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 それはひどく湿気(しっけ)た蒸し暑い夜だった。  見える薄暗い日本家屋の木製の天井、それは枕上(まくらがみ)に置かれた行灯(あんどん)の、そのうす(だいだい)の儚くぼんやりとした(あか)りに照らされている…――熱帯夜?  いいや…このむし暑さは二人の体温のせいだった。  ふとした拍子に熱気のこもるかけ布団からはみ出した僕の足のつま先が、夫夫の寝室にみちた()え冴えとした真冬の冷気に刺されて驚く。  あわてて温気(うんき)のこもった布団の中に逃げ帰った僕のその足につられ、自然と内側へかたむいた僕の内ももが、僕の脚のあいだに挟まっている濡れた熱い肌に吸いついて離れない。  ……僕の汗ばんだ内ももが、前後に揺れる夫の腰の濡れた肌にずりずりとこすられる――それさえぞくぞくとするような快感を生む。…白い敷き布団に広がる僕の長い黒髪が、僕の背中にはりついている。  それさえ、それさえ…――僕は苦悶のあまり眉をひそめながら目をつむり、その火照った顔を横へたおしたのち、しかし自分の顔に両腕をかさねる。 「……っ♡ ……ふ、♡ …ん……♡」  また声…僕は息を止めることで、自分のみだらな声が喉に上ってくる前に胸のほうへ押しもどす。  ……僕の夫のシタハルは「気持ちいい…?」と何かすっかり不機嫌そうなかすれ声で、今宵(こよい)何度めかの質問を僕にする。 「……気持ち、よくない、…」  これは我ながら明確な当てつけだ。  ただなかばそれは嘘だったが、なかばは本当だった。…今宵はやたらとしつこくそう気持ちいいかと聞いてくる夫に、僕はもういい加減辟易(へきえき)としていた。――だからいよいよ「気持ちよくない」と当てつけてやったのだ。  しかしそれは半分嘘である。といって半分は本当のことである。 「…ふ…っ♡ ……っ♡ ……っ♡」  迫ってくる。のに…あとちょっとのところで届かず、引いてゆく…――打ち寄せては引いてゆく、おだやかな月明かりの下の波のように――にちゅ…くちゅ、ぬちゅ…夫の勃起した陰茎は、僕の熟れきった膣内を絶えず往き来している。  ……()()無い…――しかし際立って速くはないが、くちゅ、くちゅとその音からしても、その動きの速さは決して申し分ない。力強さも決して申し分ない。 「……ッ!♡♡」  とっさ息を止めた僕の腰の裏がビクンッと浮く。  ……だが、こうしてたまにしか、…突いてくれない、…奥、一番奥、――イきたくてたまらない、イきたくてイきたくてたまらない、…  今宵の夫はわざとその手前ギリギリまでしか攻め入ってこない。…ただし、それは僕が絶頂を迎えそうになると、という条件つきだった。…僕のそこにあともう少し、という触発の危うさがある状態だと、意地悪にも届きそうで届かないところまでを往き来しはじめる。  しかし、せり上がってきていた絶頂の伸びゆく勢いがしぼむなり、――僕の上がった腰を掴んで、こうして今度は奥をぐちゅぐちゅと猛烈に攻め立ててくる。 「ねぇ、気持ちいいの…っ?」 「…んっ…!♡ …ッ♡ は、♡ ぁ、♡ …〜〜ッ♡♡」  ぁ…あぁイく、…僕は自分の口を両手でふさぎ、ぎゅっと眉目をこわばらせた。 「…っん…!♡ …ッ!♡ …ッ!♡ ふぅ、!♡ く、…〜〜〜〜ッ!♡♡♡」  ……その絶頂へむけた伸びしろがまたたちまち埋められてゆくが――すると、あとほんの少しのところで、…また引いてゆく……。 「っは、……、…、…」  そしてまた、こうしてギリギリ届かないところまでをこすってくる。――僕は目をつむったまま眉をひそめる。…幾度絶頂を迎えそうになったことだろう、しかし幾度『あともう少しだったのに』と悔しく思ったことだろう、…このままでは体が、頭がおかしくなってしまう。 「…はぁ……、…ふん、…」  仕方がない。  ここはこの弟相手でも僕が下手(したて)に出てやろう。  ……僕は自分のわき腹のあたりに立てられている夫の腕の、そのまっすぐに伸ばされた肘を両方そっとつかんだ。すると夫の動きがひたと止まる。  薄目を開けた。しかし弟を見る勇気はない。