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60 ※微
しばらくはこのままでいたい――。
ウワハルの言うその「しばらく」は、俺がうんざりしてしまうほどに長い長い時間だった。
それがどれくらい長い時間だったかって、
結婚――半年後に「婚姻の儀」を控えた時点まで。
具体的にいったら十年より少ないくらいだろうか。
ただ神の俺たちは自分事ともなると――生に限りのある人間の子たちのことでもないと――あんまりあれから何年経ったとか自分が何歳になったとか、不死身、それも思い出そうと思えばその記憶はいつのものでも鮮明、ともなると、そういう正確な時間経過をはかる習慣がないので(元服式だって年齢ではなく肉体の成熟具合ではかられ、執り行われるくらいだし)、「まあ大体それくらい」としか言いようもないのだけれど。
とはいえ、ああしてウワハルに「恋仲になりたい」と告白をしたときの俺は、人間でいうところのせいぜい十七歳くらいだったでしょう。
……で、そこから結婚――つまりそろそろ夫夫として「統合 」ができる、と認められるまで体が成熟した俺たちは、まあ人間でいったら二十歳か二十代前半かくらいの年齢で、…でも人間なら十七歳から数えてたった三年でも、神の俺たちの場合は十年かかってやっとそれくらい。
ただ元服からの俺たちの成長は、肉体的な時間経過にばっかり依存していたわけじゃなくて、神としての力を成長させることによっても肉体が成長する、というシステムではあったから――十年で成熟できたのは、それでもまだ短いほうだとはいえるのだけれども。
でもその十年間、なんと俺たちの関係性はびっくりするくらい何も進展がなかった。
……えっ十年間も? 十年間も一緒に過ごしていて、それで何の進展も無し? ……俺だってそう思うけれども、なんとなく色っぽい感じになったのは、それこそ十年前のあれっきり――あれ以降ウワハルは不自然なくらい「単なる兄」に戻ったし、俺も彼が恋仲になる覚悟が決まるまでのんびり待っていてあげようと思って、「単なる弟」の仮面をかぶり続けた。
いや十年間って、俺は我ながらのんびりしすぎだし、おおらかすぎるのかもしれないけれども、…ただ俺だって焦れなかったわけでも、もどかしくなかったわけでもない。
あの日からどんどん、俺はどんどんウワハルに魅力を感じるようになっていったのだ。
それにウワハルは、成長と共にみるみる美しくなっていった。
いや、もちろん俺の兄はずっと美しかったのだ。馬鹿で子どもだった俺が気がついていなかっただけで――兄は元からとても美しい男神だった。
けれども、ウワハルは成長すればするほどより薔薇のように美しく、また妖しい魔力さえ感じるほど色っぽくなっていった。――もはやナルシストでもしょうがない、これほどの美貌じゃ自惚れて当然だ、と誰しもに許されてしまうほどのその並外れた美しさ、その高潔に馨しく香り立つ薔薇の色気、…成熟したウワハルはまさに「高嶺の花」という感じの美貌の男神になった。
誰しもが美しい俺の兄に見惚れ、憧れた。
けれども誰しもが兄には指一本触れられない。
――それは兄に俺という許婚がいるからだった。
誰しもが俺にこう言った。
――「運命とはいえ、これほどの美貌をもつ男神を夫にできるお前は幸せ者だ」と。
だけど……たしかに俺はウワハルの許婚であれるなんて、すごく幸せ者だった。
けれども俺がその「運命」を恨まない日がなかったなんて、とてもそうはいえない。
……運命られた夫夫神だろうが許婚だろうが、必ず両想いなんてことはないのだ。
俺はちょっと後悔していた。
あのとき――ウワハルが「試しに接吻をしてみて」と俺にねだったとき、…俺、あのとき「運命」なんてクソくらえと、あのとき彼に接吻しちゃったらよかった。…するとウワハルはどんな顔をしただろう。
嬉しそうにほほ笑んだだろうか。はにかんで目を伏せただろうか。頬を赤く染め、とろんとした顔をしただろうか。
――そうしたら何か、変わっただろうか?
