59 / 71
57
そうして――小さい頃のウワハルは、弟の俺によくいじわるをするような兄だった。
ウワハルときたら本当にわがままだし、すぐ俺をぶつし、すぐ俺に馬乗りになるし、すぐに俺を「弱虫、泣き虫、意気地なし」だなんだとバカにするし、気が強くてプライドは驚くほど高いし(つけ加えナルシストだし)、何を言っても二言目には嫌味という毒を添えるし、――それこそ俺は小さいころ、いじめっ子の兄によく泣かされたものだった。
ましてやウワハルは周りの大人たちに「可愛いお花ちゃん、綺麗なお花ちゃん」とちやほや、それこそ蝶よ花よと育てられたのだが、すると大人たちの前でばかりはそのしとやかな美貌どおりの――その美しい微笑でその場に花を添えるような――美少年顔を、しおらしい優等生しぐさをしてよく大人に褒められていた。……そのくせひとたび大人の目が無くなるとニヤリ、暴君に豹変して俺のことをいじめて泣かせるような二面性をもつ、なかなか小狡 い兄でもあった。
……とはいえ、もちろん俺はしばしば母上に「またウエにいじめられた」と泣きながら言いつけていたので、母上を始めとした家族はウ ワ ハ ル の 本 性 を知ってはいたけれども――当然ウワハルはよく家族に、「弟だからってシタをいじめるんじゃありません」と叱られていたけれども――、…ただ気が弱いくせ、いたずらなどいけないことを思いつくのは大体俺のほうだったりもしたので、必ずしもウワハルだけがやんちゃで悪い子だった、…なんてこともなかったのだ。
俺は正直、いじわるなウワハルのことが大嫌いだった。――でもその反面、ほとんどのときはウワハルのことが大好きだった。
たしかに小さな頃の俺は、悔しいけれども、ウワハルの言う通り弱虫で泣き虫で、全くの意気地なしだった。――その一方でウワハルは強かった。
彼はどんなことがあっても決して泣いたりしなかったのだ。――たとえ目がうるうると潤んでも、兄は決して俺のようにうわーんと泣いてしまうようなことはなかった。
ウワハルは不安で立ちすくむ俺の手をぎゅっと握って、いつも「ぼくが側にいるから安心しろ」と、その綺麗な顔に凛々しい表情をうかべた。
それにウワハルは、いつも俺のことをいじめるくせに、俺のことをよく守ってもくれた。――山賊たちをやっつけたときのように、時には身を挺 してまで――ああして俺をいじめてくる存在があったなら、ウワハルは必ず俺の前に出てまっさきに俺のことをかばい、敵と真っ正面から立ち向かって正々堂々と勇ましくたたかうような、そういった頼もしい兄でもあった。
また兄は俺にとって唯一無二の理解者だった。
これはもちろんお互いにそうだが、小さな頃から俺たちは、言葉を交わさずともお互いの気持ちや考えていること、相手の内面のその全てを繋がった魂で共有していた。――兄は俺が不安になるとそれを察し、すぐに俺の手をぎゅっと握ってくれた。俺が何者かにいじめられて泣いていれば、兄は怒ってすぐ仕返しに向かってくれたし、俺が何かに困っていれば、ああだこうだ言いつつも結局俺を助けてくれた。
俺が楽しくて笑っていれば、兄も一緒に楽しそうに笑ってくれた。いじめっ子のわりに、俺が喜べば、自分に関係ないことでも一緒に喜んでくれるような兄でもあった。
またいたずらをするにも、遊ぶにも、兄は唯一無二の親友ともいえる最高のパートナーだった。
だって離れていても意思疎通ができるのだから、たとえ企 みを口に出さずとも、俺たちにとっては目を見交わすだけで「やろう」という十分な合図になった。
一緒に大人に叱られながら、俺たちはいつも心の中でこういう会話をした。――正座してうなだれた、誰がどう見たって反省している兄が、『今回は失敗しちゃったけどまたやってやろう』と心で言う。
