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「…君が早いうちに〝神の記憶〟を取り戻さなければ…、やがて死ぬ…――。」
とコトノハさんは、苦しげに眉目を強ばらせて言い、「のみならず、」と話を続けようとしたが、
「え、…は、…し、死ぬって、…」
驚いて、そうさえぎるように言ってしまった僕は今とても冷静ではなく、なぜかそれが何かの冗談とも思えていないというのに、変に顔がこわばっているせいで笑ってしまっている。――僕の心臓はドクドクと恐怖のストレスから鼓動を強め、その「死ぬ」という言葉にぞっとした僕の体は今、今度はたちまちカーッと熱を帯びる。
当然だろう。――深刻そのものに「お前は死ぬ」と言われて冷静でいられる人などいない。…ましてや僕の心はコトノハさんのその言葉に、何とも知れない奇妙な信憑 性を見出 しているせいで、今僕はとてもそれを『まさか』と鼻で笑えない精神状態になっている。
「ッ死ぬって、だって、!」
僕は前のめりに叫びかけた。
しかしここで「失礼します」と襖越し、また女将さんの声がかかる。――彼女は八寸の次のメニュー、「椀物 」を持ってきたのだった。
「……、…」
先ほどと同じように「お椀物は五月汁 、お清 でお仕立てしてます…」と説明する女将さんと仲居さん、そしてじいやとでテーブルの上をてきぱき片付けながら、その椀物――お椀のその透きとおったスープのなか、たけのこ、さやえんどう、わかめ、菖蒲 独活 (菖蒲の花のように飾り切りされたうど)、丸い白っぽい肉団子二つが、丁寧に飾りつけられている――と、長方形の平皿に盛りつけられた、つけ合わせの米 松露 というまるいきのこと茄子 の塩焼きが、僕たちの前に配膳 されてゆく。
「…………」
僕は当然沈黙し、うつむいている。
……配膳が終わり、仲居さんが先に「失礼しました」と部屋から出てゆく。…しかし女将さんが出てゆくまでは、と僕はまだうつむいたままだった。
――しかし女将さんが、
「どないしはったん…?」
とやさしい声で誰かに話しかけた。
僕は自分に話しかけられたのかはわからなかったが、しかしつられて顔を上げ、襖のほうを見た。その近くに正座している彼女は僕を見ていた。老齢の彼女の目はやわらかく、ただ感情は読み取れない。
「なるようになります。うつむいてはったら、見えへんもんもありますさかいに…――ねぇ…ウワハル」
「……、…」
僕はうすく唇を開けて固まった。
女将さんはふ…とやさしく目を細めて笑った。
「あんた、せっかくきれぇな顔してはるんやから…、そのきれぇな顔、しゃんと上げなあきまへんえ…。ちゃぁんと前を…向きなさいね…。……」
そういってすぐに彼女は「そいじゃ失礼します」と一礼し、この『藤の間』から上品に出ていった。
「……、…、…」
やっぱり、彼女…本当に神、…保食神 、なのだろう、…か…――まさかこの『藤の間』の中で、今しがたまで繰り広げられていた会話は、彼女の耳には入っていないはずである。
しかし今僕のことを「ウワハル」と呼んだ彼女は、いつもなら僕を「ぼく」だの「坊ちゃん」だのと呼ぶのだ。…すると過去の僕――天上春命 としての僕を知っているか、この『藤の間』の中で繰り広げられていた会話を盗み聞きしていたか、…あるいは、ここにいる誰か(または僕以外の全員)と口裏を合わせていただけかもしれないが……。
「怖い物言いで脅 かしてしまったよね、すまない…」とコトノハさんが口をひらく。
僕が顔を向けた先、彼は薄く目をひらいた悲しげな伏し目であった。
