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さて、タケミナカタのおじさんたちとの和解後は(僕たちが生まれていたというのもあって)丸くなってはいたものの――それ以前の若き頃のタケ爺というのは、あのように殺しさえもいとわない、ほとんど冷酷な暴勇な男神であった。
それこそ根っから左武 の男神であり――もっともそれは軍神という神格上、ある程度は無理からぬことではあったのだが――、かの国譲りを果たしたあともタケミカヅチそのひとは、「天上天下唯一の益荒男」という名誉を手に入れて多少は落ち着きを見せてもなお、(いや、だからこそかもしれないが、)その点においては頑固一徹、厳格な軍神であったそうだ。
そして、そうしたタケ爺のある種の武力主義は、僕とシタハルとが母・天 美津 玉照 比売 命 の胎内 にやどってから産まれいでるまでのあいだ、揺らぐことなく守られていたままであった、と母からは聞いている。
……それこそ母のお腹にやどっているのが男の双子ともあって、祖父たち(特にタケ爺)は、僕たちに今風でいうところのスパルタ教育をしようと――立派な益荒男、軍神の孫に恥じぬ男神、大胆不敵・勇猛果敢・獅子 奮迅 というような、古今無双の立派な男神に育てあげてやろうと――意気込んでいた。
……しかし母は猛反対していたらしいが。
母の話を再現するとこんな感じである。
母はタケ爺にそのような話を武勇伝とともに聞かされたとき、対面にどっしりとあぐらをかいて、太い腕を組んでいるタケ爺をキッと睨みつけた。大きくなったお腹に大切そうに片手をそえながら。
「僭越ながら…わたくしのお腹に宿ったこの子らは、あくまでもわたくしたちの子ですわ、お義父 さま。この子らをどのように育て上げるかというのは、いうなれば父母である、わたくしとあの方が決めること…――恐れ入りますけれど、いくらこの子らの祖父となるあなた方であろうと、そのような乱暴な教育は許しませんことよ。」
「ふんっ…」――タケ爺はしかめっ面で鼻を鳴らす。
「お主は女神ゆえにわからんのかもしれんがのぉテル、男神っちゅーんは、厳しさと悔しさの中で磨き抜かれてやっと、初めて立派な益荒男に…」
「いいえお言葉ですけれど。…わたくし、この子たちを益荒男になどするつもりはございませんの。」
としかし、母も負けず劣らずの険しい顔をしてそれを遮 る。――するとタケ爺は「何!?」と太い黒眉を寄せ、そして二つに割れた眉尻をつり上げたそうだが、…母というしたたかな女神はそれで臆したりなどしない。
「願わくば、わたくしの夫のように心優しき、優美な二柱の男神に育て上げとうございます。――間違ってもお義父さま方のような、何かにつけては一に武力二に暴力、…そのような粗暴な男神にはさせとうございませんわ。」
「っぬぁあぁにを申すかテルヒメええ!!」
と、それには瞬時に荒御魂 となったタケ爺が雷声をあげたのと同時、ビカビカッと室内にまで閃光がまたたき…――ドゴオォォ…ン!!
