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第6話 告白

アランが目覚めると、窓の外は暗く、分厚い雲が空を覆っていた。強い雨が窓を叩き、庭木が風に大きく揺れている。 「ユウリ、どこにいる?」 いつもなら起こしに来る時間なのに、ユウリの姿はなかった。隣の部屋の充電ポッドの上にもいない。大きなあくびをするイリスを引き連れて階下に降りると、バキュロがせっせと廊下を掃除をしていた。 「バキュロ、ユウリがどこか知っているか?」 言いながら自分で苦笑してしまう。ついユウリのように家電に話しかけてしまった。家の外でゴロゴロと響くような雷鳴が聞こえる。位置はまだ遠いが、イリスが耳をピンと立てて怯えるのをアランはそっとなだめた。 「アラン様、おはようございます」 階段上から聞き慣れた声がして、ふりかえると少し髪の乱れたユウリが立っていた。 「そこにいたのか」 「申し訳ございません、いま朝のコーヒーをお持ちしますね」 階段を降りるユウリの動きがどこかぎこちない。アランは肩を掴んで引き止めると、状態を確認しようと服を捲り上げた。 「……っ、アラン様」 「あぁ、悪い。損傷がないか確認しようと思って。歩き方がおかしいが、脚部に不具合があるのか?」 「……いえ、問題はございません」 ユウリはいつになく硬い表情で頭を下げると、足早に調理場へと入っていった。少しして、朝食をのせた銀盆を静かに抱えて戻ってきたユウリは、もういつも通りの様子を取り戻していた。しばらくして降りてきたレナードと朝食の時間が始まった。 「昨晩はユウリを借りてすまなかったな」 「レナードのところにいたのか」 「あぁ、プレゼンの準備に必要でね。ユウリを商品化する目処がついたんだ」 「そうか、良かったな。おめでとう」 自分のことだというのに、ユウリは表情を動かさずなにも言わなかった。イリスは朝食のドッグフードをもらった後、いつもなら庭に飛び出していくが、雷鳴を怖がっているのか、お気に入りのブランケットと一緒に部屋の隅で小さく丸まっている。ユウリは空の水皿を見て継ぎ足してやろうとしたが、レナードに腰を取られて足を止められた。 「開発部の方で話が出たんだが、ユウリを『セクサロイド』として売るのはどうかと」 「……なんだって?」 「需要があると思わないか?泣いたり笑ったり、多彩な感情表現。もちろん顔立ちもこのままで販売するつもりだ。性奴隷でも恋人ごっこでも、なんでもできる。どんなアブノーマルなプレイをしても文句ひとつ言わない。アダルトグッズ市場に革命を起こすぞ」 「俺は反対だ」 アランがきっぱりと言い放ち、ユウリは思わずまばたきをした。レナードも驚いた様子で目を見開いた。 「なんでだアラン、すでに試算では莫大な利益が見込める結果が出ている」 「ユウリは……ユウリの機能は、そんなつまらない玩具で終わるものじゃない。もっと違う方法で世の中に貢献できるはずだ」 まっすぐな瞳で語るアランの横顔を、ユウリは見つめた。アランがそんなふうに自分を評価していたなんて、思いもよらなかった。 「ずっと考えていたんだ。ユウリが世に出れば、世界中の人々の助けになる。レナード、俺に手伝わせてくれないか?」 「どういう意味だ?」 「ロボティクス部門に所属させてほしい。実際に出向くことはできないが……ここでも出来る限りのことをする」 「それは嬉しい提案だが……体調は大丈夫なのか?無理をして悪化したらお前の両親に合わせる顔がない」 「俺の両親がどう思うか心配することはない。俺が寝込むより、会社に不利益を出さないか気にするくらいだろう」 「……役員会議で議題にあげてみよう、どうなるかは五分五分だが……」 ただでさえ現場での実績のないアラン。その上、家から出られないとなってはCEOの息子といえど難ししいだろう。病気を発症してからは後継候補からも外されている。逡巡するレナードを前に、アランは「頼む、お願いだ」と頭を下げた。レナードは慌てて言った。 「やめてくれ、アル……!わかった、出来るだけのことはする」 それだけ言うと、レナードは帰り支度を始めた。ユウリが玄関先まで見送りに出ると、扉を閉める直前にレナードに腕を掴まれた。 「……何でしょうかレナード様」 「歴史に名を残す有名なセックストイにしてやろうと思ったのに、残念だったなユウリ?」 「……僕の機能はそれだけではありません。アラン様のおっしゃる通り、他の用途でも人の役に立てると考えています」 「“人の役に立つ”ね。病気持ちの穀潰しに何ができるかな」 「アラン様は……穀潰しではありません」 ユウリが静かに否定すると、レナードは面白くなさそうに舌打ちした。不機嫌さを隠しもせず去っていくレナードの背中を見送りながら、ユウリは胸の奥に、微かなざわめきにも似た心地を覚えた。ダイニングに戻ると、アランがぼんやりと虚空を見つめながらすっかり冷めたコーヒーを啜っていた。ユウリがカップを受け取り、新しいコーヒーを注いでいると、こちらを盗み見るアランと目が合った。 「アラン様、どうされました?」 「お前を単なるセックスドール扱いするとは……怒りは感じなかったのか?」 「いえ、僕はそんな……」 曖昧な返答をすると、アランは唇を尖らせた。つまりアランは少なからず腹を立てたということだ。その事実にユウリは、不思議と胸の奥が温かくなるような感覚を覚えた。 