「…もちろん君とシタハルは、分霊の身にあってなお何も違 わず神…――つまり、君たちは不老不死だ。…したがって、〝死ぬ〟という言葉はいささか、正しいそれではないのかもしれないが……」
「……、…」
僕の左手の甲をそっと撫でさする優しい母のその少し冷たい手に、僕は彼女のほうへ顔をむける。
――母は僕へ真顔を、その僕の不安や心配を吹きとばすような頼もしい真顔を向け、そして、その力強い赤味の濃いオレンジ色の瞳で僕の目をじっと見ながら、「大丈夫よ。」と軸 の確かな迷いのない声で言った。
……何が大丈夫なの、本当に大丈夫なの、と僕の不安な心は小さい声で訴えながらも、しかしそれ以上に、母のその力強さに――ママが絶対にあなたたちを死なせたりしない。彼女の瞳に宿ったその強い意志に――不思議なくらい、僕の胸のなかの緊張がふとほどけてゆく。
「今の君にもわかりやすく言ったらそうだったんだが、しかしほとんど同義と言っていい…。厳密にいえば…――このままでは君たちはやがて、消 滅 の末路を辿ってしまうことだろう……」
「……消滅…?」
僕は聞き返しながらコトノハさんへ顔を向けた。
その人は血の気の失せた顔を伏せ気味にしている。彼は彼で、このことを僕に告げるのがつらいのかもしれなかった。
「そうだ…。君が〝神の記憶〟を取り戻さなければ、やがて君とシタハルの〝神氣〟は底を尽きる…――もちろん、本来私たち神のそれは決して有限ではない…、無限といって差し支えないのだが…――しかし、君 た ち と い う 二 柱 の 神 に お い て は 、…そうではない…」
「それは…でも、どうして…それ、…どういうこと、なんですか…?」
僕は動揺からたどたどしくもそう尋ねる。
「まずこれの前提に、…」コトノハさんは、ふと悲しそうな青白い瞳で僕を見た。
「ハヅキ君…――その実君は、今もなお〝神の記憶〟を取り戻さないうちに、ウワハルとしての〝神力〟を十分に用 いて…自分が担っている〝現人神〟としての〝お役目〟を果たしている……」
「…え、…でもあの、僕…そんな、魔法みたいな神の力なんて……」
「いいや。」
コトノハさんが真剣な目をして首を横に振る。
「元より君の〝お役目〟もまた、神…〝現人神〟として果たさねばならないもので相違ない。するとまずそれを神の力も用いず、人の子と同様の方法で取り組んでいるはずもないのだが…――そもそもこれは、まず君自身がただそれを自 覚 し て い な い だ け のことだ。」
「……はあ……」
自覚していない、だけのこと……?
……だが、僕がいつ神の力なんて使っていただろう。たしかに他の人よりか漫画の作画スピードは速いようだが、といってそれらしいことというのは、僕の自覚の内にはそれくらいしか思い当たらない。
コトノハさんが少し笑ってこう言う。
「それこそ君が小さい頃、私は君に、〝人前では我流 の方法で絵を描いてはならない〟…と言ったことがあったよね……」
「……あぁ…はい…、……」
たしかに…――。
僕がまだ三歳か四歳くらいのころ、コトノハさんは僕が絵を描いている姿を見守りながら『上手だね、天才だ』なんて褒めつつも、『その〝天才の技法〟を誰かに奪われないように、自分のお部屋以外ではこうやって描いてみようね』と――僕に「秘密の絵の描き方」を教えてくれたのだ。
が、たしかに彼のその言葉は、人の前では「我流」で絵を描いてはいけない、という意味にも捉 えられる。
「はは…君はにわかには信じられないかもしれないが…」
コトノハさんは困り笑顔をうかべる。
「…実は人の子は…手 で 絵 を 描 く んだ…」
「……へ? ええ、はい、それは知ってますが…」
僕を馬鹿にしているのか?
