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 きっと大人なら誰しもが知っているとおり、結婚したばかりの二人が初めて過ごす夜を――もっといえば、結婚して初めての情交を――「初夜」というけれども、「婚姻の儀」を終えたあとに我が家で行われた大々的な祝宴が長引いたおかげで、もうすっかり夜が明けようとしている。  俺たち神のその全員は、もともとは一つの大いなる魂を分けられて、そこからまた分けられて、分けられて…そうして枝分かれして生まれている以上、全員が遠縁の、あるいは近縁の親戚のようなものだった。  ……それは天津神(あまつかみ)――高天原(たかまがはら)で生まれた神々――であろうが、国津神(くにつかみ)――地上で生まれた神々――であろうが。…だって地上自体伊弉諾(イザナギ)の大お父様と伊弉冉(イザナミ)の大お母様が生み出されたものだし、国津神の祖神は天津神であるそのお二方でもあるのだから、結局のところ天津神も国津神もみんな血の繋がった兄弟のようなものなのだ。  ましてや昔は敵対関係にあった神同士でも、たとえば元は人間であった神であっても、今や一丸となって日本という国を守り、みな一様にその国の人間の子たちのために務めを果たして、一緒に協力して日本を盛り立てている同志、仲間、兄弟、親戚、…となれば、八百万(やおよろず)の神々が俺たちの結婚を祝福するために駆けつけ、みんながこの祝宴を楽しんでくれていた。  ……だから「婚姻の儀」ののちの我が家の一番広い座敷には、このたびの俺たちの結婚を祝ってくださるために多くの神々がつどい――こと忙しい神々は分け御霊(みたま)で来てくれた――、…それもみんなお祝いの席も宴も大好きなので、するとその祝宴はひっきりなしのどんちゃん騒ぎとなったのだ。  特にこの宴の一番の盛り立て役は天鈿女命(アメノウズメノミコト)――ウズメおばさんの十八番(おはこ)たる裸踊りが、ひと際この宴を楽しいものにしてくれたのだった。  我が家の一番ひろい座敷は、八百万の神々がつどっても全く問題ないほどの広さがある。  ――そしてもちろんこの祝宴の主役である俺たちは、赤に金の龍と青に銀の鳳凰が華麗にえがかれた金屏風(きんびょうぶ)を背に、この座敷の一番奥の上座に隣りあって座っていた。  ちなみに開始早々はまだ「婚姻の儀」で着ていたあの衣装のままだった。つまりウワハルはあの綿帽子に白無垢、俺は黒い束帯と冠と打掛姿で、まるでひな飾りのお雛様とお内裏様のようにその上座に端座していた――ちなみに、あのスケスケな布はもう始終八の字に開かれ、紅など薄化粧をほどこされた俺たちの顔はみんなに見えていた――。  それからもちろん、俺たちやこの祝宴に出席してくださった神々の前には、お祝いの御膳(ごぜん)がある。――他にも保食神(ウケモチノカミ)()()()御魂(ミタマ)のお姉さんが祝物としてご用意くださったやまもりの大皿料理、たとえば(ぶた)のまる焼きや(たい)塩釜(しおがま)焼き、大きなさしみの舟盛りなど、いくつもの料理がこの座敷の中央に集められ、その料理の豪華さもこの宴をより華やかなお祝いの雰囲気にいろどっていた。  そして開幕の口上や祝詞やを済ませ、お祝いの樽酒(たるざけ)の蓋を木槌(きづち)で鏡開き、そうしてそのお神酒で乾杯――そのように華々しくこの祝宴は始まった。  お祝いの踊りや音楽、それからみんなの明るい笑い声、両親や祖父たちの自慢話、昔話、泣いたり笑ったり誇らしげにする俺たちの家族――親戚のような神々、俺たちを心から祝福してくれるこのだだっ広い座敷にみちみちたにぎやかな雰囲気は、俺とウワハルのことを頬が痛むまで笑わせた。  で、宴がはじまって、それそこそこにみんなの気分が盛り上がってきたころ――俺たちは、昔から俺たちを可愛がり育ててくれた八百万の神々お一方お一方に、お(しゃく)をして回ることにした。  まずは天照(アマテラス)大御神(オオミカミ)さま――みんなの君主にして、とてもキリリとした凛々しい女神さまである彼女は、俺たちのお酌を受けたその盃を掲げて「めでたい。」