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 そうしてタケ爺は、僕とシタハルとが生まれるその直前までは頑固おやじったらしく、「男神は厳しさの中でこそ立派に育つ」だなんぞとさんざん言ってのけては、正反対の教育方針を主義としていた母としょっちゅう喧嘩していたくせに、結局生まれたての僕らを見てその瞬間に即座、ある意味では心を入れかえた。  すなわち僕たちという孫の、いや、僕たちという()()()()()孫の存在は、頑固なタケ爺の上においてさえも、絶大な影響力をもっていたのである。  もっともタケ爺は、軍神としては崇高な誇りと堅固な信念ゆえに多少石頭なところはあるが、元来の性格としては質朴(しつぼく)ともいえるか、案外に昔から単純な(ともすれば単細胞というかな)男神であり、ある意味では自分の心にはどこまでも素直なひとである。  するともとより、自分の心が可愛すぎるといったら可愛すぎるし、間違っていたといったら間違っていた、と、(とがっていた若い頃ならまだしも、祖父ともなるような年齢となっていてはなお)すんなり認められるようなひとでもあったのだ。  それだから新しい価値観、それを与えた僕たちを初めて見たその瞬間に、タケ爺はまるで雷に打たれたかのような――『なんちゅー可愛すぎるふにころちゃんたちなんじゃあああああ!!』という――落雷および感電の衝撃を受け、すると彼はその日をさかいに、しばしばこのような言い訳を父母にするようになったという。 『なんじゃあ、甘やかしすぎるな? いやいやいや、()()()()()()()()()()()()()()わい。子を叱るっちゅーのはのお、お主ら父ちゃんと母ちゃんの仕事じゃあ。――のお〜ウエ、シタ♡ ほれ、お菓子もっと食べるかああ〜?♡』  ……つまるところが、タケ爺は孫たちを厳しく躾けるなどという願望を捨てたどころか、かえって真反対の、「猫かわいがりゲロあまじいじ」にすっかりと変貌を遂げたということである。  そして彼のその変貌――そのメロメロでれでれっぷりを、家族をふくめた神々はみんなおかしがってはいたものの、しかしそれは「祖父」という立場におかれた男(神)においては、何もそうめずらしいことではなかったので、いぶかるより面白い、微笑ましい、というあたたかい目を向けられていたのだという。  そうしたわけで、すっかりと僕たちという孫を猫かわいがりする「じいじ」に変貌したタケ爺はしかし、自分が雷神としての務めで発生させねばならない雷を――といって高天原では、実害が少ないのもあって()()がゆるむのか、思わず喜怒哀楽でも雷を生じさせることがままあるのだが――、あんまりにもシタハルが怖がるので、このままでは可愛い孫に嫌われてしまう、と危ぶんだのだろう。  それで(人間の子どもで換算するところ)いまだ七歳か八歳ごろの僕とシタハルとに、夏のある日の朝、朝食の席でにわかに、雷神としての自分の仕事を見せてやる――じいじのカッコいいところを見せてやる――と、タケ爺は言い出したわけである。  しかしシタハルはそれを怖がり、嫌がった。…弟は片手に茶わん、片手に箸をにぎったまま、うつむいてメソメソ泣きながらこう言った。 「おれやだ! やだよ、だってじいじの雷なんかだいきらいだもん…っ!」  なおこのときの弟は、雷はタケ爺のみが鳴らすもの、と思い込んでいた(他にも雷神はおり、タケ爺はあくまで数ある雷神のうちの一柱であるが、それを知らなかった)ので、それでこのときは「じいじの雷」と言ったわけだが、そうはいえど、つまり単純に「雷が大嫌い」との意味でそう言っただけである。ましてや間違っても、よほど僕よりタケ爺によくなついていた弟が、()()()()大嫌い、などとは言うはずもない。――しかし、溺愛している孫にそう言われたタケ爺のショックは、計り知れないものであった。  そのひとは口も目もかっぴらき、硬直した。 「――……ッ!!!」  その様子に効果音をつけるとすれば、  ガーーン!!!  ……で間違いはなかったが、その代わりに、  ――ドオオン!!! 「ヒ…ッ!」  