いくら高卒とはいえ、それくらいのことは僕だって知っている。しかしコトノハさんはふと目を伏せ、
「……、とにかく…この話を君が納得するまで、となるといささか骨を折りそうなので…それはまた今度としても……」
とどうも困りきった様子ではあるが、さらにこう続ける。
「小さな頃の君が絵を描いているとき、私は確かにこの目で見た…――いや…そ も そ も 技 法 か ら し て 人 の 子 の そ れ で は な か っ た が…――とにかくそうして絵を描いているときにだけ、君の瞳がこの〝月の瞳〟の青い光沢を帯びている様 を…、私はこの目でしかと見たんだ。」
コトノハさんは断言するような強さでそう言ってから、また僕の目をそっとその青白い瞳で見すえる。
「それはつまり…――君が絵を描く…、ひいては漫画を描くにあたり、ウワハルの〝神力〟を表に出し、それを使っているからに他ならない。」
「……、…」
だが、…僕はふと首をかしげる。
まあ…そりゃあ長時間の作業で目が疲れてくると、その疲労からまぶたが火照るようなことはあるが――絵を描いていても僕は別に、さっき僕が天 上春 命 の名を口にしたときのような、ああした恐ろしいほどの熱を感じたことはなかった。
「しかし、君はこう疑問に思うんじゃないかな。絵を描いているときは、別に先ほどのように目が熱くなることなどなかった……と」――コトノハさんがちょうど気になっていた僕の疑問を見すかし、そう先回りして言う。
「はい…」
と僕はうなずいた。
彼は僕を見ながらおだやかに微笑む。
「〝神力〟を使えば当然それは表に出る…、ひいては君の瞳も、そのときには〝月の瞳〟の光沢を帯びる…――だが、いうなれば先ほどの君は、その力を使ったわけではなく……たとえ少しであろうと、天 上 春命 の〝神の自我〟を取り戻したんだ。…そしてね……」
コトノハさんが笑みを深める。
「…こと神は人の子とは違い、過去の記憶というものを忘れないようにできている。――それを思い出そうと思えば瞬時に、たとえどれほど昔のことであろうともたちまち鮮明に思い出され…そして、その記憶に曖昧な部分は一点もない。」
「えぇ…そうなん、ですか…?」
すごすぎ…ってそういう凄い力があるからこそ神なのか…。
「うん。…」とコトノハさんが微笑したまま頷く。
「つまり、さっきはそれが君の瞳に定着した…――目に焼き付いたんだ。ウワハルの〝神の記憶〟、そしてその〝神の自我〟が。」
「……なるほど…、……」
といって僕は、疑わしいともないが、完全に理解したともない感じなのだが。――「さて、話を戻そう」とコトノハさんが目を伏せる。
「そうして君は漫画を描く際、無意識にも自分の〝神力〟を使っている。――するともちろん、〝神力〟の源は〝神氣〟であるから…」
「ハヅキの漫画には…たっぷり〝神氣〟が宿ってんの…」と(コトノハさんの言葉の続きを…?)ハルヒさんが横から奪いとりながら、僕の右手の指の股 それぞれにそ…と自分の五本指を差しこんでくる。
「……え…?」
僕はふと彼に顔を向けた。
ハルヒさんはその銀のまつ毛を伏せているが、僕と指をからめて手をつなぎながら、何か嬉しそうに微笑している。
「自覚はないんだろうけどぉ…、人間の子たちがハヅキの描いた漫画で感動すんのは、その漫画が面白いとかすごいとか以外にも理由があって…――ハヅキがウワハルの〝神氣〟をたっぷり込めて、それを熱心に、丹精こめて描いてるから…――漫画そのものに、神の魂…君の魂から放たれる〝神氣〟がたっぷり宿ってるってのもあんの……おれの歌とおんなじだね。」
つ、と彼の銀のまつ毛が上がり、そのオレンジ色の澄明な瞳がまるで『おそろいだね、嬉しいね』とでも言いたそうに、僕の目を愛おしそうに、嬉しそうに見つめてくる。
「……、…」
僕はついやさしげなその美しい瞳に見入りそうになったが、…そこでコトノハさんがこう言うので、
