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第6話 アンドロイドは嘘をつかない

カーテンの隙間から差し込む光が、ゆるやかに客室内を照らすころ、鷹臣は目を覚ました。ユウリはすでに起床していて、隣のリビングで朝食の準備をしている。静かな湯気とパンの香ばしい匂いが混じり合う、清々しい朝だった。 「ユウリが淹れたコーヒーはやっぱり美味しいな」 「ありがとう。ポットから注いだだけだけど」 「それでも、うまい」 「鷹臣さんたら」 朝の光の中で、ユウリが照れたように目を伏せる。人工皮膚の下でわずかに色温度が変化し、頬のあたりがほんのりと赤みを帯びた。 「今晩もここに泊まってもいい、家に帰ってもいいが。ユウリはどうしたい」 「鷹臣さんと一緒なら、どこでも」 「そ、そうか?」 まっすぐな言葉に、今度は鷹臣が赤面する番だった。言葉に詰まり、思わず、バターナイフでトーストの表面を何度もなぞる。きつね色の焦げ目が少しだけ崩れ、皿の上にパン屑が散った。それを見て、ユウリが小さく笑う。 部屋の空気は甘く、熱っぽく見つめ合う二人は仲睦まじい恋人そのものだった。前本がいたら「こんなの社長じゃない! いつもの硬派な態度はどうしたんですか!?」と発狂しただろう。鷹臣はその想像に小さく笑い、コーヒーをもう一口飲んだ。しかし、幸せな時間は、鳴り響く端末の音によって唐突に断ち切られた。 『社長!やっと繋がった!大変なんですよ、後藤さんが……!』 「創也が?」 端末から必死に語る前本に、ユウリはひっそりと片眉を上げた。人工の瞳が一瞬、光を宿して消える。 『後藤さんが家に閉じ込められてるんです!マンションのオートロックが故障して、ネットも切断、完全に孤立状態です。近所の人が異常を感じて通報して、会社に連絡が入ったんですけど……!』 「すぐに行く」 鷹臣が立ち上がると、ユウリはまばたきをひとつして、「タクシーを手配したよ。十五分後に到着する」と落ち着いた声で言った。 創也の住むマンションは、東都の一等地である新御崎駅前にあった。すでに現場の下には警察と消防の車両が並び、周囲には野次馬が集まり始めていた。冷たい風が吹き抜け、ビルのガラス壁に赤い警光が反射して揺れている。そんな中、寄る辺なく立っていた前本は、タクシーで現れた鷹臣たちを見つけ、駆け寄ってきた。 「28階だけが外部からのサイバー攻撃を受け、電気系統も完全に遮断されたそうです。いま、管理会社のセキュリティ担当が復旧を試みていますが……」 「電気もつかないのか」 鷹臣が低くつぶやく。それなら、創也は真っ暗な部屋の中、ネットも遮断され閉じ込められていることになる。もうすぐ冬だ。空調設備まで止まっているのなら、寒さで身動きも取れないはずだ。 「復旧の目処は?」 「まったく立っていません。住民を窓から救助しようと消防が試みましたが、強風で接近できないそうです」 「そうか……」 はるか上空にそびえ立つ、28階の窓の中をうかがうことはできぅ、鷹臣はただビルを見上げ立ち尽くすしかなかった。しかしその隣で、ユウリは平然とした顔で言った。 「制御ネットワークシステムのファイアウォールの脆弱性を突かれたんだね。どうして28階だけ狙われたのかは分からないけど、メインサーバの権限を奪い返せれば復旧できるよ」 「そんなこと、できるんですか!?」 ユウリの言葉に、前本が声を裏返らせて聞き返した。ユウリは淡々とした表情のまま、まばたきをひとつして頷く。 「はい。建物の管理サーバにアクセスさせてもらえれば、可能です」 「前本、管理会社に連絡してくれ」 「は、はい!!」 藁にもすがる思いで各所に連絡を入れていたセキュリティ担当の男は、突然現れた鷹臣たち一行に目を白黒させたが、ユウリがフラガネル社製のアンドロイドだと知ると、手を叩いて喜んだ。 「生体型アンドロイド!? しかもユニットR-1!?介助用とは思えないほど高性能演算AIコアを搭載した第一世代モデルじゃないですか!どうやって手に入れたんですか!?」 「知らん。閉じ込められている俺の友人が購入した。今すぐ管理サーバにアクセスさせてくれ」 鼻息荒く距離を詰めようとする男の前に、鷹臣は一歩進み出てユウリをかばい、毅然とした声で言い放った。男は「上司に確認しないと……」と尻込みしたが、いくつか電話をかけたあと、ユウリたちを制御室の奥へと案内した。 「本当にできるのか?」 「うん。まかせて」 「頼む」 鷹臣に肩を叩かれ、ユウリは静かに頷いた。そして中央のオペレーションデスクの前の椅子に、行儀よく腰を下ろした。 「セキュリティ管理システムのアクセスコード入力、制御ルートを再構築します」 ユウリのこめかみのインターフェースラインが淡く青く発光し、同時に周囲のコンピュータが一斉に起動した。画面には緑色のコード文字が滝のように流れ出し、ユウリの細い指先がキーボードを目にも止まらぬ速度で叩く。 「外部侵入コードを確認。セキュリティ層レベル3から侵入経路を遮断。制御ノードへの再接続を開始。システムの復旧プロセスを起動します」 電子音が止まり、制御室全体の照明が一瞬、淡く脈打った。沈黙した液晶の光にぼんやりと照らされたユウリの横顔は、均整の取れた線を浮かび上がらせ、まるで神聖な彫刻のようだった。 