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 ――ザァァーー……。 「……、…」  テラスから室内へ入ってすぐの、ハワイのカフェのようなおしゃれな談話室、その部屋の閉め切られたガラス戸の外には今、激しい雨が降っている。  あれほどよく晴れていた空には今、灰色ににごった雲がその満天にひろがり、その暗雲は銀の糸と見えるほどのはげしい雨を降らせて…――そして、太陽を覆いかくしてしまったその雲に薄暗くなっている浜辺は、その海は今や、寒々と色あせてしまっている。  僕は今、この談話室のガラス戸近くのソファに腰かけ、隣に座って小さくなっている母の顔を、心配しながらのぞき込んでいる。  ちなみにこの談話室には僕と彼女しかいない。  それは自然のなりゆきでのことである。…つまりここには祖父、ロクライさん、じいや(だけはちょっと事情が違うが)、ハルヒさん、コトノハさんはいない――喧嘩相手のコトノハさんは無論のこと、…(ノンデリの)ロクライさんも論外、…祖父は「どうしたんじゃどうしたんじゃ」と騒いでいた(余計に事を大きくしかねない)ロクライさん()の回収(お()り)で自然と、…ハルヒさん(シタちゃん)は「(いてもいいけれど、)わたくしが子どもたちをひとり占めするのはズルいわ、あなたはパパのそばにいてあげてちょうだい(やっぱり愛想を尽かしきっているわけでもないらしい)」、…またそもそもじいやに関しては後片付けにも加えて、まあまずは気分の落ち着くあたたかい飲み物でも、と席を立っているだけ――。  ……ただ向こうは向こうで、この()()()()()()()()()()の理由やらなにやらを聞き出したりと、問題解決にむけて尽力していることだろうが――。  そして母は今紺色にピンクのハイビスカス柄のワンピース――いわゆる「ムームー」というハワイのドレス――のスカートの下で細い脚をそろえて、その脚をやや斜めにして座っているのだが、先ほどからずっとうつむきがちで、その白魚のようなほっそりとした手に握った水色のタオルハンカチで、涙に濡れている目の下あたりをこまめに拭いている。  といって、メイクがひどく崩れてしまっているなんてこともないのだが…――そもそも彼女は今日、明日の結婚式のために薄化粧しかしていなかった(お肌に余計な負担をかけたくないとのことな)ので…――。 「……、…」  母がすんっ…と少しだけ水っぽい鼻をすする。 「……、どうして、喧嘩しちゃったの……?」  ついさっきまであんなにラブラブだったというのに……僕が彼女の顔をのぞき込みながらそうやさしく尋ねると、母はうっ…とまた嗚咽(おえつ)に胸を詰まらせ、手にもっているタオルハンカチに目元を押し当てながら、うなだれる。 「この頃のわたくしが、…明日(あす)の結婚式に命をも懸けていたことを知っていて、…あのひとときたら、…」 「……、…」  あー…。この時点で僕は察する……どうやらこの夫婦喧嘩の原因は、まさかのコトノハさんの失言によるものであるらしい。――しかし、あれほど(母の)女心を掌握している言葉の神・天児屋根命(アメノコヤネノミコト)という神ともあろう彼が、それこそイケメンの上に心優しくめったなことじゃ怒らないような、パーフェクトというほどの()()()()()である彼が、…そんなことあるだろうか?  さらに母は大泣きするようなはげしい勢いでこう言う。 「あのひとは、…っわたくしの、…わたくしの〝女の夢〟を、無下(むげ)にするようなことをおっしゃったのよ…――っ!」 「……、……?」  お、女の夢……? と僕は若干眉間をくもらせる。  僕が男だからなのかなんなのか、それだけではいまひとつピンと来なかったからである。…それで僕は、――ただこれ以上母の神経を逆なでしないようにと慎重に、――できる限りの、もっと優しい上ずったような、甘えたような声色をつくり、更に尋ねる。 「と、…いうと……?」  しかし母は水色のハンカチを目もとに押しつけたまま、涙に濡れた声でこう愚痴を言う。 「わたくしの努力をちっともわかってくれていないんだわ、…ああして美味しくもないジュースをたくさん飲んでいたのだって、全ては明日のため、――ひいては明日、一番綺麗なわたくしをあのひとにお見せするため、…愛するあのひとのお隣で、一番綺麗なわたくしでいるためでしたのに……っ」 「……、…」  今感傷的に心がたかぶってしまっている母は、コトノハさんが「何を言ってしまったのか」を答えられるだけの余裕がないようである。