僕はうつむきながら目を白黒させる。
「……、…、…」
え、え〜〜〜嘘、…僕、推しとキスなんか、…で、できる、かなぁ、…それこそ死ぬんじゃ……。
いや、
「……、…はは……」
いやいや、さすがに冗談か…まさか本気なわけがないし、…なんなら妄想通り手をつなぐだけでいい、言うほど僕も彼とキスしたいとは…なんて僕が、少し期待してしまった自分に呆れて笑っていると――ハルヒさんが僕の顎を掴んでぐっと、
「……っ?」
無理やり僕の顔を自分のほうへ向かせる。
彼は怒ったような真紅の目で僕をじっと見てくる。
「じゃあ今からする…? おれと、キス……」
「……へ、…」
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