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                「まあこの五月汁でも飲みながら落ち着いてお聞き。…美味しいよ」    と祖父がのんびりとした声で言いながら、両手に持っていたお椀をそっとテーブルにもどす。   「……、…」    僕はひとまず、…また(ハルヒさんに)テーブルの端に置かれていた自分の箸を取り、目の前におかれたその五月汁を見下ろす。――白っぽいたけのこや丸い二つの肉団子、端に丸められたわかめの上、二つ交差して飾りつけられたさやえんどうの鮮やかな緑と、はなやかな菖蒲うどの飾り切りが目を引く。――その綺麗に盛りつけられた様はもちろん、湯気(ゆげ)とともに立ちのぼるこの上品なかつお節とほのかなお酒の匂いからして、たしかにとても美味しそうだ。    僕はまず箸を指のあいだに挟み、お椀を両手で包みあげて、それの汁をひと口飲んだ。   「……、…はぁー……」    ()()()()()()()()()()()()()()()()がするぅ……。  いやだから、ちゃんと改めないと…日本の、神に…生まれてよかったぁ…――この舌を撫でるような旨味のあるダシの味、これはかつお節だけの旨味ではない。昆布(こんぶ)の少し海水にちかいわずかな苦味のある旨味も奥に感じられ、そればかりか、野菜の甘みも少しその汁に溶けだしているようだった。   「さての…」とここで祖父がおだやかに切り出す。   「…お前さんたちが、まだ母のお腹にいるこr…」   「はいはいはい! 俺が言いたいです!」    しかしハルヒさんがそのさなか、元気よく腕から挙手してこう言う――彼は片手にお椀、片手に箸をもっており、その黒い箸を親指にはさんだあめ色の手を高く上げている――。  また彼のそのオレンジの瞳は爛々(らんらん)と太陽のように、あるいはわくわくしている子どものように輝いているが…――その人を見やる父と母の眼差しは、やたらと心配そうである。   「…………」   「…………」    あなた、本当に大丈夫…? 君、できるのかい…?  ……とでも言いたげな眼差しの父母だが、一方の祖父はというと「ほっほ…」と何か嬉しそうに笑い、「いいよ」と(こころよ)くハルヒさんに説明権をゆずった。――するとハルヒさんは「ありがと」と言ってから、あらためてニコニコしながら僕を見る。   「まず…俺たちがママのお腹の中に一柱の男神としていた頃ね…――天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)さま……」    あ、とここで彼は目を丸くする。   「君は多分まだわかんないよね…へへ…えっとね…」    そしてへにゃぁと笑ったハルヒさんは、ぴっと長い人差し指を立てる。   「とにかくぅ…一番えらくってすごい神様で…、たとえば代表取締役社長が天照大御神(アマテラスオオミカミ)さまだったとしたらー…天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)さまは、…代表取締役会長? で…――高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)さまと、神皇産霊尊(カミムスヒノミコト)さまはぁ…(アメ)()()(ナカ)主神(ヌシノカミ)さまの、右腕(うわん)左腕(さわん)ってかんじ…?」   「…おぉ…」    なるほどさすが僕の推し、わかりやすい。  ちなみに推しのお心遣いには感謝しているが、僕は()()()()いる。――天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は宇宙で一番最初に生まれた神様、そしてその次に生まれたのが高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)神皇産霊尊(カミムスヒノミコト)だと言われており、この三柱の神は森羅(しんら)万象(ばんしょう)の創造をつかさどっているとされていることから、「造化(ぞうか)三神(さんしん)」とも呼ばれている。  