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「――わかったよ!」
とにわかにコトノハさんがその両目をカッと開き、明快な声で宣言をした。
……ちなみに彼は今朝も清潔な白いワイシャツを着ている。ジャケットはなし、ネクタイは濃紺である。下もきっとスラックスか何かきちんとしたものを穿いていることだろう。
では、今コトノハさんは「何がわかった」のか?
そもそも僕たちが手を繋いだままこのダイニングへ来たとき、(何ともベストタイミングに)先にここにいたコトノハさんはこの席――僕から斜め右方向の席――について、ひとり朝食をとっていた。
そして彼に「おはよう」と、いつも通りの優しい微笑で挨拶をされた僕たちは各々挨拶を返し、このように窓辺側の席に並んでついたあと――僕たちがダイニングに来たのを見て、じいやが朝食の温めなおしなどをキッチンでしてくれている、その待ち時間に――僕は早速、昨日あった事のあらましをコトノハさんへ話しはじめた。
それというのは言うまでもなく、僕が早くも昨日から順調に天上春命 としての「神の記憶」をいくつか取り戻した、またしばしばウワハルの意識が表に出ているような瞬間もあった、という話である。
……するとコトノハさんは食事をしながら、目をしかと開いて僕を見、真剣な顔をうんうんとうなずかせつつ、黙って僕のその話を聞いてくれていた。
ただ…僕がどうしてもこればかりはなかなか言い出せなかった――昨日正式に親子となったばかりだが、そもそも昔から父と思ってきたコトノハさん相手にはなお、どうしても話すにはばかられる思いのあった――件の「鍵」についての話も、…結局はハルヒさんが事もなげにさらっとしてしまった、…いや、彼が僕の代わりにしてくれたというべきだろう。
ハルヒさんは父・コトノハさんへむけて『えっちのあととか、なんかハヅキが感じたあとに思い出してる気がするんだよね。…だから俺、多分、ハヅキが気持ちよくなると思い出すんだとおもうんだけど』などと平気で言うのである。なんの臆面 もなく。
しかもそれを聞いたコトノハさんも『そうか…』と生真面目な顔をし、『それというのは情交をしたら、なのかい? それとも、単に愛撫のみでもその兆候が見られたのかい?』なんてもっと踏みこんでくるくらいであった。
しかしコトノハさんも天児屋根命 という立派な一柱の神である。
どうも神は人間よりも性というものに対して気恥ずかしさを覚えない者が多いらしく、それはあたかも森羅 万象 の理 のうちの一つの自然現象、とくらい健全かつ当然のものと捉 えているようで――いやまあその通りではあるのだが…――、こうして親子間でそれにまつわる話をするのもわりに普通のことらしいのだ――少なくとも昨日思い出した「記憶」の限りでは、神としてのママに初夜について口出しされていたくらいだし、またウワハルとしてのその「普通(なのはわかるが、僕は嫌だ)」との感覚も僕は今も覚えている――。
それこそ、たとえば天鈿女命 のかの有名な裸踊りである男神が勃起したとて、それさえ神々にとっては笑い種 に他ならない。――いや、のみならずその男神の勃起たるは、その女神のなまめかしい女体と見事な踊りへの最上級の礼賛 に他ならない。といった感じで、なんというか性に関しての捉え方がセクシーというよりヘルシーというか、さほど「いやらしい」といったような感覚がないのだ。
……ただ、もちろんウワハルのように下ネタを「いやらしい」と毛嫌いする神もいれば、何でもかんでも明け透けに、というわけでもないようなのだが。
したがって当然神であるコトノハさんもまた、そのあたりナチュラルにオープンマインドなのだろう――いや、もっともこの場合のこの話題は下ネタだとかいやらしい、というのに属さない至 って真面目な話ではあるので、人間の感覚としてもある程度平然としているのは当然だが――。