彼の隣で「ごめんなさい」としおらしく謝った俺はそれと同時に、『もちろん、今度はもっと上手くやろうね』と兄に返す。
もちろん大人たちは、俺たちのそのちっとも懲りていない本性など知る由もない。――これは俺たちしか知らない秘密のうちの一つだった。
俺は結局ウワハルという兄のことが大好きだった。
賢くて抜け目がなくて、いつも自分を守ってくれる強くてたくましい兄のことを尊敬していたし、頼もしく思ってもいた。
俺たちはもちろん双子の兄弟であり――ときにものすごく仲の悪い、ときにものすごく仲の良い男兄弟であり――、一緒にいたずらをしたり遊んだりする唯一無二の親友でもあり、また最大の理解者でもあった。
俺たちはお互いのことなら何だって知っていた。
何だって、何だって――何だってウワハルのことなら、俺は何だって知っている。
ただ、小さな頃の俺たちはまだよくわかっていなかったのだ。…周りの大人は小さな頃から俺たちに、「お前たちは将来結婚して夫夫になるんだよ」とたびたび言っていた。
そう…俺たちは双子の兄弟であるばかりか、いずれは結婚しなければならない運命 ――つまり生まれたときから夫夫になることを決められていた、「運命られた夫夫神」でもあった。
つまり唯一無二の兄弟、味方、理解者、親友は、なおかつ許婚 でもあったのだ。
けれども、小さい俺たちはまだ知らなかった。
――結婚や夫夫という関係性がどういったものなのか。…だって俺にとって兄は兄だったし、ウワハルにとってもきっと俺は弟でしかなかった。
はっきりいって、小さな頃の俺たちはお互いを許婚だなんて意識したこともなかったし、ましてや恋心を抱くでもなかった。
ただ……俺たちが元服 を迎えてしばらく経ったころ――つまり神として成人し、立派な一柱の男神だと認められる「元服式」という儀式を終えたころ――、…そんな俺たちにも変化が訪れた。
それはよく晴れたある秋の日の昼下がり――俺たちは祖父たちの手引きのもと、いつものように鍛錬をしていた。
俺たちの住んでいるだだっ広い屋敷のなかには、これまただだっ広い鍛錬場があった。
そのなかには屋内で剣道や相撲 ができる道場もあったけれど、鍛錬場のほとんどは屋外だ。
そこにはみんなの愛馬が大切に育てられている厩 があって、それの近くには馬術用の柵にかこわれた広い更地 があって、それから弓術を練習するための的 がいくつも並んだ場所があって、もちろん剣術を練習するためのかかしがいくつも立った場所もあった。
それで、いつからかウワハルは剣術よりも弓術に凝るようになって、その日も彼はシンプルな袴姿で――白い着物に青紫の袴、そしてポニーテールで――、遠い的 に向けて弓の弦 を引きしぼっていた。
「……、…」
で、俺はというと、木製の太く長い太刀 を肩にのせ、黒い愛馬にのって――ちなみに俺は黒い着物に真紅の袴、ウワハル同様に癖のある銀髪をポニーテールにしていた――、少し離れたところから、弓を構えるウワハルのその凛々しい白い横顔をぼんやりと眺めていた。
「…………」
ウワハルの横顔は真剣そのものに研ぎ澄まされている。その白い着物の薄い胸は張られ、背筋は凛とまっすぐに伸び、そして彼の青白い瞳は、その矢じり(矢の尖端 )が向けられた先――五メートル先もの的の中央を鋭く凝視していた。
ウワハルの白い指先がふと矢筈 ――矢のつまむところ――を離す。…ビュッと鳴った音のほうがよほど遅いか、ウワハルが放った矢じりはにわかにドッと的の中央に突き刺さる。
「…わぁすご……」
思わず俺の口からは短い感嘆がもれた。
