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深海の真っ暗な海底――そのなめらかな細かい砂の上に散らばった、この色とりどりのさざれ石たちは、セオリツのお姉さんいわく、彼女の親友・速秋津 比売 神 が、何かの「練習」で玻璃 を原料に創り出した、作品みたいなもの……らしい。
……だけど、ばっちい…いや、――ま だ 、これはばっちいらしいのだ。
「……、……?」
俺はその色とりどりの小石を見下ろして、小首をかしげた。――でもそれ、ちょっと奇妙な話じゃない?
……だって――ハヤアキツヒメの大おばさんは、いわゆる「祓戸 四神(四柱まとめて祓戸大神とも)」呼ばれる、地上の穢れや罪を祓い清めることに特化した…というか、特化もそうだけれども、何よりそれを主なお役目としている神のうちの一柱なのだ。
ちなみにセオリツのお姉さんもその祓戸四神のうちに属していて、…その四神の罪穢れを祓い清める方法はというと、(大祓 詞 っていう一番くらい有名な祝詞 にも書いてあるけど、)まずお姉さんが川の清流の力で罪穢れを洗いながら、それをハヤアキツヒメの大おばさんの待つ海へ流す――するとハヤアキツヒメそのひとは、その罪穢れを海底で受けとめてまるごと呑み込み、世からそれを無くしてくれる。
……そのあとは風の神・気吹戸主 神 が大おばさんの体内の罪穢れを根の国・底の国へ吹きとばし、次に速佐須良 比売 神 が、その国をさまよい歩いて届けられた罪穢れを拾い集め、いよいよ完全に消してくれる…――って感じで、いわば「浄化フィルターシステム」なんだけど――、特にハヤアキツヒメの大おばさんとセオリツのお姉さんは、四神のうちでも特に協力しあっている(仕事上の接点も多い)から、…まあ結局四神みんな仲良しではあるんだけれども――祓い清めるのにはその四柱だれが欠けてもだめだし――、…ただそれにしても彼女たちは、お互いに親友と認めあうくらいの仲良しなのだ(何なら傍目には親友というより姉妹っぽく見えるくらい)。
……だけど俺がちょっと奇妙だな、と思ったのは、そうして罪穢れ、…つまり「ばっちいもの」を清めることの大得意なハヤアキツヒメの大おばさんの「作品」が、…ばっちいって?
じゃあ何、わざわざばっちいもんを創り出したってこと、…祓戸大神の、ハヤアキツヒメの大おばさんが……?
「……??」
てかそれもそうだけど…――そもそも、何の練習? 習作ってこと?
……ただ、そう疑問に思ったのは俺だけじゃなかった。
「練習……?」と聞きながら訝 しげに首をかしげたのは、俺の隣の(顔 だ け は や た ら と 美 々 し い )白龍――つまりウワハルだ。
すると美しいサファイアの鱗をもつ青龍――セオリツのお姉さんがふと、その透明感のある紫の瞳を兄に向ける。
ただ彼女のそのくるんと根本から上がった、青く光る長いまつ毛に彩られた両目は、もの悲しい寂しさのような曇りを帯びている。
「ここだけの話だよ…」とセオリツのお姉さんは前置きして、それからこう沈んだ声でつづけた。
「実はね、これから先の未来…――人間たちは、地上の海や川を、色んなもので汚してしまうみたいなんだ……」
「え…」ウワハルが驚く。
「……、…」
俺も驚いて、あまりのことに言葉が出てこない。
一方彼女はふとその青く光る長いまつげを悲しそうに伏せて、こうしおれた声で話す。
「たとえば有毒な油とか、生き物たちが間違えて食べたら死んでしまうようなゴミとか…、毒のあるもの、危険なもの、邪魔なもの…そういう色んな有害なものを、何でもかんでも海や川に捨てて…――そしてそのせいで、そこに棲む生き物たちや、魚を食べる鳥たちのことを苦しめたり、間接的に殺してしまったり…、海や川を、生き物の棲めない環境にしてしまったり…――それなのに生き物たちのことを乱獲して、…そうやって自然の均衡を崩して…――悲しいことだけどね…、でも、そういう運命なんだって……」
「……、…」
「……、…」
俺たちは何も言えず、ただ黙っていた。
正直、俺には今はまだ想像もできない。
――だって今はまだ、人間たちは自然の摂理のなかにいる存在だからだ。
獣を狩る。魚を捕る。だけどそれは動物が、たとえば狐 がうさぎを狩るようなもので、たとえば鳥が魚を捕るようなもので、そうしてあくまでも自然のあり様 のなかに、人間が一種の動物として組み込まれているだけだ。今は…まだ……。
でも、人間の子たちはみんな知っているはずだ。
食糧となってくれる生命 は有り難い、尊 いものなんだって。――植物も、動物も、魚も、全部全部、自分と同じだけ価値のある生命――自分はその尊い生命をいただいているんだって。
だから「いただきます」って、みんな手を合わせて言うんだ。
生命を奪わないで生きてゆくことはできない。
だからこそ、いただいた生命に感謝して、自分が生きる。――自分が生きることで、いただいた生命を活かし、生を繋いでゆく。
それが自然の営みなのだ。
それをわかっている人間の子たちが、まさか、生き物のことを必要以上に苦しめようとなんかするはずがない。
……ただもちろん、たしかに人間のなかにも悪いやつはたくさんいる。
だけど…――自然の均衡が崩れる?
