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――心に「蓋」をしていた?
だが僕はそれをした自覚などない。
いや、取り戻された「記憶」のなかでウワハルは心、すなわち本音に「蓋」をして、本来なら筒抜けになるシタハル相手にもそれを隠す、というようなことを巧みに行っていたのは、僕も知っている(いや、厳密には覚えている、というべきか)。
といって僕はそれをしていた自覚はない…――というよりか、そもそも心に「蓋」をするそのやり方など今はまだよくわかっていない。――どうも内に秘めた本音の周りにかぶせた「無心」こそが「蓋」となる、というイメージなのはまあ感覚的にはわかるのだが、といって今の僕はそれを使いこなせるわけでも、またさっきそれを試していたわけでもないのである。
ハルヒさんは僕の耳もとで「あぁ…」と何か思い当たったようである。
「…まだ心に〝蓋〟する感覚がはっきりわかってなくても…ハヅキの身には染みついてるんだと思うよ…? 身に染みついた感覚って、一番忘れないものだから…――ウワハルだって、今はもうわざわざ意識しなくても〝蓋〟できるようになってるし…、隠しておきたいって気持ちがあったんなら、さっきも無意識で〝蓋〟してたんじゃないかなぁ……」
そしてハルヒさんは「昨日もそうだったし。初えっちのとき、俺が騙されたの…君が知らず知らずのうちに〝蓋〟してたからだしさ…」と言い添える。
「……、…」
そう…なのか…。
しかしハルヒさんは僕を横から抱きしめたまま、こう落ち込んだような声で回顧する。
「……ただ…だから…、なんか、さっきは俺に知られたくない恥ずかしいことでも考えてるんだろうなって思ったし…、なんなら暗に、今日はもうえっちしたくないって…、ハヅキがもう寝たいのかなぁって…――でも正直、拒まれたみたいで悲しかったなぁ……」
「……、…」
恥ずかしいこと……まあ、そうか。
拒んでいたなんてとんでもないし、また心に「蓋」をしていた覚えもないが、といって、たしかに僕はある意味では「恥ずかしいこと」を考えてはいた。それもそれはたしかに、ハルヒさんには聞かれたくないことだった。――では「もう寝よっか」とハルヒさんに言われた次の瞬間に僕が考えていたこと、それは何なのか。
それは、当然これだけ時間が経っていれば、など理由をいくつか挙げた上で、したがってハルヒさんの欲情ももう治まってしまったんだろう、というような分析とその末の結論である。――そして、それがいくら不埒な下心を起因としたものじゃなかったにせよ(僕のあの思考は諦念からはじまった、自分を納得させるためのものであった)、そりゃあそれはハルヒさん本人には聞かれたくないことであった。
……当たり前だろう。いくら結婚していてある程度お互いに欲情を許されている仲とはいえど、相手のプライバシーのなかにある欲情について考えていた、というのがバレてしまえば、やはり何か失礼というか、ともすれば嫌な気持ちにさせてしまいかねないというか――まあ自分にも関わりがあるパートナーのそれを考える、とまでは無罪としても――少なくとも倫理的な観点からみて、それは自分の中にのみとどめ置くべきことである。
またその思考のあとも、僕は更に秘めておきたいこと――自分のプライバシーのなかにあること――について考えていた。
自分の欲情について、それからオナニーについてのことである。僕も欲情は落ち着きつつはあるが、またむらむらしたとてオナニーで発散するという方法もある、アダルトグッズは山ほど持っているし、何ならそれらを試してみたくないでもない――なんてことを考えていたのだ。
言うまでもなく、それらは確かにハルヒさんには秘めておきたいことだった。
ましてやそのあとに関しても――リリカに関する話題のときはともかくとしても――、思い返すと事実、僕はハルヒさんに本音を覚 られるのを多少避けたい気持ちがあったとはいえることだろう。
……もちろん僕の本音とは『えっちしたい』というのではあるが、もっというと『えっちはしたいが、ハルヒさんに無理はさせられない』というのだった。さらに僕は彼に首筋に口づけられたとき、もしや…というあわい期待をいだいたが、叶えられないだろう、いや、彼のためにも叶えられてはならないその期待を押し殺し、電気を消しに立った。
