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夕暮れの熟した太陽は美しい灯火のように、水のおだやかに流れる石段にゆらぐ光を落としていた。
幅は馬車が通れるほどにひろく、しかし段は浅いこのまっすぐとつづく石段は、上から流れ落ちてくる一センチほどの厚さの水に濡れて濃い灰色に染まっている。
そしてそのゆらめく水面に映えてうつるのは橙色の陽光、それから、この石段の両側に点々と道しるべのように置かれた行灯 の和紙越しにかすんだ灯火の光――この行灯はその全てが、このハレの日に、俺たちを昔からよく可愛がってくれている神々が贈ってくださった祝物だ――、…ふと見上げた美しい夕暮れの空には、もう白い満月が浮かんでいる。
俺たちの「婚礼の儀」は、ある春の日の黄昏 時に粛々と始まった。
そして俺たちは今この石段の頂上の、大滝のある神域へと向けて粛然 と、ゆっくりと少しずつ進んでいる。
つまりこれは「参進 の儀」――いわゆる「花嫁行列」の真っ最中だけれども、もちろん「花嫁」はおらず、ここには俺たちという「花婿」二柱しかいない。
この行列の先頭には典雅 な雅楽 を奏でてこの儀を華やかにしてくれている楽神 たちが、そのあとに続くのは、先導役を務めてくださっている礼装した猿田毘古大神 ――天狗 の容姿を持つサルタヒコのおじさんと、姐さん的な美神の天鈿女命 ――ウズメのおばさん夫妻が、――そしてそのお二方のあとを隣り合って進む俺たち、俺たちの後ろには大きな赤い番傘――木製の数珠 や金の房 飾りが、骨組みの先端すべてからぶら下がっている番傘――をもつお付きの紋 付き袴の男神が、…そしてそのあとに俺たちの親族が続いている。
「……、…」
俺はチラと横目に隣のウワハルを盗み見る。
――今日の兄はまた格段に美しかった。
神妙にその長い黒のまつげを伏せ、俺の隣で厳かに、俺とともにゆっくり、少しずつ水の流れる石段を上がるウワハルは今、あの白椿をおもわせるような白無垢をその長駆の細身にまとっている。
ちなみにこの白無垢は仕立て直されたもので、もともとは母上のもの――というのも、彼女が父上と「婚姻の儀」を執り行った際に着ていたそれに密かに憧れていた兄の、その気持ちをそれとなく打ち明けられた母は、それに女心と母心を両方打たれて大喜びした。
それで母は、織女 さま(神の衣服をあつらえてくださる女神さま)にわざわざ頼んで、自分の白無垢をウワハルの体に合わせて、仕立て直してもらったのだ。
でも、男神なのに白無垢?
……よその誰かはそういぶかしく思うかもしれないけれども、ことその美貌に絶対的自信をもつ兄によれば、男物の礼装も当然自分は着こなせるに違いないが――しかし婚姻の儀で誰の目にもひと際美しいと目立つのは花嫁だ、ひいては白無垢だ、美しい僕には白無垢がふさわしい、男神だからって白無垢を着てはならないなんて決まりはない、そもそも僕ほどの美貌の男神が「単なる花婿」だなんて全く役不足だ、よって僕は「白無垢の花婿」になるから、君はその白椿のように美しい白無垢姿の僕の隣を歩める光栄を何度だって誇っていいんだぞシタハル。…だってさ(相変わらずの自惚れ屋の高慢ちき)。
まあとはいえ、たしかにウワハルほどの美貌もちだと、男神だろうがこの白無垢はやたらと似合っていて、やたらと色っぽく美しいんだけれど…――。
その兄の体に合わせて仕立て直された白無垢は、伊達衿 などところどころに赤が差している。…ただ兄はその白無垢の下に赤い袴を穿 いていて、ちょうどゆるやかな優雅な八の字をえがく褄下 ――帯 から下の着物のスリットのような切れこみ――の下からは、その赤い袴に描かれた優雅な金と黒の昇り黒 龍 が覗き見えている。
またウワハルは母上から譲りうけたその真っ白な綿 帽子 ――白無垢を身につけた花嫁がかぶるあの丸い帽子――を、ほとんど下ろした長い黒髪の上からかぶっている――ちなみにほとんど、というのは、彼のその艷やかな黒い髪はその実そのお尻の下くらいまであるのだけれども、その長い髪は今、腰の裏あたりの位置で華美な金細工と赤い組紐 の髪飾りに結われている――のだが、…ただその綿帽子は通常のものとは少し違っている。