「神の〝神氣〟にはその実、魔性 の力にも近しい性質があるんだ。」
「……、…」
慌ててその人に顔をむける。
これはなかばハルヒさんから顔をそむけたに近かった。何か家族の前で、うっかり恥ずかしく彼と見つめあってしまいそうになっていたので、コトノハさんの言葉は僕が目をそらすちょうどいい口実だった。
コトノハさんは僕へ向け、どこか誇らしげな父の笑顔を浮かべている。
「たとえば君の漫画でいうなら、人の子がたった最初の一ページを目にしただけで、その子を虜 にする…――要は君の〝神氣〟が込められた漫画には、たったその一ページで人の子を君の創造した世界に引き込む、魔性の魅力のようなものがあるんだ」
「…おぉ…」
単純に褒められている気がした僕の口角がちょっと上がる。コトノハさんは微笑したままこう続ける。
「そして君の漫画に込められた〝神氣〟は、それを読む人の子の心ばかりか魂にまで届き、その子の魂はあらゆる喜びに打ち震える…――たとえばパワースポットに訪れた子たちのように……それは到底人の子では敵 わぬほどの魅力、唯一無二、他に類 を見ないほど力強い〝ときめき〟と言ってもいい…――またそうして君の〝神氣〟に魅了された人の子たちは、読めば心のみならず魂から喜べるともなれば、君の漫画を本能から求めるようになる……」
「…おおぉ……えへへ……」
なんというか…――それが本当なら、僕はいみじくも「神 BL漫画家」ってことか。
「そしてそのような…人知に及ばぬ凄まじい魅力をもつ作品を君が創れるということは、君が正真正銘天上春命 という神であるから、という由 に他ならない。」
とコトノハさんはやはりどこか誇らしげに断言するが、
「ただ…」と目を伏せながら、眉をくもらせる。
「これは先ほども言ったことだが…、〝神の記憶〟を取り戻さないうちに〝神力〟を用い、〝お役目〟を果たしていること自体は何ら問題がない…――シタハルも〝お役目〟を果たしている途中に、〝神の記憶〟を取り戻す予定で地上に降り立っているくらいだからね。…したがって、この件の問題はそこではなく……」
「……、…」
僕はほとんど無意識にも、ハルヒさんの手を握りかえした。――またひどく不安になってきたのだ。
「ハヅキくん…」とコトノハさんが切ない眼差しで僕を見る。
「問題は、君が今日この日までに〝神の記憶〟を取り戻していないこと、なんだ…――君たちは今日に至るまで、神の力を用いて〝お役目〟を果たしてきた以上、相応に〝神氣〟を消耗している……」
「……消耗…」
僕の呟きに、彼はコクと真剣な顔をうなずかせる。
「たとえば最近…やたら体調が優 れない、なんてことはないかい…?」
「……ぁ…、はい…、実は最近、なんかやたら眠たくって……」
たしかに僕はこの頃、原因不明の体調不良に悩まされている。――今この瞬間はさほどではないにせよ、とにかく眠たい、体が重だるい、まさか栄養失調や睡眠不足というわけでもないのに、不意な居眠りまでしてしまう始末である。
それだから仕事、すなわち漫画を描くにも支障が出てしまっていて、最近は寝ていたい身に鞭 打って無理をしながらも、それでも何とかそれをやっている状況だ。
「おれも最近…声、出にくくなってるんだよね…」
「……、…」
僕はハルヒさんに顔を向ける。
彼は目を伏せ、暗い顔をうつむかせている。
たしかにハルヒさんも今日の配信中、ところどころ歌いにくそうにしていた。また配信の後半はファンからの質問に答えることで、さりげなく歌わなくてもいい状況に切り替えていたようですらあった。
――コトノハさんは沈んだ声で「それこそが…」
「君たちが有限の〝神氣〟を消費し…そして、それが足りなくなってきていることの証だ…。」
「……、…」
僕は何もいえず、うつむいた。
