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――セオリツのお姉さんは、あのときすでにわかっていたのかもしれない。
いつか遠い未来に――俺たち双子が一旦何もかもを忘れて、…神としての自分のことはもちろん、高天原 で自分がお世話になってきた神々のこととかも、全部、全部忘れて…――そうして神ではなく、この現代の日本に、人間界に、一人の人間として降り立つことを。
それこそ彼女は(あのときからすれば)遠い未来の、産業革命を発端として、地上の環境汚染が深刻化してしまうこと――そしてやがてそれを憂いた人間の子たちが、環境保護やその啓発活動をもって、少しずつ立て直してくれること――を、すでに知っていた。――だからきっとそれと同じようにして、あのときにももうすでに、俺たちの未来のことも小耳にはさんでいたのかもしれない。
……ただもちろん俺たち神も、これから先の未来がどうなるのか、その全てを知っているわけじゃない。
まあ人間よりは知っているけれども、遠い未来のことは聞かされたり聞かされなかったり、だ――百年くらい先の未来ならともかく、それ以上のことは、お役目に必要ならって感じ――。
ただし創造主様や、運命を司るものすごい偉い(いわば会社の上層部的な)神々に関しては、当然近きも遠きも未来の全てを知っているんだけれども――そもそもそのひとたちが未来をどうするか決めて、そしてその計画に合わせた命令を、俺たちに出しているんだから――。
何にしても、お姉ちゃんのこの「記憶」を思い出したハヅキが、また自分のことを責めてしまったりしないか心配だな…――俺、「わたしのことを忘れてしまっても大好きよ」って彼女の言葉が(もちろんお姉ちゃんは何も悪くないんだけど、)またハヅキに罪悪感を抱かせてしまいそうな気がしちゃって……。
だけど、むしろそうは言っていても、一方のセオリツのお姉さんのほうは別に心配はいらないはずだ。――さっきはたしかに、ハヅキがまだ自分のことを思い出せていないと知って寂しそうではあったものの、…といって彼女もそれについての訳は知っている。
……まあ大好きなウワハル にまだ思い出してもらえていない、と、ちょっとは本当にショックだったかもしれないけれども…――それでも、それはあくまでも「まだ」であって、もう二度と思い出してもらえないかもしれない、とは、彼女だってきっとちっとも思ってはいないはずだ。
それこそさっき彼女が落ちこんだふうに見えたのは、寂しいのなかば、何より自責しているらしいハヅキを心配していたのと、あと、何千年も可愛がってきた彼とあらためて初対面という感じになったので、どうしたらいいかわからなくなっていた…――プラス、知らないお姉さんという感じだろう自分が、(そりゃあ俺たちが小さい頃から可愛がってくれていたら当然なんだけど、)馴れ馴れしくしてしまったせいで困らせちゃった、と、ただ申し訳なく思っていただけのはずなのだ。
だから気にすることないっていうか……むしろ、気がかりであったひとの「記憶」を思い出せたのだから、それでよかったーって安心しながら、ただ嬉しく思ってほしいところなんだけど…――でもハヅキはウワハル、つまり考えすぎる癖のあるウワハルだ…――いや、それなら、…ハヅキがじっくり考える余裕もないくらい、楽しい気分になれればいいんじゃない?
と、…俺はあることを思い立ち、そして、追憶から自分たちの意識が今ここに戻ってすぐ、
ハルヒの俺も――(横抱きにしたままだったから、すぐそこにあった俺の顔を見てたちまちハヅキに戻った)彼が、「え、あ、えっ?」と困惑しているのにもニヤリとしただけで、――黒龍になって、…さあ!