そして天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、日本の神様たちのリーダーとも言われている――ひょっとすると日本一有名な――女神さまである。   「それで…」――ハルヒさんは途端に真剣な顔をして僕を見ながらこうつづける。   「とにかくそのすごい神の天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)さまが、俺たちがママのお腹の中で()()()()()()()()()とき…こう思い付かれた――」 「……、…」    さすがに()()()()()()()の話ともなると、へにゃへにゃしたり子どもっぽかったりするハルヒさんでも、畏怖(いふ)からか少し(おごそ)かな顔している。…ていうか待ってくれ、ママのお腹の中で「まだ一柱の神だったとき」?  ……前情報なくしれっとそれを言われたので、僕は正直ちょっと困惑しているんだが……(どうりで父母が心配そうな目をしていたわけである)。        そして彼は、ひそめた声でこう言った――。     「〝何かこの子さー、二柱に分けて双子にしたら面白そうじゃね?〟…って……」         「……、…っ」    ……僕は笑いをこらえながらうつむく。  逆に真剣な様子で「ゆる脚色」されたほうが笑いそうになったのである。  ていうかめっちゃくちゃえらい神様なのに本当にそんな感じなのか、動機()()()とかでいいの、本当にそんな軽々しいノリで一柱の胎児を二柱の胎児にしたのか天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)――いや、これはハルヒさんの「ゆる脚色」なんだろうが……。   「ううん…マジで面白そうってだけだったみたい…。えーでも、そんなもんだよ〜…? あは、宇宙つかさどってると、次々新しい風吹かせなきゃいけないから…面白そうなアイディアはとにかくバンバン実行すんの…――だって、どうなったって運命なんかいくらでも調整できるし…? ()()は宇宙創造してんだから何でもあり…。」   「……、…」    えええ……うーんしかも、宇宙レベルの実権をもっているともなると、それはやや職権乱用な気もしないでもないが……。   「それでぇ…天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)さまのそのアイディアを聞いた神皇産霊尊(カミムスヒノミコト)さまが、〝確かに面白そう!〟って採用して…ママのお腹のなかにいる一柱の俺たちを二柱に分けた…、で、双子の()()()になった。」   「…はあ…」    そういえば神皇産霊尊(カミムスヒノミコト)は、神様や人間の創造に携わっている神様なんだったか。――それにしても揃いもそろってまたゆるい…企画・開発の審議に審議を重ねて、というような人間の会社の慎重さがない。しかもそれ商品とかじゃなくて人一人…というか一柱の神の命に関わってることだってのに…(まあ全知全能の神だからそのノリと勢いでもいいんだろうが)。   「うーんそうだったのお〜…」――はたと顔を向けた先、いつの間にか起きていたロクライさんが、その太い腕を組んで懐かしそうにうむうむ頷いている。   「お主らが母の腹に宿ったとき、神皇産霊尊(カミムスヒノミコト)から子が男の子と聞いたときにゃあ、ワシらはそらぁもう厳しく(しつけ)けようと思ったもんじゃ…――立派な益荒男(ますらお)に育ててやろうとな、産まれるまではフツとそう重ね重ね意気込んでおった……」    するとハルヒさんが半笑いでこう言う。   「でも無理だったんだよね? 俺たちが可愛すぎて」   「うむ!」    ロクライさんが自信満々に力強くうなずき、やたらキリッとした凛々しい顔で、   「無理だった! いや〜可愛すぎてのお〜! お主ら、生まれたなりころっころの、ふにっふにのちびっころで、ワシらの手のひらに乗るちっささでなぁ〜。