2 / 24
第2話 学園祭
山野辺良輔と角谷貢は、高校の3年間同じクラスだった。
選択授業が似たようなものだったためだが、3年間同じクラスだったのはお互いだけだった。
1年生のときは、互いの存在を認識してはいたものの、あまり接点がなかった。
親しくなったのは2年生の学園祭の頃。
吹奏楽部に在籍し部長も務めていた山野辺は、部活の発表の方にウエイトを置いており、クラスの出し物にはあまり協力できなかった。
クラスの出し物は演劇だった。演目は担任である英語教師の推薦で、英語版『ロミオとジュリエット』
男子校で演劇、となれば、ヒロインやその他の女性役も当然男子生徒が演じることになる。
当時、身長が伸び悩み体格も華奢だった山野辺は、格好の女性役候補だった。
さらに、あっさりとした顔はメイク次第でどんな美女にもなれそうだ、と、クラス中からジュリエット役を熱望されていた。
だが、山野辺は吹奏楽部の部長で、担当するトロンボーンでもソロを任されている。
夏の吹奏楽コンクールで県代表を逃してはいるものの、そこそこの成績を納めている吹奏楽部の演奏はそれなりに注目されていた。とてもではないがヒロインを演じる時間も余裕もなかった。
「山野辺には来年ヒロインをやって貰えばいいんじゃねーの。」
クラスでの話し合いの最中、角谷がことも無げににいった。
…来年?
誰もが唖然とした。
それは、クラス中から期待に満ちた眼差しを向けられていた山野辺も同じだった。
クラス中の視線が角谷に向かう。
「来年、って、俺ら同じクラスになるとは限らねーんだけど?」
比較的派手なグループに属する山崎、という生徒が、眉間に皺を寄せつつ至極真っ当な事を言う。
「それはそうだけど。山野辺が、今年の学祭は部活で忙しいのはみんなも知ってんじゃん。その上で単に山野辺の美少女っぷりを見たい、ってんなら来年でいいんじゃねーの?で、今年は…」
と、角谷の隣の席にいた柔道部主将の長谷川将太を捕まえて言う。
「こいつでいいんじゃね?室町ロミオと長谷川ジュリエット。」
長谷川とともに突然指名された室町孝は、身長はあるものの、山野辺に負けず劣らずの細身な体格をしている。一方長谷川は、柔道部主将を務めるほどのゴリマッチョだった。
「…そっち系か。」
「ありがちだけどね。」
学園祭では、出し物のジャンルごとに順位がつけられる。
だからと言って何か賞品などが出るわけではないのだが、みな、それぞれのジャンルでの1位を狙って盛り上がり、文字通り死力を尽くす。
「山野辺がヒロインだったら3年生を差し置いて1位とれるかもしんねーんだけどな。」
「だって去年、すげー可愛かったんだぜ?山野辺がやった妖精の女の子。角谷も知ってるだろ?」
「せっかく山野辺と同じクラスになったんだし、やって欲しかったんだけどなぁー。」
去年、部活での発表にはそれほど負担がなかった山野辺は、妖精の少女というチョイ役でクラスの演劇に出演し好評を得ていた。そのこともあって、今年はクラスの演劇に協力できないことに負い目のようなものも感じていた。
決してクラスメイトから責められていたわけではなかったが、山野辺が居心地の悪い思いをしていたのは確かだった。その雰囲気が、角谷のとぼけた一言で霧散した。
単に山野辺の女装姿を見たい輩が大勢いただけだったのか、さっきまで膠着状態が続いていた話し合いはあっさりと収束に向かった。ただし、来年必ず女装する、と山野辺に約束させて。
その後の役割分担で、山野辺は角谷と同じ大道具担当になった。
隣県からの遠距離通学であったため、角谷はどの部活にも所属していなかった。
美術部やあるいは街の絵画教室などにも籍を置いていなかったので、角谷の絵が人目につくことはほとんどなかったが、1年の時に選択した美術では、担当の美術教師にそのセンスを絶賛されていた。
そんな角谷が舞台の背景として描くイタリアの風景はとても美しく、山野辺はしばしば目を奪われた。
「…おい、山野辺。お前そろそろ部活に行く時間じゃないのか?」
角谷の描き出す世界に見とれていた山野辺は、角谷にそう声をかけられ我にかえる。
「え、あ、うん。そうだな、そろそろ行くわ。いつもごめんな、途中で抜けて。」
しどろもどろに何やら呟きながら、山野辺はクラスを後にした。
学園祭は、毎年10月中旬の土曜、日曜の2日間で行われる。1日目は校内の生徒向けに公演、展示、模擬店などのイベントを行い、2日目は校外からの来校者に向けて同じ演目、イベントを行う。
その学園祭1日目。
吹奏楽部の演奏は、英語劇『ロミオとジュリエット』 の終演後すぐに別の会場で始まる予定になっている。
今日、山野辺はクラスには一切顔を出していない。
何度か、角谷からは現状を伝えるメールが来た。
だがそれも、さっき山野辺自身が送った「もうすぐ本番だから」のメールを最後に途切れている。
角谷が、クラスの劇のことを気にしているだろう山野辺に、気を遣ってくれているのはよく分かっていた。
「集中しよう。」
舞台袖で、山野辺は呟いた。
舞台のセッティングも終わり、もうすぐ開演の時間だ。
学園祭実行委員の腕章をした生徒会役員からの合図で、吹奏楽部員が舞台に出て行く。
山野辺も、その流れに乗って舞台へと進み出た。
スポットライトが眩しい。
客席は、ほぼ満席だった。
舞台後方の自分の席に着き、譜面台の位置などを調整する。
部員たちの準備が整ったところで、顧問である江田が指揮者として舞台に出てきた。一礼して指揮台に上がる。
指揮棒 が振り下ろされ、演奏が始まった。
山野辺の意識からは、クラスの劇のことも何もかもが消え失せた。
ただ、音楽を追いかける。
あっという間に1曲目が終わり、江田が指揮台を降りて一礼した。拍手がおこる。
さて、次の2曲には山野辺のソロがある。
山野辺は深呼吸してゆっくりと客席を見回した。
ふと、視点が一点で止まる。
出入り口付近に立つ見覚えのある顔。あれは。
「かどや…?」
思わず呟いてしまった。
それに気づいたかのように、山野辺の方をじっと見ていた角谷が、右手を上げサムズアップして見せた。そして、笑う。
…これは、『ロミオとジュリエット』が無事成功した、ってことかな?
山野辺も、満面の笑みを見せた。
部員たちを見回す江田が目に入り、山野辺は気を引き締め直した。こちらを伺うような江田の視線に頷いてみせ、それに頷き返した江田がタクトを振り上げる。
『コパカバーナ』
バリー・マニロウが作った曲を吹奏楽版に編曲したもの。
パーカッションから曲が始まって、トロンボーンパートのソリ、そして山野辺のソロへと繋がっていく。
山野辺は立ち上がり、ゆっくりと楽器を構える。深く息を吸って…
さまざまな思いを音に込めて、軽快なメロディを演奏し始めた。
ともだちにシェアしよう!

