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……ドゴオォ…オォン――ッ!!
またバルコニーの外で大きな雷が落ちた。
その爆撃をさえ彷彿とさせるほどのすさまじい轟音 に、シタハルと抱き合ったまま「思い出して」いた僕は、ハッと背後に振り返る。
すぐ真後ろにあったアーチ型のガラス戸の向こう、そこの悪天下のうす暗い白い半円型のバルコニーには、いまだ弱まる気配のない篠 突く雨が、雹 が降りそそいでいる。――またチカチカッと激しい強い閃光が瞬く。
ド…オオオォ…ン――ッ!!!
「……、…」
そうだ…――この雷はタケ爺の起こしたものである。
そもそもあれほど天変地異的に、あまりにも唐突に雷雨をもたらせるのは、およそ雷神のタケ爺くらいのものである。が――何より、およそこれは人間の子の感覚ではわからないことだろうが、神の務めとして落としているの以外の祖父の雷には、他の雷神が起こすそれよりも「感情」があるのだ。
しかし、彼のその雷にふくまれた感情はたしかにシタハルの言うとおり、いくつかのパターンが考えられる。
要は、喜怒哀楽どの感情であっても高ぶれば雷を落としてしまうそのひとが、今そのどれの感情をもってこうして雷を落としているのか、――僕たちの耳にはたしかにタケ爺の「感情の叫び」とは聞こえていても、――その感情の種類までは、少なくとも彼のそばにいない僕たちには察するに及ばぬことである。
それも…高天原ならばともかく、少なくとも地上へは感情のまま雷を落とさないよう、気を引き締めていたはずのそのひとが、こうして…ともなると――およそこれは只事 ではない。
「見に行ったほうがいいよね、きっと……」
シタハルがそう言いながら、僕の手を握りこんで引き、歩き出す。
僕も黙ってそのあとに続く。だがもはや弟に手を引かれるまでもない。――どのような感情をもって雷を落としているのにせよ、タケ爺に溺愛されている僕たちであれば、あるいはその男神の感情の鎮静に役立てるかもしれない。
そうしてシタハルと僕とは、この部屋の出入り口の扉へむけて歩き出したが――そこで、
「お待ちあそばせ、ウエ、シタ…――。」
「「……っ?」」
僕と弟は同時に立ち止まり、その鈴を転がしたような、しかしどこかミステリアスな女神の声がしたほうへ、同じすばやさをもってふり返った。
……この部屋の天蓋つきのベッドの隣――ガラス戸側とは反対側――に佇 んでいる、真っ白な肌をもつ目じりのつり上がった糸目の女神は、…
「あたくしにお任せあれ。」
「……、菊理媛神 ……」
と僕はその女神の名をつぶやいた。
天の羽衣 を身にまとい、まさに天女のような格好をしている彼女はそう、こうした夫婦喧嘩やらなにやら、とにかく関係がもつれたときには一番頼りになる、といっても過言ではない菊理媛神 である。
……それこそ彼女は、イザナギ・イザナミのご夫婦神が、あの歴史にのこる大喧嘩をした際、イザナギの大お父様のご気分を巧みになだめられた、あの賢い女神なのだから。
ククリヒメのお姉さんはその糸目をつぅ…と薄く開き、黄色い蛇の瞳――縦長の瞳孔をもつ瞳――をほんの少しだけあらわに、僕たちへむけて妖しく微笑する。
「このあたくしは全てを見ていましてよ。…喧嘩をしている者のことは、あたくしはいつもこの目を開いて見ておりますので…そう…、そうですの…――あたくし見ておりました。天 児屋 根 命 と天 美津 玉照 比売 命 の夫婦喧嘩も…――そして建 御 雷 神 の憤怒、悲嘆、また……」
「…とすると…」――シタハルがいささか決まり悪そうに言う。
「タケ爺、怒って雷鳴らしてんの……?」
「ええちょっと前までは。困ったことにね。おほほ…」
とヒメが口もとに手をあててほがらかに笑う。が、すぐに彼女はまたその細目、その黄色い蛇の目で僕たちを交互に見やる。
「…けれども、そういったイザコザというのを丸くおさめるのこそ、あたくしの神の務めでございますの。――ですからあなた達子どもらは、心やすくこのお姉さんにお任せなさいまし。」
「うぇぇ、いいの?」――シタハルがもうすでに助かった、というような安堵の笑みをふくませて、確かめる。
とククリヒメのお姉さんは、「よいもなにも…」と片手をぺいっと投げ出すようにして空 を叩きつつ、優しく微笑する。
「子どもはくれぐれも大人の喧嘩には首を突っ込まないことよ。――あなた達は遊んでおいでなさい。…それじゃ早速行ってまいりますわ。ごきげんよう……」
……そして、するぅ…と体を透かすようにして消えていったククリヒメノカミ――僕たちはその女神の仲介であればもう安心であろうと、安堵の笑顔を見あわせた。が…――。
「……、あ、あのハルヒさん…僕、今……」
……今、菊 山 の お 姉 さ ん に…――え?