それもな、そらもぉ大人は敵わんうるっうるの、まぁんまるなお目々でワシらを見てきて…――まして、のおフツ」    とロクライさんが対面の祖父に目をやると、彼は何も言わずにうんうんとうなずく。   「お主らが初めて立ったきっかけは、んん゛ふふふふ…っ」――デレデレ笑っているロクライさんは、ニヤニヤしながら天をあおぐ。   「ワシとフツに〝じいじ〜〟と駆け寄ろうとしてのぉ…ちいこいお手々を目いっぱい広げ、ぽてぽてぽてぽて、…ぺちっと転んだならピーピー泣いて〜、…は゛〜〜〜可愛かった…っ! ――いやーもう無理じゃ。諦めたんじゃ。いやあ〜〜厳しくなんてできんわ、こんっな愛しいちみっころ共、どうして厳しくなんてできようかのお!!」   「……、…」  どうもこの二人…というか二柱はなかなかの孫バカらしいが、…たしかに僕がこうしてハヅキであっても、彼らは僕のことをさんざん可愛がって甘やかしてもくれたか。――その愛が嬉しいような、…しかしちょっとうざったいような……――僕はこれに反応すると余計デレデレ構われそうなので、あたかも五月汁を食べていて何も言えませんよ〜というふりをし、それの中のさやえんどうを口にはこぶ。  これはよく煮込まれていてとろりとやわらかく甘いが、少しシャキシャキとした食感ものこっている。   「お〜…! 酒のあとの五月汁はまた格別に(んま)い!」   「もうこのあとはおよしよお前さま」   「…あ゛〜そんな固いことを言うなフツや!」   「……、…」    まあロクライさん、いつも飲む→酔う→寝る→飲む…の繰り返しだからな…――とここでハルヒさんがぽそっと、   「でも俺たち…そのせいで()()()()()()()()()()なんだよね…」   「……、一柱に、ならなきゃ……?」  僕は不安に思いながらハルヒさんに顔を向けた。  ハルヒさんは神妙な顔をうつむかせ、ちょうど五月汁のたけのこを頬張っている。――しかし、大好きな推しからの説明は気持ちとしては嬉しいのだが、叶うならどうかもうそれはコトノハさんが説明してくれ……。    ――「そう…」コトノハさんがハルヒさんのそれに同意する。   「実はその話、君たちが消滅を(まぬが)れるにおいて、かなり重要なものなんだ。」   「……よかっ、…いえ、そうなんですか…?」  僕はコトノハさんに顔を向ける。よかったコトノハさんが説明してくれるっぽい!  ――「んう゛…」ハルヒさんが僕の右隣でむすくれている気がする。  ……うん、とコトノハさんは神妙な顔をして僕に頷いてみせる。   「まず…、出し抜けにこんなことを聞いては失礼だろうが…、ハヅキくん、君…――両性具有だよね」   「…あ、はい…、……」    そうなのだ。  実は僕は、昔の表現でいうところの真性半陰陽、インターセクシュアル、わかりやすくいえば「両性具有」――つまり陰茎、睾丸(精巣)と男性器のほか、生まれつき子宮、膣と女性器ももっている。  ……ただ僕の場合、精神のほうももちろん男性だが、外見や声に関しても完全に男性らしく発達した。それは僕が女性器を有していても、卵巣はないので、それがさほど機能していないためである。――それこそ月経さえ一度も経験したことがないので、たとえば男性と膣をもちいたセックスをしても、僕が妊娠することはあり得ない。    ちなみになのだが、…まあ僕の場合は「捏造」された戸籍にせよ、…実は出生届けを出すさい、実は「性別」の欄は空白で出しても――保留としても――問題ないそうである。…つまり僕のような両性具有の赤ちゃんが産まれたとき、あわててどちらかに決め、合わせてどちらかの性器を切除し……としないでも、のちのち本人の意向などに合わせて性別を決定していい。  ……そして僕はというと戸籍も男性なのだが、ただ女性器のほうはあってないようなものというのもあり、特にそれを切除はしなかった。   「では次に…」――コトノハさんは僕を見て小首をかしげる。 「君は〝陰陽(いんよう)〟というものを知っているかい」   「……え…? あぁはい、まあ多少は……」    まず「陰陽」と聞いて多くの人が一番に頭に思いうかべるだろうものは、「陰陽大極(たいきょく)()」だろうか。