とひと言、格好よくこの結婚を祝福してくださった。  イザナギの大お父様とイザナミの大お母様は、儀式の時こそ厳然とされていたけれども、この宴の席ではほがらかに微笑んでいた。大お父様は「立派だったぞ。」と俺たちをお褒めくださり、大お母様は夫の隣でただそっとほほ笑み、俺たちのことを誇らしげに見て、うん、うんとうなずかれていた。  それから大国主(オオクニヌシ)のおじさんと、おじさんの正妻・須勢理毘売(スセリビメ)のお姉さん――オオクニヌシのおじさんは昔モテモテな色男だっただけあって、いまだに渋い感じの(ひげ)をたくわえた、でもその両目はやさしげな「イケおじ」で、スセリビメのお姉さんは力強い切れ長目の美しい女神さまだ。  小さな頃から俺たちを可愛がってくださっていたご夫妻は、俺たちを優しい父母のような目で見ながら「おめでとう」と微笑み、特にスセリビメのお姉さんは「まさか、あんなにちびっこかったあんたたちに、こうして改まってお酌される日が来るとはね」なんて俺たちを嬉しそうにからかった。  夫妻のそばにいた少彦名(スクナビコナ)のおじさんは、とっても小さい。――それこそ盃がお風呂になってしまいそうなくらいだけれど、まさに「おじさん」というような無骨な容姿をしている男神さまだ。  俺たちが盃にお神酒を注ぐと、スクナビコナのおじさんは黙ってそれを見ていたが、やがて「うっ…!」と顔をしかめ、腕に目もとを押し付けてうう、ううと男泣き――俺たちはただ「ありがとうございます」と彼に微笑んだ。彼は「何を言うか、(わし)の目から溢れとるのは単なる汗じゃ…っ!」とはにかんだけれども。  そうしてみんなが一様に「めでたやめでたや」とか「おめでとう」とか、「いつの間にか一人前になって」とか、「あんなに小さかったお前たちがね」なんて感慨深そうに、俺たちの結婚を祝福してくれた。  ……特に女神さまたちはウワハルのその白無垢姿を見てほほ笑んだり涙ぐんだり、「まあ綺麗ね、ほんとうに綺麗ね」とか「ほんとうに美しくってよ」とか、兄の美しさをとにかくとにかく褒めるので、…兄はそれだけで非常〜〜に上機嫌になった。  しかも、さっき俺に嫉妬の目を向けていた男神たちだって、結局は「クソッ…命よりなにより大事にしやがれよ」なんて悔しそうながらも俺たちを祝福してくれたし――。  俺たちはほほ笑んで神々へこれまでの感謝を伝え、それからこれからもどうぞよろしく、なんて頭をペコペコして――そうしてようやく、先ほどの「婚姻の儀」では先導役を買って出てくださった猿田毘古大神(サルタヒコノオオカミ)、…つまりサルタヒコのおじさんとウズメおばさん夫妻のもとへたどり着いた。…ただそのころには、早くもおばさんはすこし酔っぱらっていた。  先ほどはきちんとした礼装をされていたご夫妻だったけれども、まあサルタヒコのおじさんは紋付き袴に着替えていたが、…ウズメのおばさんはすっかり一枚の着物だけとかなりの軽装になっていた。  ちなみにお二方とも人間でいうところの四十か、まあおじさんのほうは五十代くらいの容姿かも(天狗ともあっていまいちわかりにくいけれど)。サルタヒコのおじさんは鼻の長い真っ赤な天狗すがたの神様で、背もかなり高い。――で、奥さんのウズメのおばさんは髪がきつね色で、うねうねと波打った長髪だけれど、今は無造作なまとめ髪にしている。  ウズメのおばさんは見るからに「(あね)さん」な感じの、細眉のつり上がった気の強そうな感じの美神――もちろんその見た目のとおり、サバサバとした気持ちがいい性格の女神さまなのだ。  それで、俺たちが挨拶もそこそこに銚子(ちょうし)――赤いつややかなティーポットのような酒の容器――からまずはサルタヒコおじさんの盃に、それからウズメおばさんの盃に神酒を注いだそのあと、……あぐらをかいているサルタヒコおじさんが、自分の隣で片ひざを立てて素脚もあらわに座る自分の妻、ウズメおばさんが持ちあげようとしたその盃をそっと押さえる。 