まず表は真っ白なその綿帽子でも、うち側には赤い布が張られており、またその帽子のウワハルの顔側の山型の線は、その赤が縁どっている。
そしてその内側の赤い布から垂れているのは、薄く透けている白い布なのだが、それは兄の顔をすっかり隠してしまうほど――いいや顔どころか、兄の長駆をもすっかり覆 ってしまうほど――あまりにも長いので、その布の端を一メートル強も背後にいる(小さな頃から俺たちを可愛がってくれていたあまり、このハレの日に涙ぐんでいる)女中長が持って付き従ってくれている。
……ただその布の中央には割れ目があるのだけれど、それこそそこから出ている、その藤の花が垂れ下がる枝を大切そうに持っている彼の両手くらいしか、その白い布に覆われていない肌がない。
ただ真隣にいる俺には、その布越しにも夕陽の色に火照ったようなウワハルの美しい横顔が――うすらぼんやりであっても――よく見える。…その長いまつげを伏せている可憐な神妙な横顔、その母に紅を差された色っぽい紅 い唇……なんだかんだ言っても、俺の兄はやっぱり極上の美しい男神なのだな、と認めざるを得ない。
ただ美しいのはウワハルばかりか……。
ウワハルの打掛 ―― 一番上に着る着物――は真っ白だが、その長い裾 はウワハルの神力によってキラキラと金の粉を舞わせながら輝きつつ、濡れた石段すれすれを浮き、また裾から上に向けて真っ赤な菊や牡丹 やの赤い生花が飾り付けられていて、そしてその打掛の背中には、その花々の上から飛びたつ豪華な金と青基調の鳳凰 が描かれている。
何よりウワハルの白足袋を履いた、底が厚い金の草履 がそっと一歩前に進むたび――彼のその打掛の裾の下からあらわれる濡れた浅い石段には、金に輝くつぼみから金粉を舞わせてふわりと開く花、たとえば蓮 、たとえば菊、たとえば椿、たとえば牡丹が花の部分だけ生まれ、それからふわぁと低く舞い上がるそれらの花びらと金粉とともに、その全てが石段をながれる水にそっと流され、下の段へとゆるやかに落ちてゆく。
これもまた美しいでしょう。
……こうして春の神として、この婚姻を祝福しに来てくれたみんなをおもてなししているのだ。
「……、…」
俺はつと横目に、この石段の両側の行灯の外に立って、この行列を見物している神々を見やった。
……その神々の多くは、小さな頃から俺たちを可愛がってくれている叔父や叔母のような、俺たちが大好きな神々だ。
みんな俺たちの晴れ姿を見て涙ぐんだり、ニコニコしたり、感心した顔をしてくれている――たとえば大国主 のおじさん一家や(オオクニヌシのおじさんの肩の上には、いつも気難しいのに今は感動して泣いている十センチの神・少彦名 のおじさんまで!)、たとえば宇迦之御魂 のお姉さん、石長比売 さまや、木花咲耶比売 さま、美神三姉妹の宗 像 三 女 神 のお姉さんたち…、それからじいやのお父さん…、もちろん他にもたくさんたくさん、大好きな顔ぶれが揃っている――けれども、……その多くの祝福の視線の他に潜んだ一つ二つの怨みの視線も、…感じる。
「……、…」
俺は得意げに前を見据えた。
ひそかに美しいウワハルを狙っていた横恋慕 の男神たちの、その嫉妬と絶望の視線を――そしてあんまりにも美しい白無垢姿のウワハルへの、その羨望と悔しさの視線を――俺は優越感をもって感じている。
バーカ。どうだ、羨ましいだろう。俺の夫神はこんなにも美しい。でも、ウワハルは生まれたときから俺だけのものだったの。それが運命なんだから、そんな恋叶うわけないじゃん。
ていうか? 俺からウワハルを略奪しようだなんて、百億万年早かったってわけ。まあ永遠に無理だけど。儀式のさなかじゃもう結婚しちゃったようなもんだし? へへん。
「……、…はぁ……」
でも、…早く脱ぎたい。
いや、別にそれはスケベな意味じゃなくて――これでもかなり緊張しているし、まさかさすがに今はそんな気分になれるはずもない――、…俺が今着ているこの礼装、重たい何重もの着物、…着苦しい、重い、邪魔、動きにくい、気恥ずかしい(だって紅まで差されているのだ)、後頭部でおだんごにしている俺の銀の髪もなんか根本が痛い、その髪に刺さったチャラチャラ動く桜のかんざしも邪魔、…だから早く脱いで自由になりたいって意味。