地上の広大な海や川が、多くの生き物たちを苦しめるほど汚染される?
どうして、なんのために、…まさか、生き物たちを虐殺するため?
でも…そもそもそんなの、一人や二人の悪いやつがやってできることじゃない…――。
「そうしたら、何…」俺はぼう然としながら、セオリツのお姉さんにこう聞いた。
「人間の子たちは、どうなっちゃうの…――みんな、未来ではみーんな、悪いやつになっちゃうの……?」
するとセオリツのお姉さんはその紫の瞳を明るませて、「ううんっ」と嬉しそうに笑いながら、俺のそれを否定した。
「ならないよ。…むしろ、だから速秋津 比売 ちゃんが〝練習〟してるんだ。――ちなみに、へへ、…そのきっかけを思いついたのはわたし。だからわたしと一緒に。……」
そして彼女は「これね、この綺麗な玻璃の宝石…」と親友の「作品」――砂の上に散らばる色とりどりの小石――を、どこか誇らしげに見下ろして、明るい声でこうつづけた。
「実は、元は人間が捨てたゴミなんだよ。」
「ゴミ?」俺も小石を見下ろす。
……ゴミになんかちっとも見えない。――こんなに綺麗なのに?
「あっごめん、これは違うよ、」
ただお姉さんは照れくさそうに笑いながら、そう訂正した。
「これは本物のゴミじゃなくて、…へへ、これは〝練習〟のために、本物そっくりに造られたものだけど…」
そしてそう前置きしてから、彼女は落ち着いた声で話をつづける。
「これから先の未来、人間たちは玻璃で作られた瓶とか食器とか、窓とか…とにかく色んなものを川や海に捨てちゃうでしょう。――そう、まさにそれ。――つまりこれの元のすがたはね、人間たちが捨てたそのゴミの玻璃の破片。…それで、」
俺はここでふとセオリツのお姉さんをまた見た。
でも彼女はニコニコしながら、まだ「玻璃の宝石」を見下ろしている。
「そのゴミの破片に溜まっている罪穢れを、速秋津 比売 ちゃんは海で、時間をかけてゆっくりと祓い清めながら…――海神とも協力して、破片の危ない尖った角 をゆっくり…じっくり、時間をかけて丸めたりして…、ね。…そうやって、元はゴミだったものを、こんなに綺麗な宝石にする練習をしているの。」
そして彼女は「すごいよねっ」と愛機たっぷりに笑いながら、俺たちを見た。
「なるほどぉ…」と俺はやっと納得した。
……だから「まだばっちい」だったんだ。
ハヤアキツヒメの大おばさんはそもそも罪穢れを「ごっくん」と丸のみすることで祓う、大ベテランの神だけれども、作品として玻璃の破片を磨きたてながら祓い清めるにおいては、きっと初めての挑戦なのだ。
それで、ハヤアキツヒメの大おばさんのこの作品たちはまだ祓い清めの、そしてよりよい宝石にするための練習中のもの、しかもその上、そもそもやり方から時間がかかるのもあって、まだ浄化が完了していない――これでも作品はまだ完成していない――から、「まだばっちい」ってことだったらしい。
ただ一方で、まだ釈然としていない俺の隣のウワハルが、
「しかし…」とセオリツのお姉さんに、また訝しげに首をかしげて見せる。
「ゴミに溜まった罪穢れを祓い清める…、それはわかるが、――どうしてわざわざゴミを、こんなに綺麗な宝石に……? ――あぁ、もしかして、…破片の鋭利な角が、海の生物たちに有害だから?」
「うん。それもあるけど…」――すると兄の質問を受けたお姉さんはにこやかに、まるで弟に物事を教える姉のようにやさしく、丁寧にこう説明しはじめる。
「まず…地上の海や川はいつか、人間たちのせいで汚染されちゃうでしょう。…でも…実はそのあとにはいつか、人間たちのおかげで、汚くなった海や川、自然は、また綺麗になるんだよ。――たとえばゴミだらけだった砂浜も、汚しちゃだめだよねって気がついた人間ちゃんたちのおかげで、すっかり綺麗になるんだって。」
「え、そうなの? ほんとう?」俺は安堵しながらも目を丸くした。