『はは、…ねぇシタ、――接吻をしてしまったんだから、僕たち……もう、恋仲だよな…?』
『へへ、そう。…俺たち、もう恋仲だね。』
『……ふふ…』――嬉しそうに目を細めたウワハルが、俺の肩にとんと頭をあずけてくる。
俺の手をきゅっと握って、彼は微笑んだままそっと目をつむる。……あの夕陽が沈むまで――。
でも――こんなのはただの俺の妄想だ。
俺は前、なかばからかうようにしてウワハルに聞いてみたのだ。「まだ俺と接吻したい?」と。
すると兄は俺と目も合わせず、涼やかな横顔でこう言った。
「いいや」
……接吻「できる」から、すっかり「したい」に色づいた俺の兄への恋心はどんどん熟してゆくばかりだったけれども、…ウワハルの俺への恋心は、あれっきりしぼんでゆくばかりだったみたい。
――あのとき「ただの憧れ」だと言っていた兄のその気持ちは、その通りただの憧れで、厳密にいえば俺への恋心ではなかったのかもしれない。
……俺は十年もそう思って、「単なる兄」の態度をつらぬくウワハルの前では「単なる弟」を演じつづけた。――ただただ増すばかりで報われる気配もないウワハルへの恋心を、俺は彼にはすっかり隠していた。
いつの間にかなぜそれを隠していたのかも忘れるほど、いつの間にか心に蓋をして隠す理由が矜持 や意地となってもなお。――それでも好きだった、魅力的だった、綺麗だった、可愛かった、美しかった――それでも、隠した。
それに、…俺の性欲も。
実をいうと(人間でいう)十七歳のころの俺は、まだ性欲とかなんだとかっていうものをそんなに感じてはいなかった。――あったとしてもせいぜい子どもっぽいそれだ。…たとえばおっぱいだのちんちんだの、裸だのおしりだの、接吻だのなんだの……そんな俺が接吻に『気持ち悪』と思ったのは当然でしょう。
でも、ウワハルとならしてもいいかも、むしろしたいかも、なんてあのときの俺が思えたのは、それこそそれそのものが成長の一つ、大人への第一歩、ある意味あれが性的な成熟の芽生え、だったのかも。
そうして体が、心が成熟してゆくにつれ、俺は当然性欲というものを覚えていった。
特に俺たちは「統合 」なくして完全にはなれない二柱ともなれば、神とはいえ、その欲求は必要不可欠なものとして俺の体に――本能として――組み込まれていたのだ。
すると俺は、どんどんウワハルの肉体にも魅力を感じるようになっていった。が、兄には自分の性欲の一切も秘密にしていた。
それはもちろん恥ずかしいというのもあったけれども、何よりウワハルがどんどんどんどん、性的なことに対して潔癖になっていったせいも大いにあった。
――それこそ貞淑もほんとまさにそれって感じで、…というのも、それは根っからナルシストの彼と、(それでなくとも蝶よ花よと兄を育てた)母上が彼に説いた『清く正しく美しく、結婚の日までは粛々と自分の貞操を守る(ひいては自分の心と体を大切にし、夫の俺にも宝物のように大切にしてもらう)』という貞潔主義が、やたらめったら相性ばつぐんだったせいだ。
だから、それこそ兄を誰かがちょっとでも色っぽい冗談でからかえば、そのツリ目をよりツって「淫らだ! いやらしい! 最低だ!」だなんて激怒必至、酔った勢いで下ネタなんて言ったらいよいよ終わり、軽蔑もきわめて冷ややかなその目で見られる始末――それも、もはや「自分を大切にしましょうね」と彼に説いた張本人の母が「いやだわもう」とコロコロ笑うような程度の下ネタでそれなのだから、…まさか俺がウワハルを「エロい目で見ている」だなんて知られたら、…考えるだけで恐ろしかった……。
けれども俺、…酷いときは日に五度も彼の体を想いえがいてヌいた。
実は…俺は「教え」を受ける以前に、何度か人間の夫婦の閨事 を見てしまったことがある。――ただ最初はなんだろう、何をしているんだろう、なんてしか思わなかったけれども、性欲というものを覚えたあとに見ればなるほど、その行為は全く妖しい魅惑的な場面だった。
もちろん人間の子たちに神の俺の姿は見えていない。
まさかその「秘め事」を覗かれているだなんて思いもしない夫婦は、いちゃいちゃとほほえみ合いながら体をまさぐり合ったり、接吻をしたりする。
……俺は食い入るようにそれを見ていた。いつか俺もウワハルとこうしよう、こうするんだ、なんて思いながらその行為を見ていると――別段二人とも俺たちに似ていたわけでもないというのに(奥さんとは性別から違うし)――だんだん自分と兄がそうしているように見えてくるのだから不思議だ。
『ん…♡ あぁもう我慢出来ない…、シタ……?』
と後ろから俺――本当は旦那さん――に着物をはだけさせられ、胸や股間をまさぐられている兄が――本当は奥さんが――、『もう来て…?』と潤んだ目で俺を見上げながら、俺の股間をさわさわと撫でる。