白と黒の勾玉(まがたま)が一つの円形に組み合わさっているあの図のことである。  ……ただ僕に関しては自分が両性具有であるために、「陰陽」と聞くとまっさきに「真性半陰陽」という単語が頭にうかぶ。――それの「陰」というものがさし示すところの女性器、女性、そして「陽」というものがさし示すところの男性器、男性――ましてや日本神話のなかにも「陽神(ようしん)」として男神、「陰神(いんしん)」として女神との表記がある。    要するに僕は、なんとなし陰はイコール女性、陽はイコール男性というイメージがあるのだった。    僕は、はは、と笑ったハルヒさんにふり返る。   「…それはちょっと違うかも…」    ハルヒさんは困ったような笑みを浮かべてそう言うが、僕は彼に首を傾げてみせた。   「…え…? でも…陰陽って結局、男性と女性を示したものなんじゃ……」    そうじゃなきゃ両性具有者、つまり男性器・女性器のどちらもを備えた存在を、昔「真性半陰陽」とは呼ばなかったことだろう。   「…あぁ…そうだね。それも間違ってはいないんだが…」    とコトノハさんが少々歯切れの悪い感じでそう言う。   「厳密に言うと…陰とは女性ではなく、陽というのもまた、男性ではないんだ。」   「……?」    僕はコトノハさんを見た。  彼は微笑みながらも目を伏せ、このように説明してくれた。   「簡単にいえば…二元的なカテゴリ、かな。…〝陰〟というカテゴリのグループに(めす)や女性器や月、夜や暗闇や静、それから内向性、受容性、受動性、消極性や下降、湿潤、柔和…などの性質が属していて…――そして〝陽〟というカテゴリのグループに、(おす)や男性器や太陽、昼や光や動、…外向性、攻撃性、推進性、能動性や上昇、乾燥、硬質……といった性質が、属している。」    そしてふと上がったコトノハさんの目は、明快な目色で僕を見すえる。   「つまり陰が女性、陽が男性なのではなく、女性が陰に属し、男性が陽に属している…といったように、かえって陰陽というカテゴリーの中に雌雄(しゆう)が属しているんだ。…」   「……、…」    なるほどなるほど。と僕はうなずく。  陰の受容性と陽の推進性…つまりBLの攻めも男性だが、受けもポジションとしては「受けいれる側」ではありながらもちろん男性だ。当然BLの受けは女性ではない…――つまりBLで言えば、攻めは陽、受けは陰である。確かにそこには雌雄ではなく、性質だけがあるな。   「ただ、これは関係ない話なんだが…」    とコトノハさんは憂わしい伏し目となり、こう沈んだ声で話す。   「…確かに陰には女性器が属している…ひいては女体、とまでは合っていることだろう。陽においてもまた同様だ。――けれども、陰は女性、ひいては女性の内面的な、本質的な性質ではなく、陽は男性、ひいては男性の内面的な、かつ本質的な性質ではない……」   「……、…」    なるほど…――さっぱりわからん。  ただ僕はコトノハさんのその憂いた伏し目を眺めながら、とりあえずその話を聞きおく。   「…私は常々思っていたのだが…人の子のなかには、陰の性質のことを〝女性性〟、陽の性質のことを〝男性性〟と呼ぶ者がいる。――つまり〝女性らしさ〟や〝男性らしさ〟を、陰と陽の性質に当てはめてしまっている者がいるということだ。…しかし私個人としては、それはいささか語弊があるように思う…」   「……、…」    そうなの? というのが正直なところである。  ――まあしかし、確かに、たとえば陰の性質を「女性らしさ」にしてしまったら、女性はみんな本当は消極的で内気で静かでしとやかで…みたいな感じになってしまうわけだ。…でも女性だって元気で積極的な人はいっぱいいるよな? たとえば僕のママとか……。  何なら『それが女性であるあなたの本質なんだから』とか言われてムカッとくる人、結構いるんじゃないのか?   「そもそも陰陽というエネルギーは、」とコトノハさんが冷静な伏し目で説明をつづける。   「神も含めた男性・女性にかかわりなく、万物がそのどちらもを有している。