――ほんと…一体何を言ってしまったんだ、コトノハさんは…?  まあしかし今のところ察するばかりでも、とにかく何かこう…――美意識の高い母のプライドを傷つけるようなことを、おそらくはなんら悪気なく(いや悪気がないどころか、ひょっとすると愛ゆえの親切心から)言ってしまったのだろうが。  といって彼が何を言ってしまったのか、それが明らかにされないことには、この結婚式前日にしてまさかのゲリラ豪雨的離婚の危機、その夫婦喧嘩の解決、そのほうに向かいたくとも向かいようがないわけであり…――だって母をなだめて事を丸くおさめようにも、気が立っているひと相手にてきとうなことは言えないじゃないか…――と僕が困っていたところ、マグカップを三つ持ったじいやが心配そうな顔をして、扉などのない横長にひらけたエントランスのほうからこの談話室に入ってくる。 「…失礼しますぞ…、……」  彼はちらりとうつむいている僕の隣の母を見やってから、僕と目を見合わせて、『どうですか…?』と問題解決の進捗(しんちょく)をその真摯な紅い瞳でうかがってくる。…僕は彼を見てふる、と小さく首を横に振った。  残念ながら進捗は(かんば)しくない、と。  じいやは『そうですか…』と浅くコクコクとうなずきながら、僕たちの対面のソファにそっと、その大きな体を座らせ…――「さあさあ、お紅茶を入れてまいりましたぞ」と、湯気の立ちのぼる紅茶のはいったマグカップを透明なガラスのローテーブルの上、それは僕と母の前、そして自分の前にも静かにコトリと置いた。  ……そしてよくよく見ると、じいやはその青空色に茶色いココナッツ柄のアロハシャツ――その半そでから下に見えている、太い毛だらけの腕にかけていたうす桃色の衣服、…それを母に「寒うございましょう」と差し出す。  どうもそれはカーディガンであったらしく――室内は冷房がかなり効いているし、今は雨降りともあって外気温も低いからだろう――、母は「ありがとう…」と落ち込んだ様子ながらそれを受け取り、うつむいたまま着始める。  僕はというと、援軍たるじいやが来てくれたことに安心感を覚えつつ――正直、どうもひとりではこの問題に立ち向かうに心細かったのだ――、とりあえず自分の前に置かれた赤いマグカップを手に取り、何気なくそれをひと口すすってみる…――が、 「ん、…なんかこれ酸っぱ、……?」  と思わず顔をしかめる。カップのなかの紅茶の色は、よく見ると――カップ自体が赤いためわかりにくいが――普通の紅茶よりもあざやかな赤と見える。しかもこれ、何か普通の紅茶の香りでもない。  オレンジっぽいシトラスの香りに、たとえばりんごやベリーっぽいような甘いフルーティーな、ローズヒップティーに近いような香りと味がする、というか…――とはいえしっかりとコクのある甘味もあるので、思うと甘酸っぱい感じだ(少なくともハルヒさん特製の「クエン酸ジュース」に比べれば、こんなの酸っぱいのうちにも入らない)。  ただ普通の紅茶と思って飲んでしまったので、ひと口目はその(甘)酸っぱさに驚いてしまったのである。 「ハイビスカスティーでございます。」とじいやがちょっと笑って教えてくれる。 「他にもザクロやオレンジピールなどがブレンドされているそうで、(いわ)く美容にも良いのだとか…――甘味はこちらも美容によろしい、はちみつでつけております。」 「ふぅん…、……だってママ。飲んだら?」  それなら今、どうも美容におけるところの何かで傷ついているらしい母にはうってつけの紅茶ではないか――さすがじいやである――、と僕は彼女に顔を向けてそれを勧めた。  しかし彼女は目もとにハンカチを押しつけたまま、すんすんと鼻を鳴らしながら、ふるふる…と顔を横に振る。 「だって、…どうせ無駄なんですもの、…」 「……え…無駄…? いや、そんなことはないと思うけど…――その…聞いてもいいかな……」  と僕は、…これはかなり落ち込んでいるぞ、と察して、あらためてこうやさしく聞いてみる。 「コトノハさん、一体ママに何を言ってしまったの…?」  すると思い出してまたつらくなってしまったのか、母は息を詰まらせながらこう答える。 