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 寝室からトイレを隔てた先にある浴室は、洗面台を内包した脱衣場付きであった。  僕とハルヒさんはあのまま一緒にお風呂にはいることとなった――あの流れではそれも断るに断れなかった――のだが、…彼はなんとこの家には五つも浴室がある、というのである。  まず二階の僕たち用のこの浴室、三階の両親用の浴室、五階の祖父ふたり用の浴室、一階のじいや用の浴室――そして一階にもうひとつ、客人や僕らの気晴らし用の露天風呂・サウナ個室つき大浴場…――、ちなみに四階は広めのジムや小映画館、バーなど、娯楽ゾーンとなっているらしい(となると居心地が良すぎる上に自宅で何もかもが完結してしまうので、いよいよ僕の引きこもりもより加速してしまう予感が…)。  さらには、僕たちはここまで階段を使ってはいたものの、実はエレベーターもあるんだそうだ――ハルヒさんの部屋の前の突き当たりに――。  というか、そもそもこの新居が五階建てプラス屋上つきの大豪邸とまではさすがに思いもよらず、僕はそれにもまた驚きを隠せなかったのだが…――以前の家も豪邸とはいえる二階建ての日本家屋ではあったのだが、もはやそれさえかすむほどの大豪邸である(まあ大企業の会長・社長・超有名作詞家ならびに芸能人、…ついでに売れっ子漫画家…という顔揃いにふさわしいといったらそうなのかもわからないが、それにしたって驚くべき随分リッチな家宅である)――。  しかし…まあ考えてみればたしかに、三組のふうふとじいやとがこの家に住んでいるわけだから、ふうふごとの二世帯住宅ならぬ三世帯住宅、くわえてじいやのプライベートゾーンもしっかりと確保された構造になっている、ということなのだろう。  ……いや、それだけ広ければ、そりゃあじいやだって分身くらいしたくなるはずである……。  さて、それでハルヒさんはまず「どこで(五つあるうちのどの浴室で)お風呂に入る?」と僕に聞いてきたのだが、…実は大浴場もどれほど豪華なものなのか、と気になりはしたものの、僕にはある懸念があったため――裸、夫夫、ふたりきりの密室で何も起こらないはずはなく……という()()である…。まあ考えすぎかもしれないが、念には念を入れて――、そうして今回は自分たち用の浴室を選んだのだった。  なぜなら、専用というほど厳密か、といわれればそれはどうだかわからないが、少なくとも僕たち用の浴室ならば、他のところよりも誰かが入ってくる可能性が低い――つまりその中でもし仮に()()()()()()が起こってしまったとしても、それをうっかり誰かに見られてしまう、なんて失敗が起こりにくい――ように思われたからである。  そうしてまずは脱衣場で服を脱ぎ――そのときハルヒさんには「俺が脱がせてあげるー…♡」と甘く言われたものの、しかしそれはやんわりとお断りし、各々自分で服を脱いで――僕たちはその自分たち用の浴室に入った。  四畳半程度の広さがあるここは、何というか和の趣を感じられる高級ホテルのおしゃれな浴室、というようである。  しっとりとした()()びの、それでいてロマンチックなムードが演出される明るさのこの浴室は、まず天井に同化した真四角の暖色系の照明によって明るんでいる。――およそ夕方になりたての夕陽のような明るさと色である。  また壁はおそらくツルツルとした白だが、照明の暖色に染まっているために、その壁はややオレンジ味の強い黄土色と見える。  そしてここに入ってすぐ、なめらかな黒っぽい石だたみの床の洗い場が広がっている。  出入り口から右手側の壁にはシャワーフックが取り付けられ――もちろんそのフックには銀のシャワーそのものがかけられている――、そのシャワーの隣の壁にはシャンプーなどが整然と置かれた台と、またそれの隣には白いボディタオルがかかった銀のバーが取り付けられている。また洗い場の床には透明な黒い風呂椅子も置かれている。  ただとりわけ「高級ホテルっぽい」と思わせるのは、洗い場をはさんだ出入り口対面に位置する、室内の床の半分を占めるほど広々としたこの丸いジャグジー付きの浴槽である。それは壁沿いに設置されている。  