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 まだ冬の冴えた寒気がのこる早春のある日、僕とシタハルは道真(ミチザネ)公のお屋敷にお邪魔していた。  もちろん天上にある道真(ミチザネ)公のお屋敷である。その広いお屋敷は外装も内装も仏閣(ぶっかく)のように(おごそ)かながらも慎ましやかで、しかしだからこそ、公自慢の梅の花が咲きほこる庭のその壮麗(そうれい)な美しさがよく際だっていた。  ちらほらと(さわ)やかな白い雲の浮かぶよく晴れた広大な青空の下、早春の昼間の冴えた陽光が明るく照らしているその庭は日本庭園である。  ここは散歩して一周三十分とかかるほどに広く、ゆるやかにうねる道には白い小砂利(こじゃり)が敷きつめられているが、道の両端の小岩の仕切りを一歩外れたさきには、土の上に自然にまかせて(こけ)を生やしたままの地面が広がっている。――そしてその地面の上、ところどころに風流な石灯籠(いしとうろう)鹿(しし)(おど)しがあり、白や赤や桃色やの花を、その立派にひろがる(こずえ)いっぱいに満開に咲かせている梅の木があり、桜の木があり、その他(きく)薔薇(ばら)やも植えられている。  花園のような美しい庭だ。  そうして春の神である僕とシタハルとは、道真(ミチザネ)公自慢のこの華やかな庭を公と散歩がてら、ここの花を咲かせに――この庭に春をもたらしに――来ているのだった。  もちろん毎年のことである。  ……が…僕とシタハルとは、それこそ公が菅原(スガワラノ)道真(ミチザネ)という一人の人間に転生する以前から彼のお世話になってはいたが――もとより道真(ミチザネ)公は神であった――、…それも道真(ミチザネ)公がその人間としての生を終えられてしばらくは、なかなか公のもとへ出向く機会を得られなかった。  というのも、何より道真(ミチザネ)公自身が何かとお忙しくされていたためである。  道真(ミチザネ)公が道真(ミチザネ)公として――以前の神の名を捨て、これよりは天満(てんまん)大自在(だいじざい)天神(てんじん)として――人の世を支える神となる、というその転化期間、地上にその神としての神社を設ける、利益(りやく)を人の子らにさし示す、など、公はそういった新たな神としての土台固めに日夜追われていたのだ。  しかしそのうちに、人の世でまことしやかに囁かれていた公の噂を耳にした僕たちは、『あの穏やかな男神が、まさか』とおどろいた。  彼が怨霊になったというのである。人の子を(のろ)い殺し、疫病を流行らせ、天災を起こしていると…――苛酷な人の世で受けた傷のそのあまりの悲痛に、あの「おじたん」が鬼神化してしまったというのか…?  ……小さな頃、僕たちは公のことを「おじたん」だなんて呼んで、優しく聡明な彼のことを慕っていた。だから、にわかには信じられなかった。  といって直接会って確かめようにも、忙しくしていた公とは会えないまま――それどころか、時が経てば経つほど不安は増し、どんどんと会いにくくもなってゆき――、僕たちは公との疎遠を気にかけつつも、いっそ彼のことはもう忘れるべきなのかもしれない、とさえ考えはじめていた。  ……そんな僕たちに、公と旧友である父は安心するように言ったが、少なくとも今は会わないほうがいいのは確かだ(忙しさのあまりいら立っているから)とも言っていた。  だが道真(ミチザネ)公の地上での土台固めが済んでしばらくのち、僕たちには公に会いに行く必要が生じた。  というのも、その当時から道真(ミチザネ)公はこと学問の神として先達(せんだつ)の存在であり、「統合」を果たした僕たちは天押雲根命(アメノオシクモネノミコト)として学問の利益を人の子に授けなさい、と高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)から勅命(ちょくめい)を受けた折、同時に公のもとへ出向き、その男神に教えを乞うようにと言いつけられたのである。  