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……これ――何だろ?
「……、…」
俺は三十センチほど下の海底の砂にたくさん落ちている、多少の大小はあれどもおしなべて小さい、その色とりどりの綺麗な「何か」を見下ろしている――丸みを帯びているから、…小石? でも、それにしちゃあ灰色だの黒だのじゃなくてやたら色とりどりだ、それに見たところ半透明な感じなのだ――俺の龍の黒い鱗のすき間からもれ出る、ゆっくりと明滅する紅い光に照らされた「それ」は、まるでなめらかな砂のうえに散らばされた小さな宝石みたいだ。
……俺は龍の細かな鱗に覆われた黒い手を「それ」に伸ばして、そして鋭利な紅い爪の先でちょんとつまもう…としたけれど、――ここではたと気がついた。
「……ん゛ーー…、……」
いや、もちろん爪でつまもうと思えばつまむことはできる。――でも、そもそも今龍神になっている俺の腕は、まず長い顔、そしてその次に長い首、…そうして俺の鼻先から160センチくらいも下から生えているから(しかもこのデカい体のわりには短い腕だし)、その「何か」を手にとってじっくり見るの自体がかなり大変なのだ。
まあそれもできないことはないけど…――ただ、それこそ人間的な姿で例えるなら、どんなに痩せている人でも二重顎になるくらい限界まで顎を引き、…つまり喉のあたりに顎の下をべたーっとすき間なくくっつけ、さらにうなじのほうも目いっぱい斜め上へつり上げるようにぐうっと引く、って感じで…――要はそれくらいの無理をしないと、今の俺は自分の手元が見えない。
……でもちょっと気になったくらいのもので、そこまでするのは何かバカみたいに仰々 しいし、何より億劫 だ。
ということで俺は、三十センチくらい下のその海底の砂に、…というか、その「何か」に鼻先を寄せた。
つまり(今は)手にとって見られないなら、逆にこうやって自分の目を「それ」に近づけちゃったほうが手っ取り早い、ってわけだ。
「……、……?」
……ん〜〜ただ、…近くで見ても、「これ」が何なのかはよくわかんないな。と俺は小首をかしげる。
今、ある意味では、自分たちの体から放たれる神力の光が、暗闇のなかでの灯 りになっているとはいえ、それでも薄暗いことには違いないのだ。
だから思うほどよくは見えない…――やっぱり半透明な、色とりどりの、細 石っぽいって感じのことしかわからない…――まさか深海に宝石なんかこんなにたくさん落ちてるはずもないし…、でも、なんだかよくはわからないけど……、
「……、…」
……案外、なにかの生き物だったりして?
と思うとワクワクしてくる。…海にはたくさんの生き物が棲息しているけれども、特に深海には奇妙な生き物もわりと多い。――そうしたらひょっとして「これ」、食べられる可能性もなくはないかも……?
……なんか、そう思ったらだんだん飴 にも見えてきt…
……とか考えていたら、
「っだめええぇーシタちゃああああんっ!!」
――ゴンッ!!
「…ッングぶゥ゛、!?」
いきなり、ものすごい猪突 猛進 の勢いで体当たりされた――セオリツのお姉さんに、…
いや体当たりっていうか、…正確には、牛とか鹿 とかが喧嘩相手にやるような、かなり容赦のない頭突 きだけど…――。
しかも……今当然うつむいていた俺は、ほとんど脳天に受けたお姉さんの、その頭突きのすさまじい力と勢いで後ろへぐぅーっ! と押されながら、とっさに衝撃に耐えるために海底の砂を両手で掴んだ。けど…――そもそもうつむいていた俺の頭は、お姉さんの頭に押されてさらに深く伏せられ、…そうしたら下のやわらかい砂に顎の先が突き刺さり、そのまま後ろに押されれば当然、意図せず俺の顎はずずずっと砂をかき寄せ、――すると澄んだ水中にもくもくと砂煙のただようなか、今俺は、砂に残った俺の両手の十本指と下あごが引っかいたいびつな跡の先…――たちまちべちゃあと、海底に這 い伏す体勢になってしまった。
「あっははははは…」ウワハルが可笑 しがって笑っている。…いや、ていうかあざ笑っていやがる。
「……、…、…」
……君俺の兄さんでしょ、ちょっとくらい弟を心配しろよこの高慢 ちき。…俺、まだ頭のてっぺんがズッキンズッキンしてんのに…(龍神姿の硬い鱗に守られた石頭とはいえ、同じ石頭に思いっきり頭突きされてちゃ当然だ…)。
で…――俺の真ん前にいるセオリツのお姉さんが、俺のことをこう本気で叱ってくる。