「いざっ! レアレアな空の旅にしゅっぱああ〜つっ!」
なんて(ちなみに「レアレア」はハワイ語で超楽しく遊ぶ、みたいな意味)……ハヅキを黒い鱗でおおわれた自分のうなじにまたがらせて、満天の星空を目指し、ものすごいスピードで上昇してゆく。
――すると、うるさいくらいのビュッオオォォと猛烈な風切り音が、俺たちの耳、というか全身を擦過 しているけれども、
「っぐぅうあああああ゛…――っ!?」
とハヅキの、この絶叫している声のほうがよっぽど大きい。
……ちなみに彼は今、俺の牡鹿のような銀色の角を両方おそろしいほどの力で掴んで、必死に落ちまい落ちまいと全身を固く強ばらせている――それこそ俺のうなじにまたがっているその両脚も、内ももからくるぶしまでとその内側の全部で俺にしがみつくように、ぎゅっっと俺のうなじをかなり強く挟みこんでいる――。
なんか可愛いなぁ…――と俺は、機嫌のいい「あはっ」という笑いをこぼしてから、ニコニコしながらハヅキにこう冗談を言った。
「だから俺言ったじゃぁーんハヅキぃ、夜の海は危険なんだよぉってぇ〜〜…」
でもハヅキはほとんど泣きながら、怒っているみたいな叫び声でこう返す。
「グぃいいい意味が違ううううう゛っ! てかこっこっこっここ、ここ、――ここっは、っう、う、ううう海じゃなああああ゛い!!」
「あ、鶏 になっちゃった。あはは…――え〜〜てか海だよぉ…? ほら、」
と俺は上昇をやめて止まりながら、尻尾を軽く引き上げてゆるく巻き、そして、うなだれるようにして下にある海を見下ろす――地上から二百メートルくらい離れた上空、そこから見下ろすと、ビーチに面したウッドデッキの奥、その談話室から暖色系の明かりがもれている白い別荘も、また、その前に広がるヤシの木のポツポツ生えたビーチまでまるでミニチュアみたいだけれど、俺はとにかくどこまでもどこまでも広がっている、キラキラと崩れた月や星々やの浮いた、夜のおだやかな海の水面を見下ろす――。
けど、俺の顔が深く下を向いたその動きに、『落ちる…!』と危機感を覚えたらしいハヅキは、
「ぃやべてぐだざぃ…ッ! 最悪死゛…」
なんて、もはや俺の後ろ頭からうなじにへばりつきながら、カエルがつぶれちゃったみたいな声を出すのだ。
でも俺は気楽に「ううん」と、夫を安心させてあげようとこう言う。
「死なない死ななーい。――だって俺たち、神だし。」
「っいゃだとしても痛い思いはするにはするって、」
「だいじょぶだってばぁ、ほら〜……」
そして意味深に「うふふ…」と笑った俺は、
「……じゃハヅキ、ちゃんと捕まっててね? 行くよぉーー…、はーい、レアレアぁーー…――っ!」
なーんて笑って言いながら、海へ向けてビューーッ! と、ジェットコースターのように急降下してゆく。
「ん゛あああああああああ゛!!!」
……すると、あのいつも上品な感じのハヅキからは想像もできないくらい、彼は雄たけびにも近い野太い声で思いっきり叫びはじめる。
「死ぬっ! 死ぬううううぁああああああ゛!!」
「…あははっ! 死なないってばあ〜〜っ!」
なんかやっぱり可愛い〜。――でも、俺はもちろんこれでも、絶対にハヅキを落としてしまったりなんかしないよう、「安全運転」をしているのだ。
その上でただハヅキを楽しませてあげようとしているだけなのに。
