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第4話 秘密の約束

窓の外でしとしとと夏の雨が降る日、ユウリが昼食の準備をしていると、レナードから通知が来た。夕食ごろにこちらへ来るらしい。前回から半月ほどあいているので、しばらくぶりの来訪だ。 「アラン様、レナード様がいらっしゃるそうです」 「そうか」 アランは読んでいた資料から目を離さず答えたが、口元がわずかにほころんでいた。 かわりに足元で、イリスと名付けられた茶色の成犬が、返事をするように尻尾をふった。 「イリス、こんなところにいたんですね」 すっかり定位置となったアランの足元にどっかりと居座るイリスに、ユウリは手招きしたが、彼女は素知らぬ顔をしたまま動かなかった。 「だめです、レナード様が来る前にきれいにしないと」 身の回りの世話をしているのはユウリのはずなのに、引き渡されそうになったことを恨んでいるのか、イリスはアランにばかり懐いていた。ユウリに近付くのは、ご飯をねだるときだけだ。 しかしユウリに捕らえられ、犬用のシャンプーで隅々まで洗われ、ブラッシングしたのち菖蒲色のリボンを結ばれたイリスは、落ち着かなげにソファに体を擦り付けた。 「イリス、今日はもう庭に出ないでくださいね」 せっかく綺麗にしたのに、ぬかるんだ泥で汚されたらたまったものじゃない。イリスは鼻を鳴らしたが、アランが呼ぶ声が聞こえると、そちらへとんでいった。念入りに手入れしたかいもあって、夕食どきに現れたレナードは、イリスの姿を見るなり表情を崩した。 「なんて愛らしいお嬢さんだ」 「誰にでも懐くから、番犬にはならないけどな」 膝上に脚をかけるイリスの頭を撫でながら、アランが穏やかに笑った。夕食は彼のリクエストで白身魚のムニエルだ。アランが決まった時間に食事をとるようになってしばらく経つ。規則正しい生活を取り戻したことで、目の下にくっきり刻まれていた隈も消え、血色の良い肌艶のアランは、もとの精悍な顔立ちもあって、健康的な魅力を取り戻していた。 しかしほんの1週間前、アランは発作を起こし倒れた。ユウリは近くにいたので即座に対処できたが、目を覚ましたあともしばらくはぼんやりと宙を見つめ、高熱による意識の浮沈をさまよっていた。イリスは寝室から離れようとせず、ユウリもそばに控え、汗を拭き、着替えをさせ、食事の介助を行い、彼の回復を待った。 「発作を起こしたと聞いていたが、元気そうだな」 「……あぁ、そうだな」 常であれば、アランは発作を起こすと半月ほど床に伏していた。それが今回は驚くほど回復が早かったのは、日頃の生活の改善による効果もあるが、ユウリの献身的な看病のおかげにほかならなかった。 熱に浮かされる意識の端で、額に触れるひんやりとした心地よい指先を覚えている。夜通し寄り添い、アランの呼吸を静かに見守るまなざしも。その温もりがこれほど心の支えになるとは、少し前までは思いもよらなかった。 「ユウリのおかげだ、……感謝してる」 「アラン様……」 手を取られ真摯に告げられた言葉に、ユウリはわずかに目を開いた。そんな2人の姿を、レナードは目を細めて見ていた。 「ユウリが役に立ったようで良かったようで、俺も嬉しいよ」 「……あぁ、そうだな」 「少し飲みすぎたかな。ユウリの料理が美味しくてつい、今日は泊まっていくが、いいかい?」 レナードとアランは、ユウリが作ったサーモンのカナッペやタルタルを肴にワインボトルを4本も空にしてしまっていた。アランの頬も、ほんのり赤い。 「ユウリ、客室の準備をしてくれ。レナードはいつも3階の奥の部屋に泊まる」 「かしこまりました」 清潔なシーツと予備のタオルを部屋に運ぶ。バキュロが毎日屋敷中を掃除してくれているおかげで、客室の中は少し空気がこもっているだけで綺麗だった。 窓を開けて換気をし、ベッドメイキングをすませる。水回りを点検し不備がないことを確認して食堂に戻ろうと扉を開けると、レナードが目前に音もなく立っていた。 「……レナード様」 「久しぶりだな、ユウリ」 レナードが一歩踏み出すと、ユウリはそのまま部屋の中へと押し戻された。肩を掴まれ、何かされるのかと一瞬覚悟したが、何も起こらなかった。レナードは穏やかな笑みを崩さず、ユウリの頬に触れた。 「あれからずいぶんアランに気に入られたんだな」 「大事に使っていただいています、レナード様」 「俺の世話もしてくれるか?今晩、アランが寝たらこの部屋に来てくれ。一緒に楽しいことをしよう」 手のひらがねっとりと肩を揉むように撫でる。ユウリがわずかに身を引いても、レナードの笑みは崩れなかった。 「ユウリ、返事はどうした」 「……かしこまりました、レナード様」 頷くと、レナードの手はユウリをぱっと離した。階下ではアランの笑い声と、イリスが走り回る軽い足音が聞こえる。ユウリは振り返らずに彼らの元へ戻った。

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