「ばっちいからそんなの食べちゃだめ!」
「……、…」
えっ……、う、いや、…まあ…たしかに…俺…まあ、たしかにさっき『これあるいは食べられるかも』とは思ったけど、それはあくまでも「かも」だし――別に今すぐ「あれ」を食べようとかしてなかったし…――、ていうか俺、さっき多分傍目 から見て、ただ砂をじっと見下ろしているだけだったと思うんだけど(俺の心の声が聞こえるウワハルはともかく、セオリツのお姉さんは見えた俺のその様子だけで「食べちゃだめ」と頭突きしてきたに違いないはず、なんだけど、)…そんなに食い意地張ってるとか思われてんの俺…セオリツのお姉さんに……。
「……、…、…」
「ふん、」と兄が俺をせせら笑う。
「どう見たって食べられそうもない小石相手に、〝食べられるかも〟だなどと期待して思うだけでも、十分食い意地は張っているだろ。――大体君、〝飴にも見えてきた〟なんて思っていた通り、そのようなアホ面の上に、ひょっとして涎 まで垂らしていたんじゃないのか? ――シタはわかりやすいんだよ。すぐ顔に出るんだ。」
「……、…」
ほんと相変わらず嫌 なやつ。と俺は、砂に顎から喉からお腹から伏せたまま、げんなりする。
いや、(表情はわかんないけど、)よだれなんか垂らしてないから、…ていうか、もし仮に垂れてたって海の中じゃわかんないでしょ…、それこそおしっこしたって…――『気色の悪いことを言うなこの馬鹿弟!』と、心の声で兄が文句を言ってくる。『大体、綺麗好きも過ぎるほどのお姉ちゃんの前で、仮にもそんなことを口に出して言ってみろ、…お前、頭突きじゃ済まないぞ。』――それは確かに……。
そして(別に言うつもりはないけど、俺に言わせないように、…かつ、今の秘密の会話をなかったことにするように、)ウワハルはまた「ふ、」と俺を鼻で笑い、こんなことを言ってくる。
「まあ、君が愚かな赤女 の二の舞を踏みたいのなら、その馬鹿な好奇心のまま試しにその石っころを口にしてみたらどうだ。…なあ、シタ…――つい先日、塩椎 の老翁 からその話を聞いたばかりだろ。全く、我が弟ながらまたぞろ学ばない…」
「……、…」
まあそれはそうだけど…――ちなみに赤女というのは、赤い鯛 のことだ。
「ああ、」するとセオリツのお姉さんまで楽しげな声をあげる。
「ほんとそうだよ、シタちゃんったら。…ほんと可哀想だったんだから…――その子ねえ、喉に刺さった釣り針を海神の王に取ってもらうまで、何日も飲まず食わずで過ごすしかなかったらしいんだよ? そんなことになってもいいの?」
「…だってさ。」とウワハルがくねらせた胴体で、俺の胴体を小突いてきた。そして俺をからかうようにこう言う。
「へえ、何日も何日も飲まず食わずか…、ふん、食い意地の張ったお前にはとても耐えられやしないことだろうな…、なあシタ……?」
「…ふふふ…、しかもそれ、実はまだばっちいんだ。触るのもどうかと思うくらいなんだから…――お腹を壊すくらいじゃ済まないかもだよー…?」
「……、…」
俺は今目を伏せているからあれだけど、セオリツのお姉さんとウワハルは絶対、俺のことをからかうような目つきでじいっと見てきている。…そういう嫌な視線を感じる。
愚かっていうか、俺的にはかわいそーな赤女の話…――まあ、その話の主人公は赤女ではなかったけれど……、
「…まあ、確かに二の舞は嫌 だけど…、嫌 だけど、さあ…、……」
――たしかに俺たちはこのあいだ、塩椎 の老翁 という賢くて何かめっちゃすごいおじいちゃん神から――ちなみにじいじたちの友だち――、その話を聞かせてもらった。
さくっと簡略化すればこう。
……いわく…――アマテラス様の子孫・ちなみに超美男子の火遠理 命 は、通称「山幸彦 」といって、山で動物を狩るのにものすごく長けた神だったんだけれども、あるとき、一方魚を捕るのに長けていた「海幸彦 」と呼ばれる兄・火照 命 と、お互いが愛用している道具(弓矢と釣り針)を交換してみることにした。
で、そうしてお互いの道具を使って、お互いの持ち場に行って、各々狩りをしてみたはいいものの――全然だめ。
そう、どちらとも全然うまく獲 れ(捕 れ)なかった。道具のすごさじゃなかったっぽい。――ってことで、お兄さんのほうは弟のホオリ様に道具を返した。
……けど…一方でホオリ様は、
『ごめん…実は兄さんの釣り針を、海に落としちゃって……』
……そしたらお兄さん、大激怒。
