38 / 40

36

                「ごめんなさい、…やっぱり僕、…貴方とは結婚出来ない…――。」    僕はぎゅっと硬く目をつむり、勇気を振りしぼってそうハルヒさんに告げた。  薄目を開ける。自分の太ももの上にのった白い婚姻届を見下ろして、僕は利き手の左手ににぎったペンをそっと、それの上に置いた。――山なりに立てている僕の腿の傾斜に、その黒いペンは下へころがり、クリップボードの底辺と僕の脚のつけ根の溝におさまった。   「…………」    ハルヒさんは何も言わない。  ――僕は彼を傷つけてしまっただろう自覚から、その人を見ることができないでいる。  ただただ、唯一の空欄の隣に書き込まれた『夫になる人:祁春(チハル) 春日(ハルヒ)』という、その人の可愛げのある丸文字をぼんやりと眺める。――この名前の隣に自分の名前を書かない。  この人の隣に自分という存在を描きこまない。  ――僕のこの苦渋の決断は、のちのちに深い後悔を引きおこす破滅的なものなのかもしれなかった。   「……、…」    そうした不安な胸さわぎがしている。  だが…――僕がこれに名前を書いてしまっても結局、僕はいずれ後悔してしまいそうな気もするのである。      書けない。  ――そう思った。      僕がこの紙に名前を書くことはできない。      僕なんかが――ハルヒさんと結婚することは、できない。     「……、…――。」    ふたたび目をつむり、顎を引く。  ……こんな白い紙切れ一枚に、ただ自分の名前を書くだけで――たったの一分もかからず、僕がこの紙に自分の名前を雑にでも書き込んでしまえば、ただそれだけの行為で、結婚というものは成立してしまう。  ひいては…僕はたったそれだけのことで、十年も一途に憧れてきたChiHaRuさん――本気で恋をしてしまった画面向こうの人――と、結婚することが叶う。    僕にとっては願ってもないことだった。  ――これほどまでに幸福な結婚、他にあるだろうか?    僕はそれこそ欣喜(きんき)雀躍(やくじゃく)狂喜(きょうき)乱舞(らんぶ)というほどに、この結婚の申し出を心から、それこそ泣くほど喜ぶべきである。    だが――、   「……、…、…」    喜べない、とてもじゃないが、…  僕はこの結婚を素直に喜べないのだ、――僕の胸は悲しみにふるえ、閉ざした上まぶたの下にじわりと熱い涙がひろがってゆく。    これほどまでに理不尽な結婚、他にあるだろうか?  ……僕は何をもってこのChiHaRuさん――ハルヒさんを「愛している」と定義しているのか、我ながらそれはよくわかっていない。    だが、少なくとも彼の身の上を想うだけの愛はあるつもりだ。――だからこそ素直に喜べないのだ。    もちろん僕にとってはあたかも夢のような、この上ないほどの幸福な結婚で間違いない。      だが――ハルヒさんは?      僕が誰よりも幸せになってほしいハルヒさんは?      ハルヒさんにとっては…――。    確かにハルヒさんは進んで僕と結婚しようとしてくれている。――店にいるときも彼は僕に「結婚してください」とプロポーズしてくださったし、今も彼から進んで僕にこの婚姻届を差し出してくれた。    しかしこの結婚は僕たち、…ことハルヒさんの感情、ひいては彼の恋愛感情というものを度外視してはいないか。  ……たしかに僕は彼に恋をし、きっと彼を愛している。だが――きっと彼は、僕なんかに恋なんてまさか、ましてや当然僕を愛しているわけでもない。    ――運命だかなんだか知らないが、    こんなのはほとんど親に勝手に決められた結婚のようなものではないか。  そうした結婚やお見合い婚が普遍的であった昔の日本ならばまだしものこと、…かえって恋愛結婚のほうがよっぽど普遍化・民主化したこの現代日本において、そうした他者の一方的な決定、それを所以(ゆえん)とした絶対的な結婚――そんな理不尽な結婚に、僕は本当にうなずいてしまってもいいのか?    