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「ぁは、ハルヒさん、…あはは、…すみません、お、起こしちゃいました…っ?」  僕は慌てて自室のベッドを背に、出入り口に立っているハルヒさんへごまかし笑いを浮かべて見せた。僕の後ろ手には先ほど取りだしたばかりのバイブが握られている。  ……彼はというと、開いたこの部屋の扉のドアノブを掴んだまま、その扉からなかば上半身を室内に差しこむようにして僕をいぶかしげに眺めているが――ほとんど暗闇だった寝室からさらに、足もとの弱い照明こそあれども薄暗い廊下を通ってここまで来たせいか、僕の自室に灯っている照明の明かりがにわかなものだったらしく、その寝ぼけ眼を多少まぶしそうに細めたり、パチパチとつむったりしながら、 「……ううん…今ふっと起きたら、ハヅキが隣にいなくて…寂しくなっちゃって…――だいじょうぶハヅキ、寝れないの……?」  と、心配そうな面持ちでおもむろに僕のほうへ歩いてくる。…僕は――「寂しくなっちゃって」ってかわいすぎ、なんて内心キュンとしつつ――すかさずこうした嘘をつきながら、 「ぁそ、そうなんですよ、僕、いつも十二時頃に寝ているものですから、まだ眠たくなくて、――だ、だからその、もうちょっと仕事でもしようかな、なんて……」  ……背にしているベッドの枕もと付近までさりげなく一歩、二歩、と横歩き――あたかもハルヒさんの座るべきスペースを空けている、というような「設定」で――それから、そっと背後のベッドに腰かけた。  背後の秘密裏では、腰の裏で握っていたバイブを右手に持ち替え、歩みよってくるハルヒさんを注視しながら、それをまくらの下に入れて隠す。…あとはこれをしばしのあいだ隠し通し、それから彼が退室したのちに改めてどうにかすればよいのである。  ……やがて僕のところまでたどり着いたハルヒさんは、鷹揚な動きで僕の隣に腰かけると、とろんとした眠たげな両目で僕の顔を眺めやりながら、 「…そうなの…?」  と…どこか心配そうな調子で言う。僕はごまかし笑いを浮かべたままコクコクとうなずく。 「そ、そうなんd…」 「オナニー、しようとしてたんじゃなくて…?」 「……、…」  ば、バレ、…僕はかあっと耳たぶから上へむけて燃えさかる熱を感じ、言葉を失ったまま――すなわち口を開けたまま――固まる。  ハルヒさんは僕の目を見つめ、少し申し訳なさそうに眉尻を下げる。 「ごめん…俺見るつもりはなかったんだけど…、今、ハヅキが背中にピンクのバイブみたいなの隠すの…見えたから……」 「……、…、…」  なるほど、と僕はいろんな恥ずかしさのあまりうつむく。  隠した意味なかったわ…、いや、思えば僕は先ほど「(出入り口側、つまりほぼ背後に)体を返しながら」背中にソレを隠してしまったのである。…要するに、本末転倒にも隠す行程で「見えて(バレて)」しまったのだろう。…我ながらなんというマヌケっぷりか……。  それからハルヒさんはやたらとあどけない感じの、心配そうなやさしい声でこう聞いてくる。 「…ハヅキ、むらむらしちゃった…? だから寝れないの……?」 「…ぇ、そ…それは、…その……」  そう…なんだ、が、…これでそうなんです、だなんてどうして言えたことだろう?  ……それはもちろん、他人には――たとえそれがどれほど親しい相手であろうとも――()()()()()()()()()を今からしようとしていた、とハルヒさんに見抜かれてしまった気恥ずかしさもあれど、何より僕がそれを肯定すれば、ハルヒさんには不要に気を遣わせてしまうような気がする――きっと僕が正直にそう言ったなら、優しい彼はそっか、じゃあえっちしよっか、なんて僕を抱こうとしてくれるような気はするのだが、僕としては疲れているのだろう彼にはもう休んでほしいのである――。  ……しかし、だとしてもハルヒさんにはもう見抜かれてしまっている。…肯定はしたくないが、かといって否定するのも得策とはいえない。  ということで僕はうつむいたまま、黒いパジャマのズボンの両膝をつかみ、へらへらと笑ってハルヒさんにこう勧めた。 「…あの…何にしても僕は大丈夫ですから…、僕のことは何もお気になさらず、どうぞ先に休んでください…――もう少ししたら僕も、寝室に戻って休むつもりですから……」  しかしハルヒさんは、落ち込んでいるような声でこう言うのである。 「……、つまり俺…君の邪魔ってこと…?」 「…っえ、いや、そういう意味じゃ、」――僕は彼を見ないままだが、すぐさまそれを否定した。  それでもハルヒさんの不安は晴れず、彼はしゅんとした調子で僕にこう聞いてくる。 「…ハヅキは…オナニーのが、いいの…? 俺とえっち、するより……」 「……、…そ…」  それに関しての言及には、さすがに僕の声もひそひそと小さくなってゆく。 「そういうわけじゃ…、そうじゃなくて…ただ…、ただその、ハルヒさん、疲れているようだったから…――さっきもすごく眠たそうでしたし、無理はさせたくなくて、ですね…、……」 「じゃあ…、要はぁ…ハヅキ、」  と言いながらハルヒさんの唇が僕の耳に寄ってきた。そして彼は嬉しそうなささやき声でこう聞いてくる。 「さっきは遠慮してた、だけ…? 俺に…」 「……、…」  まあ要はそうだ、と僕はコクコクとうつむいたまま頷く。  ただ、今間近にあるハルヒさんの顔は見られない。そもそもこの至近距離に彼の美しい顔があるというだけで、ドキドキと緊張やらときめきやらで胸が騒がしくなってしまっているのだ。  ……ハルヒさんは僕の肩を抱き寄せながら「そっかぁ…」と僕の耳もとで、安堵したようなやわらかい声で言う。――僕はそれを拒むのではないが、あまり寄りかからないようにと背筋に力を込めつつ、彼の唇からも距離を取るように伏せたままの顔を斜め下へ向ける。  ハルヒさんはそうした僕を許し、それ以上は迫らず、先ほどより幾分も明るくなったささやき声でこう言う。 「……あのね俺、でもさっきはほんとうに眠たくも、疲れてもなかったよ……? これでも体力自慢な男神なので。へへ…」 「……? でも、さっきハルヒさん……」  あんなに眠たそうな顔をして…――ましてや見たところ、本当に寝ていたような気もするのだが。  僕は、またこうして彼が気を遣ってくれているのではないかと推測していたが、…ハルヒさんは僕の耳の上あたりにこつん、と額をくっつけてきた。 「ふふ…、俺、眠たそうに見えたぁ…? 別に、さっきはハヅキに見惚れてただけなのになぁ……」 「……、…」  僕の頬のあたりのうぶ毛がそわわ…と甘くさざめく。――ハルヒさんは僕の耳もと、冗談めかした優しい笑みを含ませた、あたたかく甘い声でこう続ける。 「…俺がタレ目なせいかなぁ…? ぁでも…見惚れてた〝だけ〟じゃないや…――俺さっきハヅキに見惚れながら…、いまからこんなに綺麗な俺の旦那さんを抱けるんだぁって、幸せなきもちでむらむらしてたの…――でも、ぐ〜〜〜…って。…そのむらむらを我慢もしてた。」 「……、それは…どうして…?」  と聞いた僕まで何かしっとりとした小声になっている。ハルヒさんはちゅ、と僕のほお骨あたりにキスをしてから、こうやさしい声で答える。 「ハヅキにも…俺のこと求めてほしかったの…。あのときはね…? ハヅキが俺にちゅーしてくれないかなーとか、俺に抱きついてくれないかなーとか…――とにかく君のほうから、なんか〝えっちしよう〟って言葉とかアクションとか、何でもいいからそういうのしてほしかったんだ……」 「……、そう…だったんですね…、……」  ……僕ははたと、少し驚いている。どうやら勘違いをしていたようだ。  