実際の原因不明の体調不良とそれとを結びつけられると、やたら真実味がある話のように思われ、少し焦りの気持ちが出てきたのである。
「声が出にくくなる…眠気がある…、それはこれ以上無闇に〝神氣〟を消費しないように、と、君たちの自己防衛本能のようなものが働いているせいだろう…――そして、その状態が続けば…もうわかるね……」
「……、…」
僕の右手をにぎる、ハルヒさんの手のひんやりとした指先が、ぎゅっと強く僕の手の甲を強く押す。
「しかし…」というコトノハさんの声が、つらそうに低くなってゆく。
「今日この日に、君たちがそこまで〝神氣〟を消滅するということは…皮肉だが、そればかりは予定通りのことだった。――だから…本当ならば、今日この日までに二人とも〝神の記憶〟を取り戻し、今日にもその〝神氣〟を補充する必要がある…と…」
「……、…」
僕は言いしれぬ罪悪感から奥歯を噛みしめる。
「…君とシタハルは、…人の子としての学びを終えてから、地上に降り立った〝現人神〟としての役目を果たすべし…――そうでなくとも、君たちは今日までに〝神の記憶〟を取り戻すべし…――そのためにそう、高皇 産霊 尊 と約してこの地上に降り立っているんだ…」
しかし彼は「ただ…」とこう付け加える。
「もちろん君がそれを破ったからといって、高皇 産 霊 尊 が君を罰するようなことはない。…運命は個々の成長具合と選択で如何ようにも変わるもの…、大神 もそのことをよくご存知だから、何も君と誓約 とまでのことを結んだわけではないからね。…しかし…」
とコトノハさんが声を沈ませ、いよいよ泣きそうなほど焦ったような声で、
「このままじゃまずい…、まずいんだ、…どうして、どうして今日に至ってもまだ……、…おかしいな、…」
と、彼は「おかしい…」と繰り返す。
「おかしい、何がおかしいかって、予定が狂っていることより何よりも、…ウワハルも神としてわかっているはずだ、――このまま自分が人の子天春 春月 として生きてゆけば、自分たちが消滅すること、…のみならず、……」
「……、…」
――わかっている。
そう…天上春命 は、ともすれば焦っているのかもしれない。
これは初めてのことだったが…――今日見た夢の中、彼は唇だけを動かしてきっと僕にこう言った。
〝『この愚か者。いつになったら、君は思い出す?』〟
僕はその神の唇の動きを見ただけでは、その言葉を読みとれなかったが…――。
僕があの夢の最後に海…きっと「忘却の海」に落ち、そして沈んでゆくときに聞こえた声は、『この愚か者。いつになったら、君は思い出す?』と言ったその声は、きっと天上春命 の声だった。――そして、彼はきっと唇だけを動かしていたときにも、そう言っていたのだろう。
「……、……?」
『わか……ふり…』――ふと僕の頭の中に聞こえてきた、このかすかな声を……、
「『わかったふりをして、君はちっともわかっていないじゃないか。』」
とハルヒさんが口に出し、確かな形を成してくれる。――しかし僕はにわかに強い痛みを胸に感じ、こわばった顔を深くうつむかせた。
「『俯 いてばかりで、ちっとも自分の顔を見ようとはしていない。…鏡に映る自分は、…僕は…一体何者だ? …自分が何者なのか…、君はそれをこれまでにも、君を愛する周りの人々にさんざん教えてもらってきていたはずだ。…だのに君は、誰に何を言われても、自分が思い込んでいること以外は全て否定している。』」
「……、……っ」
僕は吐きそうになるくらい強く責められた気分だった。胸が苦しく詰まり、目には涙がのぼってくる。
「『自分を無条件に愛してくれる、君が何よりも愛する人たちのためにも…――君は、きちんと受け入れねばならないことがあるんじゃないのか?』」
「……、…、…」
受け入れねば…ならない、…
でも、――怖い、…怖い、怖い、怖い、…
「……ぅ…っ!」
僕は恐怖が胸から喉もとまでのぼってきた感覚に、片手で口をおさえる。すると、