たちまち布団に押し倒されるウワハル、『あぁっ♡』と彼の反れた背中がわなないて、彼の両胸をやさしく揉みながら腰を振る俺、
『あ…♡ あ…♡ シタ、シタ…♡』
と兄はか細いなまめかしい声をあげて、潤んだ瞳で俺の目を見上げている。
『シタ…あん…♡ そこいい…っ♡ ああ…っ♡』
……俺の妄想のなかじゃウワハルは俺の背中にしがみついて、俺の意のままにただ揺さぶられて、『好き…♡ 好きだよ、一番好きだよ、シタハル…♡』と俺に惚れ込んだうっとりとした微笑みをうかべる。
『君のが中に欲しいの、ほしい…♡ あぁ、君のやや子を産んであげるから、僕のなかに出してぇ…♡』
……で、俺は大体こんな感じのでヌいてた。
もちろん「お前で自慰 をしたんだ」なんて冗談でも言ったら俺、多分、…いや、ぜっっったいウワハルに殺されただろうけれど。
……でも、だって、だって、…だってあんまりだ、だってあんまりにもウワハルは変なところ無防備なのだ。
たとえば、…小さな頃からそうだからって毎晩、毎晩毎晩毎晩、…恥じらいもなにもなく毎晩、――兄は平然として俺と毎晩一緒に風呂に入るのだった。
我が家備 えつけの浴室は露天風呂だ。
湯気のくゆる木の柵に囲われたその夜の広い浴場、俺の隣で身を清めている兄のその雪にも勝るまっしろな肌が、桶 に汲 まれたお湯に撫でられてたっぷりと濡れる。
するとそのお湯をはじいて水滴とするほどキメの細かい肌、その青年のなめらかな肩や二の腕には、彼の濡れた黒髪が張りついた。――そして洗い終わった髪を低い位置でおだんごにした兄は、無防備に俺にそのなまめかしい背中を向けてくる。…俺たちは小さい頃からお互いに背中を洗いあっているためだ。
兄のそのおくれ毛の残る色っぽいえりあし、濡れたまっしろな長めの細いうなじ、浮きでたたくましい肩甲骨、あばらから徐々に細まって折れそうにくびれた細い腰に、その木の風呂椅子にのった小さなおしり――俺は努めていやらしい手つきにならないよう、彼の背中を濡らした木綿 の布でゴシゴシとこすった。
すると、
「…いっ痛い、…」と兄は痛がって後ろの俺に険しい顔を振り向かせる。
「っおい、なんでそんなに力いっぱい擦 るんだ、…僕の綺麗な肌に傷がついてしまうじゃないかっ、…」
「ぁッごめ、……」
だって少しでも早く終わらせないと、だってゴシゴシするくらい粗野にやらないと、…俺は今にもこの背中に口付け、この背中に愛撫するように触れて、いやらしく撫でてしまいそうだったから――少しでも俺の手つきに「下心」が表れていたら、それをたちまち見透かしたウワハルに軽蔑されてしまいそうな気がしたから……。
兄の白い背中がうっすらと赤くなってしまった。彼はもういい、と言って、俺にふり返る。
かじりつきたくなるようなその細めの長い首筋、その綺麗に浮きでた鎖骨、そのまっしろな胸板についた薄桃色の小さい乳首――俺はあわててウワハルに背中を向ける。
……するとすぐ彼は何もいわず、俺の背中を濡れた木綿の布でやさしく、丁寧にこする。
「こうするんだ…。優しく…丁寧に……ほら、こうしたら気持ちいいだろ…?」
「……、…、…」
そりゃあもちろん、もちろん気持ちいい。
気持ちいいのは当然だけれども、それは単 な る 気 持 ち よ さ で は な い 。ウワハルの指が触れている。俺の肌に、ウワハルのあの綺麗な指先が――ほっそりとしているが大きな指の長い、あの真っ白な手が――俺はぎゅっと目を瞑り、ただただ毎晩耐える。
それから二人ならんで露天風呂につかる。
なんでもない話をポツポツしながら……五分と経たず、兄は先にあがる。
その濡れた後ろ姿、まっしろだったのにうっすらと上気したこのなめらかな肌、くびれた腰、肉感のある長い太もも、ほっそりとした細長いふくらはぎ、骨っぽいくるぶし、しっかりとした踵 、優雅な足の甲、柔らかそうな足の裏、桃色の綺麗なかたちの爪…――あえて見ないようにしていたのに――「あ」と何かに気がついたウワハルのまっしろなぷりっとしたお尻が、俺のほうに突き出された。彼はきっと床に落ちた何かを拾おうとしているのだ。
「……っ!」
でもそんなに深くかがんだら当然、――わずかに秘めたる薄桃色の、
「……? 何故こんなところに、桜の花びらが…」
「……、…、…」
いやっ…ウ エ の 桜 の 花 び ら が 見 え て る んだけど、…大事なとこ見えてるよなんて言ったら殺されるし、…でも目をそらしたらあからさまだし、…というかそりゃ見たいし、…でもあんまりジロジロ見たら睨まれるし、…
……我が家の風呂は露天風呂だけれど、でも幸 い に ご り 湯 だった。
ねぇ――性に関してはすさまじいほど潔癖なくせに、どうして俺の前ではそんなに無防備なの?