あのとき――つまり先ほど寝室に行ってすぐの、沈黙のなかで見つめあい、微笑みあっていたあの瞬間――物言わないなかでハルヒさんが僕に求めてきていたものとは、僕の『眠いのに無理をしてえっちしなくていいよ、寝ていいよ』というような遠慮がちな気遣いなどではなく、…かえって能動的、官能的な、僕からのそれらしい意思表示的なアクション、だったようだ。  ……いや、そもそもとして僕はハルヒさんの「とろんとした真顔」を、「眠たそうな顔」というふうに捉えていたが――それだから日本人的に空気を読んだつもりで、彼にはきっとそうした気遣いを求められている、だなんて思いこんでいたわけだが――、どうもそこから勘違いをしていたらしい。  ハルヒさんのあの表情は、間違っても眠たそうな顔ではなく…いうなれば「うっとりとした色っぽい顔」の一種だったのか…――。 「……、…、…」  いや、これまで何度か見てきたハルヒさんの欲情の顔とはちょっと違った――僕が知っていた彼のその顔には、うっとりとした恍惚の中にもある種の鋭さのようなものがあったが、今度のはとにかくぼーっとした感じの――ものだったので、…というのは言い訳である。  僕、もしや(自覚していなかったが)わりに鈍感なほうなんだろうか? すると僕はこれまでさんざん男性(キャラクター)の「色っぽい顔」だの「欲情した顔」だのを描いてきたプロのBL漫画家だというのに――なんなら、そのあたりの表情の描きわけの評判もかなり良い漫画家だというのに…――、いざ現実の男性であるハルヒさんのそうした色っぽい表情を前にしたとき、そのうちに秘められた彼の色っぽい感情を読み取れなかった、…なんならそれを「眠たそうな顔」だなんぞと勘違いしてしまっていた、とは…いろんな意味で落ち込むやらハルヒさんに申し訳ないやら、である。 「わがままかもだけど……」とハルヒさんは僕の耳もと、遠慮がちなささやき声で言う。 「俺ね…今日俺ばっかり君を求めてたっていうか…、まあ正直、俺はハヅキのことめっちゃ求めてる、けど…――ハヅキにも自分を求められたいなって、そういう気分になっちゃったの、さっきは……」 「……、すみません……」  いや、それがわがままだなんてことはない。  思うとたしかに今日、僕はハルヒさんに何度も求めてもらった――が、自分から彼を求めたことはたったの一度もなかった。  しかし、僕が愛するハルヒさんに求められて幸せだったように、彼だって僕から求められる幸せを得たいと思うのは、当然わがままなどではない。 「……あ、あの僕……」 「……ん…?」 「……、…」  そりゃあ自分からハルヒさんを求める、というのは勇気を要することだ。――僕はここまでの三十数年リアルな色恋に関わり合いがなかったせいか、そうした場合の求め方の正解というのはわからない。  前にも思うとおり、あくまでもファンタジーであるBLの求め方というのがリアルで通用するのか、もっといえばハルヒさんに通用するのか否かというのは疑問である。――ましてや我ながら自己肯定感が低い僕は、実行の結果にネガティブな予測をばかりしてしまうので、怖じ気づいてはなおなかなか実際にアクションを起こしがたい、とも感じている。  だが、だからといってずっと受け身でいたい、ということでもないのだ。――今ハルヒさんからこの話を聞いた僕は、愛する彼が喜んでくれるのなら、怖じ気づいても勇気を出して自ら彼のことを求めてみよう、と決めている。…何なら、それこそあの時点で『僕のほうから求めてほしい』という彼の望みさえわかっていれば、不慣れなりにも僕は努めてそういったアクションを自ら起こしたことだろう。  ……僕は確かに悲観的で臆病ではあるが、あのときは自分から迫るのが嫌だったとかそうではなく、単純に例の勘違いをしていただけのことだったのである。 