「何をっ、て、…〝そんなにたくさん飲んだところでも、何も変わらないよ〟…っと、…」 「……、…」  僕は唇をぽかんと開けて、固まってしまった。  ………いやしかし、…そういえばさっきも母は「ああして美味しくもないジュースをたくさん飲んでいたのだって」と言及していたが、――なおその「美味しくもないジュース」とはほとんど間違いなく、ハルヒさんのあの「真っ赤なクエン酸ジュース」のことであろうが…(まさか彼の単なるいたずらが、この離婚の危機的夫婦喧嘩の原因になるとはな…)――、…まあ…たしかにママ、あんなに酸っぱいジュースを美容のためにと、およそ無理をして何杯もおかわりしていたか。  チラリと対面のじいやを見る。彼は母を見て困った顔をしていたが、ふと僕と目が合うと、またその紅いやさしげな瞳を母へ向ける。 「……しかし奥様…――それはひょっとすると、旦那様はこう仰言(おっしゃ)りたかったのではありますまいか…――〝そう酸味の強いジュースをたくさん飲まれずとも、貴女は元より十分お美しいのだから、どうぞもうご無理はなされるな〟と……」 「そ、そうだよママ、…ほんとそう、そうだと思う、僕も、…」  と僕はじいやのフォローに便乗する。  が、しかし、これはあながち単なる慰めの言葉とも言いきれない。――それこそ先ほど、食べすぎてドレスが入らなかったらどうしましょう、だなんて心配していた母に、「もともと貴女は細いのだから、入らないなんてことは起こり得ないよ」なんてさらっと言えてしまうコトノハさんである。  そもそも常日ごろからそんな感じのコトノハさんである。――すると、およそじいやのその読みは当たっていそうではないか。 「でもわたくし…っ」と母がハンカチを目もとに押しつけたまま腰を丸め、嗚咽しながらいう。 「…一度きりの結婚式で、努力もせずに後悔をするのだけは嫌なんですもの、――けれど夫に、…一番そう言われたくなかった方に、その努力を無駄だと言われてしまっては、…わたくし、もうどうしたらよいのかわかりませんわ、…」 「……、…」  いや、コトノハさんのそのセリフが「無駄」とまでの残酷な独断の意味を(はら)んでいたとは、僕にはとてもそうは思えないが、…まあ…といってもその気持ちはわからないでもない、か。  ……それこそこの頃の母は、彼女自身も言っていたとおり、明日の結婚式へ向けての努力を神経質なほど日がな一日積み重ねていた。――もともと細身のひとであるのにダイエットまでして、毎日運動、毎日夜十時には就寝して睡眠時間はたっぷりと、(甘いもの大好きなのに)おやつやデザートは我慢、毎日美容によいものばかりまずくても欠かさず摂取、毎日スキンケアも二時間もかけて念入りに、…なんて身をすり減らすようなほど、とにかく頑張っていたのだ。  もちろん今日の昼食だって油ものは極力控えめに、かつ付け合せのサラダやポキ(まぐろやサーモンなどのお刺身をサイコロ状に切り、にんにくや醤油などで味付けしたハワイ料理)など、積極的にヘルシーなものをばかり選択して食べていた。  ただコトノハさんだってさすがに、母の努力のその全てを「無駄」だなんて切り捨てたわけではないことだろうが、…といっても、努力しているひとには「無駄(努力したって何も変わらないよ)」というのが禁句であること――そう聞こえかねないセリフに傷つきやすくなっていること――は、それこそ必死に努力をしたことがある人なら共感に足ることではある。  母はうつむいてぐすぐすと泣きながら、こう言う。 「それに、夫には期待していてほしかったのに、…明日の一番に美しいわたくしを、…絶え間ない努力によって、満開に咲きほこる薔薇のように美しくなった、そのひとの花嫁であるわたくしを、…たとえ何千年の時を共にした夫婦であっても、…隣に並んだわたくしを、改めて美しいと誇りに思ってほしかったのに、――けれどあのひとはどうでもいいのだわ、――自分の隣に並んだわたくしが美しいかそうでないかなんて、ちっとも問題じゃないのね、…」 「…うーん…、……」  これが女心ってやつか……。  ……ましてや、彼女はこと美意識の高い女性なのである。それこそその繊細な美意識がこうじて、彼女は一流ファッションデザイナーになり、また自分が手がけているファッションブランド『AMAgasa Japan』の社長ともなった。