「お前さんよぉ、今夜はこれで最後にしろや」  するとすでに赤ら顔のおばさんが、「なんだいあんた、」と咎め顔のおじさんを睨みつける。 「…こんな目出度(めでた)い席で目出度い酒を飲むなってのかい」 「いやしかしな、これ以上飲んじまったらまた…」 「…はは、…」  俺は夫妻のやり取りに思わず笑った。  ――そうなのだ。ウズメおばさんは酔っぱらうと、すぐに裸踊りを始めてしまうのだった。  ちなみに彼ら夫妻は父上の旧友でもある。  昔、とんでもない荒くれ者でわがままで、鼻つまみ者だった建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)――もちろんこの宴の席にもいて、さっき扇子(せんす)を両手にもって陽気に踊っていた――スサノヲのおじさんの嫌がらせにブチ切れたアマテラスさまが、岩戸に閉じこもってしまわれたことがある。  ……だってスサノヲのおじさんときたら、アマテラスさまの座布団の下にうんちしたんだ! いや、そりゃ怒るでしょ?  ただそこまではアマテラスさまも、おじさんの嫌がらせを持ち前のひろい名君の心で許されていた――田畑を荒らされたり、馬の生皮を部屋にぶち込まれたりしても――彼女は「まああのバカ弟のすることだ。この程度、ほんの悪ガキがいたずらをするのと何も変わらぬ。皆の者、我が弟が迷惑をかけていてすまない」なんて、ただただ耐えしのび、スサノヲのおじさんのそのあらゆる悪事を許されていたのだ。  でもスサノヲのおじさんって昔は相当とがってたから、「ほいじゃあ糞でもしてやったらどうなるかのぉ!」なんてアマテラスさまの座られるべき座布団の下にブリブリ…、そしてそうとは知らないアマテラスさまは、その座布団にぐちゃぁ……と座られてしまった。 「……………うん。わかった」  彼女はその()()()()()のなかでつぶやく。 「………もう許さん。もう知らん。もうどうとでもなれ。」  で、静かにプッツンされたアマテラスさまは、何もかもに絶望し、天の岩戸のなかにお一人で閉じこもられてしまった。――その際『(わたし)を探さないでください』と置き手紙が残っていたとか、いないとか……。  そうしたら当然高天原の君主は不在状態になるわ、太陽神であるアマテラスさまがいないともなると、天上は真っ暗になるわで…――すると神の世は暗澹(あんたん)たる不穏な暗闇に包まれ――たちまち世の中は悪者たちにとって非常に「ヒャッハー!」な住みよい状態に、となれば当然魔物やら悪神やらが跋扈(ばっこ)し、そちこちにそれら悪いものがはびこってしまった。  で、もちろん困りに困って、父上やみんながアマテラスさまを何としてでも連れ戻そう、と計画を立てた。  それで豪胆(ごうたん)なウズメおばさんは「あたいに任せな!」と岩戸の前、ひっくり返した(おけ)の上で、胸や女陰やをあらわに楽しい裸踊りを披露したのだ。  神は性的なものに対して、人間の子たちよりもうんと気軽に捉えている。――だから彼女のその裸踊りにいやらしい目を向けるどころか、みんなが彼女のそれを単なるおかしみのある一芸と捉え、お腹をかかえて大爆笑した。  で、神々のその大笑いの声を聞いたアマテラスさまはいぶかって「何事だ…? なあ、そっとしておいてくれないか…、我は今()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだが、その精神状態での笑い声はむかっ腹が立たんでもないのだが……」と、そっと岩戸から顔をお出しになられたので、俺の父上と天手力男神(アメノタヂカラヲノカミ)が彼女の手を引いて外へ――「もうお戻りになられるな」と、「どうぞお一人で悩まれるな」と、無事アマテラスさまをお外に連れ出すことに大成功した。  ……ちなみにアマテラスさまがああしてお顔を覗かせたとき、彼女の尊い光が神々の笑い顔を真っ白に照らしたので、それで楽しい、おかしいことを「面白い」なんて言うようにもなったらしいよ。