そもそもハルヒさんが進んで僕と結婚したい動機というのは、厳密にいえばきっと「僕と結婚したいから」という「感情」ではないはずである。      ただ――それが諦め、受け入れざるを得ない「決め付けられた運命だから」というだけのことだ。     「……、…っ」    僕は目をつむったまま眉をひそめ、涙をこらえる。      僕は望んではいけないだろうか、  たとえその運命に(そむ)いてでも、僕はこう願ってはいけないのだろうか、…      ――大好きなハルヒさんには、彼が本当に愛した人と結婚して、幸せになってほしい、と。      彼はとても素晴らしい人だ。  それこそ彼は、彼に相応しい人を、自由に選ぶことができるはずだ――いや、むしろそうでなければならない。  ……日々のうちに『この人と結婚してよかった』と、彼は心からそう思える人と結婚しなければならない、…  どうして彼のような素晴らしい人が、…僕のような奴と結婚しなければならないのか、…      こんな残酷な運命、…この運命を変えることはできないのか――。      運命だとかなんだとか――僕はそういう運命を課せられた神・天上春命(アメノウワハルノミコト)の前に、どうしたって人間の天春(アマカス) 春月(ハヅキ)なのだ。    そして彼だって、天下春命(アメノシタハルノミコト)という神の前に――祁春(チハル) 春日(ハルヒ)という、自由意志のある一人の人なのだ。      願ってもないことだ、…願ってもないこと、…  ただ手をつなぎ、ただ彼に「ちょっと綺麗」と褒めてもらえれば十二分、…それだけでよかった僕にとっては、…僕にとっては…――。     「……っ、…は、…」    顔をしかめた僕の頬に涙が伝ってゆく。    僕は天春(アマカス) 春月(ハヅキ)なのだ。    それは今もこれからも変わらない。    たとえこの先僕が「神の記憶」を取り戻したところで、僕は世間的にはずっと不気味な瞳を持った、不細工で引きこもりでパッとしない一般人――醜い化け物――天春(アマカス) 春月(ハヅキ)のままなのだ。  これで僕と彼とがこのまま結婚なんてしてしまったら――ハルヒさんは、世界的に活躍している有名な芸能人・ChiHaRuとして、天春(アマカス) 春月(ハヅキ)という不細工な引きこもり男と結婚した、ということになってしまう。    するとハルヒさんは世間からどう見られてしまうことだろう、…責められてしまうかもしれない、幻滅されてしまうかもしれない、ファンが離れてしまうかもしれない、…祝福されるだけだなんて、そんな都合のよすぎる展開は起こりえない、――。    たとえば美貌のスーパーモデル、歌手、アイドル、俳優、アナウンサー、…たとえそうじゃなかったとしても、一般人にしてももっと美しい人――。   『大人気シンガーソングライター・ChiHaRuのお相手は女優〇〇似の美人!』    ……たとえば彼の結婚はそう華々しく報道されるべきだった。    それこそ彼にガチ恋しているファンももちろん多いが、そうでなくとも、彼というアーティストを心から応援し、彼の幸福を願っているファンたちの中には、彼ほどの完璧な人が選ぶパートナーという存在に対しても、輝かしい理想を寄せている人も数多い。    例えばエリートコースを順風(じゅんぷう)満帆(まんぱん)に歩んでいる外国人美女だとか、彼と親交のある美人女優の何々、彼と同年代にして同じほどの成功を掴んでいる美人歌手の誰々――そうしてChiHaRuさんのファンたちの中には『誰々という人がいい』だとか、『こういう人と結婚してほしい』だなんて夢見ている人たちも多いのだ。    しかし――そのような「完璧なパートナー像」を思い描かれているChiHaRuさんの結婚相手が、僕のような男だと知られたなら、どうなることか、…――誰もが見惚れるほど美しい彼の隣に、僕なんかが並んでいることを知られたら、…彼がどんな揶揄(やゆ)嘲笑(ちょうしょう)や批判を受けるかもわからない、…    もちろん「一般男性」と濁してもらうこともできるだろう。