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――ほら、ここがハヅキの部屋。」  とハルヒさんがわざわざ開けてくれた木製のドアの先――この新居における僕の自室は、十畳以上もありそうなひろい洋室だった。  ちなみに僕の自室は二階、階段を上がってすぐの廊下を進み、そうして僕たちの寝室、トイレ、浴室の前を通りすぎた先――あの曲がり角を曲がるとすぐの位置にあった(ちなみに曲がり角の先には二部屋あり、それはこの部屋、そのとなりがハルヒさんの部屋なんだそうである)。  わりとわかりやすいところにあったようだ。  するとあるいは口頭で説明されれば、僕ひとりでもこの部屋にはたどり着けたような気もしないでもなかったのだが――まさかそんな嫌味たらしいことを愛する推しに言えるはずもなく…――僕たちは結局また手をつないで、この部屋まで来たのだった。  ――ただこの部屋にふたりで入ったなり、繋いでいた僕と彼の手は自然にほどけた。 「……おぉー…、……」  なんて感動の声をあげる僕である。――僕は部屋のなかのあちこちを眺めまわし、観察してみる。  大正浪漫(ロマン)、なんてワードがまっさきに思い浮かぶような内装である。  基本的な色調は赤茶色と白――壁は白、柱は赤茶色、また家具類も基本は赤茶色の木製のアンティークでそろえられている――、部屋の明るさは大正浪漫なムードたっぷりにうっすらとセピア色にうす明るい、といった感じだ。  それで…まず扉から対面にある横長の大きな窓は、赤茶色の木枠でできた飾り窓となっているようだが、今その窓はその洒落(しゃ)た窓枠や外の明るさ、また窓ぎわに置かれた源平(げんぺい)小菊(こぎく)(はち)がうっすらと透けてみえる白いカーテンに(おお)われている。なお窓の両はじには畳まれたワインレッドのカーテンが、金糸で()まれたタッセルでまとめられている。  そしてその窓の下には横長の赤茶色の机が置かれているが、それは短めな机と連結しているため、厳密にはL字型となっている。――その机の上に置かれているのは僕のデスクトップPCやキーボード、マウス、モニター、液晶型ペンタブレットや本立てに整列した作画用資料、デッサン人形などと見え、…どうやらこれからはこの広々とした机が僕の仕事机となるようである。  なおもちろんその机、デスクトップPCの前には、座り心地のよさそうな重厚な茶いろのレザーチェアが置かれている。  またその机の真隣には大きな本棚もある。参考資料など仕事に必要な本が収納されているらしい。  そしてその仕事ゾーン近くの天井――部屋の中央の天井――からぶら下がっている照明は、おそらくすずらんの花を()したアンティークなシャンデリアである。  さらに部屋の出入り口から右手側には――若草いろのかけ布団と白いまくらがあるシングルベッドが一台、枕もと近くに真四角の抽斗(ひきだし)つきのベッドサイドテーブル、それの上にはアンティークなベッドサイドランプ、…またベッドの前にはペルシャ絨毯の上、丸い木製テーブルを挟んでアンティークチェアが二脚向かいあっている。  またベッドの足もと側には姿見、その隣にクローゼットと箪笥(たんす)が置かれている(ちなみに箪笥の上にはレースで(ふち)どられた白いクロスがかけられ、その上に桃色の胡蝶(こちょう)(らん)の鉢植えや家族写真なんかが飾られている)。  それから左手側には、仕事ゾーンから区切れるようにとの障子(しょうじ)の奥に、壁いっぱいの横長の大きい棚のなかに僕の漫画や小説、それからアニメフィギュア、ゲームカセット、ゲーム機などなどが(ふしぎとおしゃれに、この大正浪漫な部屋に意外ととけ込んで)収められており――その本棚に向かいあう形で二人掛けくらいのアンティークソファが、そのソファの前には横長のローテーブルも置かれているらしい。  またそのいわば「趣味(オタク)ゾーン」の天井からは、アンティークな色とりどりのモザイクガラスのランプがいくつもぶら下がり、そのそれぞれがゆっくりと回転している。 