俺は今束帯 ――いわゆるお雛 様のお内裏 様が着ている衣装――を着ているのだった。
これがまた何枚も何枚も着物を重ねる衣装なのだ。ほんと何かにグルグル巻きにされてる気分。
で、ちなみに、俺が今頭にかぶっている冠 という黒い帽子からも、やっぱり黒い透けた感じのある長い長い布が、――ウワハルと同様に――俺の体をすっかり覆ってしまうほどのその長い長い布が取り付けられており、それで俺のそれの裾は、じいやが後ろで持って地面につかないよう上げてくれている。
そして一番表にある着物は、黒地に銀と赤基調で鳳凰がえがかれたもので、それの袖口 や割れた肩口から覗く下の衣は青だ。袴も青。また石帯 と呼ばれる銀細工でできた帯からたわんで垂れる幾重もの金の鎖は、俺の黒い腰回りを華美に彩っている。またその帯中央から垂れ下がっているのは、縦の帯状の白い布に、銀でふちどられた桔梗 と菖蒲 だ。
……ちなみに俺は今手ぶらだが、その代わり帯刀している。藤の枝を両手にもつウワハルを守るのは俺の役目、ってわけ。
また、俺も一番おもてに真っ黒な打掛を着ている。
俺の神力で地面すれすれを浮きながら銀に輝く裾から上に、桔梗や竜胆 やの青っぽい生花が飾りつけられているその上、舞い上がる白と銀とで描かれた白龍がえがかれている。
俺の白足袋に銀の草履が前に進むたび、そう、俺の打掛の裾の下からあらわれる濡れた石段には、銀にかがやくつぼみから銀粉を舞わせてふわりと開く花があらわれ、それら菊や蓮やとそれらの花びらとは銀粉を舞わせながら石段を伝い、水とともに下の段へとゆっくり流れおちてゆく。――俺もちゃんとウワハルと共に「おもてなし」をしているのだ。
ちなみにウワハルが赤、俺が青の要素を衣装に取り入れているのは、各々の魂の色をあらわしている。
赤は陽――陽の気が強いウワハルの魂の色――、青は陰――陰の気が強い俺の魂の色――、普段は足りないその気を補うため、大体は逆の色を衣服のどこかに取り入れてきた俺たちだけれども、「婚姻の儀」では俺たち本来の魂を「一つ」にする、という意味合いをもって、こうした色の配置になっているのだった。
……ただし俺たちの衣装にえがかれた、至高のつがいとされる龍と鳳凰に関してだけは、逆に相手をあらわす色をもちいて描かれているのだけれど――これはあくまでも自分は相手のもの、というのをあらわしている――。
俺たちはそうして、両端を行灯の灯 りに照らされた夕まぐれの浅い石段に――上から水が流れ落ちてくる濡れた石段に――花を咲かせながら、またみんなに見守られながら、少しずつこの参道を進んでいった。
「……、…」
俺はふと顔を上げ、黒い透けた布越しに夕暮れの空を遠く見上げた。太陽も月もある空――そのどちらもが俺たちの晴れ姿を見守り、そしてこの結婚を祝福してくれている。
自然と気が引き締まり、背筋が伸びる。
それで、キリリとまた前を見ると――見えてきた石造りの大鳥居には、立派なしめ縄がほどこされている。
◇◇◇
すっかり日が暮れたのちの厳粛 な宵 の深い暗闇、白い満月の真下に大きな滝――崖がぐるりととり囲むこの神域のなか、その滝の水が周囲に流れる丸い小さな島の、その島の水ぎわに置かれた松明 が囲う中央――俺たちは、その島のなめらかな石畳に敷かれた緋 毛 氈 (格式高い、赤い絨毯 のような敷き物)の上、正座して近い距離向かい合い、目を伏せていた。
ちなみに滝の前には、俺たちが「献饌 」の代わりに力を合わせて満開に咲かせた藤の大木――ウワハルが持っていた枝を挿し木にして大きく育て、それを咲かせるのが一人前の神になったというお披露目でもあった――、…その大滝にも負けぬほど背が高く太い幹をもった大木に、豊かに、豪華 絢爛 にたっぷりと垂れ下がり咲きほこる薄紫色の藤の花を、それから俺の吹かせるそよ風に吹雪のように舞うそれの花びらを、白い清廉な月の光がなまめかしく照らしている。