熱く潤んだ目を伏せたまま、僕のもどかしさに狂いそうな腰は勝手に、もはや夫が動かずとも彼のそれを狭い範囲ぬちゅぬちゅとこするように、前後に小さくもぞもぞと動いてしまう。  もっと奥まで挿れて…もっと奥まで…もっと奥を突いて…――。 「シタ…ぉ、お願い…、……っ」    ところが僕は自分のその弱々しい、か細い声にぞくっとした。…やむなしと自ずから折れたはずが、「やむなし」というより懇願めいていた自分のその声ほど、僕の矜持(きょうじ)を傷つけたものもなかった。  とはいえ、シタハルは僕の胸の(うち)を知っている。今こいつは「蓋」をしているが、一方の僕はそんな小賢しい真似などしていない。  僕の「お願い」が何を指しているのかなど、僕と魂の繋がっているこの男には手に取るようにわかる。 「…何…?」  しかしそう聞き返した夫の声は、とぼけている感ありありの笑みが含まれていた。 「どうしたのウエ…? なんの〝お願い〟…?」 「……、…」  僕は目を伏せたまま斜め下へ顎を引き、腰をくねらせながら枕の端をつかんだ。…いや、シタハルがこれでとぼけることくらい容易に想像はついていた。…だが、これで許される夜も一応あるのだ。    といって、…どうして言えよう?  ――もういい加減イきたい…イかせて…、…なんて淫らな、なんて下品な、そこらの淫乱が口にすればせいぜいなそんなみだりがわしい言葉を、どうして僕ほどの誇り高き美貌の男神が言えようか。  しかし今や僕は、いつもの気高い精神を奮起させるには、もういささか怒りや不満やの力が足りないようになっていた。――()()()()だ。 「もっと可愛く言ってみて……?」 「……、…、…」  僕はそう言われても何もいえず、その代わり、  ……夫の腰の裏に両脚をからめ、脚でその腰を抱きよせた。…淫らな己のしぐさを恥じらうより、優先される「もう逃したくはない」という思いがあったのだ。  だが、するとたくましい夫の腰には力がこもり、当然その鍛えられた腰が僕の脚になど負けるはずもなく、その腰は揺らぐ気配もなしに力強くそこに留まったまま岩のように動かない。――どうやら今夜はいよいよ生半可な服従や媚態(びたい)では許されないようだった。  ……動かないどころか、…膂力(りょりょく)自慢のシタハルは僕とのその力の差をひけらかすように、僕の膝の裏を掴んでぐっと前に倒し、…僕のなかからぬぽんっと己の勃起を引き抜いた。 「んぁん…っ♡♡ ……っ、…」  ……あぁなんて声を、…僕は羞恥に鎖骨から上を熱くしながら、ぎゅっと唇を引きむすぶ。 「はは…。わ…、ウエの愛液、ねばねばになって糸引いてる……」 「……、…、…」  僕は両手で熱くなった顔を覆い隠した。  ……なんという屈辱か、…僕は誰しもに愛され大切にされるべき「お花ちゃん」なのに、――僕はこんなにも美しく気高き高嶺(たかね)の花なのに、…もう嫌だ、もうこんな不当な恥辱は耐えられない、… 「じゃあやめる…? ウエは別に、今夜は〝無し〟でもよかったんでしょ…?」 「……、ゃ…やだ……」  しかし()()()()()で「終わり」にされたら、それこそ僕は狂ってしまうかもしれない。 「ほんっと我儘。…この高慢ちき、…」  そう不機嫌そうに言ったシタハルは、もはやほとんど陵辱(りょうじょく)の勢いで、僕の体を無理やりうつぶせに返し、――「やめっ…」と僕が羞恥のあまりやめろ、とさえ最後まで言えない間にも、 「…ぅ…、…、…、…」  僕はあまりの羞恥に、燃え(さか)っているというほど熱くなった顔を枕にうずめて隠した。  今僕は、まるで盛りのついたメス犬のように――つがいのオス犬の陰茎を受け入れようとしているメス犬のように――布団に膝をつき、一方で頭は低くして、夫に白い尻を向けた体勢にさせられたのだった。  ……羞恥にぷるぷると震える僕の全身が、その汗に濡れた肌がひんやりとするが、あまりのことに余計汗がふき出してきてしたたるほど止まらない。 「……ッ」  シタハルが僕の膣口をくぱ…と左右に開く。  となれば僕の、その濡れそぼった膣口の充血した色とみだらな艶、そしてヒクヒクとしたうごめきさえも夫の目には、鮮明に映し出されているに違いない。 