彼らのいた広々とした和室(タケ爺とフツ爺の自室)、その縁側の先の夜の日本庭園に雷が落ちた。…ふしゅー…と地面から煙が立ちのぼっている。
タケ爺があんまりにも頭にきて、思わず雷を落としてしまったのだそうだ。言うまでもなく彼は雷神でもあるのである。大変な「雷おやじ」だ。
なお、目上の存在に大声で怒られることをよく「(誰それの)雷が落ちる」というが、タケ爺の場合は実際の雷も落としてしまうため、いわばそれがダブルミーニングになる。
ところがやはり母はそれで怯えるだの、弱気になるだのというような女神ではない。それで泣くなどもっとないような女神である。
いや、たしかに彼女は他の女神とくらべても血気盛んなひとではあるが、往々にして女神というのは、身体的な性差から膂力 でこそ男神にはおよばすとも、だからといって男神相手に弱気になるようなことはほとんどない。
それはたとえ母の160センチにも満たない華奢 な体格に対する相手が、二メートル十センチの筋肉だるま的なタケ爺であろうが、である。――男神と女神はあくまでも対等なのだ。
それだから(売られた喧嘩を買った)母も荒御魂となって応戦した。
……母は目の前の、――勝色 という青みがかった暗い灰色の肌色となり、白目を黒く染め、銀髪をいみじくも怒髪 、天を衝 く状態となった、上下の白い鋭い犬歯を伸ばした鬼のような、それこそ「雷神さま」といわれてイメージされる鬼を、かなり猛々しくしたような荒御魂姿の――タケ爺相手に、
「ええい黙れえ!! 口出し無用じゃ!!」
と怒号を浴びせながら、恐ろしい速度の四つんばいでタケ爺に迫った母の荒御魂姿は、その長い黒髪が(シタハル同様)無数の黒蛇と変化し、またその顔は能 の般若 面そのものとなっており、――それも怒りのあまり、紅い焔 をまとった無数の黒蛇をタケ爺の身にからみつかせ――その裂けているというほどすさまじくつり上がった口角、その蛇のような鋭く長い牙を上下に生やした口もとの、その顎をカクカクと動かしながら、
「祖父の立場がなんだというのじゃ、恥を知るがよいわ建御雷神 ! 十月十日この腹で子を育て、そして腹を痛めて子らを産むのはこのわらわじゃ!」
と…とにかくめちゃくちゃキレ、…さらには面食らっているタケ爺の肩に尖った真っ赤な爪を突き立てながら、瞳同士が触れるのではないかという距離、血走った般若面の険しい目元で睨みつけたまま、ドスのきいた声でこう続ける。
「よく聞くがよい建御雷神 よ、万一にも貴様のその躾 とやらでわらわの愛し子らに怪我でもさせてみろ…! その時わらわは容赦なく、貴様のその身の同じところの肉を喰 い千切 り、肉はおろか貴様の骨をまで噛み砕いてやろう……!」
……そもそも母は怒りっぽいところのあるひとだが、こと愛する息子の僕たちのことともなると、こうしてすぐに牙を剥くような――愛情深い、僕たちからすれば頼もしく優しい母神、…しかし、その他の神からすればちょっと(過保護な)恐ろしい――女神なのである。
するとその鬼々 しい気迫に圧倒されたタケ爺は、すぐさま和御魂 ――いつもの姿――に戻り、
「そ、そこまでのことをせんでもよかろうが、…おいテルヒメ、子どもっちゅーんはのお、お主が思っとるより怪我なんぞしょっちゅうするもんなんじゃ、全く、…」
と内心はめちゃくちゃおろおろしつつ、しかし体裁を保つために渋面 のまま、彼は次にこう大声で宣言したらしい。
「っましてや、男神には時に厳しさっちゅーもんも必要なんじゃ! 痛い思いをして学び、育つ! 痛みっつーもんも学びのうちの一つよ! 可愛い可愛いだけで育てては、ひ弱な情けない男神になっちまうからのお、――いいかぁテルヒメ! お主らがどう育てようが勝手じゃが、ワシとフツばかりは、断固その子らを甘やかしたりはせんぞお!! 厳しく躾ける、泣いてもわめいても厳しくなぁ!!」
……しかし義父のある種の「負け」――ある種の自分の「勝ち」――を見た母も和御魂にもどり、すとんとその場に正座する。
「…あらそうでございますか、もうご勝手にあそばせ。…ふんっ…けれどさせませんわ。そんなことをおっしゃるようなら、もう決してあなたには孫たちを抱かせませんことよ。」
そしてそうして不機嫌そうに応酬しつつ、そっぽを向いたという。
ちなみに僕とシタハルが産まれるまで、この頑固おやじの舅 と気の強い義理の娘は、こうした(教育方針の違いの)喧嘩を毎日のようにしていたんだそうである。
そして、そうしていがみ合っているふたりを(時に喧嘩のそば杖をも食らいながら)なだめる役に追われたのは、もちろん父とフツ爺であったと。――しかしその二柱いわく、義理とはいえそれを感じさせないほどの、喧嘩するほど仲がよい父娘、という感じではあったらしいのだが。
ところが…――なのであった。