ていうか菊山 のお姉さんって、神――ククリヒメの神、…お姉さんも神様だったの!?
というのも…僕は今 シタハルにして「ハルヒ」の彼の顔を見て、はたとハヅキの意識が戻ってきたのだが――今そこにいたククリヒメノカミの顔は、格好や髪型こそ女神様らしい天女のようなそれではあったものの、たしかに昔、小さな頃の僕とたまに遊んでくれた菊山 のお姉さん、その人のそれであった。
『それはかわいそうに…、よし…よし…。けれども、大好きな人と喧嘩ができてしあわせだ。そうお考えあそばし』と彼女は、母に叱られて――その結果彼女と喧嘩し、泣いている小さな僕を慰めた。
『大好きな人との信頼なくして喧嘩はできない…、言いたいことが言えない相手とは、喧嘩はできない…。ハヅキくんは、ママにすごく信頼されて、愛されているのね。…それに、喧嘩は自分を見つめなおすための映し鏡…――ずうっと仲良しでいるより、たくさんのことを、自分のことを、そして、相手のことを知れますわ。――喧嘩もまた、一興。』
なるほど彼女も……って、
いや、というかもうそれに関しては、今さらといえば今さらの話なのだが…――それこそ「道真 おじたん」もそうだったし…――僕が思い出してきた「神の記憶」に出てくる神々はみな、それこそその「記憶」のなかでは神様らしい格好や髪型をしてはいるものの、誰も彼もがみんな、ハヅキとしての僕にも見おぼえがあるひとたちばかりなのである。
ましてや母も(神様たちが人間のふりをして)小さな僕によく会いにきてくれていた、と言っていたし、――ただ…菊山 のお姉さんまで神様だったとは、ちょっとびっくりである。
しかもということは僕、今、神様に会って…――更にいうと明らかに人間わざではない、すーー…と透けるように消えていったその女神様は、いよいよ神様としか…――いや、…それにしたってもう今さらか……。
「うんうんうん…」とハルヒさんが僕に向かい合い、僕を見下ろしながら目を大きくした愛らしい笑顔をかたむける。が、
「ほんとぉ、今さらだよねぇ〜…? 君、自分だって神のくせにぃ…、うふふふ…」
とからかうような悪ぶった笑みを浮かべる推し、
「ん゛。かわい゛。」
「…んぇー? でもぉ…でもさぁ…、おれさぁ、おれがかわいいっていうかさぁ…、……」
しかし、そうちょっと不服そうにむっとしたハルヒさんは僕の両頬を、その大きな手で包み込みながら顔を上げさせつつ、やや身をかがめ――ちゅ。
…と僕の唇にややとがらせた唇を押しつけてきてすぐ、額同士をこつんと合わせた至近距離、愛おしそうにほそまった両目で僕の目をみつめてくる。
「…ハヅキのがかわいーよ…? えへへ…♡」
「……、…、…」
顔が熱い…僕の推し、そして僕の夫、…ちょっとメロ男がすぎないか……?