……俺はせっかちなのか、よっぽど弓術より剣術のほうが向いていた。いちいち矢を取って弦 にからめて狙って弦を引いて、それから放って…――ウワハルほどの腕前じゃないのは確かでも、全く弓が使えないというわけではなかったけれど…――そんなめんどうな手順の多い弓より、よっぽど体感的にすぐさま攻撃できる刀のほうが、どうも俺には向いていたのだ。
「……はぁ…、……」
ウワハルがため息をつきながら、矢の何本も刺さる的を見据えたまま、おもむろに弓を下げる。
「上手い。」とウワハルの側で見守っていた経津主神 ――フツのじいじが言う。
「…が、少々放つまでに時間がかかりすぎだ」
「……、そう…仰言 る通り…――」
ウワハルが自分の未熟さを見つめるように目を伏せる。
「本当の戦場じゃこんなに時間はかけられない……」
「えーでも、めっちゃすごくない…?」
でもすごいじゃないか、と俺が馬を歩かせて近寄りながらそう声をかけると、…ふと俺を見上げたウワハルは、「君、そこで何をしているんだ」と言いながら冷ややかな顔をする。
……でも俺は兄ににこっと笑いかけた。
「ね。たまにはまた俺と鍛錬しようよウエ」
昔は何をするにも一緒で、それこそ鍛錬だっていつも二人揃ってやっていたけれど、この頃になると、俺たちはこうして別々に鍛錬をするようになっていた。
でも、まあ弓術を特に鍛えたいウワハルと、剣術を特に鍛えたい俺とでは、結果的に別々となるのはあくまでも自然なことだ。――別に俺もそれが寂しいというわけではなかったので、こうしてたまには前みたいに一緒にやらないか、と、俺が兄を誘ったのにも大した意味なんてなかった。
「……いや…、……」
しかしウワハルは目を伏せる。
こうしてウワハルが目を伏せるときは、俺に何かを隠しているときだった。
……実年齢は千歳に近くとも、それでも人間でいうところのまだ十六、七歳だった俺たちは、人間のその年ごろの子と同様に物心がつき、お互い心に「蓋 」をして、しばしば自分の本心を相手に隠すようになっていた。
だから俺は今ウワハルが何を隠して、何を思って「いや」と言ったのかがわからなかった。
「……? 前は一緒にやってたじゃん。…ねね、久しぶりに練習試合しない?」
「……ほほほ…」
とフツのじいじが長い真っ白な顎髭 をしごきながら意味深に笑う。――「シーターハールー!!」と遠くのほうで、建御雷神 …タケのじいじが俺を呼んでいる。
「はよぉ戻ってこんかあああ!!」
「あ。…へへへ…」
……俺が行ったままなかなか戻ってこないせいだ。
「〝へへへ〟じゃない。…早く行けよ」――ウワハルが俺を叱るようににらみ上げてくる。
しかしフツのじいじが「まあまあ」と彼をなだめる。
「ウエも全く剣術をやっておらんわけじゃなかろ。…たまにはシタと遊んでおやり」
「……でも、…」とウワハルは嫌そうにフツのじいじを見るが、…じいじは意味深な笑顔をふる…ふるとゆっくり左右に振る。
「この唐変木 はやらんとわからんよ」
「……え? ……んぅ……」
なんで唐変木とかいうの。
……と俺は(だ か ら こ そ 唐変木なのかもしれないけれど)そうじいじにからかわれた意味がまるでわからず、ただムッとしたのだった。
◇◇◇
でも、結局俺たちは練習試合をすることになった。
もちろん真剣――本物の刀――ではなく、木刀で。
……そして練習試合は野外の専用の剣術場、木の柵にかこわれた更地でおこなわれた。
「…………」
「…………」
木刀を両手にかまえ、お互いに真剣な顔をして向かい合う俺たちのあいだを、秋の涼しい風が吹きぬけた。――タケのじいじとフツのじいじは場外、木の柵の外で俺たちの試合を腕を組んで見守っている。