――あと、もちろんスサノヲのおじさんはお仕置きをうけ、高天原から追放される羽目にもなったしね。  そうして、とにかくウズメおばさんは大胆不敵な神だ。それこそウズメおばさんのその度胸は筋金入りなのだ。  あのアマテラスさまが頼りにしているくらいなんだから。――というのも天孫(てんそん)降臨、アマテラスさまのお孫さんである邇邇芸命(ニニギノミコト)さまが天下を治めるため地上に降り立つとき、まず父上やウズメおばさんやの仲良し五柱が随従(ずいじゅう)した。  ……でもニニギさまが天上から降りられてすぐのところに、ある「怪しい大男」が立っていた。  みんなはその強面(こわもて)の怪しい大男の迫力に気後れしてしまって、なかなか話しかけられなかったそうなんだけれども、…そこで高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)さまとアマテラスさまがウズメのおばさんに、「お前は男に力負けする女神ではあるが、誰より豪胆だし、あとお前のその()()()()()に勝てる奴はいない。いけウズメ、やってやれ。」と命じた。  それでウズメおばさんはその「怪しい大男」――その正体は、…実はニニギさまの道案内をするためにそこに立っていただけなのに、その並外れた長身と天狗姿の強面のせいで悪いやつかも〜なんて勘違いされていた、ちょっと可哀想なサルタヒコおじさんのところへ……。  ちなみに――前にサルタヒコおじさんは、ウズメおばさんと初めて会ったときのことをこう回顧(かいこ)していた。 『俺がな、天命あって天孫様の道案内をしようと天の八衢(やちまた)に謹んで(たたず)んでおったところ、一人の女が俺のとこへ堂々と歩いてきてよぉ。  しかもその女はよぉ見たら乳は丸出しへそまで丸見え、…そうした()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、俺を指差しながらゲラゲラとあざ笑ってくるわけだ、そりゃあもう目のやり場には困るわ何故(なにゆえ)(わら)われておるのかもわからんわ、腹を立てようにも〝この女はヤバい、刺激したらどうなるか〟と恐れのほうが(まさ)るわで、  それで俺ぁなるだけ女の裸を見ないように顔を背けながら、こう聞いたわけだ。  ――「あ、あのー…な、なんで、なんでこんなことされるんです…?」とな。  したらよぉ、  ――「んぁ? アマテラスさまの御子が歩く道に立ってる恐れ知らずは誰なんだろーなって。オメーくらい救いようのねぇ恥知らずの顔を見たらおかしくってたまんねぇや、…おい、オメー誰だオラぁ゛っ!」  とかそのヤバい見た目通りいきなりオラつくわけだ、なあ…。  そいで俺はビクビクしながら…――、 「わ、わ、わたし、私は、…天孫様がここにお()でになると聞き、先導のお役目あってここで待っていた猿田(サルタ)毘古(ヒコノ)大神(オオカミ)と申しますぅ…」と答えたんだがよ。  そうしたら女も「あたいは天鈿女命(アメノウズメノミコト)よ。覚えときな」とか答えちまったわけだ。  そうして結果的に、名前を捧げ合っちまった。  ――そいでその()()()()が、今や俺の妻よ。  わからんもんだな、ほんとう…………。』  ほんとうに…――。  ……で…ウズメのおばさんはそもそも下手な男神よりよっぽどいろんな意味で強くて肝が座っているし(ていうか神には膂力以外では、男女の力の差なんかほとんどないんだけれども)、なんなら裸踊りが今や彼女の十八番でもあったりして――すると酔いが深まるなり、彼女はどんな場所でだってたちまち着物をくつろげ、踊りはじめる。  もちろん男神の前でもなんでも関係なく――酔いに気分が良くなってきたならすぐがばっと胸をあらわに、着物の裾を帯に込めて、そうしてあらわな格好になって、よいよいと「裸踊り」をはじめてしまうのだ。 「よおよお、笑い事じゃあねぇぜ?」とサルタヒコのおじさんが、困った顔をして俺を見る。  俺が夫妻のやり取りに思わず笑ってしまったせいだ。 