もしかして俺のこと誘ってる? ……まさか。
俺に見せつけているんじゃないよね? ……まさか。
俺のこと、からかってるの? ……まさか。
……まさか、きっとウワハルは俺のことを「単なる弟」だとしか思っていないだけなのだ。
たしかに兄は許婚の俺の前でしかここまで無防備にはならない。それこそ彼の裸だって、俺たちが成長してからは俺しか見たことがないはずだ。
でも兄はきっと、俺のことを小さな頃から何も変わらない「単なる弟」だと、性的な意味で全く無害な存在だとしか思っていないだけだし――だから平然としている、だから毎晩当然のように俺と一緒に風呂に入る、だから俺の前では裸でも、きわどいところを晒しても恥じらうことなく無防備なままでいる――、ともすると自分自身に向けてだって、いまや魅惑的なほど色っぽくなったのだとはまだ自覚がないのかもしれない。
俺はもどかしい想いを抱え、気がついたらひたすらひたすら我慢忍耐の十年間を過ごし――そうしたら、いつの間にかお互いの体は結婚が許されるまで成熟してはいたけれども、…なのに俺たちはいつまで経っても恋仲にはなっていないまま、…そうして十年間もの俺の一方的な片想いは、いよいよ「婚姻の儀」が半年後に迫るその初冬のある日まで、なんにも進展しなかった。
でも…――。
――春の日に執り行われる「婚姻の儀」を半年後に控えた、初冬のある日のことだった。
俺はその日の昼ごろ、外がよく晴れていたので、昼飯の前に一緒に散歩でもしようとウワハルを探した。
それでお女中たちに聞けば、彼は座敷で生け花を母に教わっているという。――俺はまたつまんないことしてるんだな、なんてそれをちょっと小馬鹿にしつつ、彼のいる座敷へむかった。
……ちなみに、この日の俺はゆるいウェーブの銀髪をハーフアップにして、黒い着物に黒い袴――裾 から炎のように真紅と金色が燃えて黒とグラデーションになっている――の上に黒紫の羽織りを着て、白足袋 を履いていた。帯 は真っ赤な地に金刺繍 の唐草 もようだ。
そうして座敷の襖 の前まで俺が来ると、正座してそこに控えていた若いお女中の一人が、ふと俺を見上げて厳しい顔をした。――「シタ様。恐れながら、ウエ様は今生け花のお勉強中でございます」とひそひそ声で言う彼女は、…要するに後にしろ、と俺をいさめたのだ。
でも俺はふぅん、と鼻を鳴らして、かまわず襖に手をかけた。「なりませぬ」女中はすぐさま立ち上がって俺の手を抑えた。
固いこと言わないでよ、なんて俺は言わずともへらへらしながら彼女を見た。彼女は黙ったまま厳しい顔をふるふると横に振る。――えー、どうしようかな…なんて俺はちょっと考えたが、……「じゃあちょっと見るだけ」とお女中に小声でもちかけた。彼女は「ご覧になるだけですよ」と返した。
それで俺はそお…と襖を薄くあけて、座敷のなかの様子を窺 った。
広い十畳ほどの畳敷きのこの部屋は、冬らしい厳 かに澄んだ静かな空気で満ちていた。座敷に面した縁側 から射し込む、凛とした冬の昼間の陽光がその若草色の畳を照らしている。――そしてこの座敷の最奥、掛け軸のかかった床の間の前に正座したウワハルがいた。今日もその黒髪をポニーテールにしている彼は藤色の着流しに白い羽織りを着ている。
彼の左隣には桃色の着物を着た母が端座している。彼の右うしろには薄茶の着物に灰色の袴姿のじいやもあぐらをかいて座っている。
またウワハルの前には低い漆塗 りの横長の机があり、それの上にはたしかに生け花用の横長の鉢 が置かれていたけれど、まだそれには何も活けられていない。――ウワハルの左手には生け花用の鋏 が握られ、右手には枝つきの白いぽってりとした花がある。その枝にはちらほらと白いつぼみもついているみたいだ。