それは今整理している僕にもそう思えるとおり、僕はその自分の期待や『えっちしたい、でも、無理をしてほしくもない』という本心やをハルヒさんに覚られることを、遠回しの要求、おねだり、僕は貴方のためを想って遠慮はしているが、僕の願いを察して無理をしてでも貴方のほうから自分を抱いて、と不本意にも浅ましく示しているかのような――純然たる自分の思いやりを、自分のわがままな要求で穢 してしまうかのような――、そういった卑劣なイメージをもって捉えていたために、あのときの僕も思考外の無意識裡 に、それらを隠そうとはしていたのかもしれない。
「しかも君が布団入ったときも、やっと〝蓋〟取ってくれたと思ったら…」とハルヒさんは言いながら、僕の肩の上に顎をのせてくる。
「たしか…今日のこと思い返してたみたいだったから、あーほんとにこのままハヅキ寝るんだって…――まあ俺、そのあたりで記憶が…、多分そこらへんで寝落ちしちゃってるんだけど……」
「……、…、…」
何 が 、とは言わないでおくが、よかった、と安心している僕である(僕の熱くなった顔ばかりはおよそその「何が」をある意味で物語ってはいるが)。
……ハルヒさんは「それで…」と反省しているような、しゅん…とした調子で言う。
「ハヅキとえっちしたいの、やっぱ俺だけなんだって――拗ねて…ふて寝したみたいになっちゃった…、ごめんね…」
「……いや僕…僕こそすみません、本当に…、〝蓋〟に関しても無意識でしたし……」
まあいずれにしても、だ。どうも僕は本当に無意識のうち、その「蓋」とやらを本心にかぶせてしまっていたらしい。――そうじゃなきゃこうしたすれ違いも起こらなかったことだろうに。
するとハルヒさんは「ふふ…」と僕の頬をそのやさしい含み笑いで撫で、「だいじょうぶ」と言いながら、ぎゅーっと僕のことを横から抱きしめてくれる。
「ありがと。…でも優しいハヅキらしいね…――俺、なんにも言わずに拗ねちゃってほんとにごめんね、ハヅキ…」
「いやほんと僕…」
「ふふ…ううん。いいの、俺が悪いんだ。…」とハルヒさんはやさしく笑い、僕の頬をその長い指でする…すると撫でてくれる。
「ハヅキは優しい気持ちで、俺に気を遣ってくれてただけだったんだね。…なのに俺、君の気持ちも知らないで勝手に拗ねちゃった、ほんとごめん。――あでもね、君が今考えてた感じ、なんかすごいウワハルっぽいなーって思った。…高潔な感じというか…、自分の清らかな優しい心を、自分の浅ましい欲望で穢すだなんて堪 えられないとか、ほんとウエって感じだよね…――やっぱり順調に、戻 っ て ってるんだねぇ」
「……、…」
それはどうなんだか…やはり自覚はないが。
なるほど、まあただ、いずれにしても僕がその「蓋」とやらを意識的に使いこなせるようにならなければ、こうしたすれ違いも起こりやすくなるわけである。――いや、今からそれを使いこなせるように努力する…というよりかは、もっとウワハルとしての自分を取り戻せばそれで済む話なのかもしれないが。
さて、ここまでのまとめ的僕の推察とは…――。
「……っ?♡」
僕はピク、と肩を跳ねさせた。
ハルヒさんの熱いぬるついた舌が、僕の首筋を下からつー…と舐め上げてきたために、思考が途切れてしまった。
「……? だって…ハヅキも俺とえっち、したいんでしょ…?」
「……、…、…」
まあ、そりゃえっちはしたい、ですが、…
……といって僕は結論までいかないとすっきりしない性分なのである。――えぇと、だから、…
「つ、つまりハルヒさんは、僕を誘ってくれていた、…というか…――その…えっちはするつもり、だったんですよね…? 布団に入ったら寝てしまったものの……?」
「うんうん…気が付いたら寝ちゃってた。」
「……はは…、……」
かわい、…いや、なるほど…――とすると、そりゃあ拗ねもする。
まずそもそもとしてハルヒさんは「寝よっか?」イコール「えっちしよっか?」と僕を誘ってくれていた。…つまりハルヒさんからしてみればその誘い文句にもみるように、僕とえっちする気満々だったわけである。
ところが僕は彼のそのセリフを額面通り受けとってしまった――要はえっちを拒まれた、と真逆の意味に捉えてしまった――ばかりか、その時点から無意識のうちに心に「蓋」をしてしまっていたので、彼に僕の期待をふくめた本心は伝わっていなかった。
そしてハルヒさんの本当の望みにも、例の思い込みに近い勘違い(と持ち前の鈍感さ)から気が付かず、僕はあくまでも寝るという方向に進める言動を取ってしまったわけだ。
しかし――すると僕は表面的に見て、かなり思わせぶりなことをしてしまったんじゃないだろうか?
