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「……、…」
今から、…き、キス…――推しと…?
さすがにドキッとした。僕の目をじっと見てくるハルヒさんのその両目は何か鋭い。とても冗談の目つきではない。
「んんっ」としかし、ここで母が咳 払いをし、ハルヒさんをキッと叱るように睨む。
「…冗談はおよしなさいシタハル…。あなた、まだ婚姻届も出していないんですからね。――仮に本気だったとしても、そんなことあなたたちには許されません。」
「……、…はぁ…」
むっとしたハルヒさんが目を伏せ、小さいため息を吐くなり、す…と僕の顎から指を離す。
「……、…」
結婚しないと…キスも、駄目なのか…?
いや別に今キスをしたかった、というわけではないのだ。ただ、それって少し古風すぎるような…――と僕が疑問に思っているなか、僕へ顔を向けてほほえんだ母が仕切りなおすように「そう…それでね…」
「そうしてお役目として各々人間の子らにまぎれ、世の人々を幸せにするよう努 めているわけですから、そのためにわたくしたちは、創造主である天之 御中 主神 さまのお力によって、この日本にも戸籍を設けられましたの。…言うなればそう…パパの言うとおり、捏 造 したのね。」
「……、…」
……捏造ね。…ママまでさらっとそんな悪党みたいなこと言う。
母は微笑したままさらにさらっとこう言うのだ。
「ですから、本当は過去に天春 家も祁春 家もなくってよ。」
「……、んむ…?」
僕は、はたと思いあたるところがある。
……そういえば我が家にはお墓がないのだ。だから僕たちはお墓参りにさえ行ったことがない。
なるほど――それはなぜかって、…もし母の言うことが本当なら、僕 た ち に は 人 間 の 先 祖 が い な い から、だ。…僕はやっと栗きんとんを飲み込む。
「……ああ、だからうちにはお墓がないの…?」
と僕がうつむかせていた顔を隣の母にむけながら尋ねると、彼女は「ええ」としとやかにうなずいた。
「よってわたくしたちには親戚もいませんわ。…あなただって会ったことないでしょう。」
「……、…」
あーたしかに、…言われてみれば…――これまでにも我が家には母と祖父の友人たちは数多く訪れてきたが、といって僕は自分の家族以外の親戚には会ったことがないのだった。
ただ、そもそも祖父と母がそろって「訳あってパートナーと籍を入れなかった」と言っていたため、ひょっとすると案外、彼らは何かしらそれに関するトラブルか何かで他の親類から縁を切られたんじゃないか、なんて僕は勝手に考え、これまで気を遣ってそのあたり尋ねたこともなかったのだが。
「…なるほど…」
なんてつぶやく僕はやっぱり、こんな非現実的なことをほとんど心では信じきっている。――すると僕の家庭に、一般家庭程度さえも「宗教的な習慣」がないのもうなずける。
そもそも彼らは神――つまり祈られる側なんだから、祈りはしないのだ。…「ペンダント事件」のときに母が祈っているふうに見えたのは、きっと正確には「祈り」ではなく「頼み」だったのだろう。
「けれど、まあ親 戚 に 近 い 人 た ち は我が家へよく来ては、小さいあなたのことをそれはもう可愛がってくださいましてよ」
母はそう口角をあげながら言って目を伏せ、箸置きに置いていた黒い箸を手にとる。――そして彼女は、自分も栗きんとんを一口ぶん箸の先ですくい上げながら、
「…この折になってやっと言えますわ。ふふ…実はね、ウエちゃん…あなたを可愛がってくれていた人たちのほとんどは――あちらこちらからわざわざ来てくださっていた、神 々 で し た のよ。」
母はふとニコニコしながら僕になかば振り向き、「もちろん中には人間のお友達もいましたけれど」と付け加え、さらにこう続ける。
「あなたはきっと覚えてらっしゃらないでしょうね。けれど、高天原で生まれたあなたたちのことも、それはもうみなさん可愛がってくださってね…、それこそ、ほとんどみんなであなたたちを育てたようなものでしたわ。――それでそうしたら…、みんな小さかった頃のあなたをもう一度見られるのかとそれはもう喜んで、そうしてちょくちょく我が家に来てくださっていましたの」
ふふふ…と何か母として自慢げな含み笑いをもらし、母はふと目を伏せ、しとやかな所作で栗きんとんを口のなかにはこぶ。
「へ、そう…え、…えぇ…、……?」
僕は目を伏せて考える。
まず――僕はいまだに小さい頃の自分をよく可愛がってくれた、母や祖父の友人たちの顔をちらほらと覚えている。いや、いまだに顔なじみとしてやって来る人らも少なくない。
すると…どの人が神様で、どの人が人間だったのやら…――いや僕、神様に会ってたのかよ…知らぬ間に……まあそれはいい、何より気になるのは、
「……?」
さっきコトノハさんは、「神のまま地上に降りてきた」と言ったよな…? で、「転生ではない」とも…――それなら僕…アメノウワハルノミコトも大人の姿で日本に来ていなきゃおかしいはずだ。
なのに、その高天原で生まれた神様の子どものそのアメノウワハルノミコトが、僕も記憶にあるあの美青年とまで、周りの神様たちに愛されながら成長し――で、…この日本に来るとき、もう一回子どもの姿になって…??
