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「〝神の記憶〟や〝神の自我〟を取り戻すほど君の魂を活性化させる、という目的においては、君を愛撫するその相手は、厳密にシタハルでなければならない。――それは何故 かというと……」とコトノハさんは、僕の右隣に座るハルヒさんへ真面目な目を向ける。
「……、…」
僕もふとハルヒさんへ顔を向けた。
右手にもったマグカップ――黒地に下から赤い炎の立ちのぼるファンキーな柄のマグカップ――からずず…とミルクをすすっている、その銀の長いまつ毛を伏せている彼の横顔は、心なしか満足げな微笑をたたえているように見える。
「…まず何より、ウワハルとシタハルの魂が繋がっているためだ。…ウワハルが感じればシタハルは興奮し、するとシタハルの魂は刺激を受けることになるわけだが、その刺激は魂が繋がっているウワハルの魂にも伝えられる…――そうした結果、相手がシタハルであればこそ、ウワハルの魂は効果的に刺激を受け、活性化されることになる。」
「……、…」
伏せられた長い銀のまつ毛の下、つーとハルヒさんのオレンジの瞳が横目に僕を見やる。そのいよいよ明確に自慢げに微笑した目はどうも『だから言ったじゃん? 俺、合ってたでしょ?』とでも言いたげである。
「次に…」――僕はそう続けるコトノハさんにまた顔を向ける(なんとなし悔しくなったのである)。
コトノハさんは誠実な顔をして僕を見ながら、
「運命られた夫神であるシタハルのことを、ウワハルは魂から信頼しているためだ。…それというのは……」
との説明の途中、しょうがなさそうな、ちょっと呆れたふうな笑みを浮かべて「怒らないで聞いてほしいのだが…」とハルヒさんへその青白い瞳を転じる。
「たとえば、…たとえばの話だが。…信頼していない相手との情交においては、いくらそれが合意の上の行為であったにしても、それで満たされるものは肉欲ばかりのことだろう? ――そういった相手とは肉体を交わらせることはできても、魂まで交わらせることはできないものだ。」
「……、…」
僕はまたハルヒさんを見た。
今度は不機嫌にはなっていないどころか、やっぱりしたり顔をしている。――まあ要は、「自分じゃなきゃ僕を満足させられない(他の男じゃ僕を満足させられない)」と言われているわけだから、今回はへそを曲げずに済んだのだろう。
「また自慰においても同様で、…そもそもひとりでは魂を交える相手がいないので、やはり効果的とまでの魂への刺激は期待できない。――そして…」
「……、…」
僕はふとうつむいた。
まあハルヒさん以外の誰かと、なんていうのはそもそも絶対に嫌な僕だが、…オナニーというある種の「逃げ道」をも絶たれてしまうとはな…――。
たとえばだが、…「鍵」というのを口実に、彼にものすごく求められてしまったら、どうしよう……?
「……、…はぁ……」
僕の胸がトクトクと高鳴り、じわ…と頬が熱くなるばかりか、たちまち頭がぽーっとしてくる。
毎晩…とか…、それも寝かせてもらえないくらい…とか…、ふたりっきりになったらすぐ…とか…、…い、いや、僕なんかがそんなに求めてもらえるわけ…――という卑屈な考えはやめねばならない…――でも、ハルヒさんに…ものすごく求めてもらえる…可能性は、…やっぱり…ある、よな…?
よっぽど「鍵」なんて好都合に考えているのは、僕、なのかもしれない…――だって、理由があったら、…するべき理由が、あったら…――たくさん求めてもらえる、かもしれない……大好きなひとに……。
可能性、ある…かな……?
今朝だって、その……あんな……いや、
「……、…、…」
あ、ある…かな…――どう、だろ……?