といって人間の感覚だと、なかなかそこまで性をポジティブに捉えきるのは難しいものである。
すると、今はほとんど天春 春月 としての意識が強い僕はある種の「カルチャーショック」を受けつつ、しかし、あまりにも平然とコトノハさんとハルヒさんとがそれにまつわる話を続けるので、いっそのこと僕のほうがエロに関していやらしい捉え方をしているのでは、なんてちょっと恥ずかしくもなりながら、とにかくただ黙ってそのふたりの会話の成りゆきを見守っていた。
で――食事を終えるとともに、そうして事のあらましをも聞き終えたコトノハさんは、『なるほど…』と目を伏せた。
ここで僕は『でも、多分ですから…』と――『だからあの、ともかく確証が欲しいんですが、…何か方法はありませんか…?』と、精いっぱい真面目な話をしている態度をつくってコトノハさんに尋ねた。
……するとコトノハさんは『わかった。少し待っていてくれるかい』とこたえたなりそっと目をつむり、テーブルの下に下げている両腕のわきをやや開いて――それからすーー…と鼻から息を吸い込み、うすく開いた唇からふーー……と静かな息を吐き出した。
そうしてそのままコトノハさんは、あのように瞑想をはじめたわけである。
ちなみに彼のそれはハルヒさんいわく『こうやって瞑想して、天上の神々から託 けをもらおうとしてんの。パパはそういうのも得意な神だから。…いわば…今は天上と、通 信 中 ?』とのことであるが、僕はそもそも瞑想というの自体をあまりよくは知らないため、どうも瞑想しているらしい、としか…(へぇ瞑想ってこうするのか、と今に知ったくらいだったのだ)。
とまれかくまれ、…さてということは、もはや言うまでもなく――今にコトノハさんが「わかった」と言ったのはそう、
「シタの推 測 通 り だったよ。――ハヅキ君がウワハルに戻るための有用な手立て…――すなわちそれの〝鍵〟というのはやはり、彼が〝性感を得ること〟なんだそうだ。」
……ということで、コトノハさんはそう晴れ晴れとした笑顔で明快に言うのであった。
「……、…」
僕はというと、何ともいえない軽い気詰まりを覚え、ため息をこらえながらうつむいた。――(まあ正直わかってはいたが…)マジでそ れ なのかよ、なんてこった、である。
「あぁやっぱりねぇ〜…」とハルヒさんがのんびりと言ったのち、またザクリとトーストをかじる。
コトノハさんは聡明な調子でこう続ける。
「…しかし厳密に言えば、ウエがシタの愛撫によって感じることこそが〝鍵〟…――つまり、たとえば自慰 や、他の者とのセックスでは…」
「……っ、…」
う、ちょっと痛い、…繋いだままの僕の右手を、ハルヒさんがぎゅうっと握りしめてきたからである。
――な、なんで、? っなんでいきなり、…
するとコトノハさんが少し呆れたようにこう笑う。
「はは…そう怖い顔をするなよシタ…、これはただの例え話だ。…まさかウエがそんな不義理な真似をするようなことはないだろうが…――とにかく、シタとのことでなければ意味がない、というのを私は強調しただけさ。」
こうしてコトノハさんが苦笑しながらたしなめるなり、ふわ…とハルヒさんの手の力がゆるまる。
「……、…」
ただ、…僕はふとある考えが頭によぎったなり、じわりと自分の耳殻 (耳の外側のライン)が熱をもつのを感じた。
も…もしかしてハルヒさん…――仮定の話だというのに、それだけのことでもその、…まさか嫉妬して、くれたのか…?
それこそ、僕が他の人と寝るのだなんて例え話でも不愉快だ、というような…――。
「…そうだけど」ハルヒさんが不機嫌そうにぼそっとそう肯定する。
「……、…」
嘘…信じられない、が、…正直、嬉しい……。
まさかそんな…そんなこと、…そんな、そんな浮気…というか不倫なんて、僕がするわけ……って、
「…〜〜〜っ」
僕はにわかにかーーっと自分が赤面したのを、顔中のひりつくような熱で自覚する。
あ゛〜〜コトノハさんの前なのに、うっかりちょっとあまーい気持ちになってしまった、!