しかし…――僕とシタハルとはその道すがら、ふたりで同じ、かねてよりのある不安で胸のなかを曇らせていた。  彼はもう以前の公――僕たちが知っている「おじたん」――ではなくなってしまっているのではないか。  苛酷な人の世に揉まれたせいで、あれほど穏やかな気質であったその男神は今や己の怨念に取りつかれ、ともすれば、僕たちのことをさえ怨んでいるのではないか…――というのも、公を陥れた藤原という氏族は父を祖神と慕う一族であった。  思わぬところで因縁が生まれてしまった。  父にとっては友、僕らにとっては大好きなおじさん――しかし彼と過ごしたあのあたたかい過去は、もう公のなかで失われてしまった…いや、殺されてしまったものなのかもしれない。  どんな顔をして会えばよいのかもわからない。  僕たちはまず公に謝るべきなのだろう。…もしお前たちの守護する氏族のせいで、と面罵(めんば)されたところでも、それは甘んじて受け入れ、ただ申し訳なかったと伝えよう…――。  だが――そんなのは全くの杞憂(きゆう)であった。  道真(ミチザネ)公はたしかに少しだけ変わっていた。が、それは人の世で得た酸いも甘いもの経験を叡智(えいち)としてたくわえた、より立派な神へと成長を遂げていた――という良い意味の変化であり、言うなれば「おじたん」は「おじたん」のままであった。  そのひとは久方ぶりに会った僕らの不安をひと目で見透かし、『怨んでなどいない』と真剣な目をして言った。 『何ひとつとして、私は怨んでなどいないのだよ。…そもそも神となってはもはや、地上における家柄も地位も私のものではないのだ。…生前は怨みたくなる気持ちになった人がいなかったでもなかった。…だがそれも一つ、今となれば有益な経験であった。』と――。  さらに道真(ミチザネ)公は、その精悍な顔に誠実な表情をうかべた。――『それに、共に人の世をより良くする神同士が(いさか)いを起こして何になる? もう覇権争いは終わったのだよ。神同士にしてももう()うの昔に、私個人のそれにしても、もうそんな()生臭(なまぐさ)いことは終わったのだ』  それから公は、僕たちがふっと懐かしくなる――やっぱりおじさんは何も変わってなどなかった、と安心できる――あのいたずらな目をして微笑した。 『何より…〝おじたん〟と坊やたちとが諍うとは、(はなは)だおかしな話ではないか。』  そして道真(ミチザネ)公は、(こころ)く僕たちに学問の神としての智恵を惜しみなくお授けくださり――またその日のかえりがけにこう言った。 『坊やたち…、これからは毎年、私の庭にも春を運んできてはくれまいか――。』  そうしてあれからおおよそ千年――僕たちは毎年、道真(ミチザネ)公のこの庭にも春を届けに来ることが通例となっている。  ただ、この白い小砂利の道を公を含めた三柱で、散歩がてらゆっくりと歩きながら――三柱で話をしながら――果たしてきたその務めも、残すところあと一本の梅の木のみとなった。  そう――今ジャリ、と音を立てて道真(ミチザネ)公が、僕とシタハルとが立ち止まったその三柱の前にある、この五メートルはあろうかという梅の木である。  この広い庭の中央、苔むした円形の岩に囲われたなかに厳かに佇む、このひと際大きな立派な梅の大樹は、公がほとんど我が子のようなものだ、と殊に可愛がっている梅であった。――なんでも生前からの(えにし)がある梅の木なんだそうである。  ただし、まだ枝ばかりで花はおろかつぼみもついていない――今から僕らがそれをつけるのだ――。  またこの梅の木の下には澄みわたった清らかな水を溜めた池があり、それの水面には真緑の(はす)の葉がぷかぷかとうかんでいる。 