ハルヒさんの唇が僕の耳もとでこそこそとこう囁いてくる。
「理由なんかあってもなくても…俺、大好きな君が毎日毎日欲しくってたまらないんだってば…――ふふ…、何なら俺、今すぐ君を抱きたいくらいなのになぁー、ねぇハヅキ…? それなのに君ったら、俺のこと拒んだじゃん……」
「……っ、…、…」
あ゛っそうだった、僕、…彼には「つつ抜け」、
「君たち…」と落ち込んだ声で呼びかけるコトノハさんの声にハッとする。
「…まあ…新婚だからね…、今の話は…――聞こえていなかったよね、どうせ……」
うつむいているコトノハさんは「どうせ君たちはいつもパパの話は聞いてくれないんだ……」としゅーんとしている。
「…す、すみません、…すみませんほんと、…」
いやっというかコトノハさんの前で何考えてるんだ僕、…いろんな意味で恥ずかしくなった僕の耳たぶや頬がひりつくほど熱くなってゆく。
「えっえっとすみません、…もう一回だけお願いします、今度はちゃんと、…」
「……、…」
ちら…と上目遣いに僕を見やるコトノハさんは『本当かい…? パパ、信じるからね…?』と不安げであったが、…気をとり直して僕をまっすぐ見すえた彼は、「ともかく…」
「結局のところ、ウワハルのことを真に昂 ぶらせられるのは、運命られた夫神であるシタハルしかいないからね。――それは心身はもとより、魂においても……まあ君本人に言うのもなんだが、ウワハルはあれでシタハルに盲目というほど惚れ込んでいるのだ。…まあ今 も そ う だ っ た よ う だ け れ ど も …わかりやすく言えば、最愛の夫に愛されて刺激を受けないはずもない…、といった感じかな…? ふふふ…」
なんて意味深に目を細めて笑うコトノハさんである。
「……、…」
あぁ、わかる…かも、それは、…と僕は納得せざるを得ない。――今だって僕、…僕としても…いや考えるのはよそう。少なくとも今は……。
きゅう…とやさしく僕の手がハルヒさんの手にもう少し握られ、彼は「ふふ…」と嬉しそうな含み笑いをもらす。
「…まあそういったわけで…――君がウワハルに戻るための〝鍵〟というのは、運命られた夫神であるシタハルからの、君への愛撫だったようだね。…何 と も 幸 い な こ と に 。」
「な、なるほど、…あ、あはは……」
僕はうつむき、照れくさいのをごまかして笑った。――すると「ふふふ…」と、コトノハさんはあたたかい笑みをこぼす。
「しかしまあ…そう義務だとかと堅苦しく考えるのではなく…――はは、君たちはせっかく何千年かぶりにまた新婚夫夫になれたのだからね…――ただ楽しんだらいいんだ。…そもそも新婚の君たちには、だからといっても別に、私 た ち が わ ざ わ ざ 何 か を 言 い 付 け る ま で も な い 。そうだろう?」
「うんうん…当たり前だよねーハヅキ〜…?♡ 俺たち世 の た め 人 の た め に も 、いぃっぱいいちゃいちゃラブラブしよ〜ね…♡ ねね、だからぁ、これからはえっち拒んじゃだめだよぉ…? だってぇ…うふふ、…それが世 の た め 人 の た め 。になるんだからさぁ〜〜…♡ わかったぁ〜…?」
「……、…、…」
何というラブアンドピース詐称(?)、てかおい、コトノハさん の前で何言ってんだーー…!
