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 そう…――実はあの「天変地異」は、母と(鼻血をダラダラ流している)コトノハさんが「殴り合っている」だなんぞと勘違いをしたタケ爺が、瞬時カッと頭に血がのぼったあまり、思わず起こしてしまったものであったらしいのである。  ……というのも夫妻は、天上でのものもふくめ、幾度とない夫婦喧嘩をしてきてはいても――これまで、まさか殴り合いの喧嘩までは一度もした試しがなかったので(もっとも今回もそんなことはしていない。完全にタケ爺の勘違いなのだが…)、タケ爺はいよいよそこまで関係が悪化したのか、という絶望と、何をしているんだ、という夫妻への憤怒とから、ある意味では正気をうしなってしまったと。  ましてや殴り合いの喧嘩も流血沙汰(ざた)の程度まで、ともなれば――あくまでも()()()()()()()()、というだけのことなのだが…――、いよいよ自分が仲裁に入らねば事(と両者の怪我)がさらに悪化する、…とタケ爺は、  ――ドォォー…ン!! ザアアアア……。 「いいいいぃい加減にせんかあああお主らああああ!! なぁにを殴り合っとるんじゃあああ!!」  とすさまじい雷雨を呼び起こしながら、岩のような大きな拳をかまえ、すぐさま殴り込もうとした。  しかしとっさ、慌ててその大男を後ろから羽交(はが)い締めにして止めたのは、タケ爺の隣にいた夫神・フツ爺である。 「おっおおぉおよしよお前さま、まてまて、よくご覧、殴り合ってなんかおらんよっ…!」  膂力にせよ技法にせよ、タケ爺と渡り合えるのは、ひいてはこの力自慢の夫神を止められるのは、大げさでもなく自分だけ…――フツ爺はそのある種の使命感もなかば、…そもそもよく見たらわかるだろう、ふたりは取っ組みあってなどいないだろうが、…いや仮に殴り合っていたにせよ、それを武力行使で止めるか否かはもうすこし確かに状況を把握してからにしろ、…と夫神の早合点(しかしまあ昔からよくあることといえばよくあること)に内心呆れていたという。  ……もちろんフツ爺のその読みは当たっていたわけだが。  そして、談話室もすぐそこに海の広がる――もっとも今はまた豪雨の有り様となってはいるが…――テラス直前の、開かれたガラス戸まえにいた母とコトノハさんは、はたと同時にふり返った。…彼らの位置からはやや遠く、談話室とただ広いエントランスとをつなぐ、その扉のないひらけた出入り口付近で、フツ爺に後ろから両わきを抱えられ、鬼の形相でじたばた暴れ、抵抗しているタケ爺に。 「「……え…?」」  そしてそう、当然夫妻はきょとーー…んとした。  それから揃って『殴り合い…? あのひとは何を言っているんだ?』という同じ疑問のうかんだ顔を見合わせた。が、 「離せええ! 離さんかいフツうう!! ここはあいつらの父としてハッ倒してでも止めるべきなんじゃあああ!! ――ええいっ、いよいよ血を流すほどの殴り合いまでしよってからにっ! 血迷ったんかいお主らああああ!!!」  ドォォ…ン…――!! ゴロゴロゴロ……。  タケ爺が「血迷ったか」と叫んだのと同時、また雷が落ちた。――しかし夫神の両わきをしっかとつかんだまま両脚を大きく開き、腰を落としてうしろに重心をかけ、力いっぱい踏ん張りながらなんとか止めているフツ爺は、…普段はのんびりのほほん、静かな優しい声色をつかうひとであるというのに、このときばかりはさすがに大声を出した。 「落ち着きよ! 落ち着きったら! 血迷っとるのはお前さまさねっ! よぉくごらn…」 「っ殴り合いの喧嘩なんぞなあ!!」しかしフツ爺の奮闘むなしく、タケ爺の怒りはおさまらない。 「こんっっのバカタレ共がああ!! 女神にしろ男神にしろ、手ぇ出すなんぞ夫婦のご法度(はっと)じゃとワシはお主らに教えたじゃろがい!! ワシゃあそんな子に育てた覚えはないぞコヤネ、テルヒメええ!!」 「あ、あのお義父さま、いいえ誤解ですわ、」と(タケ爺の勘違いを察した)母が慌てて祖父ふたりに駆け寄りながら、またコトノハさんも一緒に駆け寄りながら、 「そうだよ父さん、まさかっ…! 