――すると母は、あるいは他の女性たちよりも「美」というものへのこだわりが強いひとのはずなのだ。  まあ一度きりの結婚式はひときわ綺麗な自分で挑みたい、というのはひょっとすると、女性はみんなそうなのかもしれないが……とはいえ、そもそも母は『(日本の和を通して)世の女性にもっと自分らしい〝美〟を楽しんでほしい』という熱心な想いで仕事に精力的に取り組んでいるようなひとなのだし、…  すると今母本人は口にはしていなかったものの、ある意味で彼女の美しい花嫁姿は、世の女性たちのお手本、あるいは希望にもなるかもしれない、というか…――『AMAgasa Japan』の反物(たんもの)を惜しみなく使った(あるいはリサイクルした)ウェディングドレスは一時期大はやりしたほど、今もなお一定数の女性たちの憧れであるし、もちろん他のアイテムにおいてもいまだ根強い人気がある。その人気ブランドの社長の花嫁姿ともなれば、注目もされることだろうし…――。  つまり夫・コトノハさんへの想いだってもちろん本物で間違いはないことだろうが、のみならず、母はきっと自分が(自分の創り出した服飾品で)幸せにしてあげたい女性たちへの熱い想いも込めて、明日の結婚式の大成功にむけ、熱を入れてここまでの努力を惜しまなかったところもあるのだろう。  ……しかしそれを「努力したって無駄」だと切り捨てられた――と、よりにもよって、明日自分の一番近くに立つ夫・コトノハさんの言葉で感じ、傷ついてしまったと。  ただ…――。 「でも…ほらあれ、ものすごく酸っぱかったし……」  と僕は母の小さく跳ねている背中を撫でながら、フォローする。  いや、母の気持ちはわからないでもない。ましてやここまで一生懸命に努力をしていた姿も見てきていれば、僕は今彼女に同情的ではある。  ……しかし、なのである。  僕はその実、今コトノハさんにも同情的なのであった。  というのも…――。 「それこそほら、健康食品の裏にもよく書いてあるじゃん…――〝本品を多量摂取しても、その効果が高まることはありません。一日の摂取量を守って召しあがりください〟みたいなこと…――それにあのジュースものすごく酸っぱかったから…、逆にいっぱい飲みすぎても、体に悪いんじゃないかって……」  コトノハさんもそう思ったのではないか?  もちろん無闇やたらと多量摂取したところで、体が一日に(美容に効く)栄養素を吸収できる量に限界があるのもそうなのだが、…そもそもあのジュースは、その酸っぱさゆえに脂っこい料理とよく合うようなものだった。――それこそ口の中をさっぱりとさせてくれ、またその酸っぱさの元である酸が、消化を助けてくれるような爽快感もあったのだ。…なんなら今だって僕は、あのジュースのおかげか、それなりにお腹いっぱい食べたわり、それほどムカムカした感じがないのである。  しかし――ということは、である。  ……あの強烈な酸っぱさからしてもわかることだが、つまりあのジュースはやや強めの酸性だったはず――もっともあれだってレモン汁原液ではないので、せいぜい酸っぱさを売りにしているグミなどお菓子くらいの度数だろうとは推測されるものの――すると摂取も過ぎたら、逆に胃を傷めてしまう可能性だってあったことだろう。  また母は昼食のとき、僕たちよりも脂っこいお肉などを控えめにしていた。…つまり僕たちに比べて彼女の胃の中は、「脂」というある意味では「盾」となるものが少ない…――そうしたら逆に、 「奥様…、しかし、僭越ながら申し上げますと…逆に、」とじいやが、僕が考えていたこととまるきり同じ言葉をこう母にかける。 「旦那様も明日の結婚式を楽しみにされているからこそ、奥様のお体を(おもんばか)られて、そう仰言られたのではないかと……」 「……うん、そうそう……」  僕はコクコクとうなずいて同意する。と、じいやは一旦僕を見て「ええ」とコクリとうなずいてから、うつむいている母をまた真摯に見すえて、 「…と申しますのもあのジュース、ウエ様が仰言られた通り、かなり酸味が強かった…――するとお酢と同じで、そう多く摂取されては、胃を悪うしてしまう可能性がございましたでしょう…――すると…旦那様は明日、弾けんばかりのひと際お美しい妻の笑顔が見たいと…、愛する奥様の、そのお美しい笑顔を楽しみにされているからこそ……」  じいやはまっすぐに母を見すえたまま、その太い眉の端を心配そうに下げ、さらにこう気遣わしげな声で続ける。 