「お前さんたちよぉ、こっから〝大事な時間〟を二柱で過ごすんだろうが。…しかし()()が裸踊りなんぞ始めちまったら、それこそみなが喜びに喜んで……」 「…えーでも俺、またウズメおばさんの裸踊りが見たいなぁ」 「あぁ今に見せてやるよ、あたいに任せなシタ! 今夜はお前らのために、とびっきりのもんを披露してやるぞー!」  と嬉々としてニカッと笑ったウズメおばさんがぐっと盃をあおる。するとサルタヒコのおじさんが「おいっ」と目を白黒させ、俺とおばさんとを見比べながら、 「おいよせっ! おいシタぁ…っ! 何を煽るようなことを言うか全く、ウズメが裸踊りを始めちまったらいよいよ収集がつかん、すると昼になってもこの宴会は終わらんぞ…っ!」 「あはは……」  そうそう。  みんなウズメおばさんの裸踊りが大好きだから、彼女が脱いで踊りはじめると、みんな楽しくなってしまう。そうしてお酒が進むものだから、いつもみんな泥酔して眠るまで宴会が続いてしまうのだ。  でも、ある意味でウズメおばさんの裸踊りのない宴会なんて宴会じゃない、というくらい彼女のそれがないと物足りないものになっちゃうし。――せっかくのお祝いの席なんだから、やっぱり楽しくなきゃ。 「なぁ、ウエからもなんとか言ってくれや、」とおじさんは困りきって、俺の隣のウワハルを見やる。 「…ふふ……」  しかし兄は目を伏せ、困ったように笑うだけだった。――ウワハルは筋金入りの潔癖な「お花ちゃん」なので、いつもおばさんの裸踊りには赤面し、見ないようにと努めてやり過ごしているけれども、しかしその楽しい雰囲気ばかりは好きなのだった。――だからウワハルですらウズメおばさんの裸踊りを止めようとは思っていない。  ……というか…ウズメおばさんを止められる存在なんかいるの? 下手したら創造主さまでさえ無理なんじゃ……。 「その…隙を見て、僕たちは抜け出しますから…」  なんて目を伏せたまま照れ臭そうに微笑する兄は、たちまち頬をかあ…と赤らめる。…その微笑んだ唇の紅がまたなまめかしい。――多分「初夜」のことを思って、だ。  ……うん。抜け出そう抜け出そう…いつか、絶対。  でもサルタヒコのおじさんは「そうかぁ…?」と、心配そうな顔をする。 「そりゃあそうしたらいいがな、…しかし、…抜け出そうにもみなが酔っぱらっていちゃあ、何の遠慮もなくやいのやいのとからかい混じりに引き止められそうな気もするが…――おい、なあ、そうするにしたってよお、みながまだ酔いもそこそこなうちに……」  ……なんておじさんが言っている間にも、 「おおー!」  と大勢の興がった声が聞こえてくる。  ……ふと見ると、ウズメのおばさんはこの座敷の開けた中央――大皿料理の皿の隙間をそのつま先立ちで縫うようにして、 「ほぉらさあさあみなみな様、ご覧めされよウズメのこの裸踊りをよぉ! ほいっ…よお、やあ…っ!」  なんて楽しそうに裸踊りをはじめている。  すると神々は手拍子をしたり「いいぞいいぞ!」と声をかけたり、その踊りを楽しそうに囃し立てる。 「……、ほーれみろ、言うてる間に始まっちまった……」  とサルタヒコのおじさんが呆れ顔でちらりと妻のその踊りを一瞥(いちべつ)、…それから「全く…」と目を伏せた彼は膝をつかみ、おもむろに立ち上がる。――ふらぁとすでに彼もいくらか、…いや、実は結構酔いが回っているのだろう、「まあよい、俺はちょいと(かわや)に行ってくるぞ」と言いながら、その大きな体を背後の(ふすま)に向けたはいいが、…ガンッッ!! 「…ッんぶグっ!」  ……とおじさん、目測を誤ったのかなんなのか、その襖に長い鼻を思いきりぶつけちゃった。――俺たちはあっと思ってすぐ腰を浮かせ、「大丈夫ですか、」と声をそろえた。  おじさんは「んぐううう゛…」とうなりながら鼻をおさえ、おもむろにしゃがみこむ。…いたそ……。 「ねぇおじさん、気を付けないとさぁ……」  と俺はサルタヒコおじさんのふるえている背中を撫でながら言いつつ――またやったよ、と内心ちょっと呆れていた。  