「さて…ご機嫌は如何(いかが)かな、我が愛する淑女よ。…主人の帰りを待っていてくれたか」  と言いながら、その梅の木の前で満足げに微笑し、腕組みをした道真(ミチザネ)公は――容貌としては初老といったところだが、銀色の短髪と同色の(ひげ)を、口を四角く囲うように整えて生やし、老いの曇りなどない聡明な切れ長の目、それと紅い瞳をもった――そう、まあ今どきの言い方でいえば「ダンディなイケおじ」といった感じの男神である。  しかし、今は世にのこされた絵姿にあらわされるような束帯(そくたい)を身にまとっているわけではなく、群青(ぐんじょう)色の着流しを着ている――もちろん神としての仕事をするときには束帯を着ているが――。 「……ふふ……」  道真(ミチザネ)公はその精悍な横顔でやさしく微笑しながら、その大きな梅の木の、早春の澄んだ青空と雲とを(いだ)いた立派な梢を愛おしげに見上げている。 「んぐ、…いつも通り、最後はこの子だね。…」  とシタハルが、道真(ミチザネ)公が食べ歩き用のおやつとして持たせてくれた(もち)――梅の紋様(もんよう)が焼きつけられた生地で、あんを包んだ餅――で片頬をふくらませたまま、その梅の木に右手をつき出す。 「…ほーら、起きて起きて〜〜…、おはよぉ、梅ちゃーん…?」  ……すると、その梅の木の枝にはまたたく間に無数のつぼみが付き、それがぷっくりと開花寸前までたちまちふくらんでゆく。 「……はい、おっけ〜。…さあ、お次どーぞ閣下(かっか)?」  なんてニヤニヤと僕をからかうシタハルだが、…そう、ここまでがシタハルの役目だ。  ――次にこの弟のつけたつぼみを開かせるのが、僕の役目なのである。 「では…」  と僕は、手にもっている金の扇子(せんす)――両端に長い赤の紐と(ふさ)飾りとがついた扇子――をゆっくりと丁寧に広げたのち、おもむろに両腕を斜め下へ開いた。  そして、黒足袋(たび)に青紫の草履(ぞうり)を履いたかかとを上げてつま先もふわり…少しばかり地面から足を浮かせ、浮かんだままおもむろに、その梅の木の下へ一歩一歩と歩いてゆく。  ……せっかく雅に生えそろった苔を踏み荒らしてしまってはもったいないからである。 「……、…」  そしてその梅の大樹の真下で立ち止まり、そのゴツゴツとした(みき)を右手で撫でながら、こうその梅の木に話しかける。 「…公が今年も貴女の艶姿(あですがた)をご覧になられたいそうですよ…。はは…――貴女はそれこそ我が子のようなものだと、公もよく仰言(おっしゃ)られているから…――愛する貴女が花を咲かせた姿を見、そして、その(かぐわ)しい貴女の(かお)りを()がないことには、公も春を迎えた気にはなれないんでしょう…」  ――『いいえ、わたくしは』と「彼女」が少し得意げに言う。 『わたくしは〝あの人〟の子どもなんかじゃなくってよウワハルさん。――妻ですわ。』 「……はは…、そうですか……」  妻、か。まあお互いに愛しあっているには違いないのだが、いささか「彼女」と公とのあいだには認識の差があるようだ。 『ええ、そうなの。…だってわたくし、妻として地上でもずっと〝あの人〟の帰りを待ち、遠くへ行ってしまわれた夫にせめても花の薫りを届けられるよう、毎年〝あの人〟のためだけに花を咲かせていたのよ。…やっとお側にいられるの…もう永遠に離れないわ。』 「……ふふふ…、…〝東風(こち)吹かば…にほひおこせよ梅の花…(あるじ)なしとて、春を(わする)るな〟…」  これは道真(ミチザネ)公の詩のひとつだ。  ――『春風が吹いてきたならば、お前の薫りを遠く離れた私のもとへとせめて届けておくれ、梅の花よ。主人の私がここには居らずとも、どうかお前は春を忘れないでおくれよ。』  まあそれでなくとも長年の苦楽を共にしてきた仲であるばかりか、「彼女」という女性が、自分にしばしば見とれて愛してくれたその主人の「言いつけ」を守り、男性である公を健気(けなげ)にずっと待ちつづけていたのだ。