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第7話 間男は不要です。排除プログラムを起動します。
「触らないでください。その命令は受け入れられません。」
人気のない資料室の片隅で、ユウリはこちらに伸ばされた手を明確に拒絶した。
「ゆ、ユウリくん……そんなこと言わないで」
「承知できません」
絶対零度の声が、室内の空気を震わせる。2人の間にぴんと張り詰めた緊張が満ち、前本はゴクリとのどを鳴らした。
ユウリは、鷹臣だけのものだ。この不遜な介入者を、排除しなければならない。
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前本から話があると呼び出され、ユウリは資料室の片隅に向かった。話ならメールですむのに、わざわざ直接呼び出す必要がわからない。ユウリは内心で不審を覚えながらも、指示に従った。定刻通り現れたユウリに、前本は言いにくそうに切り出した。
「実は今日から、俺もユウリくんのユーザーになったんだ。」
「………は?」
「正式な登録はこれからだけど、社長が不在のとき、ユウリくんの業務を監督したり、もしものときには……」
「認められません」
きっぱりと言い放ったユウリに、前本はぎくりと身をすくませた。ユウリはその様子に不愉快そうに目を細めた。ユウリは鷹臣のものだ。彼のためなら他者と協力して動くことはあるが、共有することは許していない。
「い、いや、君と社長の仲を割り込もうってわけじゃない、ただ……」
「監視のため?まさか僕のことを疑っているんですか?」
「ち、違うよ、誤解しないでくれ」
「鷹臣さんも悪い人ですね。僕に無断でそんなこと考えるなんて。正直いって、デリカシーが足りてないと思いません?」
「ユウリくん、だから……」
ユウリが一歩踏み出すと、前本はわかりやすく飛び上がり、周囲を落ち着かなげに見回した。常ならば出入りの激しい部屋なのに、こんな時に限って人気もない。
「ゆ、ユウリくん待ってくれ。ユウリくん……!」
「なにを怯えているんですか?」
「ひっ……、いや、その」
ユウリは静かに首を傾げた。ユウリが前本を傷つけることはできない。しかしそれをわかっていても、ユウリの静かな怒気に満ちた視線に、前本は息を呑み、背筋をこわばらせた。
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ことが始まる数時間前。ユウリと鷹臣は、いつも通り仲睦まじく出社していた。あのマンションでの一件以来、鷹臣の周囲は嘘のように穏やかで、会社の業績も右肩上がりを続けていた。
大口のクライアント候補であった礼子とはユウリが秘書として交渉を粘り強く続けてくれ、無事にシステム導入の契約が成立した。今度は大阪に支社を設立する話にまで進んでいる。
幸運というものは伝播するのか、礼子も最近マッチングアプリで観劇好きの年下男性と出会ったらしく、「良いご縁は続くものね」と、のろけ話まで聞かされてしまった。
「鷹臣さん、道中、気をつけていってきてね」
「あぁ、ユウリも。なにかあったら連絡してくれ。前本も」
「はい、社長」
鷹臣は昼から大阪支社に出資予定のスポンサーとの打ち合わせに行くことになっていた。当初はユウリも同行するはずだったが、相手の男性に“見目の良いアンドロイドの収集癖がある”という噂を聞き、念のため今回は留守番となった。
「社長、少しお話が」
「なんだ?」
「廊下で話しましょう。ユウリくんはこれをお願いしてもいいかな」
前本は、分厚い書類ファイルをユウリに手渡すと、鷹臣を追って足早に廊下へ出て行った。閉じられた扉の向こうから、二人の話し声がかすかに聞こえる。ユウリは音声センサーの感度を上げて会話内容を解析しようとしたが、低く抑えられた声音までは判別することができなかった。
「……?」
小首をかしげつつ、ユウリは渡されたファイルを開き内容を順に確認していった。その中に『後藤創也』の名がある書類を見つけ、手を止める。創也はあれからというもの、ユウリを避けているようだった。社内で顔を合わせると、わざとらしくユウリを無視し、鷹臣にだけ言葉をかけ、足早に去っていく。ときどき嫌がらせのように、膨大なデータ処理を押し付けてきたり、ユウリにハッキングを仕掛けてくるが、ユウリは自動防御プログラムで即座に遮断していた。
ただ最近、前本が鷹臣に隠れて創也と話している様子が、社内の監視カメラで数回確認されている。会話の内容までは復元できなかったが……創也はともかく、前本はお人好しが服を着て歩いているような男だ。脅威に値しないと、ユウリは判断していた。思考はすぐにデータ処理の最適化へと切り替わり、並行して鷹臣が帰宅した際の夕食メニューについて演算を開始した。
——しかし、それが大きな予測誤差であったことを、ユウリは認識することになる。
時は戻り、静かに怒りの炎を燃やすユウリと、困惑した様子の前本は、互いに一歩も引かぬまま対峙していた。
「社長に話したんだ。社長が不在のとき、ユウリくんに何か不具合があったら対処できないと」
「バグやシステムエラーは自分で修正できます」
「そういうことじゃないんだよ……」
前本が疲れたようにため息をつくのを見て、ユウリは、近くに置かれていた端末のケーブルを無意識に握りしめた。鷹臣以外の人間に、自分の能力を過小評価されることは許せない。だが次の瞬間、ユウリの内部でプログラムが上書きされる感覚が走った。登録情報が改変され、ユウリの視界にポップアップ画面が浮かび上がる。