「そうだよ? ほんとうなんだから。」とお姉さんが俺を見て笑う。
「だけど…」ただ彼女はそこで、聡明な真顔になる。
「人間は、わたしたちみたいに永遠の命をもっていないでしょう。…それに神とは違って、生きてはいても、そのうちに色んなことを忘れちゃう…――でもわたしたち神にしてみれば、もう忘れないでほしいことだから…――海や川にゴミを捨てちゃだめ、これからは、そこに棲まう生き物たちのことも大事にしなきゃだめだって……」
「そうだよね」とウワハルが真剣にうなずく。俺もコクコクと兄と同時にうなずいた。
「うん…、はは、でもー…」とセオリツのお姉さんは、俺たちを交互に見ながら苦笑いをする。
「ただ頭ごなしに〝ゴミを捨てるな! 自然を汚すな! 生態系を壊すな!〟って、…そうやってガミガミ怒るのは…、なんだか女神としては、ちょっとやりにくいっていうか、やりたくないっていうか…――わたし、神罰とかはあんまり…ちょっと…、でも、それも別に間違っているわけじゃないんだよ? 間違ってるわけじゃないんだけど…、…ねえ…?」
「……、…」
「……、…」
俺たちはうんうんうんと相づちを打つだけだった。
なんでって…――我が家には、怒ったらもはや誰も止められない激情家 がいるからだ。
そ、母上。…まあタケ爺もそうだけど…でも息子の俺たちとしては、タケ爺より母上のほうがうんと強い 気がする…――別に鬼神 化してなくても、怒って荒御魂 になったらほんと鬼神みたいだし…――つまり…同じ女神でも、俺たちの母上は(怒ったら)その「頭ごなしガミガミ系」なのだ……。
ただ俺たち双子のその複雑な心境を知るよしもないセオリツのお姉さんは、「でね」とワクワクした感じにかがやくその目を、また砂の上の「玻璃の宝石」へ下げる。
「だからわたしたちは、この綺麗な〝玻璃の宝石〟を人間ちゃんたちに贈ろうと思ってるんだ。――これはいつかの人間の罪穢れ…、だけど海と神に祓い清められたあとは、こうやって綺麗な宝石になる……」
そして彼女は希望にきらめくその紫の目を、まるで秘密の宝物を見つめる少女のように、うっとりとやわらかく細める。
「だってこんなに綺麗なんだもの…。きっと人間ちゃんたちも、砂浜に打ち上げられたこの宝石を喜んで拾ってくれるよ…ふふふ…――もしかしたら、更にこれを作品なんかにしてくれちゃう人間ちゃんだっているかもしれない、すごくワクワクしちゃうな…――それに、そうしたらお互いに気分よく、広くみんなに伝えられるんじゃないかなって……」
俺はふと、また綺麗な「玻璃の宝石」を見下ろした。
――そしてセオリツのお姉さんは、やさしく諭 すような声でこう言った。
「忘れないで。…過去に犯した罪穢れ――綺麗になっても、過去は消えないから…――だから繰り返さないで、先人たちの罪を。――もう背負わせないで、未来の子たちに、自分たちの穢れを。」
「……、…」
人間は過 ちを犯す。
だけどその過ちにも意味がある。――人間がよりよくなるために、過ちは起こるのだ。
この「玻璃の宝石」に託された神の想い、込められた神の愛…――それはきっと、この宝物を見つけた人間たちの心に届くはずだ。
「…ふふ……」
それにしても…この宝石の完成、楽しみだな。
今の話を聞いたら、俺までこの宝石たちに愛着がわいてきた。…本当は今すぐ一個か二個、おみやげに持って帰りたいくらいだけど、――まだばっちいなら、潔癖症のお姉ちゃんは絶対それは許してくれないだろうし(こっそり持ち帰ったなんてもし仮にバレたら、お姉ちゃん、下手したら卒倒するだろうし…)。
でも絶対いつかもらうんだ。…なんて俺がニコニコしながら、その「玻璃の宝石」を眺めていたら……、
「でもさ…そうは言うけど、人間はね…」とセオリツのお姉さんが、ぽつりとこぼすように話しはじめる。