「ウエのまんこ…、俺のちんぽ欲しそうにすっごいヒクヒクしてるよ…? 愛液たらたら溢れさせながら…やらしー…――〝僕は本当はシタハルのおちんぽが大好きな淫乱です〟って言ったら、許してあげてもいいけど……」 「……、…、…」  誰が言うものかそんなたわ言、この()(もの)め、… 「あっそ。…はん、昼間はあんなに俺に剣突(けんつく)飛ばしてきたくせに、まんこはぐちょ濡れ、俺のちんぽは欲しいとか、恥ずかしくないの。…ねぇ、最中もほんと可愛げないし…? ――〝気持ちいい〟すら素直に言わないし。…声も出さない。マグロ。俺に抱かれながらツンとお澄まし、まるで〝しょうがないから抱かせてやってる〟みたいな態度…、ずーっと…!」  シタハルが僕のヒクヒクと怯えている膣口に向け、ぶつくさと文句をつぶやいている。  わかっていた――これはちょっとした復讐なのだ。  ――たしかに今日は僕にも悪いところがあった。  昼間、渡り廊下からシタハルが木かげの下で休憩していたのを見たなり、僕は無性に腹が立ったのだ。  僕はそのとき書簡(しょかん)の入った大箱を一つ抱えていた。  我が家の物置にはそうした箱が十数個はあった。僕とシタハルは、それらすべてを父の書斎へまで運ぶ仕事を任されていたのだった。  ……ところがこの弟ときたら、僕がそうしてその仕事に苦労しているさなかにも、家の庭の大きな(くすのき)の下で呑気(のんき)に昼寝なんぞしているではないか。  ついムカッときてしまった僕は、その箱を両手にもったまま庭に下り、そして弟に歩み寄って、大あくびなんぞかましているその男の胸もとを(庭用の下駄(げた)で)足蹴(あしげ)にした。  弟は『いってぇ!』と険しい顔で僕を見上げた。僕はかててくわえて『あんまりサボっていると今夜は〝無し〟だからな』なんて脅し文句を、なんでなんで、なんで俺蹴られたの、と驚いているシタハルに吐き捨ててしまった。  のだが――。  三つ目のその大箱を父の書斎に届けたとき、その人の部屋には、すでに物置から運ばれてきたすべての箱が積み上げられていた。  膂力自慢のシタハルは、僕がその箱を三つ運ぶのにも苦労している間に、サクサクとそれらすべてを父の書斎に運び終えていたらしい。  なおなぜ僕が弟のその驚きの仕事ぶりを知らなかったかというと、…実は僕たちは別の廊下を使ってそれを運ぼう、という話をしてから仕事に取りかかっていた。  それは、…無論豪邸といえる我が家の廊下が狭いだなんてまさかそんなはずはなかったが、しかし大男といえばその通りである僕とシタハルが、それも大箱をもって二人して同じ廊下を使ってしまえば、ともするとその廊下をふさいでしまう可能性があった――そのせいで、昼ごろともあれば昼食の用意に忙しくしていた女中たちの迷惑となってしまっては申し訳ないと考えた――からである。  ところが僕が知らぬ間にも、シタハルは父に頼まれたその仕事を完璧に終えていた。  つまりあのときシタハルは、きちんと仕事を終えてから、疲れたからちょっと休憩と木かげで昼寝をしようとしていたわけである――。  だが、 「ぼ…僕は、ちゃんとぁ、謝ったじゃないか……」  と僕は顔をうずめている枕にその反論を吐き出した。  ……そうだ。僕は無辜(むこ)である。  なぜならその件、僕はきちんとシタハルに『すまなかった』と謝ったからだ。――夫の亀頭をぬるぬると膣口にこすりつけられながら。 「…不服そうに。目を横にそらしながら。――しかもそれ、俺のちんぽが欲しかったからしょうがなく、でしょ。…そんなの謝罪っていえる…?」 「……、で、でも……」  許してくれたから、挿れてくれたんじゃないのか? 「まぁね…。でもさぁ…、そもそも君、いつも俺に揺さぶられながらずーっと不機嫌そうだし、声は我慢するし、俺が今日はじめに〝気持ちいい?〟って聞いたときも、…なんて言った…?」 「……、…、…」  今夜夫に「気持ちいい?」かと聞かれたとき、僕がなんて言ったか?  ――『ふん、君、僕にそんなはしたないことを言えというのか?』である。…気持ちいいに決まっているじゃないか、こんなに硬くしているのに、こんなに濡れているのに、「ん…♡ ん…♡」と本当なら出したくもない恥ずかしい声がもれてしまっていたというのに、…わかるだろ、言わせるな、と僕は思ってしまったのだ。  ……それに、僕がシタハルに抱かれながらいつも「ムッとしている」のは、… 「……、…、…」  感じている自分の(ほう)けた顔を、愛する夫に見られたくないからだ。  恥ずかしくて、…きっとかなり淫らな顔をしているのだろうと思うと、…いつだってシタハルの前で(も)完璧なほど美しくいたい僕にとっては、そんな痴態、そんなまぬけな醜態を愛する夫の目にさらすわけにはいかないと、…つい……。 「…はー…、君、初夜からこの何百年間、毎晩、俺と毎晩毎晩閨事(ねやごと)してるのに…」  とシタハルが怒った声で言う。 「まだ恥ずかしがってるとか可愛すぎでしょ。食べちゃいたい。――昼間はあんなにお高く留まってるくせにさー…、…あーあ。もう今夜はとことんいじめちゃお。」 「……ッ」  僕は怯えてピクンッと尻をはねさせ、僕のそこは羞恥にぷるぷると震える。…それなのに僕の膣口は不道徳的な快感にくぱくぱと収縮し、そのたびとろとろと愛液を溢れさせてしまう。  シタハルは僕が可愛いと、愛おしいと思うとなお王の権力を振るいたくてたまらなくなる性質をもっていた。…いいや、しかしそれは僕も同じこと。    だが、おおよそ普段なら僕の誇り高さをなだめすかし、僕にかしずくことをさえ(いと)わないシタハルは、昼間こそ僕に求められたなり、すぐさま僕の美しい桃色の足のつま先に口付ける。  それも決してその服従は嫌々ではない。陽の気が満ちた昼間、陽の僕に支配されている陰の弟は、僕のその支配をも身に余る幸福とそう本心で感じ、そのよろこびを魂で噛みしめているのだ。  しかしひとたび夜、陰の気が満ちた夜間ともなれば、こうして陰のシタハルが陽の僕を支配する。  ……夜になれば夫は僕の上に王として君臨する。僕をその大きな闇で呑み込まんばかりに支配する。  時に夫のその支配は、あたかも隷属のように、僕の肉体に隅々まで口づけるような愛情深いものだった。…宝物のように僕を丁重にあつかう夫の、その僕の体をまさぐる夫の大きな手はどこまでもやさしいが、しかし夫があたえるその快感は僕のことを支配するためのものなのだ。  夫が触れねば生まれない快感、望もうと望まざろうと与えられる快感、身を横たえて夫に快感を与えられることだけを、脚をひらき夫を奥深くまで受け容れることだけを許されているこの時間、この夜の支配、この夜の隷属――夫の珊瑚(さんご)色の唇が僕の長い黒髪の先に口付けるとき、僕はいつもこの男に自分のすべてを支配されていると感じるのだった。  だが夫の支配はそんな甘やかな比喩(ひゆ)的なものばかりに留まらない。  あるときは昼間にたいせつそうに口付けた僕のつま先にその獣の歯で噛みつき、僕のあらたかな(うま)し血を飲み、またあるときは僕を壊そうとまさに陵辱、朝が来るまで僕をはげしく不断に揺さぶりつづけ、『忘れるな、お前は俺のものだからな』と何度も何度もその獣の荒々しい吐息で言い、僕のあちこちをねっとりと舐めあげて、夫の唇は僕の白い体中に紅い血の(したた)りのような(あと)をいくつものこす。  誰が知っているだろう?  ……昼間となり、僕の横でほがらかにやわらかく、まるで赤ん坊のように笑っているこの弟が、その前の夜には雄々しく僕を陵辱して支配していたことなど、  僕の我儘に何だかんだ言いつつもハイハイと喜んで応えるこの弟に、僕の支配にさえ惚れ込んで従順なこの弟に、…僕がつい早朝までは、この弟の奴隷か何かのように服従していたことなど、――思い起こすと昼にも僕の奥底が震えながら濡れてゆく――昼にも疼痛(とうつう)をおこすその傷口をもって、陽に支配された明るい場所でも、夫は僕に夜の隷属を忘れさせない。  しかし、陽極まれれば陰に転じ――陰極まれれば陽に転ずる。  どちらがいつどこでどう支配していようとも、我々はお互いにいつでもお互いを支配しているのだった。  ――これはただ(しか)るべきときに、然るべき王の権力を御前(そなた)に譲り渡しているだけのこと。

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