…それもこんなにロマンチックな詩を贈られていては、「彼女」が妻の気持ちになったのも自然か。  それにしても、この千年間そんなことすこしも言わなかった「彼女」が…――もういい加減「待つだけの女」なんていうのは時代おくれだ、と「彼女」も心変わりしたのかもしれない。 『さあウワハルさん、わたくしも愛する主人に、早く艶姿をお見せしたいですわ。…お願いできて?』 「…ええ。…それでは……」  僕は「彼女」に軽く一礼し、後ろにすーーっと何歩か分下がる。 「……、…」  それから目を伏せたまま、左手にもつ金の扇子を前、水平にかまえる。  ……今から僕が披露するこれは、尊敬する僕の師匠・木花之(コノハナノ)佐久夜(サクヤ)毘売(ビメ)さまから教わった「花咲(はなさか)(まい)」である――昔はただ神氣を植物のつぼみ一つ一つに送り込むことで花を咲かせていたが、この舞を踊るほうが枝々にまんべんなく神氣を送りこむことができ、効率よく花を咲かせられる――。 「……それでは…参ります…。……」  そうして僕は清らかな川に流れる一輪の花のように、ゆったりとした動きで舞いはじめる…――。  目を伏せたまま、すこし反らせた首筋は流れるように、たおやかな流れのなかに変化する顎の角度までもを完璧に…――上の青紫から(すそ)の紫へグラデーションする(はかま)のひだをふわりと広げ…はためかせながら、足は猫のようにしなやかに、静かに歩を踏み…――ゆったりと舞い落ちる花びらのように華麗に体を回し…――(くう)()くたびに花びらを舞わせる扇子は(ちょう)の羽ばたきのように優雅に、それの紐飾りや房飾りを、この高く結わえた黒髪と共になびかせながら…――しかし広げた両腕の、その白い着物のたっぷりとした(たもと)では大胆に(くう)を切り、袖口(そでぐち)に縫いつけられた赤と青の長い袖(くく)り紐とともにひるがえす…――関節という関節をそれとも気が付かせないほどなめらかに、柳の枝のように動かし…――指先までぬかりなく丁寧に、命の一つ一つを愛おしく撫でるように…引き寄せて…口づけ、ふぅー…と花びらの散る息吹(いぶき)で神氣を吹きこんで…――横に広げた右腕のほうから頭上を通り左へ、くるくると回転させる扇子でその花びらの舞う神氣を枝々へ、それからこの周辺一帯へとひろげてゆく……――。  そうしておもむろに舞い踊る僕の周りには、春の陽気に目を覚ました無数の蝶たちが羽ばたき、数匹の青蛙(あおがえる)たちが池の蓮の上にぴょこんと乗る。  そして、みるみるとその広々とした枝全体にその白い花を開かせた梅の大樹、その純白の花びらが雪のように舞い踊る――その花びらを水面にうかべた清い池には、ふくよかな桃色の蓮の花も点々と咲いた。  よし…僕はおもむろに背後の道真(ミチザネ)公とシタハルのほうへふり返り、たおやかな舞の余韻を袂や髪先、扇子の飾りの先にかすかに残しながら、浮かんでいるつま足をそろえて動きを止めた。  ――金の扇子で口もとを隠し、梅の美しさに目を輝かせて見とれている公、一方僕の美しさに見とれているシタハルに、目もとだけで微笑みかける。 「…あぁ、素晴らしいな…」と嘆賞(たんしょう)する道真(ミチザネ)公の痩せた頬が赤らみ、そのひとの切れ長の目は恋をした少年のように潤んでいる。が、公はハッとひらめいた顔をし、 「…あぁ…――あぁ、そう…そうだ…、うん……」  そして群青の着流しの(ふところ)から取り出した、手のひらサイズのメモ帳とボールペンとにその顔をうつむかせる。――今やもうすっかり現代の道具を使いこなしている彼は、何かぶつぶつと口の中で詩を口ずさみながら、そうして今に思いついた詩をしたためようとしているが、「あぁ、ああ、いや、いや」 「少し待て…そうだ、そう…なあシタ君、」  と公の隣で、またお気に入りの餅を頬張っているシタハルに振り向き、 「ひとつ、東風(こち)を吹かせてはくれまいか」  そうこの春風を吹かせてくれるよう弟に頼む。 