ホオリ様は平謝りで五百本、千本とたくさんの釣り針で弁償しようとしたけど、お兄さん、『あれじゃなきゃ無理!』と受け取ってくれない。
で、全然お兄さんがゆるしてくれないから、ホオリ様は海辺で途方に暮れていた。
そこにシオツチおじが現れる。ホオリ様は事の次第をおじに話す。お悩み相談の会開催。そして、
『……なるほど…。しかし、どうぞご心配召されるな。このわしが貴方のために、一策講じてしんぜましょうぞぉ…――。』
とかなんとか言ったおじは、困ってるなら綿津見の国へ行きな〜〜こうやって行きな〜〜じゃあな〜〜…って感じで、ホオリ様にその国への行き方を伝授して、消えた。
……そう、なんで「綿津見の国」に行けばなんとかなるのかとかそういうのは何も言わず、…いや言ってあげなよ…ホオリ様多分、『え、え、なんで? なんで綿津見の国に?』とか思っていたと思うけど……。
でも…結局はおじの言うとおり、綿津見の国に行ってみたら、本当に何とかなった。
……なんやかんやあって綿津見の国に到着したホオリ様、海神の王に『実は兄の釣り針を海に落としてしまって…、知りませんか…?』と聞いてみる。
王、『存じ上げませんなぁ…』と困り顔。
んでも、
『しかし、我が国の者に聞いてみましょう。』
と、国の者――魚たちを集めて聞いてみる。
そうしたら……、
『そういえば最近…』と魚たちは口々に言う。
『赤女が、〝喉に何かが刺さっていて、とっても物を食べられなくて困る〟などと悩んでおりましたが…』
……そう。
ホオリ様の兄・ホデリ様の大切な釣り針は、一匹の赤い鯛が呑み込んじゃっていたのだ。――そして、つまりその子が俺たちのいう赤女だ。
で…――海神の王はその子を呼び出し、喉に刺さっていた釣り針を取ってあげて、無事一件落着……的な。
そ。…そしてこれこそが、この前俺たちがシオツチのおじから聞いた話。
……ちなみに、…そのあと、もちろんその釣り針はホオリ様に洗って返却されたんだけれども…――実は海神の王の娘・豊玉姫 命 とホオリ様は、一目惚れしあって綿津見の国で結婚、…でも三年後、結局ホオリ様は地上に帰られた…――けど、そのときトヨタマヒメ様はすでにご懐妊されていたため、『あとで追いかけてまいります。産屋 をお造りになってお待ちくださいませ』と、ホオリ様に頼む。
そして地上に帰ったホオリ様は、妻の頼みごとを叶えてあげていたんだけど、…ただ、その産屋が完成する前にトヨタマヒメ様が来てしまって、――しかも、ホオリ様と再会されたときにはもう、限界ギリギリまで産気づいていた。
だから彼女は『申し訳ありません、もう産まれそうなんです…』と、慌てて未完成の産屋へ――ただそのとき夫に、
『けれど、決してわたくしが出産している姿は覗き見されませんように。』
と…言い置いておいたは、いいものの…――伊弉諾 のお父様が脳裏にチラつく…。
……そう。ホオリ様は結局、好奇心に負けて覗き見しちゃったのだ。――そうしたらその産屋のなかにいたトヨタマヒメ様は、ものすごく大きなワニに変化して(というかその姿が本当の姿らしいけど)、のたうち回りながら赤ちゃんを産んでいたんだってさ。
……これがさっき、セオリツのお姉さんが言っていた「いろいろあった」の内容…――結局、愛する夫に、自分の怪物めいたワニの姿を見られてしまったトヨタマヒメ様は、『よくも恥をかかせましたわね!』と大激怒しちゃって(伊弉冉 の大お母様みたいに)、…で、綿津見の国への道を固く閉ざしてしまったらしいのだ。
……つまりその国が鎖国されたのは、夫 婦 の い ざ こ ざ 一 個 で ってこと…――イザナギ・イザナミのご夫妻しかり、なんでみんなして超大規模で無関係なひとたちを(夫婦喧嘩の報復に)巻き込むんだろ、ほんと……。
「……、…」
まあ、そんな感じ……。
てか…石を食べたらそれこそ赤女の二の舞だぞ、はまだわかるけどさぁ…――「ばっちいからだめ」とか言うなら……、
「……、…、…」
俺、今その「ばっちいらしい石っころ」とか、ひょっとすると「ばっちいらしい砂」とかに(口めちゃ近の)顎の裏くっつけてるし、なんなら顎どころか、顎からお腹までそこにべったり着いてるんだけど…(あとぶわあっと起こった砂煙のせいで、俺多分、多少砂を鼻から吸い込んでるし…)――で、じゃあそれ誰のせいって、ほかでもない、「ばっちい! だめ!」って頭突きしてきたセオリツのお姉さんのせいで。
ねえ、何ならむしろこっちのがばっちくない…?