「……???」
そりゃあたしかに…僕には子どもの頃の記憶がある。――だが、…転生ではない…??
母がこくんと口の中のものを飲みこんだあと、その白い華奢 な手で口もとを隠し、僕にまたその大きくなった目を向ける。
「それに、あなた覚えていて? 昔からじいやがあなたのお部屋には必ず、色とりどりの源平 小菊 という可愛いお花を活 けてくれていたでしょう」
僕は「あぁ…うん」とうなずく。
ただ――小学生のころにおいてはじいやがやってくれていたが、その源平小菊、実は僕の家の庭に大量に植えられているのだ。
それで小学生になる前までの僕は、自分で気に入ったその花を庭からつんできて、自らそれを花瓶 に活け、それこそ毎日水を変えたりなどお世話もしていた。――しかしつらい学校生活が始まると、僕はその花をかわいがる余裕さえなくなり、よく枯らしてばかりいたのだが、それにさえ気が付かないでいたこともあった。
……ちなみに今僕の部屋の窓辺にある源平小菊は、庭からつんできたものではなく、植木鉢 に植えられているものだ。――結局そのほうが長持ちもするし、管理も簡単なのだった(ときどき水やりを忘れてもそう簡単には枯れない花である)。
母は何かしたり顔をやや伏せ、また栗きんとんを箸の先で一口ぶんすくいながら、
「…ねぇご存じ? 源平小菊の花言葉は〝遠くから見守ります〟、ですの…――うふふ……」
「……、…、…」
ぇ、…え……僕は今 察 し た も の にひやっとした。
しかし母は僕のそんな焦りや羞恥には気づかず、し た り とした伏し目でこう続けた。
「そうなの。あのお花もなかなかちょうどいい依代 でしてよ。――つまりあの源平小菊には、時々神々がお宿りになられては、今も昔もあなたのこと見守ってくださっているの。」――そして彼女はまた優雅に栗きんとんを口に入れる。
……しかし一方の僕は冷や汗をかいて焦っている。
「……、…、…」
なんか…嬉しい、ような…――気もしないでもないがしかし僕そりゃあ自室ですし男ですから一人であ ん な こ と や こ ん な こ と してましたしその、何だそのフラグさえ立たない「常に親フラ状態」は(気配さえない相手じゃさっと隠すことさえ出来ないじゃないか)、だって僕それこそ毎日のようにBL作品を見てはニヤァ…(ともすればニチャァ…)とした笑みを浮かべていたりですとかいやその、しかしそんなのまだ生やさしいほうでだからあのー…ぉ、オナ…――冷や汗が止まらない、…気を遣って『あー今は忙 し い ようだな』と一旦帰っていてくれますように、どうかお願いします神様、お願いします゛、僕の尊 厳 を何とぞお守りください…っ!
「ふふ…よくこの日本では〝神様はどこにでもいる〟と言うでしょう。…それはほんとうのことですわ、そうして神は、人間の子らのこともいつもあたたかく見守っていますのよ。」
「……、…、…」
いやでも自室まではいいんじゃない…?
別に…自室まではさ、いいんじゃないかな…?