またその浴槽の側面は、黒っぽい焦げ茶の木製のカバーで覆われているが、そのカバーは浴槽の四隅も埋めているため――上から見れば、その木製カバーの真四角の真ん中に丸い浴槽が埋め込まれている、というような構造のため――、その四隅はたとえば飲み物なんかを置けそうな木製の台、というようにもなっている。  さらには洗い場側を除いた、その木製のカバーの三辺を「コの字」に囲っているのは、表面がややデコボコとした濃い灰色の石のレンガ――そしてそのレンガの奥の壁は奥まっており、下には白っぽい小砂利が敷きつめられ、またその小砂利の上には、背の高さもさまざまな複数の行灯(あんどん)――切り絵のような色付きの牡丹(ぼたん)桔梗(ききょう)やの繊細な透かし絵が、なかのランプのゆらゆらと揺れる薄オレンジの(あか)りに映えて美しい――や、つややかな大きい緑の葉をつけた観葉植物の鉢、小さい石灯籠(中にろうそく風のランプが灯っている)、また壁から斜め下へ突き出た細い竹筒から、ちょろちょろ流れおちる水を受け留める、三十センチほどの岩の中をくり抜いたような手水鉢(ちょうずばち)なんかが置かれている。…なお手水鉢の水面にはチラホラと小さな浮き草が浮かび、揺らめいている。  ……そして出入り口から対面の壁には、小さな液晶テレビが設置されており――今そのテレビの画面は真っ暗だが――、さらにそれの横にある小さいボタン付きのモニターは、給湯器のそれだろう。  それでこの浴室に入ったなり……僕は、いや、僕たちは思いのほか淡々と――無言で――まず頭を洗いはじめた。  さすがにシャワーは何のこともない、普通といったらその通りのそれである。またここに置かれているシャンプーやリンスなども、前の家で僕が使っていたメンズ用の――特段のこだわりもない――それで、使いさしである。  そしてハルヒさん用の、おしゃれな青い透明なボトルに入ったシャンプーとリンスも置かれていた。…一見ではメンズ用ともレディース用ともわからない。見るからに高そうだが――ただ、そもそも僕は何分こういったものには(うと)いので、市販品なのかどうなのか、高いのか案外そうでもないのか、それは定かではないが。  そうして僕たちは淡々と無言で、各々専用のシャンプーで頭を洗いはじめた。  とはいえ、もちろん誰かと一緒に入浴するともなれば、ちょっとした遠慮がちな気持ちはあった。  まず僕はハルヒさんに極力背を向けていた。彼の裸を見ないようにである。――またシャワーは一つしかないので、それを譲るタイミングというのに気を使わなければならなかった。…ただ幸いそれはスムーズにかみ合った。  ……そして僕は顔まで洗顔料で洗い終えたのち、今はシャワーからのお湯が降りそそぐ付近、すなわちそれを浴びているハルヒさんに背を向け――自動でお湯が溜まってゆく浴槽側へ体を向け――、白いボディタオルを濡らし――これだけは新品の、濡らすとやたら湯葉(ゆば)のようにとろとろとやわらかくなるものだった――、それに普段使っているボディソープを含ませて泡立てながら、 「……、…」  なんだ、と拍子抜けしていた。  ハルヒさんが「一緒にお風呂入ろう?」と言ったそのとき、僕は赤面するほど動揺した(もちろん「わ、わかりました…」と頷くほかなかったのだが)。  というのも――昨日ハルヒさんに抱かれたときにでさえ、彼の裸を見たい、が、見てはならないような気がする、というような葛藤を味わっていた僕は、セックス中によるあのある種の陶酔感もなく彼のたくましい裸体を目の前にしては、いよいよどうにかなってしまうのではないか、なんて危惧していたのだ。  ……ましてや、ちょっと期待にも近い「例の懸念」もあったのだが…――しかし案外何事もなく、今はただ単に「一緒にお風呂に入っているだけ」、という感じである。  それもそれは、兄弟同士でというのよりももっとどこかよそよそしく、ほとんど大衆浴場の客同士、というくらいの距離感である。  それこそこの浴室の内装ばかりはロマンチックなのだが――だからといって特に何か色っぽい展開が起こるでもなく、僕たちにおいては、拍子抜けするほど極淡々と体を洗っているだけだった。  まあちょっとした気まずさからか、お互いに無言ではあるし――なんならハルヒさんに終始背を向けている僕は、彼の体どころかその顔をさえも今は見られないでいるのだが。 