「…ふふ…、……」  今年も公が喜んでくれたようでよかった。  僕は邪魔になるだろうと、扇子を畳みながら梅の木の下から前に進み、公とシタハルのもとへ戻って、シタハル、道真(ミチザネ)公、僕の順にならぶ。  シタハルはというと「ん」とあんこの詰まった口で短く(だく)し、…すると弟が吹かせるおだやかな風が、この梅の大樹の付近に吹きわたったなり――ざああ…とその梅の枝が優しく揺れ、それから落ちる白い無数の花びらが空中にこもごも、はらはら、ふわりふわり…ひらりひらり…舞い踊る。 「……ふぅー……」  すると道真(ミチザネ)公が満足そうにため息をつき、微笑んだままそっと目をつむる。…彼はシタハルの吹かせた風に濃く香った梅の花のにおいを楽しんでいるのだろう。 「……あぁ()いものだ…。春風に乗せられた梅の香をこの胸に満たすと、うぅん、どうしようもなく涙が出てくる……」  ……公はそう賛嘆して、そっと目を開けた。  今度は可憐にひらりひらりと舞い踊る梅の花びらの、その美しい景色をその熱っぽく潤んだ両目で楽しんでいるのである。…が、すぐに道真(ミチザネ)公は「よしっこれだ、これ…」とまたメモ帳を見下ろし、それに口の中で口ずさんでいる詩を書きとめている。 「むぐ、…おじさん…」――だが、シタハルが心配そうにやや前のめり、僕の隣の公を見る。 「……、…ん…?」  しかし道真(ミチザネ)公は真剣な横顔で詩をしたためながら、そうして少し(わずら)わしそうな返事をする。――と、若干きまり悪そうな顔をしたシタハルは梅の花を見上げ、 「…ううん、やっぱあとでいーや…、今は詩を書きたいんでしょ」 「ああ。……」 「…………」  こうして大人しく黙って待つシタハルは、さすがにもうわかっているのだった。  道真(ミチザネ)公は思いついた詩をすぐに書きとめておきたいひとなのだ。そしてそれを何にも、誰にも邪魔されたくはない。  そもそもが冷静沈着で忍耐強い性格をされている公だが、詩を書くのを邪魔されるのばかりは耐えきれず、かなり(それでも静かに、深く)怒って、しばらく会いたくない、と出禁を言い渡すくらいである。…まあそれも結局はひと月ふた月のことで、誘われて会うとかえって公のほうが大人げなかった、というようなきまり悪そうな顔をしているのだが。  ただいまだに道真(ミチザネ)公に「やさしいおじたん」のイメージを持っているシタハルは、実際それを一度経験したとき、生真面目で威厳はあれども普段めったなことじゃ怒らない「おじたん」が怒った、というので反省したようで、さすがの弟もあれきりきちんと待とうという姿勢を学んだのだった。 「……よし…、これでいい…まず()し…。」  さて、道真(ミチザネ)公は詩を書きとめ(おえ)えたようだ。――といって彼のインスピレーションはいつでもどこでも立ちあらわれる。  何ならここまでの道々にも幾度となく立ち止まっては詩をしたためていたので、いつまた「あっ…!」と詩を書きはじめるやらは誰にもわからない。下手すればこの直後というのもあり得るくらいだ。が、 「それで…どうした」と公はシタハルに振り向く。  すると弟は少し真剣な顔をして彼を見、 「おじさん、さっき悲しかったの…? だいじょうぶ…?」 「……、…」  僕は、それは杞憂だと思うが、とは思いつつも、…  この唐変木(とうへんぼく)の弟にだって情緒がない、というわけではない。これでも(公からの影響もあって)芸術には堪能なのだ。――つまり道真(ミチザネ)公の「涙」は梅の美しさに感性を刺激されたがゆえ、というのくらいシタハルも理解はしているのだが、…この梅の木と公とには生前からの縁故(えんこ)があるばかりに、道真(ミチザネ)公がその頃の悲しい記憶を思い出してしまったのではないか、と、弟は心配しているのである。  