…だが彼ほどの知名度があっては、それで僕の素性を隠しきれるかどうか…――それこそ最近にも、世界中から注目を集めているスポーツ選手たちが、世間から守るためにと隠したかった妻の素性をマスコミにあることないこと(あば)かれ、結局は妻の名前や新居の()()まで世間に知れ渡ってしまった、なんて事態が起こったばかりである。   「……ッは、…っ、…出来ない、…出来ないよ、…」    僕はしゃくり上げながら首を横に振った。  それこそ悪ければ、僕が有名BL漫画家『つきよ春霞(かすみ)』であることさえ暴かれてしまうかもしれない。  そうなればどうなることか、…  僕の鼓膜の奥に声が聞こえてくる――〝『誰もお前のことなんか好きにならないんだから。みんな天春(アマカス)のこと嫌いだって言ってるよ?』〟  ChiHaRuさんが僕なんかと結婚したとわかれば、世間はどういった目で彼や僕を見ることか――ネットで何を書かれることか…――『一般人に手を出すなんて、それもあんなブス男。あんなブスを選ぶなんて幻滅した』『あの目の色ヤバくない?』『キモい、化け物じゃん』『ChiHaRuくんは身の丈に合った人を選んでくれると思ってたのに』『BL漫画家って、キモ』――。    最悪の場合、…それは僕においてもそうだが、何よりChiHaRuさんの順調なキャリアにまで悪い影響が及ぶかもしれない――またそうして炎上騒ぎにでもなってしまえば、ChiHaRuさんは早速鎮火のため、この結婚の真実を打ち明けなければならない事態にまで追い込まれることだろう。    許婚(いいなずけ)なんです。自分が生まれる前から結婚すると決められていた人なんです。――しかし、今はそれで、はいそうですかと許される時代でもない。    親同士が勝手に決めた結婚、そんなしきたりだとか何だとかに縛られた古風な結婚は、現代人の目には理不尽な結婚そのものとしか映らないことだろう。  なんなら憲法違反だなんだとバッシングされて何もおかしくはない。――そんな理不尽な結婚をさせられてChiHaRuくんが可哀想だ、ChiHaRuくんは被害者だ、…すると今度は彼の父であるコトノハさんがバッシングを受けることになり、さらに僕が(アマ)(カス)の者と知れわたれば、僕の大切な家族まで世間に傷つけられる事態にまで発展しかねない。  結婚を必然的な運命とまで定められている婚約者――だからといって、僕なんかが本当に、ハルヒさんと結婚していいわけがないだろう。     「…僕、…いいんです、…貴方のことは本当に大好きだけど、…僕、…憧れの貴方と結婚出来なくても本当にいいんです、…」  僕は泣きながらそう言った。  ――僕は一生独身でいい。  かえって僕みたいな人は生涯独身で、好きなことにひたむきに熱中して生きて、そのまま死んでいったほうが幸せなのかもしれない。    ――ずっとそう思って生きてきた。  僕は今まで、これでも身の程をわきまえて生きてきたつもりだ。   「…大好きなハルヒさんには、…誰よりも、幸せになってほしい、から、…」    しゃくり上げながらそう言った僕は、   〝『何泣いてんだよ…』〟〝『キッショ…』〟   「……っ、…」    僕はぐっと奥歯を噛みしめる。自分のワイシャツの袖で、濡れた目もとや頬をごしごしとぬぐってから、決意して前を見すえた。 「……は…、……――。」    そして――これからも僕は、きちんと身の程をわきまえて生きてゆくつもりだ。    そうだ…僕は引きこもりで世間知らずなところも多いが、といって決して身の程知らずではない。    そもそも結婚までする必要なんかないはずだ。  要するにセックスができればいいんだろう。  ――なぜならそれが「統合」の方法らしいからである。    すると別に、…まあ倫理観的にはやや問題がありそうな気もするが、…僕とハルヒさんは「義理の兄弟」のままであっても――籍は入れず、ハルヒさんが自由に恋愛できる余地を残したままであっても――、セックスという行為自体はできる。    