「……、…」  しかし、すると案外このまま体を洗い終えたなら、今浴槽に溜めている最中のお湯にちょっと浸かって、それだけであっさり「気持ちよかったね、さっぱりしたね」で終わり、かもしれないな。――ほんの少しだけがっかりした気持ちがないでもない、が、…まあ現実なんて往々にしてそんなもんだろう。  僕はいささかBLというものに――こうしたシチュエーションにおいて、十中八九(エロい)ハプニングが起こるBLというものに――感覚を侵されすぎているのかもしれない。 「…ね、ハヅキ…?」とここで僕の背後、キュッとシャワーを止めながらハルヒさんが、気遣わしげに僕に声をかけてくる。その声は少し反響している。 「……、はい…?」  僕はちょっとドキッとしたが、そう冷静に返事をしつつ、たっぷりとキメこまやかな泡をふくんだボディタオルで、まずは片胸を撫でるように洗ってゆく。――うわ、てか気持ちいい…! なんだこれ、…  このボディタオル、やっぱりとろとろと非常にやわらかい――それこそ罪悪感さえ覚えそうなほど本当に湯葉そっくりな質感なのだが、それと泡とで体を撫でるとこう…にゅるぅ…というか、とろぉ…というか、…とにかく未経験の気持ちよさなのである。  とここで、 「……っ!」  僕は後ろから片方の肘を掴まれ、そのままぐっと引き寄せられるまま――後ろから、…ハルヒさんのあたたかく硬いハリのある体が、僕の背中にくすぐったいと感じるほど張り付いてくるその濡れた肌が、――後ろから、彼にすっぽりと捕らわれるように抱きしめられてしまった。  て、いうか……()()()()()()、… 「……、…、…」  カーーッと僕の胸あたりから頭のてっぺんまで熱が急上昇してくる。  僕のお尻から腰の裏あたりに、ひと際しっとりとした熱く硬い「何か」――いやもうしゃらくさい言い方はよそう、…ハルヒさんの勃起した陰茎が押し付けられている。  ただ、 「ぁ、あのハルヒさん…、はは、…な、なんで…」  勃起、してるんだ…?  ……僕、何かここまでに色っぽいことをしていただろうか? と僕は瞳を斜め上へ向けて考える。――まずはそそくさと、しかし思い切りが必要だったのでガバリと服を脱いだ。…つまり勿体つけた(ある意味では色っぽい)脱ぎ方はしなかった。  それからシャワーを出して髪を濡らし、普通にシャンプーでワシワシと頭を洗った。…しかし、まさかそれで欲情したわけはないだろうな(仮にソレでそそられたなら、一つの奇妙なフェチズム、ハルヒさんは少数派性的嗜好の持ち主と言わざるを得ない)。  リンスもした。…もちろん普通にだ。テキトーに手早くぱぱっと。  で…顔を、洗って…――メンズ用の泡で出てくるタイプで、…しかし思春期の頃(僕の場合ニキビはできなかったのだが)ちょっと脂っぽい肌質になっていたとき、ギトギトしているのが不快だったので美容に詳しいママに相談したら、彼女いわく『ゴシゴシ洗っちゃだめなのよ? お肌の脂が過剰に取られちゃうから、余計脂っぽくなっちゃうんですって。…だから、泡で撫でるようにそぉ……っと洗うの』とのことだったので、…それっきり今もなお「そぉ……っと」の癖がついたまま…――僕は今度も顔を「そぉ……っと」洗って……。 「……?」  いや…しかしまさか、洗顔姿に……ということでもないだろう、な…?  それとも、その「そぉ……っと」な感じが色っぽかったのだろうか? 強いていえばまあ、ガバッポイッさあ戦地(お風呂)へ、という脱衣姿や、ワシャワシャとシャンプーをしている姿、テキトーに何プッシュかのリンスを手ぐしで塗ってテキトーに流している姿、よりかは、まあ…――まあ、…所作としては…?  一応、上品…だったかも、わからないし…?  すると何かしらこうそそられる……いやしかし、いやいや、そんなことあるだろうか??  そもそも、僕の泡まみれのちょっと間抜けな顔にハルヒさんが欲情していたとしたら、それはそれでやっぱり特殊な性癖をお持ちなんですね、としか…――ただ世の中は広いからなぁ……。  古今東西誰が何に興奮するかもわからないこの世の中、単なるゴム風船にまで欲情する人々がいるくらいなのだから…――すると、あるいはハルヒさんも……?  なら、どれ…だろう…?  どれ…だったんだろう…?? 「……??」 「……はぁー……」  とハルヒさんが、僕の耳もとで呆れたふうなため息をつく。 