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「…………」
僕にもいろいろ都合ってもんが……?
…………ないわ。
いや、…悔しいけど(あと悲しいけど)ないわ。
文句を言ううってつけの口実たるその「都合」なんぞ、引きこもりの僕には大したもんがない。
仕事とても別に会社勤めでもなんでもない僕は、たしかに締切の迫った原稿を二本抱えてはいるものの、といって、整ったネット環境と機材さえあればどこでだって漫画は描けるわ、打ち合わせだって難なくできる――そもそも普段からオンラインでの打ち合わせが常なので不都合などない――わで、…
……何なら上手いこと今日の調子がつづけば、その二本は早ければ一週間以内に片付くわ……。
またたとえば、…もう〜〜っ! 友人と会う予定が合ったのにーー!
………なんてこともなく……僕がリアルで会う友人なんかリリカくらいのもんで、かつリリカとも時々にしか実際には会わずなので…――しかも一週間後にリリカと会う約束なんぞしてもいないし…――つまり私情をはさまない正直な結論をいうと、…僕が一週間後に三泊四日のハワイ旅行に行ったところでも、大した不都合などない。
「……、…、…」
まあ…まあないけど、さぁ…不都合なんか……。
でも…一週間前にハワイ旅行を宣告するだなんて社会人としての常識がないというか(それは重度の引きこもりの僕が言っていいことかどうかはさておき)、…いやまあ不都合なんか一個もないけどさあ!!
……とここでハルヒさんが、僕をなだめるようなのんびりおだやかな声でこう言う。
「…俺たちのサプライズ新婚旅行だって、…そう思っといたら…?」
ふと見ると、彼はニコニコと僕に微笑みかけてくれている。
「……、まあ…そう、ですね…、……」
……まあ…まあまあハルヒさんがそう言うのなら…それだ、ということで、…いいか……。
ただ、「はは…」とコトノハさんが、少しだけ困ったように笑う。そちらに目を向けると、彼はそのとおりの笑顔で僕を見ていた。
「そもそも私 た ち 三 組 の 新 婚 旅 行 …という話ではあったんだが……、しかし…もしハワイが気に入らないようなら、君たちは好きなところに行っても構わないんだよ。――そんなつもりはないが、折角の新婚旅行がついでのようでは悪いしね」
「……あぁいや…別に、それはどこでも……」
しかし僕はそう眉尻を下げて笑う。
……正直考えたこともなかった…というか、言われるまで新婚旅行というイベントのことなど、すっかり忘れていた。――何なら今もまさか新婚旅行にまで行けるとは、と、ちょっと驚いているくらいなのである。
まあしかし、思うとこれは僥倖 だったのかもわからない。
僕はハワイに行ったことはないが、いわく日本人でも過ごしやすい良いところだと聞く。…つまり(新婚)旅行先がハワイだということになんら不満はない。
――というか僕はもはや、ハルヒさんと旅行に行けるのならばどこだって構わない、彼と旅行できるというだけで十二分に幸福なことだとさえ思うのだ。…それはその美しい顔を見ただけで、多くの人が有名なシンガーソングライター・ChiHaRuだと認識するような、そうした有名な芸能人のハルヒさんと旅行するともなると、それもなかなか容易なことではないから――本来なら諦めるべきことだから――である。
……ただ、だからこそ…と僕はうつむく。僕の胸中に不安の雲がもくもくと生まれてゆく。
「……、…」
――騒ぎに、なってしまわないだろうか……?