…つまり男性の中にも陰の部分が必ず存在し、女性の中にも陽の部分が必ず存在している…――ところがこれを男性性・女性性と表現してしまえば、〝男性らしさ〟や〝女性らしさ〟、ひいては男女の役割まで決めつけることにもなってしまうだろう。」   「…あー…」    たしかに。といって僕はそもそもそんな、「女性性・男性性」という言葉自体初めて耳にしたんだが。  ……コトノハさんはその眉目の憂いをふかめる。 「そもそも女性らしさを陰としたのは…古代、女性たちを(しいた)げ、管理下に置いておくためのこと……つまり、〝女は静かに男が差し出すもの全てを受け入れ、男の支配下に置かれていればよいのだ〟――という感じで、それは、過去女性たちに陰を強いてきた女性蔑視思想から引き続いていることなんだ……」   「……、…」    確かに女性たちはこれまでそうしたことを強いられてきた。――現代においてもその苦境に立たされている女性はいるが――たとえば女は家で家事と育児だけしていればいい、女には学なんか必要ない、というように、陰…彼女たちは隠され、男性、ひいては国に支配されてきた、か。  ……僕が「婦女子の神」だからだろうか、思うだけで今にも感傷的になりそうだ。   「したがって私は、陰陽をすなわち女性の性質、男性の性質とすることには反対だ。…〝女性性〟や〝男性性〟ではなく、改めて男女平等が叫ばれている今の時代に合わせ、〝陰の性質〟や〝陽の性質〟などと言い換えるべきではないかと…――って、はは、すまない。」    コトノハさんが困り笑顔で僕を見る。   「正直…君にはさっぱり何の話かわからなかっただろう。つまらない話をしてしまってごめんね」   「いえそんなとんでもない…とても考えさせられるお話でした。……」    僕はふと目を伏せる。  共感するところがあった。――たしかに今の時代、「らしさ」を画一的に決めつけるのはよくないよな。    それこそ女性も「陰」を強いられてきたが、男性だって「男が泣くな、男は戦え、男はバリバリ仕事せよ、男がリードしないでどうする」という感じで、これまで「陽」を強いられ、男性というだけで「弱さ」を許されなかった。  ……それを逆にいうと、「女性は弱いもの・男性は強いもの」みたいな図を、双方が強いられてきたということでもある。が――自分が思う「男性・女性らしさ」はもちろんいいが、他人が思うその「らしさ」の型に嵌められて生きてゆく時代は、きっともう終わったんだろうし、…ましてや肉体的な役割分担は当然なので別としても、今や男女に関係なくどんな役割でもこなしていい時代だよな。    思うとたしかに、それこそ陽のエネルギーを発揮して、表舞台でバリバリ働いている母のような女性を「男っぽい」というのも――柔和な陰のエネルギーで、家族のためにあえて専業主夫になったような男性を「女っぽい」というのも…かなり失礼な話だ。  もともと陰陽のエネルギーは両性どちらもが兼ね備えているというのなら、女性が活躍するのも男性が内々に誰かを支えるのも、結局はそのエネルギーの使い方を昔と変えているだけで当然のことなんだし。なんてこの件浅慮(せんりょ)ながら思う僕である。      コトノハさんがおだやかな声でこう言う。   「はは…、さて…――そうしてまず、陰陽というものは厳密には性別を指し示すものではない。…」    そして彼はこう説明を継いでゆく。   「そして陰陽という二極のエネルギーは、実は単独では成立しえないものなんだ。――たとえば陰に属する暗闇だけでは何も見えず、それでは何も存在しないのと同義であり…――また陽に属する光のみであっても、影がなくては物を視認することはかなわないので、やはり光だけでも何も存在しないのと同義、ということになってしまう。――そうして陰と陽は、その二つが密接に関わり合っている……というよりか、陰には陽が、陽には陰が必要不可欠な存在なんだ。」   「…なるほど…」    だから「陰陽」と並べられて語られるのだろうか。と、僕が目を上げた先、コトノハさんは微笑した目で僕を眺めながら「そして」   「私たち神は本来、その陰陽両極のエネルギーを完全に融合させた状態で、一柱の神として生まれてくるんだ。