しかし、弟のその気遣いをも聡明に(さと)った道真(ミチザネ)公は、細めた両目にあたたかい喜びをにじませ、「ああ」と低く少しぶっきらぼうに答える。――そして梅の花をまた見上げた公は微笑んだが、少し寂しそうな遠い目をする。 「確かにな…、泣くほどに悲しいことは、人の世で、数え切れぬほどにあった…――今や神となっても(なお)、絶えぬ人の世の醜さには悲しい、悲しいと気を揉むこともある…――だが、」  道真(ミチザネ)公はふと嬉しそうな目を伏せ、メモ帳とボールペンとをまた懐へしまいながら、幸せそうな柔らかい小声でこう言う。 「坊やのその優しさが、私の冷えた瞳を涙でじわりとあたためるのだ……」 「……、…」  そうして道真(ミチザネ)公は、『先ほどの涙も今のこの涙と同じで、決して悲しいものではないよ』とシタハルに伝えている。――シタハルもそれを読み取り、ほっとした顔をしている。  そして道真(ミチザネ)公は懐からおもむろにその大きな手を抜き取り、ふとまた白い梅の花を見上げる。 「…私は生前…――春という季節にやたらと心惹かれ、しばしば名も知らぬ郷愁を覚えていたものだ…。それはきっと、人間として生まれていれば当然天上のことなど何も覚えていないなかでも…――坊やたちが毎年もたらしてくれた春のなかに、その愛しい二つの面影を重ねて、心恋しく懐かしんでいたのやもしれん……」 「……、おじさん…」と彼に声をかけたのは僕だった。 「……今もなおおじさんを悲しませているものがあるなら…、…その、僕たちに…――何か出来ることはありませんか…、お力になれることがあれば……」 「ありがとう…」と道真(ミチザネ)公が梅を遠く見上げたまま、寂しそうな小さい声で言う。 「では坊やたち、聞いてくれ。…私が悲しいのは、清廉(せいれん)潔白(けっぱく)である誠実な者ほど馬鹿を見る世の中だ…。通過儀礼とでもいうように、多少なり(けが)れねば生きられぬと教えこまれる世の中だ…――(ずる)さがなくては生き残れない、とそう当たり前のように吹聴され、その狡猾(こうかつ)が世渡りの賢さとして(まか)り通る世の中だ…」  ふと公が悲しげにその黒いまつ毛を伏せ、蓮の葉の上でけろけろと鳴いている池の小さい青蛙を見下ろす。…すると蛙は鳴きやみ、ぴょこんと飛んで、ぽちゃん…その蛙は池のなかに入っていった。 「……誠実な者ほど狡猾な者の食い物にされ…、それはお前が馬鹿だったからだと、そう更に傷つけられる…――心優しい者ほど生きにくく、誠実な者ほど儲けられない…、義に忠実な者ほど報われない…――仏性の人の子が餓鬼(がき)どもの食い物にされる(さま)を、私はこの天上から数え切れぬほど見てきた…」 「……、…」  僕は道真(ミチザネ)公のその横顔に漂う哀愁に、ふと不安な同情心がよぎる。――彼は自分を陥れた者を怨んでなどいなかった。  ただ、悲しんではいたのだ。  そして今も、悲しんでいる。 「〝(かな)しい〟(ゆえ)に悲しくなる…」と道真(ミチザネ)公がまた顔を上げ、清廉な白梅の花をまっすぐな悲壮(ひそう)の眼差しで見上げる。 「なあ坊やたち…しかし私は、こう考えているのだよ。…覚えておきなさい。」 「はい…」  僕は真摯な気持ちで公の言葉に耳をかたむける。  道真(ミチザネ)公は遠く梅を見上げたままだが、その遠い眼差しは今凛とした冴えを帯びている。 「残念ながら人の世には、愛すべきではない餓鬼が(まぎ)れ込んでいるものだ…――つまり、自分さえよければそれでよい…、自分の利益や快楽や矜持(きょうじ)や成功や、それらを得られ満たされるならば誰がどうなろうとも構わない、むしろ邪魔なら蹴落としてやれ、というような…――誠実を掛けてやるだけの価値もない者というのは、残念だが、人の世には必ず存在している。