……まだハヅキはさっき思い出せた「記憶」のなかのウワハルみたいに、龍にはなれないだろうから、昔みたいに一緒に空中遊泳をするなんてことはできないし――かといって、彼が龍になれるようになったら、こうして黒龍の俺にまたがって空を飛ぶ、なんて機会もそうそうなくなっちゃうだろうし――だからこれは今だけといったら今だけの楽しい経験、これもハワイ旅行の一つのいい思い出になったらいいなーって。
そもそも本当に、ちゃんと安全なのに。
今の俺はいわばジェットコースターみたいなものだ。――それとおんなじで、絶対に落ちない保障もあr……、
「……、…」
……まあ、ジ ェ ッ ト コ ー ス タ ー み た い な 安 全 の 保 障 は な い か…、絶対落ちない、落とさないとは正直言い切れないよね。だって安全バーとかそんなもの俺の体についてるわけないんだから、そしたらそれをそう言い切っちゃうのはちょっと無責任だ。
……まあでも、安全はこれでも一応ちゃんと保障されてはいる。
だって最悪ハヅキが落ちちゃったとしても俺、絶対キャッチはするつもりだし。…だから安全安全。でしょ。
「っいやそれは安全とは言わなああああああああ゛い!!」
「…あはは、だいじょぶだって…、……」
と俺は言いかけて、…あれ、と、
「……、……え…――?」
目を見開いて、思考停止してしまった。
でも、――風を切りながら急降下しているために聞こえる、ビュオオオオッと疾風が吹いているような音が、俺の頭の中をあちこちかき回すようにして、探している。
「……、…ハヅキ……、…ハヅキさ…今君…もしかして……」
――やがてその風ははっしと捕まえた。
「――俺の心の声、聞こえたの……?」
その事実を、今起こったばかりのその事実を、俺のこの風はすばやく掴んだ。
俺は安全だと言った。――心の中でだけ。
ハヅキは安全じゃないと言った。――口に出して。
……――でもハヅキは、
「んああ゛!? ッ何 ですって、!?」
「……、…」
ぁそうだった…――終始こんなに大きな風の音ばかりが聞こえている状態じゃ、当然今俺が恐る恐るなボソッとボリュームで言った言葉なんか、ハヅキの耳にちゃんと届くはずもなかったのだ。――ていうか、そもそも今(ブチ切れるほど)恐怖を感じているハヅキには、仮に俺のそれが聞こえていたとしても、多分まともな返答をするだけの余裕なんかもないだろうし。
「ん〜〜あとで言う〜〜。……」
……まあいいや、あとでもう一度確かめてみよっと。
で、
「うああああ゛っぶつかるぶつかるぶつかるっ!!」
と俺の頭の上でハヅキが危機感のすさまじいあまり激声をあげる。――それは俺がもうそろそろ海面へ、というところまで下降してきていてもなお、スピードを緩めないままでいるせいだ(もっとも「ぶつかる」とは今ある意味で混乱しているハヅキの言うことで、厳密にはぶつかるというより海に落ちる、突入してしまう、ということ)。
「ほーら危険な夜の海ぃ〜〜♪」
でも俺はそう即興で楽しく歌いながら、その暗いけれどもさざなみのチラチラ光っている水面へむけて一直線に、疾行 してゆく――。
「ぎぃやああああああ゛っ!!」
「……えへ、…」
――さあ危機一髪!
「うああぁあぁあぁもうだm…」
「……なーんてねっ…あは、」
でも間一髪! 水面すれすれのところで俺はくんっと顔を水平へ向け、そのまま前に――暗がりのウッドデッキの奥、ガラス戸から談話室の暖色系の明かりが見えている別荘のほうへ向けて――すーーっと飛ぶ。
龍の短めな腕の先、長い鋭利な紅い爪の腹で水面を引っかいて、ジャバジャバと水しぶきをあげながら。
――そう、まさか!