「……、…」  なるほど…――意外と悪くない、な…?  いや、かえって気に入った。――というのも実は、もともとの僕の子ども部屋(自室)錯雑(さくざつ)とした完全なる(アニメ、ゲーム)オタクのそれだったのだが、といってそうなったのは好きなものをただ蒐集(しゅうしゅう)していった結果的なものであり、そもそも僕は自分の部屋の(悪くいうと統一感なくゴチャついた)内装をというより、ふとしたとき目に入る好きなアニメやゲームのグッズに愛着があったので、…要はそれらさえあれば内装などなんだってよかったのである。  しかし僕の宝物であるそれらもきちんと全て揃えられ、飾られている上で、自室がこうした大正浪漫的なおしゃれな内装に調(ととの)えられている――誰かの趣味か厚意かによって――、というのは、僕にとって思いがけない幸運であった。  ……いや、少し前の僕ならばひょっとすると、こんなアンティークだのなんだのを『気取っている』などと生意気に思ったような気もするのだが、…今の僕はというと、むしろこの部屋の美しい調度のぐあいを『趣味がいい』とさえ嬉しく思えるのであった。 「…やっぱ順調みたいだね…?」と、ここまで何も言わずに、この部屋を観察していた僕をただ見守っていたハルヒさんが言う。 「だってこの部屋の内装の感じは…ほかでもない、君自身が天上で決めてきたものだから……」 「……、…」  そう…なのか…――いや、まあその「天上で自ら決めてきた記憶」こそ(よみがえ)りはしないものの、この部屋の内装を今の僕が気に入っているということは、たしかに多少なりウワハルの自我と僕の自我とが、順調に統一されつつある、ということなのだろう。  とここでハルヒさんがにわかに僕の手を取り、 「来て」  とやさしく掴んだ僕のその手を引いて、大股の急ぎ足で歩き出す。 「……?」  僕は迷いなくこの部屋のなかをズンズン進むハルヒさんの、その銀髪の後ろ頭――少し長めのえり足をゴムでちょこんとまとめている――や、彼のややぶかっとした黒いパーカの広い背中を眺めながら、おとなしく彼に着いていく。  そうしてハルヒさんが立ちどまった場所はこの部屋の左側に位置する、壁一面の棚の前だった。  なおその棚にはもちろん僕の漫画やゲームやフィギュアなどなどが綺麗に収納されているが、今僕たちの目の前に位置したそこには、ChiHaRuさんのCDの細い背表紙が整列して収められている――僕は近ごろは他のアーティストの曲は好きでもサブスクなどで聴いてしまうのだが(サブスクなんかなかった学生時代にはもちろん買ったものの、それもサブスクがあれば事足りるので処分してしまった)、救世主にも近しい彼のCDだけはその全てを鑑賞用、保存用、鑑賞予備用として三枚ずつ購入している。つまりここにはChiHaRuさんのCDしかない――。  またきれいに羅列したCDの背表紙の隣の空間には、僕愛用の白い小型CDプレイヤーと白いイヤホンとがスタンドか何かに立てかけられ、飾られるように収納されている。  そして僕の手をそっと離したハルヒさんは人差し指を立て、そのずらりと並べられたCDの背表紙のなかから見いだした、ある一枚のCDの背表紙の角に指先をひっかけると、するりとそれを取りだして――「はい」と僕に手渡してくる。 「……?」  僕はふしぎに思って今手渡されたCDを見下ろす。それのジャケットは安らかに眠っているようなChiHaRuさんの顔に藤の花が散っている写真、そのCDは『ChiHaRu ベストアルバム 〜 はるさる 〜』だった。  ――ちなみにこれは実用を目的とした鑑賞用のため、僕があんまり聴き込んでいるせいでケースにはガタが、歌詞本にいたっては毛羽立ってボロボロである。しかしそれすらも何か、彼のファンとしては誇らしい愛着のある傷なのだった。  ちょっとクサいことを言うなら、この傷んだケースや歌詞本こそは目に見える「愛」なのだ。僕の、ChiHaRuさんへの十年分の「愛」なのだ。 「開けてみて」  とハルヒさんが言うので、…僕はあたりを見回した。