「……、ウワハルの一存じゃ…もう無理だよ…」
とハルヒさんが僕の頭を胸に抱きよせながらそう言った。
「だってハヅキ、俯 い ち ゃ っ て る …――それに…パパが思ってるより、乖離しちゃってるみたい…。今俺が口に出したウワハルの声、ハヅキ…ちゃんと聞こえてもないから…、……」
そしてハルヒさんは僕の頭を撫でながら、
「多分――ウワハルじゃなくて、ハ ヅ キ が …なんとかしなきゃいけないんだと思う……」
するとコトノハさんがなかば放心したようにこうつぶやく。
「……そう…、そうか、そこまで……別個のものに……、それでも…どこかでは繋がっているものだとばかり……私は……」
しかし彼は声を明るませてこう言う。
「いや、それでも…完全に乖離してしまっていたといても、結局、君は君だ…。私たちは君を信じているよハヅキ、そしてウワハル…」
「……は、…」
僕は罪悪感から、ハルヒさんの胸もとで顔をしかめた。
すると母が僕の背中をそっと撫でながら、こうやさしく語りかけてくる。
「パパはあなたを責めているんじゃなくってよ。…〝愛してる〟…――たとえあなたがハヅキであろうと、ウワハルであろうと…あなたが何も覚えていなくとも、何を思い出そうとも…あなたを変わらず愛している。そうおっしゃりたいんですわ…」
「……、…、…」
それはわかっていた。
僕を責めている相手はコトノハさんじゃない。
自分…――天上春命 、…僕は自 分 に 、苛烈に責められているのだ。
いや…これまでの、誰に責められているわけでもないというのに何か責められているようだったあの気分、僕のその罪悪感の原因は、「彼」が僕のことを責めていたせいだったのだろう。
「そうだよ…。まあしかし…何にしてもね…」
とコトノハさんが柔らかい声で言う。
「もちろん消滅を避ける方法はある。…だから何も、もう完全に手遅れということではないんだが……」
「……っ」
僕は目に涙を浮かべながら、ハルヒさんの胸からさっと顔を上げ、まっすぐコトノハさんを見た。
じゃあどうしたらいいんですか、僕は何をしたらいいんですか、僕が「神の記憶」を思い出せればいいんですか、と必死な思いで、コトノハさんに聞こうとしたのである。
しかしコトノハさんは「ただ…」とふと訝しげな目を、僕の右隣のハルヒさんへ向けている。
「それにしても、シタハルは既に全てを思い出している…、それも少しおかしい…――今やシタハルが全てを思い出している以上、君もまた、同時に全てを思い出しているはずなのだが……」
「……?」
え、それはまた何故…――?
「おかしいって」とハルヒさんがつぶやくように言うので、僕は彼に顔を向けた。彼は落ちこんでいるような顔を伏せている。
「〝繋がり〟が薄れてるからだよ…。ハヅキの〝自我〟のせいでしょ……、だって…ハヅキは俺の心の声もまったく聞こえてないみたいだし…――俺もこうやって側にいたらハヅキの心の声が聞こえるけど、離れてるときは、ハヅキに話しかけられなきゃ何も聞こえないから……」
「……、あの、そもそも…」
どうしてハルヒさんは、…というよりか推定ハルヒさんだけは――他の四人だってそれができそうな神だというのに――僕の心の声が聞こえているのか?
「ん…? 相手が神じゃなくて人間の子なら、神はみんな聞こえるよ…」
「……、…」
だからそれ、微妙に説明になってないんだが……。
「あなたたちが一心同体の双子だからよ」
と母が言う。
今の会話の運びで僕の疑問を察したのは、彼女の母の勘だろう。
ずずず…ここまで黙って五月汁を食べていたらしい祖父が、それの汁をすする。それから彼は、はぁ…とおだやかなため息をつき、
「お前さんたちはね…も と も と は 一 柱 の 神 だ っ た んだよ」
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