「……あ、あの、…」と僕はその気持ちを抑制するために――いや、隠すために――目を上げ、コトノハさんに話しかけた。
「ん?」――彼は聡明な目つきで僕を見る。
「でもそれはその、――どういった理屈で……?」
正直、いくらそれを話すのにはばかりのなさそうな神であるコトノハさん相手であろうとも、彼の息子である僕からすると、父にそんな説明をしてもらうとは多少気まずさやら申し訳なさやらがあるのにはそうなのだが――といって説明もなしに納得はしにくい内容であるし(というか例の反抗心から、これだけで「ハイそうですか」とあっさり引き下がるように承服するのはいささか悔しいし)、何より僕は「で、ソースは?」という「厄介ソース厨 オタクマインド」が根付いてしまってもいるので、その結論のみではすっきり納得することはできない性分なのである。
するとコトノハさんは笑いながら「君ならそう言うと思っていたよ」と言って、微笑をその柔和なつくりの顔に残したままこう説明をはじめる。
「ではまず…性的興奮および快感、というものは、魂をも刺激し、いきいきと歓 ばせ、活力を漲 らせる効果があるんだ。――それこそそれらを得た者の心拍数は著 しく上がり、体温は上昇、目は冴え、またある種の凄 まじい集中力をも得るものだろう? ――そのようにしてそれらは活力…つまり魂に宿った生命のエネルギーを活性化し、増幅させる効果があるんだよ。」
さらにコトノハさんはやわらかな表情で僕を見たまま、こう説明をつづける。
「ちなみにこれは人の世でも証明されつつあることで、ある研究結果によれば、性的な満足度が高い者は人生全般における幸福度や満足度もまた高く、仕事や日常生活のパフォーマンス能力の向上も見られ、また不眠解消やリラックス効果なども得られていたほか、老年になっても意欲的であったという。――まあ簡単にいえば…、性生活が充実している者はみないきいきとしていて、いつまでも若々しく元気でいられる…ということだが…――つまり、それは心身を満足させる性行為によって魂のエネルギーが活性化され、萎 れる間もなく増幅、補填されているからに他ならない。」
「……、…」
ふーん…――なるほど、人間に関してもそうしたエビデンスがあるわけか。
ただ「心身を満足させる」というのが付いているので、おそらくはただ回数が多ければいいというものでもなく、相手と自分とが満足できる「内容」が何より大事、ということなのだろうが。
「そして神の場合は、その魂に宿った活力、その生命のエネルギーというものがすなわち〝神氣〟なのだが……」
とコトノハさんは僕を見ながら、その神妙な顔を少しかたむける。
「君たち双子においては、独自に有する陰陽のエネルギーのバランスが不完全なために、各々では〝神氣〟を満足に生成できない…という話は昨日したよね。…すると君が性的興奮、および快感を得た際には、それが増幅するというわけではなく…――いや、増幅してもそれは僅少 な量であり…――〝活性化される〟…というところまでで留まるのだ…が、」
「……が…?」
コトノハさんがにこっと笑う。
「しかし、それで十分なんだ。――つまり、神であるウワハルの魂のエネルギーが活性化されている…ということだからね。」
そして彼は「そうだな…」と微笑を顔に残したまま目を伏せる。
「まあこういった感じだろうか…――君はいうなれば今、内側に秘められた〝ウワハル〟という存在を、〝ハヅキ〟という〝蓋〟で無意識にも抑圧してしまっている状態なわけだが――といって、もちろん君の自己認識がどうであろうとも、君の魂は間違いなく神・天 上 春 命 のそれなのだ。」
「はい…」
僕は真剣なきもちで相づちを打つ。コトノハさんは目を伏せたままこう続ける。
「うん。そしてね…君が性感を得ることによって、ウワハルとしての〝記憶〟や〝自我〟が宿っている君の魂が刺激され、活性化されると…――また性感を得ることで恍惚 とする…、つまり〝ハヅキ〟としての君の意識がそれで多少ゆるまるのも手伝って…――そのゆるんだ〝蓋〟から、元気になった〝ウワハル〟が溢れ出て…――君の表の意識にも〝ウワハル〟が滲 み出、あらわれる……」
そしてコトノハさんは「そういった次第で…」と言いながら、微笑した目を上げてまた僕を見る。
「君は一時的にでも〝ウワハル〟を取り戻すに至った…というわけだよ。」
「……、…」
なるほど…――つまり、僕の心身に(ハルヒさんから)与えられた性感には僕の魂も刺激され、その刺激によって活性化したウワハルの「記憶」や「自我(意識)」が、ぽーっとしてある種無我状態になった僕の中からあふれ出し、その結果僕はウワハルとしてのそれらをとり戻すにいたった、ということらしい。
これは納得せざるを得ない、…って、まあいずれにしても僕は納得せざるを得なかったんだが…(天の神様たちが「正解!」と答えてしまった以上、僕がどれほど反抗しても「鍵」は事実それでしかないのである…)。
コトノハさんは「ただ…」と、僕の右隣でマグカップに入ったホットミルクをふーふーしているハルヒさんへ目を向ける。
「〝神の記憶〟や〝神の自我〟を取り戻すほど君の魂を活性化させる、という目的においては、君を愛撫するその相手は、厳密にシタハルでなければならない。――それは何故 かというと……」
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