するとコトノハさんがクク、と喉を鳴らして笑い「それに…」
「そうすれば、今はまだ〝統合〟とまでは至れずとも、当面の〝神氣補給〟にもなるからね。…ただ当然、君たちが〝無限の神氣〟を得られるようになる〝統合〟を果たさないことには、それも一時的な緩和となるばかりで、根本的な問題解決にはならないのだが…――とはいえ……」
「……?」
僕はふと顔を上げた、…いや、上 げ て し ま っ た 。
微笑ましげなコトノハさんのその顔、そのあたたかい眼差しは、…僕に羞恥というダメージを与えた。
「それに関しても、ふふ…この分なら心配要らないだろうね。…それこそ思い悩む間もなく〝統合〟まで行ってしまうかもしれないよ。はははは…」
「……、…、…」
父・コトノハのこの笑いは暗に『私たちがほっといたってどうせ君たち、(新婚ともあって)勝手にいちゃいちゃするだろう? それも幸いなことにそれが〝鍵〟なわけだから、もう存分にいちゃいちゃしなさい。』と(生あたたかい応援気味に)言っているのである。
ただコトノハさんはふと誇らしげな父の眼差しで、僕とハルヒさんとを見比べる。
「それにしても…昨日の今日で早速〝記憶〟や〝自我〟を取り戻しつつある上、もう〝鍵〟まで見つけ出してしまうとは…――天上の神々も、君たちの力でそれを見つけられたからこそ、こうしてそれが正解だ、とのお答えを下さったのだが…よくぞ見出 した、とお褒めになられてもいたよ。――本当によくやった。流石 我が子たちだ。」
「えへへ…」とハルヒさんがてれてれ笑う。
……が、僕は微妙な(赤面した)笑顔をしか浮かべられなかった。もはや喉から笑いも出てこない。
このニコニコ(ニヤニヤ)生あたたかく見守られる感じの「新婚夫夫扱い」が、またやたらと気恥ずかしくってしょうがないのである――まあもしかするとそれは、昨日あまりにも唐突に出逢ってすぐ結婚、ほんの数時間で推しから夫へ、なんて電撃的なスピードで彼と夫夫関係になったせいで、そうなる前の準備期間なり恋人期間なりがなかったが故の(昨日の今日じゃまだ何かと色恋や夫夫関係のあれこれに僕が順応できていないせいの)気恥ずかしさなのかもしれないが――。
「さて…」とコトノハさんが腕時計を確認する。
そして彼は目を伏せながらテーブルに両手をつき、ガタリと立ち上がると――、
「それでは…私はそろそろ仕事に行くよ。」
そうさわやかに僕たちに微笑みかけては、隣の椅子に置いていたらしいかばんとジャケットとを小脇に抱える。
「気負わず、存分に楽しんで。」
「…ぁ、はい…、あり、ありがとうコトノハさん……いってらっしゃい……」
「いってらっしゃ〜い」
「うん、行ってきます。…では、また夜にね。――」
そしてそうコトノハさんはキッチンにいるじいやに目配 せし、そのじいやを伴 って、このダイニングルームから立ち去っていった。
ほどなくして…――カコンッ…と鹿威しが鳴る。
「…………」
「…………」
何となくの沈黙のなか――僕は意を決し、
「……、…――っ!」
ガタッと立ち上がった。
手はハルヒさんの左手と繋がれたままだが。
「……?」――ハルヒさんがきょとんとして僕を見上げる。が、僕はヘラヘラ作り笑いを浮かべながら、
「あ、あの実は締切が迫っている原稿があって、…食べながらやろうかなと、自分の部屋で、…だ、だからその、…――ま、また、夜に…僕たちも、…へへ…」
正直いうと、…もう気恥ずかしくってたまらない僕は、ハルヒさんから逃げる口実なかばにそう言ったのだ。もう何だか一旦ひとりになりたかったのである。――ただ、締切の迫っている原稿があるというのは事実であり、それに一秒でも早く取りかからねばならないのも事実である。
しかし、
「……、でもさぁハヅキぃ…?」と僕を見上げるハルヒさんが、きょとんとしたまま言う。
「…君、自分の部屋…どこだかわかってんの…?」
「……ぁ、…」
そ、そうだった、…
そもそもここは「新居」なのである。
まあそれこそ子供の頃なら楽しく探検したに違いないが、なんて、今はそんな場合でも…いや思うとそれも楽しそうだな、…だが、とりあえず探検は脱稿してから…――ぁそうだ、…
「あのじいやに案内しt…」
「じゃあ俺が連れてってあげるね…? 俺、今日は仕事昼からだし……」
と言いながら微笑したハルヒさんも、カタンと席を立った。
「あ、え、いや、あの、その、…」
僕は冷や汗をかきながらしどもどしたが、「ん…?」とハルヒさんが鋭い眼差しで僕を見やる。
「…なんか不都合でもあんの…?」
「…ぃ、ぃぇ…、………」
……いや、…しかも僕の部屋まで行ったらおよそふたりっきりに、…逃亡計画、大失敗である。
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