――ちょうどこの棚の前には赤茶色の、四隅に飾り彫りがされたローテーブルがある。  渡りに船とでも言おうか、さらにそのローテーブルの前には、赤茶色の木枠に若草いろの柄布が張られたアンティークの二人掛けのソファまで――ということで早速、僕はそのソファに腰かけ、丁重にそのCDをローテーブルの上に置いた。  ……これはこうして安置させてから気をつけてそぉ…っと開かないと、中に入っているCDがポロッとこぼれおちてしまうのだ――僕があんまり出し入れをくり返したせいで、CDをはめ込むリング自体も弱ってしまっているらしい――。  この赤茶色の艶のあるローテーブルの上に、天井からぶら下げられたおもむろに回転するモザイクランプの、その赤や青や黄色や緑やの光が落ちて映っている――僕はそうした神秘的なローテーブルの上で、そのCDの蓋をそぉ…っと慎重に開いた。 「……、…ぁ…――?」  すると僕の目はゆっくりと見開かれていった。  ……黒地に藤の描かれたCD、そして同じ柄に『はるさる』と白文字で書かれた歌詞本…――その黒いCDの上にちょこんとのってキラリと輝く、  一つの、指輪。  細い金と銀がたゆたうようにゆるく絡まり合いながら波打っているその指輪――それを、僕の隣に腰かけてきたハルヒさんのあめ色の指先が、そっとつまんで取る。  ――僕は思わずぼーっとしていたがその瞬間にいろいろと察し、ハッと彼に顔を向けた。…僕に膝を向けているハルヒさんは、僕をやさしい夕焼けのような眼差しで見つめながら、ふっと幸せそうに微笑みかけてくれた。 「…結婚指輪。…昨日渡しそびれちゃったから…――()めていい…?」 「……、…、…」  僕は薄く唇を開けたまま、ただコクコクと頷いた。  すると彼はそのやわらかそうな銀の長いまつ毛を伏せながら、僕の生白い左手を下からやさしくすくい上げ――すー…とその指輪を、僕の薬指の先からおもむろに根本まで…――結婚指輪を、はめて…くれた。 「……、…」  僕はやや手を上げ、軽く指を曲げてこの指輪をまじまじと見る。  いささか僕の指には大きく、隙間ができている。  つやつやと流麗(りゅうれい)な金銀の交わる波打ちが美しく、ワンポイントの赤味がかったオレンジの極小さな石は透明度が高い。おそらく最高級品のサンストーンである。その宝石がキラ…キラと回転するモザイクランプの光に何度もまたたいている。 「…このデザイン、天上で君と決めたやつだけど…、ハヅキはどう…? 気に入った……?」 「……ぁ、はい、…とても、綺麗、――あ、あの、…ありがとう……ございます…、……」  僕の瞳が(よろこ)びと驚きとで小さく揺れているなか、その美しい結婚指輪はただ神々しくまたたいて見えた。――ちょっと泣きそうだ……。  今はまた夢を見ているような気分だ。  まさか昨日まで自分なんかが結婚なんぞできるはずもない、僕は一生独身のまま生きて死ぬんだ、なんて悲観的な覚悟をしていた僕の左手の薬指に――今結婚指輪、などというものがはめられ、こんなにも美しく輝いているとは。  ……人生…というかまあ「人生」ではないのだが、本当にこの世というのはいつ何が起こるかわからないものである…――。 「…生きてて…よかった…、……」  指輪を茫然(ぼうぜん)と眺め下ろす僕の片目から、静かな涙がほろ、とこぼれ落ち――つー…と片頬を伝っていく。  何度絶望したことだろう。何度、諦めたことだろう。  何度…――憧れて、いたことだろう……?  ハルヒさんのやさしい親指が、すり…と僕の頬の涙を撫でる。 「ハヅキ…、綺麗…――君は、涙も…泣き顔も、ほんとうに綺麗だよ……」 「……、…、…」  ……だが僕は彼の顔が見られない。今見てしまったら、いよいよ号泣してしまいそうだった。  するとハルヒさんは僕の顔に顔を寄せ、ちゅ…と僕の涙にキスをしてきた。「ふふ…」と離れざま笑って、それから僕の額にこつん、と自分の額をつけてくる。 「…俺も今泣きそうなくらい幸せ…――でも…」 「……でも…?」  