そして父上のおごそかな祝詞 奏上 ののち、正座して向かい合っている俺たちの膝と膝のあいだには三方 ――白木造りの台に、白い布が敷かれている――に載せられた、一つの大きめな盃 ――その円形のちょうど半分は赤、もう半分は青、縁 は青側が銀、赤側が金に塗られている――が置かれ、その盃には儀式用の特別な神酒 が満たされている。
……また俺たちの側には儀式用の礼装をした伊弉諾 と伊弉冉 の大お父様・大お母様が、人間で言うところ七十代頃のいかめしい顔つきの美丈夫 の大お父様はあぐら、凛とした華奢な美貌の大お母様は正座をして座っているが、親族や他のみんなは石の大鳥居の外から、俺たちの「婚姻の儀」を静かに見守ってくれている。
「…………」
「…………」
俺たちはこの神域のなか、まだ目を合わせてはいけないので、入ってからは一度も俺はウワハルの顔を見ていない。もちろん俺たちはあの全身を覆う薄い透けた布も、顔を含めた全身にかぶったままだ。
そしてまだ何も言葉を口に出してはならないのだ。…だからこの「婚姻の儀」は言葉もなく粛々と行われる。――ひら、と盃に満たされた酒のみなもに、藤の花びらが落ちてゆらゆらと揺らいでいる。
ウワハルが、大お母様におもむろに差し出された三方の上にある小刀を、一礼しながら右手に取った気配がある。…俺はゴクンと喉を鳴らし、そっと盃から目を上げ、兄の手元を見つめる。
兄の月明かりに照らされた真っ白な大きな手は、その細工の美しい黒い鞘 から小刀をすぅ…と抜き、鞘を三方へ慎重にもどしたなり――月光にキラリとまたたいたその銀の刃を、左手の小指にあてがって、
「……っ、…」
俺は思わずびく、としながら眉を寄せた。
……ウワハルは自分の小指の腹をピッと自らすこし切ったのだ。
痛そ、…ってこのあと俺もやるんだけど…――そしてウワハルは小刀の身を返し、左手で俺に柄 のほうを向けて、おもむろにそれを差し出してきた。
「……、…、…」
俺は痛みへの恐怖からドキドキしつつ、それを震えた左手で受け取る。――ウワハルはする…と刀が抜けていったその手を、その形でかざしたまま…――向かい合う俺たちのあいだに置かれた盃へ、ポタ、ポタとその小指からしたたる血を落としてゆく。…透明な神酒にじわ…と紅いにごりが、その月明かりに照らされた水面に白い光の波紋が、藤の花びらがゆらゆらと船のように揺らぐ。
「……、…、…」
うえー、やだな……俺はもう一度ゴクンと喉を鳴らした。…でも、どうせ遅かれ早かれやらなきゃいけないことなので――俺は自分の右手の小指の腹にその小刀の刃をあてがい、ぎゅっと目をつむって、いてっ…右手の小指をピッと傷つけた。
ちなみに小指とは「約束」の指だ。そしてお互いの利き手を自ら傷つけるという行為は、自分の自由をも夫に差し出す覚悟があると示す、というような意味があるらしい。
……俺の手から、大お母様が厚い和紙ではさむようにその小刀を受け取ってくださり、俺は彼女に一礼――それから俺もウワハルの左手の隣に――盃の上に――右手をかざす。
「……、…」
ポタ、ポタと盃に俺の血も落ちてゆく。
神の血とはもっとも神氣が含まれている――というかそれそのものと言ってもいい。運命られた夫夫神の俺たちの「婚姻の儀」には、もっとも夫夫を結びつける力の強い「血の誓約」も含まれているのだ。
……これを飲んだら、俺たちはもう二度とお互い以外の誰をも愛せなくなる――というよりか、仮に他の誰かに心を奪われてしまった状態の相手を、自分が許せなかった場合――相手を自分の意のままの傀儡 とできる(ひいては心を操ることで自分に惚れ直させられる)、…これはその制約をお互いに受け入れることを固く示す誓約なのだ。
ただそれには条件があって――ただお互いの血を飲めばいい、というわけではなくて――順序は関係ないので前後してもいいのだけれども、まず結婚していること。それからお互いの名前をお互いに捧げあっていること。
その上でお互いの血をお互いに飲んでいること。…その三つの条件が揃って、はじめて「血の誓約」は成り立つのだ。
俺の血と兄の血とが入った盃の酒がじわじわと赤と青に光りはじめ、みるみるうちに暗い辺りがパアアッと明るくなるほど輝きを強くした盃のその光は、やがてその赤と青とがぐるぐると幻想的に混ざり合い…――薄紫色一色のまばゆい光になったなり……すぅ…と徐々に光が弱まってゆく。