シタハルはビクンッとして、肩をすくめた。――あまりの悲しみに、タケ爺がまた雷を落としてしまったのである。 「っおれもうご飯いい…っ!」  そして弟はまた押し入れに逃げ込もうと、お膳に茶わんと箸とを慌てて置いて、立ち上がろうとした。  ……ところがそのシタハルの手首を優しくつかみ、引き留めたのは――弟の隣に座っていた僕たちの父・アメノコヤネノミコトである。 「待ちなさいシタハル。」父は優しい顔をして、素直にその場に座りなおし、すがるような涙目で自分を見てくるシタハルにこう言った。 「是非行っておいで。…はは…実は私も昔は雷が怖かったが、建御雷(タケミカヅチ)のお祖父(じい)様がね、そうしていつも逃げてばかりできちんとよく見てみないから、余計に雷というものが恐ろしく感じてしまうんだ、と教えてくれたんだ。…それこそ暗闇の中で聞く雷鳴は、まるで私を脅しているようでしかなかった…――しかしちゃんと見てみればなるほど、稲光というのは思っていたよりも美しいものだったんだよ。…つまりね、よく知らないから怖いんだ。」  そして父は微笑みながら、僕とシタハルとをその青白い瞳で交互に見る。 「それにお祖父様のお仕事を見学することは、絶対に君たちの将来のためのよい勉強にもなる。――だから怖いだろうが、ここは勇気を出して二柱で行ってきなさい。…いずれにせよ、いつかはシタハルもその恐怖と立ち向かわねばならないときがくるのだ。…それなら早い方が、その恐怖も早く終わるさ。」  すると最初は危ないからと反対していた母も、夫神のその言葉に感銘をうけ、こう後押しをした。 「それもそうですわねあなた…、いけないわわたくし、きっとまた過保護になりすぎていました…。おっしゃる通り、ここは行かせるべきですわ。――お義父さま。どうぞウエちゃんとシタちゃんをよろしくお願いいたします。…けれど、くれぐれも怪我などはさせませんように」  それから母は、「気をつけて行ってらっしゃいね」と僕と弟に微笑みかけた。  さらにはフツ爺までこう言った。 「そうさ、そもそも雷には春に起こすべき〝春雷(しゅんらい)〟というのもあるからね。――つまり、春の神であるお前さんたちとタケじいじとは、どうせいつかは一緒に神の仕事をする仲になるんだよ。――なあシタ、ウエもね、今のうちに慣らしておいでな。…なに、間近で見たら案外に怖いもんでもないよ。」 「う…、……」――シタハルはうめきかけたが、今にも泣き出しそうな顔をうつむかせ、それきり嫌だ、とは言わなかった。  すなわちシタハルは()()()()()()()()のである。  ……そうしたわけで結局、僕とシタハルとはタケ爺の仕事に着いてゆくこととなった。  そしてその日の夕方ごろ――タケ爺は黒龍となって僕と弟をその背に乗せ、暑い夏空の、大きな入道雲へ向けて泳ぐように飛んでいった。  なお、彼のその一千年を生きた大木のように太い龍の身は、(はがね)でできているような硬い黒い(うろこ)――それも当時の僕らの手のひらサイズの大きな鱗――で覆われており、またその鱗は彼の神力をおびているために、黒地に妖しい紫や桃色などの偏光をやどして、その身をくねらせるたびぬらりぬらりとつやめいていた。  また彼のその長い身にはところどころ、バチバチと火花を散らしながら光る雷が宿っている。  はじめは爽快な青空を飛んでいた。  僕はタケ爺の牡鹿(おじか)のような黒い(つの)を両方つかみ、目の前に広がる青空やすいすいと流れる周囲の白い雲もさることながら、体を包みこんで撫でてくるようなその生ぬるい風に、さわやかな心地よささえ感じていた。  しかし僕のうしろ、僕の背中にぴっちりしがみついて離れないシタハルは、やはり怯えきって口数も少なく、その清爽(せいそう)な青空や風をさえも(たの)しむ余裕がなかった。 「気持ちいいねー」と僕が風に吹かれながら晴ればれと言うが、いつになくシタハルは黙りこくっている。  タケ爺はこう答える。 「そうだろう〜ガッハッハッハ! しっかし、夕方になってもまだあっついのお〜! 麦わら帽子を脱いじゃあ駄目だぞ〜〜!」  ……そう、僕たちは狩衣(かりぎぬ)を着ていたが、暑い日であったので、くくり袴の裾を膝下で引き締め(要は半ズボンのように着て)、それにくわえ、母にかぶせられた日除けの麦わら帽子をかぶっていた。  ちなみに僕は上衣は白に中が紫の着物、下が黒の袴、シタハルは赤い上衣に中が黒の着物で、下は白い袴だった。――それと腰にひょうたんの水筒も下げていた。もちろん暑いから、と母に持たされたものである。 「あっ…」と僕とシタハルが言った。  しかし僕たちの麦わら帽子は、冷たい突風によって飛んでいってしまった。――二つで交差しながら、はためきながら、夏の空を自由に泳ぐように。  その突風は、目指していた入道雲の近くにきたゆえのものだった。  やがて僕たちは、その大きな積乱雲のなかに突入した。  しかしタケ爺はその前にまず、僕たちをそれぞれ球体の加護(バリア)で包み込むと、まるで宝珠のように両手に僕たちをそのバリア越しに掴んで、それからジェットコースターの下降のようにすさまじい勢いで、その雲の下部へまで降りてゆき――僕はそれに大喜びだったが、シタハルは「うわぁぁあ…」と気の抜けた悲鳴をあげていた(おそらく今は真逆の反応をすることだろうが)――、そしてその下のほうから雲の中へ入ると、まずは下部の中央へ進んだ。  一面に雲のひしめきあうその中は薄暗く、奥へゆけばゆくほど暗くなってゆき、中核までくればほとんど真っ暗であった。――また小さな氷のつぶがパチパチと、しかし激しくバリアの表面にぶつかってはいたが、それはもちろん、僕たちはその雲のなかの激しい気流や、またその中の氷点下の気温も、その守られたバリアの中にいる以上感じないようになっていた(むしろバリア内は外よりも快適な温度であった)。  そしてタケ爺は、雲をかきまぜるように大きく螺旋(らせん)をえがきながら、そのうず高い雲の中を上昇していった。――そのひとの緑の瞳がいつの間にか暗がりで真紅に強く光り、また恐ろしいほど威厳のある龍の顔つきとなって、さらに仰向いたその顔からまっすぐ上だけを志している。 「…すごい…カッコいい…」  そうバリアのうち側に両手を張りつけ、タケ爺を見上げながら惚れ惚れとつぶやいたのはシタハルである。――しかし今度は僕が黙り込んでいた。 「…………」  緊張してきたというのもあるが、何より見とれていたのである。  龍神と化したタケ爺の体のあちこちに生じている雷が激しく大きくなり、またそのぬらぬらと紫や桃色や、要は雷の色の偏光につやめく全身のうろこも、にわかにより強い光をはなちはじめ――そして、その雲を下から上へダイナミックにかき混ぜてゆくことで雲に雷光を生じさせ、またその暗澹(あんたん)たる雲間でそうして自身もバチバチ、ぬらぬらと激しい光をはなちながら上昇する龍神のその様は、まるでそのひと自身が、雲の中で光りながらうごめく稲妻のようであった。  やがて雲の上のほうが明るんでいるのが見えてきた。  積乱雲の上部も、頂点にほど近いところまで上昇してきたのである。  そこで雲を突きぬけるのではなく、タケ爺はその長い太い体でとぐろを巻くようにして、周囲の雲をかき集め、足場を作った。  ……それからその足場の上にそっと、つかんでいた僕とシタハルとを大事そうに乗せると、ふたりの間でするすると龍神の変化(へんげ)を解き――左右に小さな孫をともなった、雄々しい荒御魂の姿になる。  銀の角ばった髭をはやし、また勝色の筋骨隆々とした上半身はほとんどあらわに、雷鼓(らいこ)――地上の雷神像でもよくえがかれる、雷神が背負っているあの、金の輪でつなげられている複数の丸い太鼓(なおタケ爺のも、()(どもえ)の柄がえがかれているが、その勾玉(まがたま)の身はやや細く、まるで(かま)の刃が根本から風車のようにみっつ合わさっているような神紋となっている)――を背負っているそのひとは、その腹筋の猛々しい腹にはさらしを巻き、また足首でくくり紐を留めている黒い袴――咲きほこる桜と花菖蒲(はなしょうぶ)のえがかれた美麗なもの――を穿いて、やはり銀髪を逆立てた「雷神といえば」の鬼のようなすがたになった。  ……またその勝色のたくましい両肩から二の腕にかけては、赤い二重丸から落ちる、稲妻の紋様が浮かんでいる。  