僕は目を伏せたまま少し不安になって聞いた。  ハルヒさんの片手がおもむろに、自分の黒いパーカの下腹部のポケットに入る。――そして彼はそこから取り出した何かを、僕の左手にそっとにぎらせてきた。……指輪だ。 「はは…、今泣いたら、詰めが甘いって言われちゃう…――ね、俺にも嵌めて…?」  額を離し、そうちょっといたずらな上目遣いで笑うハルヒさんに、僕はにこっと笑いかける。 「…あ、はい。…えっと、……」  それから僕はまた目を下げ、今彼から受け取ったその指輪――基本的なデザインは同じだが、ワンポイントの宝石だけ(あお)く透明度の高い(おそらく)ロイヤルムーンストーンになっている――を、左の人差し指と親指でつまみ、それから彼の大きなあめ色の左手を下から持ち上げて、… 「…はは、なんか…、なんか、めちゃくちゃ緊張するな…、……」  なんて笑えてしまうほど緊張しつつ…――そ……とハルヒさんの長い薬指に、その指輪をはめてゆく。 「……、…」  根本まで……ハルヒさんの指の長い綺麗な大きな手、その左手の薬指の根本に輝く結婚指輪――はぁ…と無意識に静かなため息をついてしまった。  ……しかも、僕の「結婚指輪の夫」の持ち主は、十年想いつづけてきた推しであるChiHaRuさん――僕がCDケースを弱らせるほど聴き込んできた曲の、その作曲者であり歌手――である、とは……。 「…なん、というか…――幸せすぎて、怖い…?」 「……はは…、……」  とほほ笑みながらその銀色の長いまつ毛を伏せ、…その拍子にぽろ、――涙をこぼしたハルヒさんは、照れくさそうにそれをぐっと指の背で拭う。  そして彼は僕の左手を下から取り、その手を口もとへ寄せて――ちゅ…と、指輪がはまっている薬指の、その根本の骨のとがりにキスをしてくる。  そして、その潤んだ澄明(ちょうめい)なオレンジの瞳をつと上げて僕の目を見、僕の左手に口もとを寄せたまま、 「大丈夫、怖いことないよ…。ねぇハヅキ、これが幸せのピークじゃなくてさ…」と優しいささやき声で言ったハルヒさんは自分の膝のうえ、僕のその手をあたたかいあめ色の両手でつつみこむ。  そして彼は、僕の目を見つめるそのタレ目で美しく微笑みかけてくる。 「俺たちはこれから、もっとも〜っと幸せになるんだよ…。へへ…――、……」  ただハルヒさんはここで一旦唇を内側に巻きこみながら、ふと切ないほど真剣な目つきになる。 「…ね、ハヅキ…俺、愛する君のこと、男として絶対(まも)るから…。…それに…君の幸せ、いっぱいいっぱい叶えられるように…、いっぱい、精一杯がんばります。――だから…改めて、これからよろしくね。…愛してるよ。」  かっ、カッコいい…――するとかーっと赤面した僕は、 「…ぁ、ぁう、…じゃなく、ありが、…えっと、ぁ゛、ぁ゛、…〜〜〜っ」  あああ゛、うううう゛〜〜、幸せだああああっ…と、死にかけて(バグッて)いる。  僕は恥ずかしすぎるあまり目を伏せ、笑った。 「…は、ははは……」  ……な、なんというか…――なんというか、…  なんも言えねぇ、なるほど、うーんもうなんも言えねぇや、…なんていうべきか全くもうわかんねぇ、――だがまあしいて言えば、だ。 「…っ幸せすぎる゛、……」 「…はは、俺も〜〜。…ぁただ…」とハルヒさんが言う。 「実はその指輪、ちょっと大きめに(つく)られてるから、落とさないように気を付けてね…? 君がいつか元のウワハルの体に戻るのを想定して造ってもらってるから、今のハヅキの指にはちょっと大きめなんだぁ……」 「……ぁ、あぁ、それで……」  たしかにちょっと大きめなのだ。  なるほど気をつけなければ……大事なハルヒさんとの結婚指輪をなくすだなんて、そんな悲しいヘマは御免である。 「で、ちなみにさー…」とハルヒさんが何か企んでいるような笑みをふくませて言い出す。 「…君、()()()()()()()()のには、気がついてた…?」 「……、…へ…っ?」  