もはや誰しもが知ってのとおり、タケ爺は僕たちが産まれたなりすぐ、そのあまりの可愛さに、その堅固なる厳しさをあっさりと捨てた。
いや…捨てざるをえなかった、…いいや…気がついたらそれが丸ごとゴミ箱に入っていたのだという。
母はこうニコニコしながら話していた。
『わたくし、建御雷 のおじいちゃまとは、あなたたちが生まれるまでずーっと喧嘩していてよ。…だって〝厳しく育てるべきだ、男神はちょっとくらい痛い思いをせんとわからんもんなんじゃ〟だなんて、意固地におっしゃり続けたんですもの。…わたくし、正直に申してその頃のおじいちゃまは大っ嫌いでしたわ。――けれど今に思うと、おじいちゃまのおっしゃられていたことには一理ありました。…ただ……うふふ、おかしかったわ。…わたくしがお産に挑む直前まではその調子でらしたけれど、――産まれてひと晩のち、産まれたてのあなたたちをお見せしたら、…おじいちゃまね、途端に目の色を変えられたんですの。』
……母はある春の日の朝方に産気づき、その日の夕方になってやっと僕たちの出産を終えたそうだ。
そしてその翌日は朝から夫婦の寝室で、布団に体を横たえて、ずっと休んでいたのだという。
ただ彼女はそのとき眠っていたわけではなく、妻神の出産によるかなりの疲労とダメージとをおもんばかった夫神・天児屋根命 から、しばらくは横になったまま体を休めていてくれ、と――お乳をあげるのは母にしかできないが、それ以外の世話は自分や女中など他の神がするから、頼むから、と――なかば哀願されたため、そうして起きていながら、またすぐそばで、甲斐 甲斐 しくわが子の世話をしてくれている夫とその子らとを愛おしく見守りながら、かけ布団のなかで仰向 けになって体を休めていたそうだ。
そして昼ごろ、そこに――夫婦が孫たちを、自分らの部屋まで見せにきてくれるのを待ちきれなかった――祖父たちがやってきた。
もっとも彼らは無断で来たわけではなく、ちょっとだけ孫たちを見に行ってもよいか、と、僕らの世話を手伝ってくれていた女中長のおツルさんを廊下で捕まえて聞き、それを伝えられた父母がよいと答えたので――なお父ははじめ母を心配して、なにも直後でなくとも、数日後でもよかろうと言ったが、みっともない寝間着姿ですけれど、それでも失礼でなければ、と、かえって母のほうが答えたらしい――、では昼ごろに少しの時間だけ、との約束をもって、夫婦の寝室にやってきたのである。
しかし開けられる直前のふすま越し、タケ爺の「小猿みたいにかわいいんだろうのお〜」などという(相変わらず悪気はないがいささかデリカシーのない)声が聞こえてしまったため、…母はちょっとだけムッとしたそうではあるが。
ちなみに僕たちは双子であったため(母の胎内をふたりで占領していたため)、ふつうの新生児よりも小さく生まれた。
そして当然、新生児ではまだ髪の毛も生え揃わないながら、フツ爺・父の「月の瞳」を受け継いだ僕――とはいえ、生まれたてではいまだ神力はそこまで目覚めておらず、それをあらわした青味はまだうっすらとした白っぽい瞳であった僕――と、母の「日の瞳」を受け継いだシタハル――同様に神力をあらわす赤味のうすい、ほぼ純粋なオレンジの瞳であったシタハル――とが、母の寝る布団の真横に二つ並べられた、赤ん坊用の真綿のふっくらとした布団の上、上等な反物 のおくるみに包まれて、置かれていた。
なおもちろん生まれたての僕らは、まだよく目は見えていなかったことだろうが、それにしてもそのくりくりとした大きな目で、じっと見つめたのだという。
……そばにあぐらをかいて自分らをしげしげと見下ろしている、タケ爺の顔を――。
「……、…」
どことなくフツ爺とタケ爺にも似たふたりの赤ん坊、まっしろにしろあめ色にしろ、見るからにやわらかそうな透明感のあるふわふわの肌、ぷっくりとゆたかな薔薇色の頬、うすいあどけない眉、大きな大きなつぶらな目――透きとおった無垢なあわい水色の瞳と、オレンジ色の瞳――はうるうると潤んでいる。
母は、(僕らのあまりの可愛さに)閉口し、見とれているというほど僕らに見入っているタケ爺に、
「どうですのお義父さま。我が子たちは猿のようでございましょうか。」
と、ちょっと嫌味っぽく尋ねた。
「……、…、…」
しかしタケ爺はなおも黙りこくって、ただただ僕らをじっと見下ろしていた。
「おおかわいいねぇ…こんにちは、ウワハル…」とタケ爺の隣に正座したフツ爺が、ニコニコしながら、ぷに…と僕の頬を指先でかるく押した。
そしてそのとき僕は(タケ爺の顔をじっと見上げたまま)、赤ん坊特有のきょとんとした顔で、まるでこんにちわ、と挨拶を返したかのように、「ふにゅ…」と猫のようにかわいい声を出したのだという。
と……そのときにわかに、
――ドガァァ…ン!!