私はテルヒメと殴り合いの喧嘩なんかしていない、…これはちょっとした事故で…」  とタケ爺の勘違いを正そうとしたはものの…――。 「そもそもが単なる勘違いじゃろうがあ!! 殴り合いまでするようなことか!? ええ゛!? ――コヤネはテルヒメを愛し、テルヒメはコヤネを愛しているが故に、お主らはちいいっとばかりすれ違っちまっただけじゃろうがあああ!!」  ……いやまあそれはごもっともなのであるが、今一番勘違いしているのは貴方である…――とはその場にいた他三柱が思ったことだという。  とそこでこの大騒ぎを聞いて駆けつけたじいやが、 「おっ大旦那様! っ皆様、どうかなさいましたか!?」  とエントランスのほうからやってきた(そのガタイのいい体に、フリフリフリルのピンクのエプロンを着けたまま、また片手には銀のおたまを持ったまま。遠巻きに見守っていた父母も仲直りしたことだし、と、ちょうど夕飯の仕込みをしていたんだそうである)。――すると(アウェイの)タケ爺はやっと援軍がきたと思ったらしい。 「おぉよいところに来たじいやっ! こやつら、いよいよ殴り合いの喧嘩なんぞしとるんじゃ! お主も止めてくれ!!」 「は、……、……?」  しかし…じいやはふと見やった母とコトノハさんが、……タケ爺の前、並んで立っているだけのその困惑顔のふたりが、どうも殴り合いの喧嘩をしているようには見えず、困惑したという。  まあたしかにコトノハさんは鼻から口まわりが血だらけ、母も唇をちょっと腫らしているようには見えるが、――たしかに何かただならぬことが起きたあとなのではあろうが、――しかしどう見ても殴り合ってはいない夫妻を、どうやって止めろと…?  …何なら今一番冷静でないのは……だなんてタケ爺を見たじいやは、 「あーー…? ……、…」  しかしまあ、たしかにこれを放置しては、タケ爺こそが誰かをぶん殴る…という展開になるかもわからない、と判断し、持っていたおたまを――あくまでも夫妻と、対するタケ爺のあいだにかざして、 「およし…くださいませ…? ――まあまあ、両者ひとまずは(ほこ)を下ろされよ…、どうぞご冷静に……」 「違いますのよじいや…」  母はじいやもわかってはいるようだが、とは思いつつ、念のため、やはり困惑した顔をふるふると小さく横に振ってみせた。 「間違っても殴り合いの喧嘩なんてしていなくってよ…、お義父さまが勘違いしていらっしゃ…」 「ほいじゃあど〜〜して血ぃなんぞ流しとるんじゃあ!!」――とタケ爺がピッと(フツ爺にわきを抱えられたまま)夫妻を指さす。 「……えっ? そ、それは…、…あの、いえ、ですからその……」  すると目を(みは)った母は、たちまち顔を真っ赤にあからめながらうつむいた。――まさかその流血沙汰となった「事故」のてん末は、恥ずかしくて、とてもじゃないが義父には言えなかったのだそうである。 「いや、これはちょっとした事故さ父さん、…はは…その、要は…――要は、だから…、えーー…、……」  しかしコトノハさんもそう照れくさそうに笑いながら、やはり言い渋った。――それは恥ずかしがってうつむいた妻神への配慮ゆえである。が、…タケ爺はそうして煮え切らない夫妻の態度に、やましいこと(()()()()()嘘の気配)を嗅ぎとった。 「ほれ見ろ!! やあああっぱりお主ら殴り合ってたんじゃろがい!!」 「…いいやお前さま、わかるだろ、…なあ、どう見たってふたりははにかんでおるだけじゃないか…」  と(相変わらずじたばたしているタケ爺を抑えこみながら)フツ爺があきれながら助け舟を出す。――じいやは「と、ともかくお手当てを…」と、まずは血だらけのコトノハさんの手当てを優先し、ここで一旦退場しようとしたが、 「待たんかじいや!! そんな場合じゃなかろうがあ!!」と(味方を失いたくない)タケ爺が彼を引き留めた。  …いやそんな場合である…、ちなみにじいやは「は、はあ…」と困惑はしたが、 「では…」 「…私が」  ととっさの判断によってAとBに別れ、Aはこの場にとどまり、Bは救急箱を取りに行ったらしい。  で…(それに安心した)タケ爺は夫妻をまた睨み、 「…とにかくっ! なぁあああんで殴り合いなんぞ、」 「ああもう、落ち着いてくださいませお義父さま!」  