……お姉ちゃん、もう少し話したいことがあるみたいだ、と俺は、彼女を見た。――でも、彼女はまだ寂しげに目を伏せている。
「どうしても生きていれば罪を犯し、穢れを背負っていってしまうものなんだ…――たとえば生きるためには必ずご飯を食べなきゃいけないけど、その時には必ず、生命を奪ってしまうでしょう…――それから、たとえばちょっと誰かが羨ましくなって、ふとしたときにほんのちょっぴり妬 んでしまったり…――今だけはごめんなさい、なんて、その時だけでも、決められた規則を破らなきゃならなかったり…――いけないとはわかっていても、犯さなきゃいけない、背負わなきゃいけない罪穢れがある……、しょうがないんだよ。ほとんどの罪穢れは、しょうがないことなんだ……」
そして彼女は目を伏せたまま、優しい声で「でもね」と言いながら、その優美な青龍の顔をほころばせる。
「その過ちの経験は忘れないで、いつかの糧にしても…、そのときの嫌な気持ちは、抱えつづける必要はないから…――だって、〝悪いことをしちゃった〟とかもそうだけど、その罪穢れが溜まったまま放置すると、誰かや自分を、そのうち深く傷つけてしまう結果にもなっちゃうから…――だからわたしたち祓戸四神は、〝ごめんなさい〟って人間たちから預かったその罪穢れを、綺麗に洗い流しながらゆるしてあげるんだ…。」
「……でもさ…、あんまり酷いことしたとか、そういう…お姉ちゃんたちにもゆるせない罪や穢れとかって、それはないの…?」
と俺は、今ふと気になったことをなにげなく聞いてみた。
すると俺を見て、ほんのりと切なげに微笑したセオリツのお姉さんは、こう答える。
「祓い清められない罪穢れはないけど…、ゆるせない罪や穢れは、あるよ…――ゆるし方を間違えちゃうと、その子のためにならない…、たとえば間違っていることをゆるして正当化しちゃえば、それが間違いだって気が付けないでしょう…、だから、ゆるせない罪穢れはあるんだ…――でも、」
とセオリツのお姉さんはにこっと、俺を見たまま愛らしく笑う。
「悪い気持ちが芽生えても、その人がその気持ちに操られなければ、神はゆるしてあげられる。――〝ごめんなさい〟って罪や穢れをみとめる気持ちと、〝ありがとう〟って自分の成長をみとめられる気持ちがあれば、なおいいよね。――だから人間ちゃんたちには、そのことを知って……」
……でも、彼女はまた寂しそうに笑いながら目を伏せた。
「自分のことを、ゆるしてあげてほしいな…――だって、わたしたちがゆるしてあげていても、自分で自分をゆるせなかったら……わたしたち祓戸の神にも、その子の罪穢れを祓い清めきれないから…――なるべく、苦しんでほしくない…、だから抱え続けないでほしい…、わたしたちに頼ってほしいの、できたら…――だって…可愛い我が子たちの瞳が曇っているのを見るのは、わたしたちも悲しいでしょう……」
「…そうだね…」ウワハルがそう同意する。
そしてセオリツのお姉さんは、俺とウワハル、そのふたりを悲しげな紫の瞳で交互に見ながら、
「ね…だから…――だからウエちゃんもシタちゃんも…――お姉ちゃん、忘れないでほしいな……」
と甘くささやくような、やさしい姉の声で言うのだ。
「もし双子ちゃんが悪いことをしちゃっても、悪いことを思っちゃったとしても、…お姉ちゃん、全部ゆるしてあげるからね、…叱るけど、ゆるしてあげるからね…――それともう一つ…もし、…もし、」
俺たちを見るお姉ちゃんの紫の瞳が、今にも泣き出しそうに揺れている――ただ彼女はすぐ俺たちに、寂しそうににこっと笑いかけた。
「もし双子ちゃんに忘れられちゃったとしても、それでもお姉ちゃん、――お姉ちゃんね、ウエちゃんのこともシタちゃんのことも、大好きよ、――ずっとずっと、あなたたちが大好きよ、…」
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