と、外で雷が落ちた。
するとその突然の爆音に僕たちが驚いて顔をしかめ、力なくふにゃー…っふにゃー…っと泣き始めてしまったので、母は慌てて起き上がり近くにいた僕を、父はシタハルを抱き上げ、よしよし、大丈夫大丈夫、とゆすりながらあやし…――つつ、母はタケ爺を睨みつけた。
が、その男神はおろおろと僕とシタハルとを見比べており、母のその目には気がついていない。
「おおすまん、すまんのぉ…びっくりさせてごめんごめん…、じいじが悪かった、悪かった……」
「……、…ふふ……」
しかし母は、初めて見たその男神の弱気な困惑の様子を見たとたん、――それもまさかの「じいじ」と自分を呼んだその男神には、――勝ち誇ったなかば、心がなごやかになるのを感じたという。
フツ爺も夫神のその様子を見てすこし安心したそうだ。そしてニヤニヤとした横目でタケ爺を見ながら、肘でかるくその男神のわき腹を小突いて、こうからかった。
「なにお前さま、孫たちがあんまりかわいいからって、わざわざ雷で返事をするこたないだろうよ」
「いいやっそうじゃないんじゃあ!! ただ、」
とタケ爺は誤解を解こうと声を張った。
するとまたそのいかめしい大声に驚いて、父母の腕の中でびえーっと余計激しく泣きわめく僕たちに、父がシタハルをやさしくゆすりあやしながら、「しー…」と迷惑そうにタケ爺を見る。
「静かにしてもらわないと困るよ父さん…、もはや声が出ていないくらい小さく。頼むから…」
「おお…すまんすまん…すまんかった…」――するとむしろ大声がデフォルトである上、硬骨漢 のタケ爺にまでも、僕たちという可愛い赤ん坊は、やさしげな小声をつかわせた。
「いやぁすまんのぉ…、わざと雷で返事をしたんじゃないんじゃ、ただ…――小猿のようなもんかと思って来てみれば、なるほどのぉ、あんまりに…あん……まりにも…――なぁ…んとちっさい…、なぁ…んとふにっふにのころっころ、…なぁんとかわいいむにむにちゃんたちかのぉ、お目々もくりっくりで大きくってのぉ…、いやぁコヤネよりもうんと…いやーこの可愛い可愛いちびちゃんたちが、…あん………まりにも…――食べちゃいたいくらい可愛くってのおおお!! ワシゃあ切なくなるほどたまらんくなっちまったんじゃあああ!!」
タケ爺は頬をあからめた無邪気な満面の笑みで(今しがた息子に諌 められたのをさえ早速わすれ)、また轟 くような高揚した大声を出した――もっとも彼にとっては、その聞き手の鼓膜が破れんばかりの大声も、「ちょっと大きな声」くらいの感覚なのである…――。
「「ふぎゃーー!」」――案の定僕たちはまた怖がっていっそうすさまじく泣きわめく。し、
「「父さん …っ!」」と父母はタケ爺を睨みつけながら、揃った小声でいさめる。
「おおっ…すまんすまん…」
「はー…もういい加減におよしよお前さま…、それでなくってもちいちゃい子どもがすぅぐに泣くのくらい、お前さまだってよぉく知っておろうに…――かててくわえて、お前さまのそんな大きな声で驚かして泣かしちゃ、全く世話ないだろうよ…」
夫にまでたしなめられる始末である。
するとタケ爺は「誠にすまん…」とうなだれて萎縮し、これきり努 めて小声であったという。
……ちなみに、泣きやんだあとの僕たちを初めてだっこした祖父たち、――ことタケ爺は、
「すまんかったテルヒメ…、いやぁワシの負けじゃ、もう降参じゃ…――及ばずも、こりゃあ厳しく出来る自信がないわい…。…お〜〜よちよち…なんとかわいいんかのぉウエとシタは……」
と…でろでろに目尻の下がった、とろけた笑顔で降 参 宣 言 をしたのだそうである。
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