世界でも活躍するかなり有名な歌手のハルヒさん、それも今日ファンへ向けて結婚報告をしたばかりでは、一週間後といってもまだまだ世の中の注目度が高いなかでの新婚旅行になるはず…――つけくわえ(引きこもりの)僕とじいやを除き、他の四名もそれなりに世間に露出のある著名人なので、その顔揃いが一斉にハワイへ、ともなると――空港はもとより、(日本人の観光客も多くいるだろう)現地でさえも、あるいはちょっとした騒ぎになりかねないような気もするのだが……。
「まあだいじょうぶでしょ…?」とハルヒさんが気楽な感じでいう。
「タケじい、プライベートジェット持ってるしぃ…――ハワイ好きだから、現地にプライベートビーチ付きの別荘も持ってるし……?」
「……、…」
え、…僕は驚きながらハルヒさんを見た。彼は「ん?」と事もなげな笑顔を僕に向けてかたむける。
……僕はぼう然としながら口の中でくり返す。
「プライベート、ジェット……、プライベート、ビーチ……」
とんでもねぇなおい……。
いや僕だってこれでも金持ちのボンボンではあるが、そんなリッチも極まれりな単語は漫画やアニメくらいでしか聞いたことがない。
……いや知ってはいたが、やっぱりロクライさんもとんでも金持ちである……って、こんな富豪たらしめる豪邸に引っ越しておいて今さらではあるが――およそ共同購入だろうが、だとしてもこんな豪邸を建てられている時点で、プライベートジェットだのハワイにプライベートビーチ付き別荘だのを所有している、なんて事実には思うと意外性はそれほどない――。
ここでロクライさんが僕の困惑を豪快に笑い飛ばす。
「まああんなのはワシの一 個 の 庭 みたいなもんで、ちいっちゃいもんだがのぉ! ガッハッハッハッ!」
「……うへぁ…とんでもねぇ金持ち発言だな……」
僕はしかし思わずそうひとりごちた。――ハワイにプライベートビーチ付きの別荘、それを「一個の庭」だってよおいおい、…
……そんなのは少女漫画の(イケメン)御曹司が言うようなセリフである。が、それをまさかリアルで聞く日が来ようとはな……。
しかし、ロクライさんの対面で静々と上品に食事をしていた祖父――今夜はねずみ色の着流しを着ている――が、彼を上目遣いに見やってニヤリ。
「おやおやお前さま、あれを〝ちいっちゃい〟だなんておよしよ。…もとはホテルだったのを改築したようなのを、謙遜にしたって〝ちいっちゃい〟だなんて言ったら、知らないウエはがっかりしちまうよ」
するとロクライさんは「いやいやフツ!」と大声で笑いながら、祖父に向かってこう言う。
「こらぁサ プ ラ イ ズ っちゅーやつじゃよ!」
「……、…」
え、サプライズ……? と僕は我が耳を疑った。
え、え、でも今、ま さ に 今 ネ タ ば ら し さ れ て ……?
しかし僕の困惑をよそに、ロクライさんは僕を見、少し赤らんだ満面の笑みでこう無邪気に聞いてくるのだった。
「なあーびっくりしたいだろう、ウエもっ? なあっ?」
「…ぇ、…ぁ、…ぅ、うん……」
僕は困惑しながらもコクコクとうなずいて見せる。
いやだが、…残念なことに今 そ の サ プ ラ イ ズ は 破 綻 し た ば か り なのだが……そうだとしても僕は、きっとそのロクライさん有する「ちいっちゃい 別荘」に着いたなら、ロクライさんに『どうだ、どうだ、すごいだろ、喜んでくれたか?』なんてwktk 顔で見られるのだろうから、…すると演技でもなんでも、びっくり仰天しながら喜ばないといけないんだろうな……?