……というのも僕はあのとき、ハルヒさんの手を取って一緒にベッドに乗りあがった。――僕のそれの動機としては、かえって『もう寝ましょう(眠いのに無理してえっちする必要はありませんよ)』という彼への気遣いではあったのだが、…えっちする気満々だった(かつ僕からのアプローチを期待していた)ハルヒさんの視点から見ると、僕のその行為は逆に『ほら、早くベッドでえっちしましょ…? 抱いて…♡』というのに見えなくもなかったことだろう。
「そうそう! ほんとそう! それ!」
「……、…」
やっぱり…と苦笑する僕である。――で、しかし僕がふたりでベッドに上がったなり何を言ったかといえばそう、「おやすみなさい」である。
……ハルヒさんからしてみれば、はじめから――何なら今朝から――僕は彼とえっちする、という約束を何度か取り交わしていたし、彼本人もそのつもりであったというのに、ではやっといざ、というタイミングで誘ったかのように見せかけて「おやすみなさい」なんて寝ようとしている(ように見える態度の)僕、…そりゃあ拗ねる……。
しかも推察するところ(すでに拗ねかけた無言のうちにも)『え、やだよ寝たくないよ、だってえっちするって言ったじゃん』と首筋にキスをしてみても電気を消しに逃げ、「電気消しますね、今日はありがとう、お疲れさま、おやすみなさい」なんて言いながらすっかり寝る雰囲気を作りだしていた僕、……そりゃあ……拗ねる………。
「…すみません本当に……、ただハルヒさんの顔がその、どうも眠たげに見えたもので…――迷惑をかけたくなくて……」
と僕は萎縮し、うつむいたまま反省しつつも、弁明する。
するとハルヒさんはやさしくこう答える。
「…うん…、ありがとね…? でも…」
「…はい…」
……ふと見ると、ハルヒさんが少し顔を離してむっとしながら、愛らしい切ない上目遣いで僕を見る。
「…迷惑なんかじゃないよ、全然。…それに俺、君の首にちゅーしてるのに…? 本気で眠たくて寝たい奴が、そんなことするわけなくない…?」
「……、…」
それは…(まあ気を遣ってだのと偏屈になればいろいろ理由をこじつけられなくもないが、)言われてみれば、そうである。
……そしてハルヒさんは眉尻を下げ、ふっと仕方なさそうに笑った。
「はは…ね…、無理はしなくていいんだけど……あのねハヅキ…俺にはわがまま言ってもいいんだよ…? 特にえっちに関しては迷惑どころか、むしろ大好きな君からも求めてもらいたいくらいだし、なんならほぼほぼ断ることもないと思う…――だって俺たちの場合、疲れてるならなおえっちで〝補給〟しなきゃでしょ…? だから……」
「……、…でも…その、」
……それは何となく、申し訳ない気持ちになってしまう。と僕は顔とともに目も伏せる。
迷惑なんじゃないかとか、僕に誘われてもそそられないんじゃないかとか、…何ならそもそも僕は性欲が強いほうだし、その自分の強い性欲のままハルヒさんを求めてしまうことは、――いくら優しい彼に許されたとしても、自分の倫理感から――はばかられる。
もちろん僕たちにはセックスをするにおいて「大義名分」がある。いわく「鍵」がそれに関与しているとのことだから、ある程度は欲求のままその行為を求めてもいいのかもしれない。が――やっぱり鬱陶しいと思われてしまいそうで怖いのもあるし、自分から求めるにしても、それなりにセーブして……。
とここで、いつの間にか僕の耳もとに唇を寄せてきていたハルヒさんが「へぇー…?」
「…ハヅキ…性欲、強いんだ…?」
「……っ♡ …」
耳もとで、…というか僕、何でか今は「蓋」してなかったんだな、…自分のマヌケさに驚いた。
「…ね…どれくらい、強いの……?」
「…ぇ、…だから…その、…わ、わからないですが、…毎日…――して、しまうくらい……」
僕はうつむかせた顔をかーーっと熱くしながらも、おずおずと答える。
いや、実は多ければ日に三、四度…――我ながら性的なものに対する関心が強く、また端的にいったらエロというものが観るのも「する」のも好きなので…――って、これもまたおそらくつつ抜けなのであろう。