…そうだな、坊やたち」 「そうだね…」とシタハルが寂しそうに同意する。  だが公はここでニッと、どこか清々しい笑みをその精悍な横顔に浮かべる。 「しかし…もしそのような餓鬼に騙され、裏切られたとて…(ゆる)してやるのだ。許すのだよ…――信じるに足る者ではなかった、とゆるす、…いいや、こちらから見限ってやるのだ。…折角信じてやったのに馬鹿めと、決して己は責めずにな。――そうして己の痛みや悲しみ、怒りといった苦しみを捨てるのだ。」  そして道真(ミチザネ)公は満開の白梅を見上げたまま、その凛々しい眉をひょいと得意げに上げる。 「そんなものを持ち続ける必要はない…、天は必ず全てを見ているからだ。――私はズルをせず、ひたむきな努力を積み重ね、誠実に生きようとしている者の味方なのだ。…神は…神の心を持った同輩を愛するものだよ。…なあ、坊やたち」 「……ふふ…」――僕はその含み笑いのみで公に同意を示した。…シタハルは「うんうん」と陽気な返事をしていたが。  さらに道真(ミチザネ)公は腰の裏で手を組み、まるで教壇に立った教授のような調子でこう続ける。 「故に神仏の心を持っている人の子も、誇りを持って同様の心をもつ者をのみ愛するべきなのだ。…ゆめゆめ多少は穢れねばだの、狡くならねばだのと、堕落の道を薄汚れた正義の道と見誤る(なか)れ。…馬鹿にされても生真面目であれ。…ただ愛すべきは誠実な同輩であり、餓鬼のような愚か者ではないというだけのこと。――当然餓鬼など愛するべきではない。…愛すべきではない者をそれでも愛そうと、何とかその者に愛されようとなど無駄な努力はするな。…愛すべきではない者に、人生の貴重な時間をこれ以上一秒たりとも()いてやるな、勿体(もったい)無い。――自分を陥れた餓鬼を恨むな。その代わり、もう二度と餓鬼など愛するな。」 「……、…」  僕はふと梅の大樹のその満開の白い花を見上げ、微笑した。「彼女」は道真(ミチザネ)公を誇らしげに見てほほ笑みかけるように、そよそよと枝をかすかに揺らし、彼にそのかぐわしい薫りを届けようとしている。――公はすーっと鼻から大きく息を吸いこんだ。そしてこう堂々と言った。 「真の賢者とは、狡猾な餓鬼ではなく、清廉潔白、誠実で心優しい神仏の慈愛の心をもった者だ。――その神仏の叡智を宿した己の心に誇りを持ち、誠実な心優しき賢者のまま、気高くあれ。…そして……」  と道真(ミチザネ)揚々(ようよう)と、晴ればれと、こう言う。 「その真の賢さと清らかな心で、本当に〝愛すべきもの〟を見定めるのだ。――それは自分を…自分の人生を…、愛する時間を…愛する季節を…自分の愛する人々を…ただそれだけを、誠実に、生真面目に愛する。――儚い一生のうちでただそれだけを誠実に愛すると、己と天に誓うのだ。――そして…有言実行をしなさい。」 「……、…」  僕はふとまた顔を向けた、公のその気高いが優しい微笑の横顔を眺めながら、自分も微笑んでいた。  安心した。道真(ミチザネ)公は生前酷く傷つけられた。だが、それだからこそその経験をも活かし、こうして人の子たちを導いている。  それはもちろん前から知ってはいたが、やっぱり公は立派である。…僕は彼と会うたび、見習いたいところをいつもどこかに見つけられる。 「さあそれで、人生とは十二分…。そうして愛すべきものだけを誠実に愛して、一生を終える…――それこそが、追憶という春の日の花びらに埋もれながら死ねる人生……なのかも、しれない。…なあ、坊やたち」 「…うん」――とシタハルはうなずくが、餅をもぐもぐとしながら、 「…まあ俺たち、死なないけろね? 神らし。」 「……、…」  すると道真(ミチザネ)公はきまり悪そうに口をつぐんだ。

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