俺たちはまだ目を合わせてはいけない。
だから目を伏せたまま……大お母様がウワハルの左手を、大お父様が俺の右手を下から取り、二人の顔を覆う布の中央の割れ目から、そのお互いの手をそっと入れると――俺の唇には兄の血に濡れた小指が、兄の唇には俺の血に濡れた小指が触れ、…俺たちは目を伏せたまま、お互いにその小指を口にそっとふくむ。
「……、…」
「……、…」
夫の覚悟を受け取る。そして痛みを癒やす。
夫の傷を労 る。お互いに約束を受け入れる――その血をやさしく舐めとり、夫神の血を飲み下し、舌でその傷を癒やす…――。
そして唇からそっと引き抜かれたお互いの小指には、もう血も傷もない。…お互いの紅はついているけれど。
「……、…」
さあ次の段だ。
俺は藤の花のような色にあわく輝く酒が満ちた盃の――赤と青が半々になった盃の――ふちをそっとつまみ、ウワハルのほうに青側を向ける(青、陰、つまり俺の色に口づけさせ、ひいては俺の魂を飲ませる、みたいな意味があるらしい)。――そして目を上げ、固く目をつむっている兄のその顔を覆う白い透けた布を、もう片手で中央の割れ目からかき分け、おもむろにその左右を彼の肩にかけて、八の字にひらかれるよう固定をしてから――その紅で染められた唇に、盃の銀のふちをあてがい……そっと傾ける。
「…………」
「…………」
何も見えない暗闇のなかでも、夫の目となり手となることを誓う。……コクン、コクン、コクンと三度、兄はそれに逆らわず飲む。
俺は盃を引き、それをまた俺たちの前の三方に戻した。
今度は俺が目をつむる。俺の黒い布をかき分ける兄の手がそれぞれの肩を撫でるように触れ、ややあって唇にきっと盃の赤側、金のふちがあてがわれる。――俺はその中の酒を三度にわけて、コクン、コクン、コクンと飲む。
コトン、と置かれた盃の音に俺はそっと目を開け、ふと目を上げる。
「…………」
「…………」
……神妙な顔つきのウワハルと目が合う。
八の字に分けられたお互いの布から、お互いの真剣な顔が見えている。
そしてウワハルは静粛な声でこう名乗りをあげる。
「我が名は〝天上春命 〟…」
すると兄の真剣な顔の隣にすぅ…とあらわれたのは、赤く光る「天上春命」という文字だ。
「我が名は、〝天下春命 〟…」
と俺も兄を見据えたまま名乗りをあげる。
すると俺の顔の隣に、青く光る「天下春命」の文字が浮かび上がる。――それから俺たちは声を揃えて、こう宣言した。
「「これより我々はいつ何時 も一心同体。――我が夫となる御前 に、我のこの名を授けよう。」」
すると――すーー…とそれぞれ、俺のほうにはウワハルの名前が、ウワハルのほうには俺の名前が近寄ってくる。
俺たちはにらみ合うように鋭い目つきでお互いの目を見つめ合いながら、お互いにその名前を片手でたぐり寄せ、すぅー…と口から吸い込んで――胸の奥、肉体の奥底、自分の魂へと取り込む。…じわりと腹の底がうずくように熱くなる。
「…………」
「…………」
そして鋭く見つめ合ったまま、同時に――ふぅーー…と俺は銀の、兄は金の息吹をお互いに吹きかけ…――その息吹がからまりあい、…やがて宵闇に輝きながら絡まりあう銀の鳳凰と金の龍となって舞い上がり、天へとどんどん昇るなか――このつがいは創造主様のもとへ向かっていて、これよりは永久 に、そのお方のお膝元に俺たちの「婚姻の証」として置かれるのだ――、
「…………」
「…………」
俺たちは大お父様と大お母様に膝を向け、たもと――着物の袖のたっぷりとした部分――を払ってから、三つ指をついて深く頭を下げた。
すると大お母様が厳粛な声でこうおっしゃる。
「藤咲き誇る慶 びの訪れ、世に春を齎 す運命 の二神、天上春命 と天下春命 ――」
そしてこの儀式の最後に、大お母様のその言葉の続きをもって、大お父様がこう厳かな静かな声で締めくくられ――。
「その運命の通り、春のこの日に結ばれしこの夫夫神に、永久に幸多からんことを――。」
俺たちは正式に「夫夫神」と認められた。
こうして俺たちは「婚姻の儀」をつつがなく終えたのだった。
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