「…僕…その、これからは…――ぼ、僕からも…ハルヒさんのこと、求めるように、頑張ります…、……」  求めるよう努めは…する。 「はは…ほんと…? ありがとハヅキ…、ただ…」 「…いえ、…」  ――ただ、…は僕もなのだ。僕に求められたかった、に関してはひとまず解決としても、僕は一つ残っている疑問をハルヒさんに投げかける。 「ただ…、さっき本当に、寝てませんでした…?」  ……逆にそうであってほしい気持ちなかば、といって先ほどハルヒさんは本当に寝ていたような気もするのだが――疲れていなかった、眠くなかった、というわりに――。  するとハルヒさんは、 「うん…寝てたぁ。」  と驚くほど素直に即答した。そして彼は子どものような無邪気な明るい声でこう続ける。 「なんか…ハヅキがもう寝たいのかなぁっておもってたし、じゃあもう寝るしかないのかなーって…じつは拗ねてたんだけど、俺…――で、真っ暗な中で目ぇつむって、ちょろちょろ〜ってきもちぃい音聞いてたら…――俺…いつの間にか寝落ちしてたんだよね。途中までいつ襲ってやろうかって考えたのに、ほんとびっくり。」 「……、…、…」  うーん、あんなアホらしい勘違いをして、これでも反省している手前、ちょっと申し訳ないのだが………可愛い。と僕はつい目をつむり、眉を寄せ、内心(推しの可愛すぎる純粋さ、単純さに)もだえる。が、…表面上は冷静を装ってこう続ける。 「…そ、そう…それは、しょうがないですよね…。なるほど…――じゃあハルヒさんはその、僕の部屋で〝寝よう〟と言ったときはつまり、僕の〝お誘い〟を密かに待って…というか、まあちょっと悪い言い方をすれば、僕を試して…そう……」  言ったのか、と思ったが――彼は「ううん…?」 「…あれ…〝もう寝よう〟って言わない…? もうそろそろえっちしよって意味で……?」 「……、…」  …………言うわ。…言うわたしかに。  まあ慎みあるオブラート表現の部類には入ることだろうが、そもそもセックスをするすなわち「寝る」ともいうし――要するに「寝よう」イコール「寝室に行こう」イコール「(寝室に行って)えっちしよう」とは、思えばわりによく使われるお誘い表現である。  なんなら恋人やふうふ関係において、よっぽど「セックスしようぜ!」と身も蓋もない誘い方をするほうが稀であることだろうが、…僕というのはどうもその身も蓋もない言い方を基準にしていたらしい。馬鹿に額面通り受けとっていた。  すると僕のこの忸怩(じくじ)さえ伝わってきたのだろう、ハルヒさんがやさしくからかうように僕の耳もとで笑う。 「…はは…、そっかぁ…――じゃあハヅキには、もっとわかりやすく伝えないとだね……?」 「…い、いやそういうわけじゃ…、すみません、ほんとなんもわかってなくて……」  BL漫画ではそういったシーンだって数え切れないほど描いてきたというのに、僕はどうして現実、自分事ともなるとこうポンコツになってしまうのか、…  いや、しかし――なのである。 「…あのじゃあ…、でも…なんで、拗ねて……?」  いや、これはともすればひどい無神経発言と思われるかもしれないが、しかし、ハルヒさんには今のように僕の内面がつぶさに伝わるはずなのである。  すなわち、僕が先ほど本当はえっちしたい、が、眠そうなハルヒさんには無理をさせられないし、ここは僕が気を遣って彼には寝てもらおう、と思っていたことも、彼には伝わっていたんじゃないのだろうか? 「…ううん…」  ハルヒさんが横からぎゅーっと、僕の肩を縮めるように抱きしめてくる。 「…俺が〝寝よう〟って言ったときから、電気消すまで…君――心に〝蓋〟してたでしょ……?」 「……え…――?」  ――ふ、蓋……?

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