そして両手に太い(ばち)を持っているタケ爺は、それを二刀流の剣士のように頭上にかまえ、脚を斜めに大きく開いて腰をやや低くし、 「さあああよぉく見ておれ! ワシの可愛い可愛いかわいこちゃんたちよおお!!」  と雷鳴そのもののような激烈な大声で叫ぶ。  そして、雷鼓とそのひとの掴んでいる二本のバチを、またバチどうしをも繋げている紫電(しでん)のいびつないくつかの紐が、 「――そおおぉおれ!!!!!」  と叫びながら、軽く飛び上がったタケ爺によって足場の雲に振り落とされ、力強く叩きつけられたなり、薄暗い雲の中がビカビカッとすさまじい閃光に白々とし――、  ――ドゴオオオオ……ン!!! 「……っ!」 「うわぁすごいすごい!」  ……このとき「すごい」と目を輝かせ、パチパチと拍手をしたのは、実はシタハルである。――逆にビクンッとして顔をしかめたのは、実は僕のほうである。 「…うぅ…、…〜〜〜っ」  今にも泣き出してしまいそうだった。  白状すれば――僕も本当は雷が怖かった。 [newpage]  ただ強がっていただけである。  もっとも、シタハルが雷の起こりにおびえてすぐに逃げ、押し入れに閉じこもっていたのは本当のことだ。  そして本当に、そこで恐怖をしのいでいる弟のそばにいた、…いや、弟とともにそこに閉じこもって隠れていた僕は、「シタハルが怖いんじゃしょうがないから、兄としてそばにいてやらねば」という、その押し入れに自分もいてもよい大義名分を、その怖がる弟によって幸いにも得ていた。が――しかし本当は自分も雷が怖かったので、その真っ暗な閉鎖空間で、シタハルとくっついていることでやっと、その震え上がってしまうような恐怖をしのげていたのだった。  とはいえそれと同時、僕はあんまり怖がるシタハルの前では無理にも強くあろうと――それには意地やプライドも大いにあったが、なにより兄の僕まで怖がっては、弟はもっと不安になってしまうだろうと――、雷なんてへっちゃら、ちっとも怖くない、むしろ楽しい、だなんて、そうして平気がっていた。 「ぅうぅ、…っ」  それだから僕は怖がって即座にうずくまり、両耳を手でふさいだ。――ましてや遠雷よりも増して、この至近距離でのすさまじい雷鳴と稲光は、僕の恐怖心をまる裸にするには十分すぎるほどのものであった。  しかし、タケ爺はそうしてしゃがみこんだ僕に、熱血な(意味不明の)なぐさめを、怯えた僕の上にこうかざした。 「ほおおれウエ! そう怖がるな、雷は怖いだけのもんじゃあないんじゃ! なぜってのお、この建御雷(タケミカヅチ)のじいじが鳴らしとるもんだからじゃあ!! ――それ一緒にやってみたら怖さなんざすうぐ吹きとんで、かえってきっと楽しいぞお!! さあふたりとも一緒に、――そおおおれ!!!」 「そおおれ!」――シタハルが両のあめ色の拳をかがけてちょっと飛び上がり、タケ爺の真似をしてそのひとと同時、その二つの拳を足もとの雲に叩きつける。  ――ドオオオオ…ン!!! 「……っ! ぅ、うるさいよぉ…っ!」  しかし僕はしゃかみこみ耳をふさいだままそう、あくまでも強がって迷惑そうに文句を言った。――ゴロゴロゴロ…と雷の(うな)り声が、足下から聞こえてくる。 「そうじゃ!! 目が覚めるようだろうウワハル! この(とどろ)く雷鳴! この(まばゆ)き雷光! ――世の中にはのお、ときどきせっつく役が必要になるもんなんじゃ! 穏やかに眠ってばかり、(なま)けてばかりじゃならんこともある!!」 「……、…」  僕はしゃがみこんだままふと顔を上げ、隣のタケミカヅチそのひとを見上げた。  ……そのひとは、口からはみ出すほど長い鋭い鬼の牙が上下左右に生えていてもなお、またその白目が黒く、その瞳がいつの間にか真紅から青白い強い光と変わっていてもなお、見覚えのある「タケじいじ」の顔で僕にニカッと笑いかけた。 「さあ目を覚ませ!! 忘れるなウワハル、これぞ万物の魂の目を覚まさせる〝神鳴り〟よ!! ――そおおれ!!!」  またタケ爺が足もとの雲に、両手のバチを叩きつける。