おじさん、酔っぱらうといつもどこかしかにその長い鼻をぶつけるのだ。…鼻が長いことをすっかり忘れてるのかも。  ただこの前のときは障子(しょうじ)だったので、おじさんのその長ーい鼻がぶすっと障子の紙に突き刺さったばかりで済んだからよかったものの――正直お腹をかかえて笑った――、…でも今度は硬い襖ともなれば、きっと相当痛かったことだろう。  サルタヒコのおじさんは強面だし、背は高いし、とても頼もしい男神だ。こんな顔してかなりの常識人だし。…けれども、かなりうっかりしている男神でもあるのだ。――というのも昔、おじさんは漁をしているときに比良夫貝(ひらぶがい)という貝の妖怪にうっかり手をはさまれ、「うおおお!?」と海に落ちて、溺れたことまであるらしい。  ……で、海に沈んでるおじさん、おじさんからぷくぷくと立つ泡、パチンとはじけたその泡、そのそれぞれにおじさんの別の神としての真名までつけられている始末で、…となったらさ、ひょっとしておじさん、わりと毎回海に落ちてるってことだよね……? 「んんんん゛…」  ただ今回は相当痛いみたいで、サルタヒコのおじさんはうずくまり、鼻を押さえたまままだうなってる。 「大丈夫…?」  俺がうずくまっているサルタヒコおじさんの鼻を覗き込むと、…あーあ…――俺は笑いをこらえながら、 「…ぷ、…ねえっ鼻が、鼻折れてるよおじさん、…」  ……木の枝みたいにぽきっと折れてる。  その真っ赤な長い鼻の先から三分の一が、ぐにゃっと真右に曲がっているのだ。そりゃあ痛いわけだ。 「お、お気の毒に…」とウワハルが口もとを押さえ、笑いをこらえながら言う。 「…っん何、? お、俺の鼻が折れてるだと!?」  とサルタヒコのおじさんは折れてしまった鼻を指で確かめつつ、目を見開いて『本当か?!』と俺たちを見比べている。俺たちは笑いをこらえながらコクコクうなずく。――でも、おじさんのその叫びを小耳に挟んだウズメおばさん、 「おぉあんた、いよいよ鼻っ柱が折れちまったのかい、ガハハハ!」――と裸踊りをしながら、おじさんの鼻の骨折を豪快にわらう。  するとサルタヒコのおじさんは泣きそうになりながら、 「…ぐ、…冗談を、…言うてる、…場合じゃ、…っお、夫の鼻が折れたんだぞウズメぇ!」  とおばさんを怒鳴るが、どこ吹く風の彼女は「あんたの鼻は長すぎんだよ、ちょうどいいじゃないか」と笑いながらかわしてしまう。 「……はは…、…治したげよっか…?」  俺はそう聞きながらも彼からの答えを待たず、ふぅー…と唇から、おじさんのぽっきり折れた鼻に癒やしの春風を吹きかけた。  するとたちまちピンッとまっすぐに戻ったおじさんの長い鼻は、元通りに回復する。  ……でもおじさんはちょっと複雑そうな顔で「ありがとうなぁ」とは言いつつ、 「だが…俺の鼻が折れたまんまのほうが、この宴の終焉も早くにきたろうによ……」  と俺たちをすこしの憐れみの目で見るのだった。  ……俺たちは顔を見合わせ、それからウズメおばさんの楽しい裸踊りへ同時に顔を向けた。 「…ふふ……」 「……はは…、……」  といって、俺たちが主役のこの楽しい祝宴の時間もまた一度きりのこと――これだって楽しまなきゃ損だからなぁ。  なんて俺とウワハルが悠長に思っていたせいもあるだろう――結局はサルタヒコのおじさんの懸念どおり、夜明け頃にもまだこの楽しい宴は続いているのだった。  当然夜明け前に帰られた神々も多かったが、きっと昼ごろになってもまだ誰かは飲みつづけ、まだまださわぎ続けることだろう。――けれども、…サルタヒコのおじさんがべろべろに酔ったふりをして「よーし、じゃあここらで俺も裸踊りを披露してやろうか!」と言いつつ、俺たちへ『俺がみなの目を集めとるうちに、お前らはそろそろ抜け出せ』と目配せしてくれたそのご厚意に甘え、――俺たちはこの楽しい宴を十分満喫したので、こっそりと夜明け頃、やっとこの座敷から抜け出したのだった。

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