ハルヒさんが僕なんかに興奮してくれるかどうか、という点は問題だが…――しかし義務であれば、何かしら方法を見出してその行為に及べばいいだけのことだ。    たとえばAVを観ながらとか、なるべく僕の姿を見ないようにしてもらうとか、…所詮義務なのだから、そこに優しさだの愛情だのは不必要だ。     「……、…」    そう…――僕は白い婚姻届を見下ろしながら、震えている口角を上げた。  ChiHaRuさんには、自由に好きな人を選んで、その人と結婚してほしい。  誰よりも大好きな推しには、絶対幸せになってほしい――。  僕と結婚さえしなければ、僕がこの縁談を破棄さえすれば、…ChiHaRuさんは本当に好きな人、恋をした好きな人、…彼の身の丈にあったふさわしい人、美しい人と、彼は結ばれることが――心から愛した人と、ハルヒさんは結婚することができるようになる。    ハルヒさんはこんな理不尽な結婚なんかしなくていい。ある意味で今のChiHaRuさんは「運命られた婚約者」という言葉に縛られているが、…世界のために、この世界の人類のために、彼はその壮大な使命のために、神とはいえども貴重な人生の選択をゆだねようとしているが――結婚するまでのことはない。    僕が断ればいいのだ。    ――結婚しない。  わざわざ結婚なんかしなくてもきっと何とかなる。   「……、…」    僕は腿の上にあるクリップボードのクリップから、婚姻届を外した。――この()まわしい紙切れを破ってやろうと思ったのだ。  が、ハルヒさんが僕のその手をぐっと強く押さえ、それを止めた。   「……、…」    僕はふと隣にいるハルヒさんに顔を向けた。  ――彼は少し怒ったような真面目な顔をして、僕の涙に濡れた顔をじっと見てくる。   「…俺――ちゃんとハヅキに恋したよ…」    ハルヒさんはそう低い声で言うと、「信じられない…?」とその鋭くなった両目を不満げに細めた。   「でも、ほんとう。君が俺の運命られた夫神のウワハルだからってだけじゃなくて…――俺、ハヅキにもちゃんと恋をした。…たしかにまだ俺たち、お互いのことを何も知らないけど……」   「……それは……」    どうして、…と僕が最後まで言う間もなく、ハルヒさんが「だって」と僕をその鋭いまなざしで見据えたまま先んじる。   「…ハヅキが凄く綺麗だから。」   「……、…」    僕は息を呑み、固まった。  ……僕は、…――うつむいた。僕の震えている左手はおもむろに上がり、…自分のセットされた前髪を、指で()いて下ろしてゆく。   「綺麗…綺麗、じゃ……」  かすかに聞こえてくる――〝「なー天春(アマカス)、お前の名前、顔に書いてあげよっか?」〟    僕の両頬をすべる鋭く硬い痛みがよみがえる。  ――『ブ』――『ス』   「…っ違う、君は綺麗だよ、…俺、一目惚れしちゃったんだ、ほんとうに…」 〝「ブース、ブース、ブース」〟   「……、…、…」  僕は自分の前髪を握りしめ、茫然とうつむいている。つーと僕の鼻梁(はなみね)を涙がつたい、鼻先からそれがぽた、と黄色いクリップボードにしたたり落ちる。――僕がやぶろうとした婚姻届は、前髪を下ろしているすきに、ハルヒさんが取り上げてしまった。   「ね、ハヅキ……君はこんなに綺麗なのに、いつまで暗くて冷たい過去(そこ)にいんの…?」   「……、…」    僕の震えている唇は、その片端が痙攣しながら皮肉に上がっている。――何も知らないくせに……。  ハルヒさんのこう言う声は切ない願いのようなものを帯び、少しだけ震えている。   「もういいよ…もうそんな暗いところからは出ておいでよ…――ハヅキ…もう俺のとこに来てよ…。君はこんなに綺麗な顔をしてるんだから、もう堂々と光の道を歩いていいんだよ…――俺と、みんなと一緒に…、…ね…?」   「……、…、…」  一目惚れ…?  恋をしただなんて嘘を言うなら、せめてあり得そうな嘘にしてくれないか。    一目惚れだって?  それこそは一番あり得ない恋心じゃないか。  ――僕はうつむきながら、卑屈な笑いをふくませてこう言った。   「…正直、そう思い込もうとしていませんか」   「ううん」   「本当は婚約者が僕みたいな不細工でガッカリしているんでしょう、…」 「ううん。ちっとも…――むしろ…想像してたより、君は美しい人だった…」    ハルヒさんはのんびりとした声のまま、しかしそうして断固僕の嫌味たらしいセリフを否定する。  だが、今の僕にとってはそれがやたらと(しゃく)だった。   「嘘だ、…貴方はご自分を守るために〝まあよく見たらここは何となく綺麗かもな〟とか、〝まあ慣れたら見られなくはない顔ではあるかな〟とか、そうやって無理に思い込もうとして、これからのご自分の人生を悲観しないようにしているだけでしょう、…」   「違うよ」――そう否定したハルヒさんの声は、ここではじめて低く固くなった。  卑屈な笑顔をうかべている僕の目にはどんどん涙がこみ上げてくる。   「…確かにブスは三日で慣れるといいますもんね、でも、本当にいつかは見慣れるのかな――こんな醜い化け物の顔、…」   「見慣れないだろうね」    そう言う彼の声は低く、不機嫌そうだった。  ……僕はそう言われて――なぜかほっとした。   「…そうですよね…、はは…、……」    安堵(あんど)したとはいえ、…当然だが、そう言われたその瞬間に僕の胸はズキッと痛んだ。  僕の鼻先からしたたる涙が、ぽた、ぽたと次々黄色のクリップボードに(いびつ)(まる)い水たまりを作ってゆく。    好きな人に、…本当は誰よりも『綺麗だよ』と言われたかったハルヒさんに、――誰に不細工だと言われても、唯一『綺麗だ』と言われたかった人に、――間接的にも「醜い化け物」だと認められたからだ。    だが、彼にそう言わせたのはもちろん僕である。  もはや売り言葉に買い言葉というか、彼も僕のひねくれた卑屈さにムカッときたのだろう。  そもそも彼はお世辞でも「綺麗だよ」と僕に何度も言ってくれていた。とにかく僕には傷つく権利などないが、…といってそれは僕のコントロールが及ぶ範疇(はんちゅう)でもない――それ同様、なぜ僕は今こんなにもほっとしているのだろう。   「…………」   「……、…」    僕のうつむいた横顔を、ハルヒさんが凝視しているようなもぞもぞとした感覚を、僕は片頬に感じている。…僕はさらに横髪をすいて、できる限り自分の顔を彼の目から隠す。   「…なぜって、…」ハルヒさんが悲しそうな、泣きそうなかすれ声で言う。 「…君は…俺に自分が不細工だと思われていれば、諦められるから…――本当は俺と結婚したいんでしょ…、でも俺にブスだって思われていれば、それが俺と結婚できない立派な理由になるとか、君が思い込んでるから…――結婚しなかったあとの後悔が、きっと薄れるとか思ってるからだよ…」    そして彼はこう涙声で言いながら、   「…でも、ねえ…ごめん、傷付いていいんだよ…」   「……、…」    僕の体を、横からそっと抱きしめてくる。   「ごめん…俺、また言い方間違えちゃった…、ごめん、…ハヅキはすごく綺麗だから…きっと、永遠に見慣れない…――きっと毎日ドキドキして…、毎日、こんなに綺麗な人と結婚できてよかったぁって…俺、そう思えるんだろうなって…――そう言おうとしたんだけど……」   「……、…、…」    僕の胸がズキッと重く鈍く痛み、下唇がぶるぶるとわななく。しかし僕はそのわななきを恥じ、ハルヒさんに見られたくない、バレたくないと唇に力を入れて笑みを浮かべた。   「売り言葉に買い言葉…みたいな、勢いで…言葉足らずに言っちゃって…ほんとごめんね…――でも、あのね、ハヅキ…」   「…はい、…」    と笑いながら答えた僕の声はみっともなく震えていた。――ハルヒさんは僕の側頭部をやさしく撫でながら、僕の耳元、静かな固い声でこう言った。       「今変なこと言っちゃった俺のことも(ゆる)さなくていいし…――君を傷付けた人たちのことも、まだ赦さないでいいよ。」

ともだちにシェアしよう!