「始め!」とタケのじいじが大声で合図する。
俺は早速前に大きく踏みだし、ウワハルのわき腹を狙って木刀を横に振るう。
「……っ!」
でも彼はそれを刀で受けるでもなく、さっと後ろに身を飛びのかせて避 けた。
ならば、と俺は彼の肩を狙って刀を振り下ろす。ウワハルは肩をそらしてまたギリギリ、絶妙に避ける。
……ウワハルの木刀が俺の腰骨のあたりを狙う。俺がそれを木刀で受けると、彼は競 り合わずに刀を引きながら、また後ろに飛び退く。
「……? はは、なんで逃げてばっかり、?」
俺はまた大胆に踏み込みながら、ある種の敵意――ライバルとしての闘争心――から、なかなか俺とまともに張り合おうとしないウワハルを嗤 って挑発した。
「逃げているんじゃない、…」――そう俺を睨んだ兄のツリ目、…さっとしゃがみこんだ彼は木刀で俺の足を払おうとする。
俺はジャンプをしてそれを避け、上からしゃがんでいる兄に斬りかかる。……でもさすが、彼はごろんと身を転がして、俺の木刀をよける。
ウワハルがすっと立ち上がる。
俺たちは木刀を構えたまま、じりじりと横に回りつつ、にらみ合う。
「俺、ほんとは太刀のほうが得意なんだけどなぁ…」
「…この馬鹿力め。それで言えば、僕は長刀のほうがまだ使える。押すばかりではなく、引くことを学べ」
「ウエは引いてばっかだ、よ…っ!」
俺は不意に大きく踏みだし、横振り、ウワハルの木刀を狙ってなぎ払う。――彼はその動きを見切ってまた後ろに飛び退いたが、…俺はさらに力強く踏み込んで彼を追いつめる。
「……っ!」
「逃げるなよウエ!」
とにかく俺はウワハルの隙に刀を入れる。
肩、首、わき腹、…彼はさすがに素早い俺の刀の連撃には、自分の木刀で応じ、その攻撃を防ぐしかなかった。――俺はニヤッとした。…わかった。
「……っ、…ッ逃げてるんじゃ、…」
「それはどうかな…っ!」
ウワハルがなるべく俺の木刀を木刀で受けなかった訳、…それは――俺に力負けするからだ。
……俺の木刀に伝わってくるウワハルの木刀は、俺がぐっと押すと毎回わずかに押される。何というか固さが足りない、ちょっとやわらかい手ごたえなのだ。
それはウワハルが俺の押す力に、その圧力に耐えきれないせいだ。――俺は刀が交わったまま、力いっぱい彼の木刀を押した。
「……っ!」
ニヤリと余裕のある俺を睨みつけてくるウワハル、両手で木刀の背を支えている彼、そのしかめられている顔はうす赤く染まり、彼は奥歯を噛みしめて、必死に競り合っている。が…踏ん張ってもず、ずず、とウワハルの体は後ろに押されている。
――俺が刀に込める力を浮かせて後ろに飛び退くと同時、兄も後ろに飛び退く。
……ウワハルは木刀を構えなおした。
「…っはぁ、…はぁ……」
「はは…ウエ、息上がってるよ…、大丈夫…?」
「……っ! やあ…っ!」
俺の挑発に、前に踏みだして俺の木刀を横になぎ払おうとしたウワハルだが、…俺は彼の木刀を木刀でからめ取り、また刀同士を交わらせてぐうっと押し込む。
「……震えてる」
と至近距離、俺はウワハルの余裕のない両目を見つめながら、その木刀が震えていることをそっと指摘した。
「……ぐ…っ!」
ウワハルがまた両手で刀を持ち、なんとか俺の圧力に耐える。――すると俺の木刀と彼の木刀とが十字の形になるが、…バキッ……「ぁ…」とウワハルが目を見開いたのも当然、彼の木刀は真っ二つに割れ、ガラン、と地面に落ちた。
力負けしたウワハルは尻もちをつく。俺はウワハルに馬乗りになり、彼の上半身を押し倒して、…ドンッと彼の耳の横に木刀を突き立てた。
――「勝負あり」とフツのじいじが言った。
ともだちにシェアしよう!