あの、安全だからさ…自室ほど安全地帯な場所もないから…いいよ別に自室でまで見守ってくれなくても、過保護な親じゃないんだから、…いやごめんなさい神様たち、でも僕、みんなの尊 厳 も守りたいんだ…(まさかママには言わないけど、なぜってこれを言ったら僕が部屋で何 を し て い た の か をバラすようなもんだから…)。
「ぷっ…」――ハルヒさんが失笑する。
「……、…、…」
そうだこの人、僕の思考全部……恥ずかしいような気もするが、今はかあぁ…///とそれにBLの受けっぽく赤面するよりか、今までの自分の「悪行」の全てを神様方に赤裸々に見られていた、ということへの困惑がまさっている。たぶん今僕はかえって顔面蒼白状態だ…――お天道 様は全部見てるぞ、って、僕ちゃんと夜の自室でや っ て い た のにそりゃないぜ……。
「へぇそうなんだ…?」
ハルヒさんが僕の右肩に両手をかさね――ちなみに八寸の器は床に、また箸は持ったまま、彼はそれを指に挟んでいる――、そこに顎をのせて、じいっとそのオレンジの瞳で僕の横顔を見つめてくる。
「……、…、…」
ち、近、良すぎる顔面至近距離が過ぎる、…
「どんなこと…してたの…?」
「……、…ぁ、あの…」
公 開 処 刑 に導くの、やめてもらえます…?
――「えー…」と彼は、にへらぁ…と笑う。
「…いいよ、じゃああとでね…? でもぉ…二人きりになったとき、ちゃんとおれに教えてね…」
「……、…、…」
僕の推し、ひょっとして意外とドSなのか……。
――するとここでコトノハさんが、
「…ハヅキくん…」
と僕を呼ぶので、僕は(助けられたという気持ちなかば)彼のほうに顔を向ける。
――コトノハさんは真剣な眼差しで僕を見つめる。
「そろそろ話を前に進めようね…、君に告げなければならない真実、その三つ目――それは…ハルヒ、否…――そのシタハルが、君の〝運命 られた夫神 〟…つまり結婚するべき夫である、ということだ。」
「…は、はあ…、……」
僕は横目にハルヒさんを一瞥 した。
……「ん…?」ゆるふわぁな笑顔でどうもどこ吹く風、というようだが――どうやら彼、(おそらく事前に、僕以外のこの五人で打ち合わせか何かをしていたんだろうに)、先んじてそのことを暴露してしまったんだろう。
それであの「ホーホケ…ケキョケキョ…」だったのだ、と、僕は今に腑に落ちた。
「……、…」
しかしなるほどな…まさかの十年もガチ恋してきた推しが、まさか自分の婚約者だったとは…――三十二年生きてきてそんなの初耳なんだが…――しかし、逆に今僕はやたらと冷静である。
なかなか面白いもので、にわかには信じがたい「非現実的な現実」をあらためて突きつけられると――今や疑わしいきもち半分、まあ受け入れるしかないんだろうな、という「(十年望んできたわり)不思議な諦め」、あるいは腹をくくるようなきもち半分、という感じで…いやに冷静になるものらしいのである。
「……、…」
しかし…そう、疑問なんだが……僕は腕を組む。
――僕とハルヒさん…すなわち天上春命 と天下春命 は「双子の兄弟」なんだろう。
で、どうも「転生したら〇〇でした」的な異世界転生的に人間に転生しただのなんだのではないから、今の僕と彼との間にも(多分、一応)血縁関係はある、と……。
というかそもそも双子というが、僕は三十二歳、ハルヒさんは二十八歳、四歳差…四年越しに生まれている双子など存在するわけないだろうが。それでは単なる「兄弟」である。――いやまさかあれなのか、これも「捏造」なのか?
……しかし僕はきっちり小さい頃の記憶があるんだが。なんだ、まさか僕の記憶さえ「捏造」されているとでもいうつもりか??
いやだがそうじゃないんだろう、なぜなら母は先ほど「(要約)久々に見たちっこいウエちゃんを神様たちがちやほやしていた」と言っていた。
何より、だ。
――双子の兄弟で結婚しなければならない運命 ?
BLなんかの紙の上のフィクション「禁断の恋」ならばまだしも、さすがに駄目だろうリアル近親 相姦 は…――。
「そりゃ駄目だよねー」
ハルヒさんが呑気 にそう言いながら、床にある自分の八寸の器から若鮎の南蛮漬けを箸でつまみ、
「人 間 の 子 た ち な ら 。」
「…ッんむ゛ぅ゛、…」
……その丸ごとの鮎を僕の口に突っ込んでくる。
「……?」
いやしかし、その物言いはまた何かと気になる…――と、鮎を口からはみ出させながら思う僕である。
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