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第3話 新しい家族
午前7時、静まりかえった屋敷に小さなシステム音が鳴りユウリは起動した。ユウリは睡眠を必要としないが、消灯後はアランの寝室の隣の部屋で充電ポッドに座り、待機している。屋敷の主人は昨晩も遅くまで机の前を動かず、ユウリに三度うながされてようやく眠りについた。まだしばらく目を覚まさないだろう。
階下へ向かう途中、ユウリはリモート操作を起動し次々にカーテンを開けて行く。初夏のまぶしい陽光がユウリの背中を追いかけるように、長い廊下に降りそそぐ。本日の天気は晴れ、最高気温26度、降水確率10%、湿度42%。朝は肌寒いが日が上りきれば暑くなる。ユウリは屋敷の空調設定を微調節した。溜まっていたリネン類をかごから取り出し、自動洗浄装置にかける。
「おはようございます、バキュロ」
床の上では、アランが購入した最新式のロボット掃除機、クリーンロボットバキュロCX15が動いている。ユウリの挨拶に応えるように、バキュロはランプを点滅させ、そのまま充電ポッドへ戻っていった。どうやら早朝のうちに廊下の掃除を済ませてくれたらしい。伸縮式のクリーニングアームで高所まで掃除してくれるので、ユウリは大変助かっていた。
キッチンに向かうと、設定された時間通りにコーヒー豆が挽き終わり、抽出が開始されていた。アランの朝食用の食パンとバターをスライスし、トースターへ入れる。果物を切り分け皿に盛り付けたそのとき、屋敷の警備システムから侵入アラートを検知した。
視界を監視カメラ映像に切り替えて、侵入物を確認する。視界の端に動物の影のようなものが映り、ユウリは目を細めた。ここらあたりは自然も多く、兎やタヌキなど小型の野生動物の侵入はよくある。しかし映像を拡大すると、三角の耳に茶色い毛皮が確認された。狼にしては小さいが、半径10km以内に生息する犬型哺乳類で該当するのはコヨーテかハイイロギツネだ。
「……?」
別の監視カメラに切り替えて姿を確認すると、正体が分かった。中型の犬だ。左後脚を負傷していて歩き方が覚束ない。水を求めているのか地面のにおいを嗅ぎ、空の植木鉢に鼻を突っ込んでいる。
ユウリは状況を確認するため庭に出た。野良犬なのか迷いこんだのかは不明だが、このまま庭に居座りアランに害を加えるようであれば排除対象である。朝露に濡れる草を踏みしめ犬のもとへ向かうと、捕獲は想定以上に簡単だった。ユウリがあらわれた途端、犬は目を輝かせ、自分から近づいてきたからだ。まるで数年越しの感動の再会とばかりに足元に懐くその様子に、ユウリは首を傾げた。
「……それで、玄関先に犬がいるのか」
「申し訳ございません。先ほど保健所に連絡し、回収に来るとのことです」
犬は3歳ほどの若い雑種犬であった。顔つきはスピッツと中型ハウンドの血が入っているのか、足が大きく、もっと大きくなりそうだ。
後ろ脚の傷は幸い深くなく、簡単な処置で済んだ。
どうしてもユウリから離れようとせず、やむなく玄関先に繋いでしまった。起きてきたアランが気まぐれに水と食パンのかけらを与えると、犬は砂漠で飢えた獣のように無我夢中で食べ始めた。コーヒーカップを持ったまま、アランがその様子を興味深そうに眺めている。
「犬がお好きですか?」
「……嫌いではない」
犬は古くから人間のパートナーとして暮らしてきた家畜だ。狩猟や番犬など、人間の生活様式に適応し行動を共にしてきた。そういった意味では、ユウリと似たような存在なのかもしれない。そして、愛くるしい仕草と無垢な愛情で飼い主を癒してくれる。ペットセラピーには精神的な安定やストレス軽減の効果があるという。しかしこの犬は、なかなか豪胆というか図太い性格のようで、繋がれた玄関先で我が物顔で寛いでいる。
しばらくして保健所の職員が来訪した。専用のリーダー機で首元のICチップを調べ、職員は困ったように頬をかいた。
「あ〜……チップが読み取れないので、野良犬か、あるいは違法ブリーダーのところから逃げてきたのかもしれません」
「そうですか」
数年前の法改正により、全てのペットは飼い主情報と紐づいたICチップの埋め込みが義務化された。チップがないということは、飼い主がいないということだ。そういった個体は保健所で所定の期間収容されたのち、処分される。
「それでは、連れていきますね」
「はい、お願いします」
職員が手を伸ばすと、犬は先ほどまでの態度が嘘のように怯え始めた。逃げる犬と職員の追いかけっこが続く。ユウリはしばらくその様子を観察していたが、決着がつかないと判断し、追尾システムを起動し足元を走り回る犬を捕獲した。
「どうぞ」
「す、すみません、ありがとうございます……」
捕らえられ悲痛な叫びをあげる犬を、肩で息をする職員に差し出す。その瞬間、アランが短く「ユウリ、まて」と肩を掴んだ。
「なんでしょうか、アラン様」
「いい、そいつを下ろしてやれ」
「……? はい、かしこまりました」
言われた通り犬をそっと地面に下ろすと、アランは言葉を探すように低く唸りながら額に手を当てた。そのまま、石像のように固まってしまったアランに、ユウリたちは目を合わせた。
「アラン様、どうされましたか」
「…………その犬は、俺が飼う」
ようやく指の隙間からこぼれた声に、ユウリは目を丸くした。職員は顔を明るくして「よかったなぁ、お前!」と犬の頭を撫でると、さっさと手続きを終えて帰ってしまった。
残された犬一匹を見つめながら、ユウリは飼育に必要な物品をリストにしていたが、アランは黙ったまま気まずそうに視線を逸らしていた。どうやら急死に一生を得たらしいと心得た犬だけが、楽しげに尻尾を振っている。どうして急に犬を飼う気になったのか気になったが、アラン自身も理由を理解していないようだったので、ユウリは尋ねるのをやめた。
「名前はどうされますか?」
「なんだ?」
「名称です。飼育するのであれば、僕の登録情報にも反映させる必要があります」
人間がペットを飼うときは名前をつけるのが一般的だと知っている。首をひねるアランの足元で犬が跳ね回る。汚れの気配を察知したバキュロが、抗議の声をあげるように忙しなく動き回る。
「……ユウリが決めていい」
「“アラン様の犬(1)“でいいですか?」
「やっぱり俺が考える」
そう言ってアランは自室へと戻ってしまった。ユウリは足元の犬を抱え上げ、黒目がちな瞳をじっと覗き込んだ。
「まずはお風呂に入りましょうか、お嬢さん」
こうして、アランとユウリの生活に新たな家族が加わった。
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