僕はふっと目を上げ、大好きな大人にサプライズを仕掛けている少年のような笑みを浮かべているハルヒさんを見たなり、…カーっと腹の底からこみ上げてくる興奮のまま、パッとローテーブル上に広げられたCDケースを見やった。  ただ興奮しているとはいえ、大事な――それも若干壊れかけ、といえる――それをそっと閉ざす。と、 「……ハ…――ッ!」  ついつい表紙ばかりに気を取られていたが、――裏表紙、そのかすかなひび割れが起きているプラスチックのケースに、…ち、ChiHaRuさんのサイン……っ!  ……本当にChiHaRuさんのサインが、黒い太めのペンで書かれていた。おしゃれな筆記体だが全体的に丸い感じの、にっこりマークと星の交えられた正真正銘ChiHaRuさんのサイン……っ! って、そりゃあ目の前にご本人がいるんだから、偽物なわけないんだが、…  しかも『大好きな春月へ♡ 君をずーっと大事にするってこのCDに誓います。おれが忘れてたらこれ見せてね? でも、君も忘れないで! 忘れちゃったらこれ見て思い出してね! 愛してます♡ 春日(にっこりマーク)』とのメッセージ付きである。 「う、うわぁ…、…、…、…」  信じ、られない…――っ! 「…勝手にごめんね…? でも、…へへ、今朝ここに来て…そしたら君が、まさか俺のCD、全部三枚ずつ買ってくれてるとは思わなくてさ…――嬉しかったからつい、…ただ、サインはフィルム開いてるのだけにしたから……」 「ってことは全部、…っ全部に、…っほんとですか、? わぁ、…わぁぁ……」  僕は震えている手でその直筆サイン入り(国宝に)になったCDを持ち、興奮に頭をクラクラさせながらよろよろと立ち上がって棚まで、――そ……と丁重にそれを棚へ戻す。 「ちなみに…だから指輪もさ、一番聴いてくれてるっぽいベストアルバムの中に入れたの。――だってボロボロなの、ハヅキからの俺への愛、だと思ったから……俺、ほんと嬉しかったよハヅキ、ありがt…」 「はあああこれもっ…これもっ…? これもぉ…っ!?」  それからChiHaRuさんのCD一つ一つをなかば出しては、…これにもサインがある、これにも、これにも、…とサインが全てのCDのケースに書かれていることを確認し――。 「あはは、ねぇハヅキ…? 聞いてる……?」 「……、…、…」  ……全部だった…本当に…――とりあえず全部棚に収めたのち、感極まってそこに両の拳を着き、額を着き、 「…うあぁ…っ、く、ぅうぅ〜〜〜…っ!!」  歓喜のあまり、うなり、(もだ)える。  なんということだ!! いくらChiHaRuさんの大ファンとはいえど――ついでにガチ恋ファンでもあった、いやまあ今もなおある意味(怖いくらい成功した)ガチ恋ファン、ではあるのだが――僕はこれまで彼に実際に会いにいく、というのを避けてきた以上、当然こうしてサインをもらう機会などあるはずもなかった。  そりゃあもちろん欲しかった、ガチ恋だとか以前に、僕の人生を変えてくれたほど救いと幸せをくれたアーティストのサインだ、そりゃあもちろん欲しかったのだが、といって転売なんかで購入するのはよっぽどChiHaRuさんへの冒涜だ、と諦めていたのだ!  それが昨日、そんな僕が昨日、その敬愛するChiHaRuさんと結婚――そればかりか、彼のサインまでもらえただなんて! 「あはは、喜んでくれたみたいでよかった…。俺もうれし〜〜…」とハルヒさんがぎゅーっと僕のお腹を抱きかかえ、僕の背中にくっついてくる。 「ううぅ゛…っあ、ありがとうございますぅ゛、…嬉しい、本当に嬉しい、…」  もういつ死んでも…――って僕、神だから事実上不老不死なので、死なないのだった……。 「かわいーハヅキ…、…よしっ…」 「じゃあ次っ…」とハルヒさんが僕のお腹を抱えたままぐっと抱き上げ、そのままどこかへ歩き出す。  僕は「わ、…」と驚きの声をあげたが、 「……? 次、って……?」 「…うふふふふ…っ」  なんて意味深に笑うハルヒさんは、僕をいずこかへ運んでゆくのだった。

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