……あれ、っていうか、――と僕ははにかみのあまり逃げるなかば、ふっとバルコニーのほうへ顔を向けた。…雨声が聞こえない。そんなことを言っている間に、いつのまにやらもう、
「…雨が…止 んでる……」
菊山 のお姉さん…いや、ククリヒメノカミのおかげだろうか…? だとしたらもう…? すご…っ! さすが仲介の神…。
「ぁほんとだぁぁ…、…やった! じゃあ遊び行こっ!」
とにわかにハルヒさんが――雪が降ってテンションの上がった犬の機敏さで――「えっ? あっちょ、…」と困惑している僕の手を掴み、走り出す。
彼はククリヒメノカミへの絶対的な信頼感もあり、もう雷雨が再来することもないと判断したのだろう。
「海行こう海! 泳ごう泳ごう!!」
「……、…はは……」
僕も手を引かれて走り、その188センチの背中についていっているのだが、…彼ほんと大型犬みたいだ…全力で走っているハルヒさんの、その赤にパイナップル柄のアロハシャツの大きな背中、そして、その黒い半パンを身につけたお尻に、ぶんぶん振れている尻尾が見える…――気がする。かわいすぎる。
◇◇◇
僕たちはこの別荘のプライベートビーチにまで遊びにやってきた。
しかし、今僕らが立っているのはそのビーチの手前、屋根つきの木製のテラスである。
そこから一望できるおだやかな海は、あの荒天が嘘のように今はよく晴れている青空を映しだすように、青々とさわやかに澄みわたっている。
……ただ明るいベージュ色であった砂浜は今、降り続いた豪雨のせいで、質感にしろ色にしろ泥のようになってしまっているのだが。
そして実はそのテラスには、奇 しくも僕たち以外の全員――祖父ふたり、父母、じいや、そしてククリヒメノカミ――がおり、彼らはそこのウッドデッキに輪になるように立って、何かときどき笑顔をまじえながら話し込んでいた。
僕たちはもちろんそこに合流した…が、――僕はギョッとした。
……母の肩を抱いているコトノハさんが、そのスラリと高い鼻の、その二つの穴に血のにじんだティシューか何か、とにかく白い丸められたものを詰めこんでいたからだ。…なんならママもちょっと唇が腫れている、ような…。
「ど、どうしたの、コトノハさん……?」僕はすぐにおそるおそるそう尋ねた。
「あぁ、はは…これだろう、」とコトノハさんは決まり悪そうに、鼻を押さえて笑い、
「いや実はね…、…――。」
……そうしてコトノハさんを含め、その場にいるひとたちが、ここまでのてん末を僕たちに話してくれた。
まず母はあのあとも、あのまま談話室にいた。
そこでひとり考えこんでいると、彼女ははたとあることに思いいたった。――そもそも自分の夫は、「努力したって無駄だ」などと、そうした酷いことを自分に言うようなひとだろうか?
もちろん答えは否であった。
かねてより努力している自分を一番そばで認め、応援し、のみならず協力までしてくれていた夫が、…いやそれ以前に、そもそもそこまで「いつも通り」であった――すなわちいつも通り、それこそバーベキュー中においてもそうだったが、若干ロマンチストなほど自分の美しさを認め、自慢の妻だ、と疑いようもなく自分への愛を示してくれていた――夫が、それも言葉の神である夫が、ましてや結婚式の前日、愛情の深まって当然の段に置かれている夫が、…そのような失言をするわけがない。
というよりか夫は、本当にあのとき「無駄な」と言っていただろうか?
〝「つまり…もうそうした無 理 な 努力などしなくとも、貴女が明日後悔するようなことには……」〟
……思い返してみれば――あのとき彼は「無理な」と言っていなかっただろうか……?
いや、そもそも自分がカチンときた発端のこのセリフ、
〝「うん。だから無理をしてそう、そのジュースをたくさん飲むことはない。――貴女がこれ以上そのジュースを飲んでも飲まなくとも、明日は何も変わらないさ。」〟
……これに関しても夫は――そもそも明日の貴 女 は 、と言っていなかったというのもあれど――すぐ優しげに微笑したまま『それが何故かわかるかい? 明日の結婚式は……』と何か言葉を継ごうとしていた。
いや…何より夫がそうして若干回りくどい物言いをするとき、そのときというのは、決まってそう…――自分が思わずうっとりとしてしまうような、ロマンチックなセリフを言おうとしているときである。
そして母はハッとしたという。
わたくし、なんて酷い聞き間違いを、なんて酷い勘違いをしてしまったのでしょう…――明日の結婚式が不安なあまり悲観的になって、酷い思い込みをしてしまっていたんだわ…――今すぐあのひとに謝らなければ……!