「…折角のご夫妻の晴れ舞台……しかし体調不良によって、明日の奥様の笑顔が曇ってしまわれては…ご自分も、また何より、これまで血の滲むような努力をされてきた奥様も、きっと後悔されてしまうのではないかと…――むしろ、一点の曇りもなき素晴らしい結婚式にしたいと、旦那様も奥様と同じお気持ちであられたからこその…――そのお言葉であったのではないか。…と、恐れ多くも私めは、そう推察するところでありますが……」 「うん。ほんとそう…。じいやの言う通り、…そうだよママ…――コトノハさんは、逆に明日絶対後悔したくないからこそ、ママにそう言ったんだよ。…だって…コトノハさんだよ…? はは、…ママのことが世界で一番大好きな、コトノハさんだよ。」  僕は母にそう笑いかけた。  なおじいやの言葉を聞いているさなか、母は目もとに押し当てていたタオルハンカチを(もも)の上――紺色にピンクのハイビスカス柄の、そのスカートの上――で軽く握り、ただうつむいてはいたが、もう泣きやんではいた。――といっても、その泣いたあとの横顔は、やっぱりまだ落ち込んでいる感じだ。 「そうね…。けれど……」  と母はうつむき、その涙のしずくが宿った黒いそり返った長いまつ毛も伏せたまま、沈んだ小さな声で言う。 「わたくし、今はまだ…――ほんとうのところは、あのひとにしかわからない、と…――いいえ、あなたたちがおっしゃってくれたことを、その通りだと信じたいの…。信じたい、…それに、思ったらそうだったような気もする、わたくしがバカだったのかもしれない、気にしすぎていた…、こんな小さなことで大騒ぎをして、わたくしったらなんて恥ずかしいんでしょう…と、その気持ちはあるのよ…――それでも…それでもわたくし、今はまだ、何よりあのひとを信じられないんだわ……」  そして母はそっとつらそうに目をつむった。 「結婚式のため、結婚式のためと努力しているわたくしが、ほんとうは(わずら)わしかったんじゃないかしら…。それに…わたくしが小娘のように結婚式にはしゃいでいたのを、ほんとうはあのひと、恥ずかしく思ってらしたんじゃないかしら……」 「……、…」  これは今悲観的になっている母に、僕が言ってもしようがないことだが――これはコトノハさんが言うべきことであり、かえってそのひとが言わなければなんの意味も、また効果もないことなのだが…――はたから見ているに、彼はむしろそうして結婚式を無邪気に楽しみにしている母を、『いつまでたっても可愛い(ひと)だな』というような、「惚れた()」のやさしい目で見ていた…ような気がする、のだが。  ……とにかく、早く仲直りできたらいいんだけどな……。 「けれど、ありがとう…。少し元気が出ましたわ…」  と母は――そう言うわり、いまだ今にも泣き出しそうな顔をして――お礼を言いながら僕とじいやに頭を下げ、それから上品な所作で、やっとマグカップからひと口紅茶を飲んだ。 「……、…ほんとうにごめんなさいね…、みんなの楽しい旅行を、こんなことで台無しにしてしまって……」 「そんな、…全然大丈夫だよ。台無しになんかなってないし、――でもその、どうかな…仲直りは……」  できそう…? と僕は母に聞こうとしてしまったが、じいやが「ウエ様」と僕のそれを(いさ)める。  ふとじいやを見る。彼は僕を見て眉尻を下げ、しかしとても優しい表情をゆっくりと左右にふりながら、静かにこう語った。 「こうしたことは…歯(がゆ)くも、あとはお二方のお気持ち次第なのでございますぞ…――周りがせっついて、いざお話し合いとなられても…、奥様のお気持ちが追い付かれていないうちは、根本的な解決には至れないものでございまして…――ゆえに我々は、あとは信じ、見守るのみといたしましょうな…。」 「……、なる、ほど…、わかった…。……」  そう…か…――。  ……信じるのみ…――と僕はやはり多少不安ではあるものの…――目を伏せて紅茶を飲んでいる、母の落ち込んだ横顔を眺めて、信じよう、と心に決めたのだった。  きっと大丈夫だろう。…ママは今、『どうせ無駄なんだから』なんてヤケになって、飲むのをすら拒否していたその美容にいいという紅茶を、少しずつ飲めている――

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