ビカビカッとあたりを明るませる閃光がほとばしり、ドオオ…ン!! と雷がまた地上に落ちる。  そしてふたたび身を正したその男神は、雷をやどした片方のバチを天へかかげ、それを力強い笑顔で見上げた。 「雷ってのはのぉ、そりゃあ当たりゃあ大怪我、爆音に(まぶ)しい稲光と、そりゃあ恐ろしかろうがのお!! ――しかし〝稲妻〟というように、地上に、地上の万物に力を与え、作物を豊作へと導き、生き物の目を覚まさせ、更には、身を守ることの大切さを教える、大事な大事なもんなんじゃあ!!」 「……、…」  僕は呆けていたが、おもむろに立ち上がった。  タケ爺を初めて格好良い、と思った。――というのも、タケ爺はいつも僕たちにはでれでれと(だらしないくらい)鼻の下をのばしている、ひたすら優しく、しかしちょっとしつこい「じいじ」だった。  ……しかしこのときの彼は本当に格好良かった。見直した、といってよい。 「平和のうちにゆめゆめ忘れるな!!」と言いながら、タケ爺はまた二刀流の構えをする。 「雷の力は恐ろしいもんじゃが、一方で、自分の内の〝本当に大切なもの〟を気が付かせるもんよ!! 雷に当たってはならぬのは誰じゃ! 雷から守りたいもんはなんじゃ! この雷でお主は何を心配している!! ――ほら今すぐに! 雷がゴロゴロと鳴って警告をしているうちに、それを守りに駆けてゆけ! ――そしてこの閃光に照らし出されたそれを忘れず、これからも大事に大事にするがよい!! さあ、そおおおれえ!!!」 「そーーれえ!!」  とタケ爺と一緒に雷を落とした(真似をした)シタハルが、すっくと立ち上がって僕を見る。――弟の高揚した笑顔は、もうこの雷をちっとも怖がってなどいない。 「やってみたらさ、ねえ、近くで見てみたらさ、案外、こわくないよウエ。…やってみようよ、ウエも、一緒に。」 「……うん!」  僕の気持ちもいつの間にやら高揚していた。もう恐怖はなかった。――僕は腰にたずさえたひょうたんを取り、弟に目配せした。弟もうなずいてひょうたんを取った。  この「神鳴り」は、僕たちの大好きな優しいタケじいじが、地上に豊かなものをもたらすために起こしているものだった。――平和という地中で眠りこけた万物の目をハッと覚まさせ、万物にそのすさまじい力を分け与えてやるためのものだった。 「平穏なる平和の中でこそ見失いがちな、自分の大切なものを、急ぎ守るんじゃあ!! 雷鳴と雷光の驚異をもって、早う本当の幸せっちゅーもんに気が付くんじゃああ! ――よいかゆめゆめ忘れるな! その平和は、自分たちが守ろうとしなければ、決して保たれないものよ!!」  それに脅しているのではない。この大きな音と光で警告しているのだ。何か大事なことを思い出させようとしているのだ。――そしてゴロゴロという遠雷で、そろそろ大雨が来るぞ、雷がくるぞと教えてくれているのだ。  タケ爺の雷は格好良くて優しい。  音があり、光があり、雨がある。  心が、ある――。 「それに、怖かろうが、嫌だろうがのお!!」とタケ爺がすがすがしく笑いながら叫ぶ。 「時には恐れに、己に、敵に打ち()ち、闘志をもって立ち向かわねばならんことがあるもんじゃ!! まずやってみよ、空を切り裂く雷公の気になって本気で挑め、やる前の恐れに負けるでない!! 時にはうだうだと頭で悩むより動け、稲妻のように素早く動いて()りに行け!! さあ心のまま、迅雷(じんらい)のように決断せよ!! 決断しながら迅速に駆け抜けるんじゃ!! ――ワシはこの〝神鳴り〟で万物の目を覚まさせ、恐るべき強大な力を与えてくれよう!! その身の内に宿るその闘志を、その生命力を、その夢見る心を、このワシが目覚めさせて、後押ししてくれよう!! さああ…」  タケ爺が雷鼓と雷でつながった両手のバチを、また雲に叩きつけようとかざした。  僕も固くにぎった拳とひょうたん――バチの代わり――をかざし、シタハルも同じくかざした。 「「「――そおおおれ!!!」」」  ……ドガアアアア…ン――!!!!!  真っ白というほど、ひと際まばゆい閃光で雲の中が満ち、またひと際大きな雷鳴がとどろいた。 「そおれワシと孫たちの力を見たか、ガあッハッハッハッハッ!!」