「全システムの正常稼働を確認。復旧完了しました」 「す、すごい……!ユウリくん、すごいよ!」 天に祈るようなポーズで見守っていた前本は、思わず手を叩いて歓声を上げた。 「なんてこった……」 セキュリティ担当の男は、目の前で起きた出来事が信じられない様子で、修復されたセキュリティログと、脆弱性のリスト、さらに今後の対策までまとめられたレポートを受け取り、ようやく事態を理解したようだった。 「侵入コードの追跡……どうやったんだ? このログを見ても解析の手順が理解できない。データバンクを参照してアルゴリズムを組んだのか?」 「いいえ。通信履歴のパケット解析から侵入経路を確認し、独自のコードを組んで追跡しました」 「なるほど……って、そんなの人間にできるわけないだろ!!もしかしてネットワーク接続を遠隔操作したのは、内部コアの並列演算モジュールを使ったのか?」 「企業機密に抵触しますので、お答えできません。」 「そこをなんとか〜!絶対誰にも言わないって!」 「すまないが、専門的な話は後にしてくれ!」 鷹臣が声を荒げた。止められてもなお、ユウリに近づこうとする男をなんとかあしらい外に出る。 「前本、創也の様子を見に行くぞ!」 マンションの上の方から歓声が上がり、創也たち28階の住民は次々と救出されていた。消防隊員の手で毛布を肩に掛けられ、温かいお茶を手渡された創也は、疲れ切った表情のまま椅子に腰を下ろしていた。幸い、健康状態に大きな問題はなかったが、鷹臣に伴われて現れたユウリを見るなり、創也は鋭い目で彼を睨みつけた。 「お前……!よくものこのこ現れたな!」 「何のことでしょうか?」 険しい顔の創也に、ユウリは怯むことなく静かに答えた。その余裕のある表情に、創也の怒りはますます膨れ上がる。血走った目のまま、彼はユウリの胸倉を掴みかかった。 「お前の仕業に決まってる!嫌がらせのつもりか?こんなことしても俺は……!!」 「やめろ、創也!!」 鷹臣は咄嗟に間に入り、創也の腕を掴んだ。向けられる鋭い視線から守るように、ユウリを背後へと隠すと創也の目つきはますます険しくなった。 「いきなりどうしたんだ?ユウリがそんなことをするはずないだろ?」 「そ、そうですよ!ユウリくんは後藤さんのために、システムの復旧作業をしたんですよ!」 「だから!それも全部、この糞アンドロイドがやったことなんだよ!自分でハッキングしたんだから、戻せるのも当然だろ!」 「ユウリがなんでそんなことを……」 「俺を“邪魔者”だと判断して、排除しようとしたんだ……!!」 必死の形相で怒鳴り立てる創也に指を突きつけられても、ユウリは顔色ひとつ変えなかった。 「なにをおっしゃっているのか、わかりません」 「この……っ!」 「おい、やめろ!!」 「ご、後藤さんやめて下さい!」 目の前で拳を振り上げられても、ユウリは呆れを含んだ視線で創也を見つめ、動こうとはしなかった。鷹臣が慌ててその腕をつかみ、前本も創也を羽交い締めにする。 「離せっ!!」 「落ち着いて下さい! 後藤さん!」 「創也、お前は疲れてるんだよ」 今の創也はどう見ても普通の状態ではなかった。通信手段を断たれ、暗く寒い部屋に閉じ込められていたのだ。疲労と恐怖は人を懐疑的にさせる。被害者である創也には同情するが、行きどころのない怒りをユウリにぶつけているようにしか見えなかった。 「いい加減にしてくれ。ユウリの潔白は俺が保証する」 そう言って、鷹臣はユウリと目を合わせ、真剣な面持ちで問いかけた。 「ユウリ、本当のことを言ってくれ。ユウリがこのマンションのセキュリティにハッキングしたのか?」 「ううん、僕はやってないよ」 ユウリはやわらかく微笑み、鷹臣の目をまっすぐに見て答える。その言葉を聞いて、鷹臣は安堵の息をつき、満足げにうなずいた。 「ユウリは犯人じゃない」 「うそだ!!!」 「後藤さん!ユウリくんはアンドロイドなんです。ユーザーである社長に、嘘はつけないんですよ!」 「……っ!」 前本の言葉に、創也は目を見開いたまま、言葉を失った。そのまま糸が切れたように力が抜け、床にへたり込む。創也を見下ろし、鷹臣は優しい声で言った。 「悪いが、この話は終わりだ。今日は疲れただろう。明日はゆっくり休んでくれ」 「あ……、た、鷹臣……」 「ユウリ、帰ろう」 「はい、鷹臣さん」 「ま、待ってくれ、鷹臣……!」 錯乱状態の創也とユウリをこれ以上同じ空間に置いておくわけにはいかなかった。鷹臣は前本に創也のことを頼むと、ユウリの肩を抱き、その場を後にした。流しの自動運転タクシーを拾い、自宅の住所を入力すると、張り詰めていた肩の力がようやく抜けた。 「ユウリ、悪かった。怖かっただろう」 「大丈夫。鷹臣さんが守ってくれたから」 健気な笑みを浮かべるユウリを、鷹臣はそっと抱き寄せた。その腕の中で、ユウリは甘えるように身を寄せ、静かに目を閉じた。 ユウリは鷹臣に嘘を吐かない。誠実で忠実な恋人だ。けれど、語る内容を選べば事実を”誤認“させることが出来る。その胸の奥には、鷹臣にはあえて伝えなかったひとつの真実が眠っていた。

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