母は思い立ってすぐ談話室のソファから立ち上がった。――するとそのとき、ちょうどそこにふらふらとおぼつかない足取りで現れたのは、夫――コトノハさんであった。
母は泣きそうなほど謝りたい気持ちいっぱいに、すぐさまそのひとに駆け寄った。が、しかし、そのうつろな顔は乾いたジュースでベタベタに赤らんでいる。ぼろぼろと砂もついている。
「あなた…、あなたごめんなさい…。本当にごめんなさい、わたくし、きっと酷い勘違いをしておりましたわ…――けれど、…ごめんなさいね…あの、どうしてシャワーを浴びられていないんですの…? あのジュース、とってもすっぱかったでしょう…。お肌を傷めてしまい…」
と母はコトノハさんの頬についた砂をつまみ取りながら、話をする前に顔を洗ってきて――酸で肌がヒリヒリとしてしまってはよくないから、とまずシャワーを勧めようとしたが、そのさなか、
「っテルヒメぇぇぇ……っ!」
……しかしコトノハさんにはそんなことなどどうでもよく、泣きながら母をぎゅうっと抱きしめたんだそうである。
で…そこからはトントン拍子に仲直りの流れになり、コトノハさんも謝ったのち、――やっと妻とふたりきりになれたというのもあって――無事、あのとき母に言いたかったロマンチックな言葉を、余さずどころか倍にして告げることができた。
そうして晴れてふたりは仲直り…――何なら一緒にシャワーまで浴びちゃったりなんかして、それはもういちゃいちゃラブラブ…――それでめでたしめでたし、…かのように思われた……が、
シャワーから上がりまた談話室、すっかりと(まるで自分たちの心を映し出したかのように)晴れた外、談話室のテラスに向けられて置かれたソファ――そこに座って海を眺められるソファ――にぴったりと寄り添いあって座り、(いちゃラブ)話をしていた母とコトノハさんだが、…どうせならちょっと海辺でも散歩しようか、とコトノハさんは立ち上がりながら、するりと母の片手を取った。
「あら…ありがとうあなた」
すると彼女もそう美しく微笑みながら、夫の手を借りて立ち上がる。
……そしてそのとき、上目遣いに自分を見上げた母があまりにも可愛らしかったので、コトノハさんは彼女の華奢な両肩をつかみ、キスをしようと向かい合った。
「テルヒメ…」
「コヤネさま…」
そうしてちょっとうっとり見つめ合ったのち、コトノハさんは目をつむりながら、斜めからゆっくりと頭をしずめていった。――なお190越えのコトノハさんに対し、母は158センチ、そう…彼ら夫妻には30センチ以上もの身長差があるために、コトノハさんはやや深く腰をかがめるようにして、母の桃色の唇に口づけようとした……、
…ところ、…母がついおちゃめな少女の気分になって、いたずらにぴょんっとかるく飛び上がり、自分から彼の唇にちゅっとキスをしようとした。ら、
「ガッッ…!!」
「ん゛っ…!」
……するとコトノハさんの高い鼻に母の前歯が直撃し、…母は「ごめんなさいねあなた、ほんとうにごめんなさいね、」と自分も(痛みに顔をゆがめながら)口をおさえつつ謝り、コトノハさんも「いやいや大丈夫さ、全く可愛いなあ…」なんて(痛みに顔をゆがめながらも)微笑ましくそれを許した…――が、ツーー…鼻血が。
「いやだわあなた…っ! ち、…血が…っ!」
「え…? あぁ、はは…これくらいなんてことは…」
………しかし…――そこに折悪くやってきたロクライさん…改めタケ爺・フツ爺は、鼻をおさえている手からボタボタ血を垂らしている息子、「血が…?!」と夫の頬を(心配して)押さえている義理の娘、しかも二人とも痛みに真っ赤な顔をし、こと義理の娘は(心配で)ただならぬほど険しい顔をしている…(コトノハさんは痛そうに眉をひそめていたものの笑ってはいたが、しかし、その口もとは鼻を押さえている手で見えなかったらしく、…つまり険しくなった母を睨みつけているような目もとしか見えなかったらしく…)――殴り合いの喧嘩をしとると思ったんじゃあ……とは(早合点した)タケ爺の言い分である。
――ドォォー…ン!! ザアアアア……。
「いいいいぃい加減にせんかあああお主らああああ!! なぁにを殴り合っとるんじゃあああ!!」
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