「まあたしかに…ハヅキがやってること一つ一つがなんか愛しいなぁ…――とは思ってたけど、…俺、それで興奮してたら変な奴じゃん。心外なんだけど。」 「……、…」  たしかに心外そうなチクチクとした調子でそう言うハルヒさんに、僕はこっそり安堵していた。――いや、愛するハルヒさんがたとえどのような性癖を持っていたとて、僕の彼への愛は(きっと…)揺らがないが、…やっぱり夫が自分の理解には及ばない性癖持ちではなかった、というのには安心せざるを得ない。  しかし…――。 「……、では…どうして…?」  ……僕はきょとんとしながら、自分の肩の上あたりに頭を傾けているハルヒさんに顔を向けた。  すると彼は「え。」と、ちょっとギョッとした顔をする。 「…ど、どうしてって…――あぁ、もう…」  しかし、ハルヒさんはすぐ仕方なさそうにその彫りの深い美しい顔をほころばせると、こう甘い声で言う。 「…ハヅキの体が、それだけ綺麗で色っぽいからだよ…? ――しかも真っ白な肌が濡れて艶めいていたら余計…なんか、えっちだし……」 「……、…」  しかし僕はきょとんとしたままだ。  もちろんそう言ってもらえて嬉しかったし、現に僕の両頬の内側はじわりと燃えた。――ただ僕は、自己肯定感の低さからハルヒさんは自分の裸体、というだけの要素では欲情してくれるはずがない、…なんて思っていたわけではない。  そもそも欲情とは美醜によらない場合も多い。いや、もちろん「綺麗な体、色っぽい体」と言ってもらえたことを否定しているわけではなく――それはありがとう、と受けとっているつもりだが――、…しかし僕は、ここまで終始彼に背中を向けていたのである。  ……まあそれだって裸といったら裸だが、それでは性器も見えない、乳首も見えない――つまりここまでのハルヒさんには、僕の体のうちにある、わかりやすくそそられるパーツがどこも見えていなかったはずなのだ。 「お尻は…?」とハルヒさんがちょっとげんなりしながら言う。 「……あ。あぁ…、お尻か……」  そうか。忘れていたが、たしかにお尻は丸見えだったか。…すっかり大事なパーツを忘れていた。  無論漫画を描いているときは忘れやしないのだが、…大きなお尻、小さなお尻、とろけそうなやわらかいお尻、エクボのたくましい引き締まったお尻…――僕は自分の体ともなると客観性を失っていたらしい(まして前ならともかく、自分じゃ見えにくい背中のことだしな)。いや、まあみんなそんなものだろうが。  ……ハルヒさんはふと妖しく目を伏せ、僕の腰を両手で掴んでくる。 「あと、君のこんなに細い…折れそうなこの腰も…すごくえっちだよ…?」 「……、…」  あぁなるほど……たしかに僕も細い腰は好きだ。  もちろん充実した腰回りも好きなのだが、攻めが受けの細い腰を掴んで揺さぶる、なんてエロシーンをついついよく描いてしまうのだよな。  ……さらにハルヒさんは、僕のうなじに浮かんだ水滴を、ちゅ…と口付けとともに吸い取ってくる。 「それに俺…君の〝うなじフェチ〟――、つまり〝首フェチ〟…なんだよねぇ……」 「…ははあ、なるほど……」  美少年の細い首…――僕にもそのフェチズムはわからんでもない。いや、わかる。  たしかに首筋、こと流れるような首筋とは美貌の象徴のうちの一つともいえよう。その首筋に繊麗(せんれい)な鎖骨が繋がっていればもはや文句なしである。 「ハヅキぃ…」とまた僕に顔を見せたハルヒさんが、僕を見てすねたように目を細める。 「…まだ〝お仕事モード〟抜けてないのぉ…?」 「……あーすみません、…つい……」  いや、ああしたひと山があったとはいえ、たしかに仕事終わりではまだ、僕はその「仕事モード」が抜けきっていないところもあるのだろう――が、…そもそも僕は寝ても覚めてもBLBL、漫画漫画の、重度の「BL漫画家」の習性をもっていればこそ、仕事終わりだとかは関係なしにも、いつもふとした拍子にこうしたことばかり考えてしまうのである。  何かこう、生活の中央に太い「BL漫画」という基軸がそびえ立っている…というか。 「…まあいいや…」としかしハルヒさんはニヤリ。 「じゃあハヅキの頭ん中、今からは俺のことばっかりにしてあげる…――俺が体、洗ってあげるね…?」 「……え…?」  ――体を…洗う…?

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