…これは先ほどにも言ったことだが、つまり男神・女神にはかかわりなく、どの神もそのどちらものエネルギーを有しており…――更に神は人の子のそれよりもかなり強い、かつ完璧なバランスでその陰陽のエネルギーを融合させているからこそ…――私たちは〝完璧な神〟として、森羅万象を思うままに操れるような〝神力〟を使うことができる。」   「……、…」    僕はコトノハさんの話を聞きながら菖蒲うどをパク、と一口で食べてしまう。――だしをよく吸ったこのうど、山菜らしいほのかなこの香り、土のような落ちつく香りに爽やかな草のにおいがまた上品で、それもやわらかく煮込まれているので、あまり特有の繊維質さが気にならない。   「そして君とシタハルもまた、本来はその陰陽を完璧に融合させた一柱の男神だったのだが…――ちょっと目を(つむ)って。」   「……ん、…はい。……」    僕はもぐもぐしながら目をつむる。  すると僕のまぶたの裏に――陰陽大極図、つまり白と黒の勾玉が一つの円形に組み合わさっている図が、かなり鮮明に見えるのだ。   「…おお…! すごい……」    コトノハさん、こんなこともできるのか。やっぱり神様なんだ…って、僕も神僕も神、…  ちなみに向かって左が白い勾玉、右が黒の勾玉で、この陰陽大極図は静止している。   「これは母の胎内(たいない)に宿っていたときの君たちだ。…こうして君たちも元は陰陽が融合した、完璧な一柱の男神だったんだが…――創造主が君たちを二柱の男神にすることを望まれたので、こうして完璧なバランスで陰陽が融合していた君たちを、二つ…つまり二柱の男神に分けることとなった。…ちなみに白は陽を、黒は陰をあらわしている。…ただ……」    とコトノハさんが言うなり、その白と黒の勾玉が、そのまん中の湾曲(わんきょく)した境い目ですこし離れ、それぞれが独立した勾玉となる。   「こうして分けてしまうと…当然陰と陽のエネルギーをもきっぱりと分けてしまうことになる…。すると、陰陽両極のエネルギーを持っていてこそ〝神力〟を使える神とはなれない…。したがって…」  僕の目に見えている白と黒の勾玉がふたたび合わさり、一つの丸――陰陽大極図に戻る。   「神皇産霊尊(カミムスヒノミコト)は、君たちのことをきっぱりと陰陽の両極では分けず…――このように…、分けられたんだ……」   「……ぉ…、……」    コトノハさんがそう言うと、一つの丸に合わさった白黒の勾玉――左に白、右に黒――、すなわち陰陽大極図が、まんなか横一線で切り離された。 「するとほら…完全に白と黒で分かれるのではなく、上にある半円は白い部分が多いながら、黒の部分も少し残され…――また下にある半円も、黒い部分が多いながら、白の部分も少し残されているだろう?」   「…はい……」    その通り――。  上の半円には、小さい黒い点がある白い勾玉の一番大きなふくらみの部分と、黒い勾玉のにょろんとした細い尻尾の部分が残り――その一方下の半円は、小さい白い点がある黒い勾玉の一番大きなふくらみの部分と、白い勾玉のにょろんとした細い尻尾の部分が残っている。   「こうして、せめてもお互いに陰と陽のエネルギーを残したまま二柱の神に分けられた君たちは、この白が多い上の半円がウワハル…――つまり君は、もともとは陽のエネルギーが多い男神として生まれ…――黒が多い下の半円…シタハルは、陰のエネルギーが多い男神として生まれた。…つまり…もともとウワハルは陽のエネルギーが強い神であり…シタハルは陰のエネルギーが強い神だったんだ。」    コトノハさんは「そして」と続ける。   「私たちは、こうして母のお腹の中で上にいる子を兄・(ウエ)上春(ウワハル)――下にいる子を弟・(シタ)下春(シタハル)と名付け……」   「……? だけど、このまま生まれたら……?」    先に生まれるのは下、つまりシタハルではないだろうか。――まあ人間の女性の出産と同様なら、という話にはなってくるが――、するとシタハルのほうが「兄」になるはずだ。   「あぁ…うふふ…」と母が少し照れくさそうに笑う。   