「…ふぅん…、ハヅキ…こんなに可愛くて綺麗な顔してるのに、そんなに毎日オナニーしてたの…? ――俺、すごくそそられちゃうんだけど……」
「……、…、…」
僕は恥ずかしいやらぞくぞく、またむらむらしてくるやらで、耳や頬の内側に燃えさかる炎がそこらへんの皮膚を炙っているのを感じながら、やはりうつむいてじっといる。
……しかしハルヒさんは「でもぉ…」と、妖しい笑みを含ませた声でこう囁いてくる。
「これからは俺の許可なく、勝手にオナニーしちゃだめ…。ふふ……」
「……っえ、…そ、それは、…でも、その、…」
どうして、…と僕はドキドキしながら――正直まんざらでもない要求、いや命令にときめきながら――困惑する。が、ハルヒさんは僕の片胸をパジャマ越しに撫でまわしてきながら、妖しい声でこうつづける。
「…オナニーじゃ〝鍵〟にならないってパパも言ってたでしょ……? それに俺、ハヅキといっぱいえっちしたいだもん…――あと、俺以外の誰かにむらむらされるのも嫌だしぃ…――何よりそんなにオナニーされちゃったら、俺に対してむらむらできないかもしんないでしょ…? それはやなの。ね、ハヅキ…♡ お願い♡」
「……、…、…」
うーー、そんな甘えん坊な「お願い♡」にはうなずいてしまいそうだ。が、…駄目だ。
「あの…でも…、漫画のためでもあるんです、だから……」
「でもハヅキ、描いてるのBLでしょ…? 要は男同士のえっちでしょ…――そしたら俺、うってつけじゃない…? ハヅキがやりたいこと…、経験してみたいこと…、俺ならなーんでも付き合ってあげるのになぁ……」
「……、…」
……ここで僕の中にふっとある誘惑が生まれてしまった。
おっしゃるとおり、僕の職業はBL漫画家なのである。――つまり男性同士の恋愛をえがいている以上、エロシーンにおいても男性同士のものとなる。
そして僕はこれまで(趣味と実益を兼ねた)オナニーから得たインスピレーション、および快感を漫画に活かしてきた。――それはまず攻め×受けの設定を決めたのち、まず攻め視点の妄想をオナホをもって、それから次に受け視点の妄想をディルドおよびバイブをもって、…そしてそのシチュエーションでの妄想をオカズに……といった具合に。
……というのも、それは僕があくまでもひとりであればこそ、致し方なく同じシーンを二度、攻めと受けとに分かれて演じ分け、そうして両側面からの視点を観察し、インスピレーションを得てきたわけである。
だが、可能なんだろうか…?
元より言を俟たずしてハルヒさんは男性である。僕も(膣を有してはいるが)男である。
つまり僕と彼とはいうなれば「攻めと受け」になり得る。ただし、おそらくハルヒさんは僕に攻めをやらせてくれる気はないだろうし、すると攻め視点の情報がこれまでより不足する可能性もあってかつまた、これはかなり試験的なものとはなることだろうが――それでもこれでハルヒさんが攻めの役を、僕が受けの役をやって上手くいけば、あるいは一度で済むかもしれないばかりか、…オナニー、すなわちひとり二役だったときのそれより、生身のセックスともあれば得られる感覚(快感)がよりリアルなものとなるのはもちろん、体位やセリフや表情やにおいても、もっと高精度のインスピレーションを得られるのでは……?
ただ問題は、ハルヒさんがどこまで僕の考えついた設定を理解し、どこまでその設定に忠実にそのキャラクターを演じられるか、である。
するとハルヒさんが僕の耳もとで「ふふ…」と意味深に笑う。
「…俺、実はそういうの得意なんだよね…。だって…ウワハルも人間の子たちに作品のインスピレーション降ろすために、俺に同じことさせてたもん…――何なら俺たち、一応芸能の神だし……?」
「……、…」
マジか…――とすると僕になる前から(まあある意味ではやっぱり)天上春命 は腐 女 子 の 神 、だったと……?
……いや、ならばじゃあ物は試しに…――。
「あのー…じゃあ…試して…、実は今、まだネームが描けていない作品が一本あって…――。」
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