口で「だめ」って言うだけでよかったくない……?
ていうかそのほうがいろんな二次被害起こらなかったし、何ならこれじゃ本末転倒くない………?
「……、…」
まあいいや……俺はやっと砂を両手で押して、顔と細長い体を浮かせなおす。
で…ちょっと、いやだいぶ待ってあげたけど、結局ウワハルが俺を心配することはなかった。
あーー根に持ちそう。いや、持ってやろ。
「それは見ものだなシタハル。」と俺の隣でウワハルが(ウエだけに)超上から目線な感じで言う。
「一晩寝たら忘れる能天気の癖に。」
「……、…」
ああーーーーーほんとコイツ嫌い。
俺、ほんとにこんなまるっきり可愛げのないやつと将来結婚なんかしなきゃなんないの? 何が運命られた夫夫神だよくそ、ちょっと顔が綺麗だからとはいっても、ぜったい俺こんな兄に恋なんかするはずないし、こんな高慢ちきの自惚 れ屋を愛するなんかもっとできっこない。無理!
あああ゛〜〜ぜったいぜったい無理!!
「ッそれはこっちの台詞 だこんっの痴 れ者め!」
「…んああ゛っ?」
俺は怒鳴ってきた美麗な白龍の兄と睨み合う。
あーほんっと、ウエって顔だけはいいよね。ほんっっと、…カ・オ・だ・け・は!
するとウワハルは白い尖った牙をむき出しにして、俺にこうやり返してくる。
「ふんっ腰抜けめ、いつになったらお前のその腑抜 けた根性は叩き直されるんだ? どうせそうして痴れ者らしく痴れ言を抜かすのなら、卑怯にも心の裡 などに籠 って言わないで正々堂々口に出して言え、この臆病者!」
「っンああああああ゛いいよぉ? んじゃあ面と向かってはっきり言ってやるけど、」と俺は怒りのあまり目をひん剥く。
「お前ってほんっっと顔しか取り柄 がないよなぁウワハル!? っこんっ…の高慢ちき! んでそんっな可愛げってもんがないの!? お前母上のお腹の中に忘れてきたんじゃない、そういう必要最低限の弟への優しさとか可愛げとか愛とか…」
「やめなってもう、双子ちゃんたちったら……」
するとセオリツのお姉さんがそう、まあまあ…と仲裁に入って、俺たちのあいだに入り込んでくる。
そして「近ごろはすぐ喧嘩するんだから…」と彼女はちょっと呆れた顔をしながら、俺たちの鼻の頭をするりと撫でて…――すぅーっとネガティブな気持ちを浄化してくれた――そのあと、すぐににこっと和 やかに笑い、
「まあでも。喧嘩するほど仲が良いってやつ。なのかな?」
「「違うよ、ねえウエ 。ふふふ」」
……うわ…なんか、なんか変…怒りをお姉さんに浄化されたら、ウエなんかとおだやかにほほ笑み合っちゃった、俺……。
しかし、セオリツのお姉さんは「はいはい」とニコニコしながら俺たちのそれを軽く受け流して…――それから「ところで」と、ちょっと真剣な顔をして俺を見すえる。…彼女のその紫の瞳は俺を優しくたしなめる感じだ。
「シタちゃん…――玻璃 を食べちゃだめなことくらい知っているはずでしょう? だめだよ。ましてやこの玻璃、まだばっちいんだから。」
「……んえ。」
俺は目を丸くして驚いた。――玻璃?
ちなみに玻璃とは、今でいう「ガラス」のことだ。
と…するとこの小石――俺はふとまた砂を見下ろした。…さっき俺の顎は、この色とりどりの小石たちもまた砂と一緒にかき寄せていたから、すぐそこにもたくさん散らばっている。
「これ…玻璃なの?」
「うん。」お姉さんがすぐに肯定する。
俺は顔を上げてまたセオリツのお姉さんを見る。
彼女は微笑んでいるけれども、俺を見ている彼女の紫の瞳は、ちょっとだけ悲しげだ。
「今ね、わたしの親友の速秋津 比売 ちゃんが、ある練習をしているの。――だからその玻璃は、彼女の作品…みたいなものかな……。」
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