「実はねウエちゃん…、昔は後に生まれたほうの赤ちゃんを、お兄さんやお姉さんとしていたのよ。――人間の子らも昔はそうしていたんだけれど、ややこしいからでしょうね、最近は先に生まれたほうの子をお兄さん・お姉さんとしているの」   「…へえ…、…でも、なんで…?」    僕はまん中で分けられた陰陽太極図を依然見つめながら母に尋ねる。…まだ目を開けちゃいけない気がするからだ。   「あぁ、そうね…。まぁ…そもそもそう決められて生まれたあなたたちには関係のないことだけれど、人間の子らの考えでいえば、先にお母さんのお腹の中に入ったから上にいるほうが兄や姉、後に入ったから下にいるほうが弟や妹…――そして、下にいるから弟や妹が先に産まれてきて、上にいるから兄や姉は後で産まれてくる…――そういう考えで、双子の兄や姉、弟や妹を決めていたの」   「…へえ……」    そうなんだ。 「そうなんだよ」とコトノハさんが(ハルヒさんならともかく、奇跡的に僕の心の声に応えたよう)朗らかな声で言う。   「したがって…まあ双子ではそう兄や弟やの大差はさほどのものでもないけれども…とにかくウワハル…君が兄として、そしてシタハルは弟として生まれてきたんだ。」   「…ふぅん……」  ちなみに僕の目には上半分、下半分に切り分けられた陰陽大極図が見えている。   「…ただ…もちろんご覧の通り、これでは陰と陽のバランスが悪い。…しかし…むしろ創造主は、君たちというそれぞれでは不完全な二柱の神をあえて望まれた。…はは…まあシタハルの言葉を借りていえば、〝面白いから〟……」   「……、…」    やっぱり職権乱用では?   「まあ不完全とはいえ、初めから陰陽のエネルギーを融合させて生まれた私たちに比べたら、という話ではあるんだが…――ましてや何も創造主は、君たちをいつまでも不完全な神のままにしておかれるつもりもなかった。…ふふっ、それもまた…そのほうが面白いからだ……」   「……、…」    ていうかコトノハさん、ハルヒさんの「面白いから」、結構気に入ってないか?   「…だから…やがて、君たちがそれぞれ二柱の神として立派に成長した折には、こう、一つ…、一柱の男神…――このように……」   「…………」    まん中横一線に切り離されていた陰陽大極図が、再び一つの円形になる。   「…こうして創造主が望まれた通り、高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)は君たちを、個々に二柱の男神として成長したのちに〝統合〟を果たすことで、一柱の完璧な男神…――(アメノ)押雲(オシクモ)根命(ネノミコト)〟となれるよう…――君たちの体をも形作ったんだ。」   「……、…」    ここでコトノハさんが「さ、もう目を開けていいよ」とさわやかに言うので、僕はそっと目を開けた。彼はその声通りの笑顔をうかべて僕を見ている。   「…そしてこれは先ほど父も言っていたことだが、男神と女神…ひいては陰茎と女陰(じょいん)というものは、〝統合〟…つまり()()()()()になるに最も相応しい形をしている。――よって高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)は、ウワハルの体に女陰も設け…」   「そそ、だからぁ…」というハルヒさんを見ると、彼はニヤニヤしながら僕を見ている。   「…ウワハルはほとんど毎日、()()()()()()()()()()()()()()()()の…」   「……、…、…」    僕は(なぜなのかなど詳しい意味はわからないが)衝撃的なその発言に愕然(がくぜん)とした。  ……まあちょっと、…僕は目を伏せる。   「……、…」    家族の前だ、この場での深追いはよそう――だが、…僕は目を伏せたまま首をかしげる。       「ですが…それで言ったら僕、女性…というか、女神として生まれるべきだったんじゃ…――?」          

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