「……はぁ……」
僕の肩を今重たく下げたのは謎の……いや、…孫 の プレッシャーである……。
……僕は黙々とパエリアを食べ進める。…とここで隣の母が、僕たちへ顔を向けた気配がある。
「ところで…ウエちゃんとシタちゃんは、結婚式をなさらないの?」
「……、…」
目を伏せてパエリアをもぐもぐとしながら、僕はふとこう考える。
――それは…考えてみたこともなかった、と。
そもそも僕はハルヒさんとの恋愛をなかば諦めてきたのだ。…憧れはあったが、彼と何をしたいだとか、そういった具体的な理想はあまりなかった。
……たとえば恋人になりたいだとか結婚したいだとか、そういった関係性というところまではあったようにも思う。しかしそれだって漠然としていた。妄想のうちにもそうした関係性の設定があったかというと、それさえ「あった」とは断言できない。
ただ重ねていうようだが、「(彼の恋人や夫に)なりたい」という憧れまではきっとあった。
が……先にも思うとおり、その関係性になってからの具体的な理想、というものはこれまで思いえがいてこなかったのだ。
そして僕は昨日、ウワハルとシタハルとしての結婚式にあたる「婚姻の儀」の記憶を取り戻してはいるが、…いざこの地上でハルヒさんと僕として結婚式をする、と考えてみると、それは今はまだ白紙の状態である。
「……、…」
といって…――。
ハルヒさんが僕の肩をそっと抱き、耳もとでこう優しく尋ねてくる。
「ハヅキは…結婚式、やりたい…?」
「…………」
僕は……――。
「――……、…」
……やりたく、…ない。
結婚式だなんて――それが大勢にしろ少人数にしろ、僕は誰かの前で自分がひとりの主役として在る状況を――複数人の目が自分とハルヒさんとに集中する状況を――ふとかすかにでも思い浮かべると、どうしても怖くなってしまった。
それどころか、じゃあせめて記念写真だけでも、なんて言い出されるのをすらも恐れている。…自分の姿が映し出された写真を見るのが嫌なのだ。ともすればそれを部屋に飾られることをも、僕は恐れている。
「…そっか…、わかった……」
ハルヒさんが少しがっかりしたように、しかし僕を気づかって笑いながらそう言う。…ふと顔を向けた先、彼は寂しそうに微笑んでいた。
「ハヅキが嫌なら俺、結婚式も写真も要らない。…君が側にいてくれれば、それだけでいいから」
「……、すみません……でも、ハルヒさんは……」
望んでいる、ような気がした。
結婚式……少なくとも記念写真――僕はハルヒさんのためなら、この自分の恐れさえなんとか抑え込んで、それらに挑んでもいい。彼のためならば僕は頑張れる。
しかしハルヒさんは「ううん」と、にっこり僕に微笑みかける。
「いいの。嫌なことは、嫌でいいんだよ…?」
「……、…」
僕は、…ふとうつむいた。
「あら、結婚式はなさらないのね…」――母が少し残念がってそう言った。
「…けれど、それもあなたたちの選択ですわね。…そもそもそういったことは、誰かに言われてやるようなことじゃありませんもの。――おじいちゃんたちだってもう今さらだと、そんな格式ばったことは今もって自分たちには必要がないと、やらないことにしたそうですから」
母はそう慰めるような――僕の恐怖を見透かし、それを認めて許してくれるような――やわらかい声で言いながら、僕の肩をするりと撫でた。
「……、…」
ただ…僕は、――僕の中には、まだ迷いがあった。
本当にいいのか? 本当に結婚式をやらなくていいのか? せめて記念写真だけでも撮らなくていいのか? 正直僕はそれらに対して恐れを感じてはいるし、やらなくて済むのならそのほうがもちろん安心はできる。
だがハルヒさんはきっとそれを望んでいる。
それらはこの結婚において、この地上でも結婚できたふたりにとって一度きりのこと、ふたりの結婚をより意義深いものにする大切なイベント、それらをきちんと記念としてやっておきたい、記念に残しておきたいという愛するひとのその望みを叶えないままで、自分が恐ろしいからと逃げて、それを許されたからとその「許し」に甘えて…――それで僕はのちのちになって、本当に後悔しないのだろうか?
「…………」
「……、別に結婚式とかはさ、」と言いながらハルヒさんが、テーブルのふちに着いた僕の、スプーンを握る左手の手首をそっとつかむ。
「結婚してすぐにやんなきゃだめ、って決まりなんかないでしょ。…たとえば一年後でも二年後でも、…十年後でも…やりたいって思ったときにやってもいいと思うんだよね、俺、…そういうのはいつでもできるもんだと思う…――だから、…焦って今すぐに答え出さなくていいよ、ハヅキ。…とりあえず今は脇に置いとこ。」
「……すみません…」
「ううん、謝ることじゃないよ。…でも俺、ほんとうにやってもやらなくてもどっちでもいいから」
「…………」
それはハルヒさんの愛情ゆえの優しさなのだと、僕はわかっていた。…完全なる嘘ではないのだろうが、といって、恐がっている僕に合わせてくれていることもまた事実なのだろう――。
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