――タケ爺は嬉しそうに、腰に拳をあてて天をあおぎ、大声で笑った。 「「がっはっはっはっはっ!」」  僕たちも体勢にいたるまでそっくりに真似し、…そうしてみんなで豪快に笑った。  ……それからはみんなで、 「さあー行くぞかわいこちゃんたち!! もっともっとお! そおおおれ!!」 「「そおおおれ!」」  ドーーーン…!! ――ゴロゴロゴロ…。 「ガッハッハッハッハッ!」 「「がっはっはっはっは!」」  ……と、これを大変楽しく、真夜中になるまで繰り返しつづけた。  そして僕たちは家に帰ってから、興奮気味にタケ爺のすごさや、雷のすごさなどを父母とフツ爺に聞かせ、…そうして僕たちの雷嫌いは克服された。  いやむしろ、それからはしばしば…――。 「ねぇじいじー、まだ雷鳴らさないのぉ?」  とまた別のよく晴れた夏の日、僕は龍神となったそのひとの背にまたがり、そのひとの角をつかんで、待ち遠しいあまりに少し上半身を傾け、龍神となったそのひとの顔をのぞき込んだ。  僕の腰をつかんでいるシタハルも「そうだよぉ」と身をかたむける。  しかしタケ爺は「おお」と苦笑いをする。 「落ちんようにな、…まあ〜〜落ちたって絶対とっ捕まえてやるがのお!」 「…ねえってば、雷は? ねえねえねえ!」  と、しかし僕は脚をバタバタさせて、またがっているタケ爺の体をその両脚で軽くたたき、せっついた。シタハルも真似して両脚をバタバタ、 「ねえはやくう〜〜、早く〝そーれ〟しようよぉ〜」 「おお、おお〜このやんちゃどもめ、ハッハッハ、やめなさいやめなさい、危ないでしょうが、…ま〜元気じゃのお全く、ワシの可愛い孫たちは、…いや…――しかしのぉ……」  としかし、ここでタケ爺がしゅんとする。 「ウエ、シタ、じいじだってかわい〜〜かわい〜〜お主らのために、ここでおっぱじめてやりたい気持ちは山々じゃ…――しかしじいじのお、実は地上じゃ決められているところで、決められただけの雷を鳴らさんと、偉い神たちにそりゃあ〜もうこっぴどく怒られちゃうんじゃあ…」  ……というのも、実は初めのあの日…――タケ爺は僕たちと一緒に「仕事」をするのがあまりにも楽しすぎたらしく…――天上に帰ってすぐアマテラス様に呼び出され、『おいっやりすぎだこの大馬鹿者め…っ、此度(こたび)は幸い被害無く済みはしたが、不要に人の子や動植物が生命を損なったらどうするのだ!』と、…要するに予定されていたより多く、長く雷を落としてしまったらしいタケ爺の身には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだそうである。  ……しかしそれを知らなかったこのときの僕は、「そうなんだぁ」とあまり同情もせずに言った。 「天照(アマテラス)さまに怒られちゃうの?」 「いかにもそうじゃあ。のお、大好(だぁいす)きなじいじが怒られちまったら、かわいそうだと思うじゃろうが?」  そこでシタハルがこう言う。 「うん…、じゃあもうついた?」 「まぁだ。まだまだ…こんっな晴ればれとした青空が一面に広がっておって、ど〜してもう着いたと思うんかのぉ」 「……えー…、――わぁー手がびちょびちょぉ…」  とシタハルはがっかりした気分転換に、雲の中に手を差し入れ、手が濡れるのを楽しみはじめる。  しかし今度は僕が、 「ねえ、もうついたんじゃない? 早く〝そーれ〟しよーよお!」 「まぁだじゃ。さっきも言ったじゃろうて、もうちょっと。…全くもう、かわいーのおウエとシタは、ククク…――もうちょっと先にいかんと、〝そーれ〟は出来ないんじゃ。すまんのお…」 「「えーっ、早く〝そーれ〟したいよお〜〜!」」  まあ……といった具合に、僕たちはそのひとが仕事にいくとなると、しばらくは毎度のように、一緒に連れていってくれるようねだるまでになり、――するとタケ爺もまんざらでもなく、こうしてよく仕事に連れていってくれたのである。  そうして僕たちは雷嫌いから一転、タケ爺のおかげで、雷好きになったのだった。

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