「レナードが困るのも無理はないよな。突然、開発部に入りたいなんて。大学を卒業してからずっと家の中にこもり、病気を言い訳にやりたいことだけやってきた。俺の自業自得だ」 「アラン様……」 突然意識を失う難病。日常生活を送るだけで命の危険を伴う。引きこもってしまうのも、誰にも責められないほどの状況だった。アランは、溜め込んでいたものを吐き出すように言った。 「俺は宇宙飛行士になりたかった。でも、その未来は永遠に閉ざされた。だけど……ユウリを世に送り出すことができれば、俺みたいに生活に困難を抱えている人間を手助けできるんじゃないかと思ったんだ。それに……」 アランの表情がふと、柔らかくなった。ユウリはその変化を静かに見守り、次の言葉を待った。 「俺はもう一人じゃない。守りたい家族ができたんだ」 「家族……ですか」 それはきっと、イリスのことだろう。天真爛漫で、子どものように無邪気に懐いてくるイリスを、アランは本当に大事そうに可愛がっていた。深く頷くユウリに、アランは照れ隠しのように目をそらしながら言った。 「ところでユウリ、イリスを見なかったか?」 「いえ、廊下でしょうか。探してきます」 テーブルの下を覗いてもいない。そのとき、窓の外で轟音が鳴り、目の眩むような閃光が走った。庭に雷が落ちたのだ。ユウリは素早く電気系統を復旧させ、状況を確認した。非常灯に切り替わった薄暗い廊下の向こうで、丸くうずくまるイリスの姿が見えた。 「イリス!!どうしたんだ!?ユウリ、病院に電話を!」 「かしこまりました……!」 駆けつけると、イリスはぐったりと倒れ、床には嘔吐物があった。ぜいぜいと苦しそうな息に胸が痛む。抱き上げると、背中の手のひらに速い心臓の鼓動が伝わり、アランはぞっとした。 「出ません。留守電に繋がりました」 「メッセージを残せ。このあたりの救急病院は……」 ユウリは瞬時に内部回線を走らせ、周辺の情報を検索した。半径10km以内の獣医は3件。しかし西側一帯は嵐による大規模停電で、どこも稼働していない。反対側の市立動物病院は開いていたが、回線が混み合い、押しかける患者たちの対応に追われ訪問診療は停止していた。 「アラン様、東側に救急対応可能な病院があります。僕が連れて行きます」 車を使えば30分ほどで到着する。十分現実的な距離だ。しかしアランは首を振った。 「俺も行く」 「アラン様が?」 「ユウリだけだと見てもらえないかもしれない。それに……」 アランの喉がわずかに震えた。深く息を吸って自分を落ち着かせるように胸を上下させ、そしてまっすぐにユウリへ向き直った。 「……俺は一人じゃない。何かあっても大丈夫だ。 そうだよな、ユウリ?」 「はい、アラン様」 大雨の中、自動運転車に乗り込み、病院へ向かう。 アランはイリスを抱きしめ、窓の外に流れる景色を強ばった表情で見つめていたが、病院の敷地に入った瞬間、びくりと身をすくませた。顔色が悪い。最後に外へ出たのは四年前、道路の真ん中で気を失い、朧げな意識の中、車に轢かれかけた。その記憶がよみがえり、手は冷たいのに背中には滝のように汗が流れた。 「アラン様……」 「行こう」 心配そうに見つめるユウリの手を握ると、わずかに震えが収まった。受付でイリスの状態を伝え、検査を待つあいだ、アランとユウリの手はずっとつながれたままだった。結果としては、イリスの症状は雷に強いショックを受けたことによる過呼吸とパニック症状で、軽い脱水状態になっていただけだった。命に別状はなく、点滴を受けるとすぐにいつものお転婆に戻り、診察室でしっぽをぶんぶん振っていた。 「イリス、よかった……!」 「本当によかったですね」 安心したように笑うスタッフに見送られ、家に帰る。帰り道のアランの顔色は明らかに良くなっていた。膝のうえで丸くなるイリスの頭を撫でながら、アランがぽつりと言った。 「ありがとう、ユウリ。俺だけじゃ、イリスを病院に連れていくなんてできなかった」 「僕は何も。アラン様が勇気を出した結果です」 「……勇気をくれたのはユウリだ。お前が隣にいるから決断できた。……ユウリ、俺はな……」 アランの手がユウリの手を取り、自嘲するようにかすかな笑みを浮かべた。 「俺の親は、一生かかっても使い切れないほどの金を持ってる。俺が死ぬまであの屋敷にこもっていても、誰も困らない。それでも俺は変わりたいと思った。どうしてか分かるか?」 「……分かりません」 「お前たちを愛しているからだ。イリスも、ユウリも……お前たちを守るために強くなりたいと思った」 「アラン様……?」 ユウリが言葉を探すより早く、アランの顔が近づいた。震えるような、熱を帯びた呼吸。そして自然と吸い寄せられるように、二人の唇が触れ合った。 「……愛してる、ユウリ」 「僕は……えっと、アラン様……」 離れていく唇を呆然と見送り、ユウリはどう答えていいのか分からず、下を向いた。愛とはなんだろう。友愛、親愛、性愛……愛の種類はたくさんあり、ユウリにはどれも見分けがつかない。レナードとする行為だって、映画の中では愛を交わす手段のひとつだった。 ——アラン様なら愛とはなにかわかるのだろうか? ユウリは再び近づいてきた唇に目を閉じ、そっとその温度を受け入れた。

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