母が美しく微笑んで、ウワハルにこう話している。
「まあ、なんて美しいのかしら。ねぇこの白椿 、とっても素敵でしょうウエちゃん」
「…………」
ウワハルはぼんやりとした顔で目を伏せている。
母は「ねぇ」と笑顔のまま彼の顔をのぞき込む。
「あなたにぴったりですわ。…ウエちゃん、白椿の花言葉をご存知? ――〝完全なる美しさ〟、〝理想の愛〟、〝誇り〟…――それから〝申し分のない魅力〟、〝至上の愛らしさ〟……この白椿を見ていると、もう〝婚姻の儀〟のあなたを見ているような気分になります。」
「……、…」
俺は唇だけでニヤッとした。
母がこうして「蝶よ花よ」とウワハルをおだてあげるのなんかいつものことだ。で、兄はいつも自慢げに微笑してそれを少しも疑わない。――今度だって兄はきっと「本当に。正 しく僕のような美しい花だ」とでも揚々 答えるに違いなかった。
……俺は決まりきったその展開が見えてはちょっと興味が失せ、ふと目を伏せた。
しかし――。
「…ウエちゃん…?」
と母がいぶかしそうに兄に呼びかける。
俺はそれにはたとまた目を上げ、遠いウワハルを見た。――彼は冷ややかな、残酷な眼差しで枝つきの白い椿を見下ろし、…バチン、…ぽろ、と、その花の首を落とした。
一つ花がこぼれ落ちると、ウワハルは恐ろしいほど虚ろな無表情となり……バチン、バチン、…次々と白い花が枝から落とされ、こぼれ落ちてゆく。
「ウエちゃん、…」母がただならぬ顔で兄の左手首をそっと抑える。
彼は感情のない伏し目で椿の白いつぼみまで切り落とす。…何もかもを切り落とし――彼はすべての花を殺して、そっと鋏と裸の枝を机の上に置いた。
それからウワハルはそっと無表情のまま前を見据えた。――ここにいることがバレたのかと俺はドキッとしたが、…ウワハルのそのツリ目はどこまでも虚ろで、襖の奥の俺と目が合うわけではなかった。
「母上、何故 枝は繋がっているのでしょう」と彼は低い声で母に問うた。
「枝は繋がり、根は同じ…――こんな椿は愛でようもございません。…この白椿ほど醜く惨 めな花もないからです。」
「何を」と母が兄を叱るように言った。けれども兄はこう続けた。
「思うに、花が美しいわけではないのです。…その花を美しいと感じ入る者の心があって、花は初めて美しい花となれるのです。…愛でる手のない花など所詮 醜いのと同義だ…――せめて隣であろうと別の木の椿であれば、運命が二つの椿を結びつけたやもしれないが…――しかし、これらはあまりにも近過ぎるのです。…根が同じ真隣の椿の花を、どうして美しいと思えましょうか。」
「だから手ずから殺すとおっしゃるのね」
母はきっとウワハルの正座した腿 の上にのっている椿の白い花を見下ろしていた。でも彼女は何かを察したように、それを拾い上げようとはしなかった。
「けれど、あなたには殺せませんわ」
と母は目を伏せたまま、凛とした声でウワハルに言った。何を、とも言わず。――母の細く白い指先が、机の上の枝をつまんで持ち上げた。
「ほらご覧なさい、蕾 が一つだけでも残っている…――この蕾の想いを、どうぞ母にだけは聞かせなさい」
「…はい、今夜にも母上にはお話いたします。…だが」
ウワハルはすっと美しい所作で立ち上がる。
そのさなか、彼の膝の上からはほろほろと白椿がこぼれ落ちる。
「シタハル」――ウワハルが俺を見据えて呼んだ。
母もふと薄く開いた襖のほうを見やる。
「……、…」
俺は堂々と襖を大きく開け、ズカズカと座敷の中に踏みこんだ。
◇◇◇
皆さま、本年はご愛顧たまわりましてほんとうにありがとうございました!
ぜひよいお年をお迎えくださ〜〜いっ( *´꒳`*)ノ⁾⁾
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