俺はもちろんあのまま海へバッシャアン! なんて、そんな向こう見ずなことをするつもりははじめからなかったのだ。
「はは、怖かったぁハヅキ? ごめんね?」
「…………」
……でもハヅキは何も言わない。ていうかそれもそうだけど……、
「……、……??」
あれ……?? と俺が思ったのもつかの間、…ころ、ボチャッ…――。
「……っ! ッハヅキ、!」
俺は自分の上から海にころげ落ちてしまったハヅキに、慌てて止まり、すぐに海の中へ顔を突っ込む。
「……、…、…」
けど……そうしたら俺は、また目を瞠って驚くことになった。――いや、でも今はそれどころじゃないから、――とにかくすぐにハヅキを捕まえて、そして海から顔を出した。――
「……はぁ…――。」
結局、俺もハヅキもびちょびちょになっちゃったし…――と俺は心から反省しながらも今、元の人間みたいな姿にもどり、ぐったりと気を失ってしまったハヅキを横抱きにして、太ももくらいまである海水をジャバジャバと両脚で押しのけながら、いまだ焚き火の燃えている浜辺へむけて大股で歩いている。
ちなみに――今意識がないために眠っているような顔の――、(俺のせいで)濡れそぼったハヅキの白い頬には今、細い、あるいは太い黒の毛束が二、三本張りついている。
……というかそもそも、着ている白いワイシャツだってべっちゃりとハヅキの上半身に張りついて、うっすらとその肌を透かしているのだ。――ということは、ハヅキが一番濡らしたくないと気にしていたスラックスも……。
「……、…、…」
まあ俺もおんなじ感じで全身びちゃびちゃだけど(俺もほっぺに髪が張りついてる感じするし)、…でも俺は黒アロハに白半パン、…ヤバ、…ヤバいの程度が全然ちがう、アロハはともかく、礼服、…ヤッバイ、…どうしよ、冷や汗かいてきた、…
……ううんでも、…これは俺が。ちゃんと怒られよう……。これは完全に俺のせいだから…、だからそのときにはハヅキは一個も悪くないよって、絶対絶対言わなきゃ…(怒られんのは正直怖いけど…特にママに…)。
……ていうかそれもそうだけど、何より俺、やりすぎちゃった…――調子乗りすぎたっていうか…――。
「…はーー…、……」
俺はため息をつきながら肩を落とす。――なんか、空回り…?
喜ばせようとしただけだったんだけど…、まさかハヅキが恐怖のあまり失神してしまうだなんて…、…いやでも、たしかにずっとすごく嫌がってたよね、…もう、俺ってばほんとにもう、――とにかく、目が覚めたらちゃんとハヅキにも謝ろう……。
「……、…」
ただ…と俺は、ザブザブと海水のなかを歩いていくさなか、目をつむっているハヅキの顔を見下ろしながら、嬉しくて少しだけ口角を上げる。――実はさっき、喜ばしいことがあったのだ。
……いわゆる怪我の功名ってやつ?
それこそもしかしたら、俺が今あんな無茶をしなければ、この喜ぶべきことも起こらなかった…、かもしれない…――。
「…っん、…ぅ゛……っ」
ハヅキのそのうめき声に、俺は思わずハッとしながら足を止めた。――彼はまだ目をつむっているけれども、覚醒の間際にあるらしい、少し迷惑がっているようなしかめっ面になっている。
「ハヅキ? ハヅキ、…ハヅキごめんね、俺…」
「……ぅ…、……」
俺が呼びかけたからなのか、ハヅキの強ばって横じわの寄った真っ白な上まぶたが、ほんのうすく開かれ――そして彼はまだ少し眉間を曇らせたまま、ぼんやりと俺の顔を見上げる。
「……あれ…、ハルヒさ…――僕……」
「…ごめん、俺が無茶したから、…ハヅキ、気を失っちゃって…――ただ、ねえ…君、覚えてる? さっき……」
「……?」
ハヅキは『さっ…き…?』と思い当たるところがないみたいだけれど、ただ、それは今まだ目を覚ましたばっかりで、そもそも頭が回らないせいもある。から、俺はにこっとハヅキに笑いかけながら、こう「さっきのこと」を教えてあげた。
「君…さっき龍に変化したんだよ。――つまりハヅキ、龍になれるくらいまで力を取り戻せたんだよ、…ねえ、覚えてない?」
そうなのだ。
実はさっき――ハヅキは気を失う直前に、龍になることができた。
そう、俺が思っていた「喜ばしいこと」というのはまさにそれ。――ただ……、
……厳密にいうと、龍っていうか…――。
「……りゅ、龍…? で……龍、というか…、…何ですか……?」
「…あ゛っ!」
俺は目を見開きながら変な声を出してしまった。
やっぱり! やっぱりやっぱり!
「は、ハヅキ、…龍になれたのもそうだけど、やっぱり君、…君、…お、俺の心の、声…――っ!」
聞こえて……、
「あっ、あっほ、ほんとだ、き、…きっ…! きっ…!」ハヅキが目も口もかっぴらき、そしてこう叫ぶ。
「「――聞こえてるうぅぅぅう!!!」」
おんなじ表情をうかべた俺と、一緒に――。
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