『登録:副管理ユーザー 前本 浩史
メインユーザーの次に操作権限が優先されます』
「よくも……」
ユウリは今度こそ憎しみを帯びた目で前本を睨みつけた。これは、後藤創也の仕業だ。二人でなにをこそこそ企んでいたのかと思えば、こんな下劣な手段にでるとは。鷹臣がこれを承認すれば、前本が事実上の副管理者となってしまう。そんなこと、許せるはずがなかった。
「他人のものに手を出すなって、小学校で習いませんでしたか?」
「……AIロボットの反逆心には気をつけろ、とは習ったかな」
目元を歪ませるユウリを見て、前本はわずかに余裕を取り戻したように、口の端を上げて言い返す。
「登録できたみたいだね。
これで俺が、ユウリくんの副管理ユーザーだ。」
「この……!」
ユウリは最上級の罵詈雑言を浴びせてやりたかったが、音声出力システムが“ユーザーに対する侮辱的表現”として拒否したため、発言は叶わなかった。
——落ち着け。まだ最終承認までは進んでいない。この男の権限には、まだ暫定制限がかかっている。
「……それで?“賢い”お二方は、僕を支配して何をしたいんですか?」
「後藤さんの周囲で、おかしなことが起きているんだ」
「おかしなこと?」
聞けば、創也の身の回りでは、いまだに不可解な出来事が続いているという。端末には繰り返し不明な発信源からの着信があり、自宅では家電の故障や、セキュリティシステムの誤作動に悩まされているらしい。
「ユウリくんがやってるのか?」
「はぁ……またその質問ですか。“僕は”やっていませんよ。」
うんざりした表情を作るユウリに、前本は当てが外れたような顔をした。ユウリはその愚かさに免じて、ヒントを出してやることにした。
「ねぇ、ボットじゃないんですから、質問の仕方を変えてみたらどうですか?僕はユーザーに“嘘はつけない”んですよ。」
「どういう意味だ……?」
ユウリは、目の前の男にも理解できるように、丁寧に説明してやった。
「僕は、サイバー攻撃を受けた後藤さんのマンションを復旧させました。そのとき、侵入経路から通信ログの末端まで探っておいて、それ以上なにもしなかったって本気で思ってます?」
「どういうことだ……?」
「まだ、わからないんですか?」
なかなか我が意を得ない前本に、ユウリは呆れたようにため息をついた。これくらいの無礼ならば、副管理ユーザーに対しても許容範囲内だ。
「逆探知プログラムを再構築して作動させ、侵入した相手を特定しているに決まってるでしょう。」
「……!?犯人を……知っているのか!?」
知っているどころか、IPアドレスを辿って、犯人の名前も現住所も特定済みだ。トレース用プログラムを用いて、現在地のGPS信号もリアルタイムで監視している。
「標的は後藤創也でしょう。鷹臣さんの脅威にはならないし、報告の義務もない」
犯人の素性は、創也が数年前にマッチングアプリで出会った男だった。酷い振られ方をしたらしく、いまだに創也を憎んでいる。しかし、会社の前で待ち伏せするような度胸はなく、なまじプログラマーとしての腕は立つため、こうして遠隔から、陰湿な嫌がらせを繰り返しているのだ。すべて教えてやってもよかったが、ユウリはまだこの幼稚な情報戦を楽しむことにした。
「犯人を教えてくれ、警察に連絡しないと」
「不正アクセスによって取得したデータです。個人情報の開示はコンプライアンス上、不適切なため回答できません。」
「後藤さんになにかあったらどうするんだ!?」
「警察に相談したらどうですか? どんな振り方をすればここまで恨まれるのか、ついでに分析してもらえばいい」
のらりくらりとかわすユウリに、前本は苛立ちを隠せず、声を荒げた。
「ユウリくん、命令だ。違法でもいい。犯人の名前と住所、全部言うんだ。人の命がかかってるんだ!」
「残念。生命危機に直結する際の一次判断権限および法的逸脱行為の承認権は、副管理ユーザーには付与されていません。仕様書を確認しなかったんですか?」
「……っ、後藤さんは、社長の大事な友人だ!後藤さんが怪我をしたり、もしものことがあれば“社長が”傷つくんだぞ!」
「へぇ、やればできるじゃないですか」
これはユウリに効いた。鷹臣の精神的安定を最優先で維持するアルゴリズムが、情報開示を解除するよう内部プロセスを走らせる。
「ユウリくんは……本当に社長のことが大事なんだね」
「急になんですか。当たり前でしょう」
ユウリから求められたデータを受け取ると、前本はしみじみと言った。ユウリにしてみれば、鷹臣を最優先に思うことなど、地球が時計回りに自転するのと同じくらい不変の事実であった。
「とにかく、助かったよ。社長を大切に思っているのは俺も同じだ。そういう意味では、俺たちは同志だろ?この会社が好きだし、この仕事が天職だと思ってる。ユウリくんが来てくれて、本当に助かってるんだ」
「……そうですね」
和解の手を差し伸べてくる前本に、ユウリはプログラムされた社交的微笑を浮かべた。前本は、これで一件落着だと思っているのだろう。だが、ユウリはこれで終わらせるつもりはなかった。鷹臣とユウリの関係領域に干渉してきた代償は、必ず支払わせる。
「これからも協力して頑張っていこう」
「はい、よろしくお願いします」
ユウリの内部で静かに演算が再構築されつつあることも知らず、呑気な前本は満足げに微笑んだ。
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