しかしそこで母が険しい顔をしてそう怒鳴った。  ただし、彼女はこのときいよいよ怒りだしてしまったわけではない。――大声で多少驚かせるようでもなければ、この怒り狂ったタケ爺はまず聞く耳をもたないと、そう長年の経験則から思ってのことであったという。 「わたくしたち、ともかくもう仲直りしていましてよ! ご心配、ご迷惑をおかけして大変申し訳なく思っておりますけれど、また大変ありがたく思ってもおりますけれど、――ほんとうに仲直りしておりますわ! ですからまずは落ち着いて、話を聞いてくだ…」 「ウエとシタはどうするんじゃあああああ……っ!」  ところが…であった。  ……感極まったタケ爺は、――またドガアァ…ン!! と雷を落としながら――今度は怒りもなかば、険しい顔をして泣きはじめた。 「殴り合いとまで来ちまったら、もういよいよ離婚じゃろうが、…離婚、…離婚するんか、ええ?! ――あんなにお主ら父ちゃん母ちゃんがだぁいすきなウエとシタが、…そんなのあんまりじゃ、…あんまり孫たちが可哀想じゃろうがああ……っ!!」 「……、…」  母は黙り込み、チクリと痛んだ胸をそっと片手でおさえた。  ……タケ爺が彼ら夫妻の喧嘩によって気をもんでいたなかには、彼らの息子たち、ひいては自分の可愛い孫である僕たちへの心配もふくまれていた。いやむしろ、彼の泣くほどの心配は僕らへのそれがほとんどを占めていた。 「今だってあん子らは胸を痛めておるに違いないわいっ…!」タケ爺は顔を怒ったようにしかめながらも、その緑の瞳からほろっと涙をこぼした。 「下手すりゃ今泣いとるかもしれんわっ! 大好きな父ちゃんと母ちゃんが喧嘩しとるってだけでも悲しかろうに、…血を流しとる父ちゃんなんぞ、父ちゃんを殴った母ちゃんなんぞ、…どれ…っだけ孫たちが悲しむか、――かててくわえて、よりにもよって楽しい家族旅行の最中に離婚だなんだ、…お主ら、もうちっとウエとシタのこと考えられんのか、こんのバカタレ共がああああ!!!」  ――ドガアァ……ン!!  すると母もコトノハさんも、暗い顔をしてうなだれた。 「……おっしゃる通りですわ、ほんとうにごめんなさい…。あとであの子たちにもきちんと謝らなければ……」 「そうだね…本当にすまないことを…――だが父さん聞いてくれ、まずはどうか聞いてくれ、――私たちは離婚なんかしないよ!」  としかし、まずはこの誤解をとかねばと、コトノハさんも声を張る。  ここでじいやBが救急箱をAに手渡しざま、「ひとり」になりつつ……、 「「そうでございます、建御雷(タケミカヅチ)の大旦那様。私が思うに、旦那様と奥様は本当にもう仲直りされておられるようでございますぞ。――よぉく思い出してくだされ、未だ仲直りされておられないお二方は、このように並んで立たれることなどないじゃありませんか!」」  とほがらかに笑いながら言った、…ちなみにその声はちょっとエコーしていたという(全く同じ音声を同時再生したときのあの感じである)。 「それは……思うとそうじゃのお、…」とタケ爺は、じいやのその言葉に(やっと)夫妻の仲直りに、ひいては自分の勘違いに気がついた……、のかと思いきや、彼はボロボロ泣きながら、 「しかしワシゃぁもう、とにかく、とにかく、! お主らより何より、ウエとシタが可哀想で可哀想でのぉ、! ふたりは今どれだけ悲しんでおるかのおぉぉ…――っ!!!」  ドガ…ァアアア…ン!! ――ザアアアア……。  ……また感情を爆発させ、よりすさまじい雷はもとより大雨をもたらした。  こんな感じでタケ爺は、もはや話が聞けなくなるほどめちゃくちゃに怒ったり泣いたりしていたが、――そこにそう、例の仲介の女神――ククリヒメノカミが現れる。  彼女は「ごめんあそばせ…」と颯爽と現れ、そして第三者であればこそ冷静かつ淡々と、「例の事故」のあらましをタケ爺にもわかりやすく、かつうまく説明して聞かせた。また夫妻が仲直りをしたことに関しても丁寧に、かつ簡潔にタケ爺に伝えたそうだ。  するとさすが、驚くほど簡単に、タケ爺の勘違いは解かれた。

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