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第3話 褒め言葉
ソロが終わり一礼すると拍手が起こる。それを聞きながら着席した。
ふと、角谷の方に視線を向けてみる。
角谷はなんだか、ぼーっとした顔をしていた。拍手くらいしろよ、とひとりで突っ込んでみる。
だが、いつも冷静で捕らえどころがない印象の角谷があんなマヌケ面をさらしてる、というのもなんだか可笑しかった。知らず、山野辺の頬に笑みが浮かんだ。
続いての曲は『美女と野獣』
男子校ではあまりない選曲だが、学園祭ということで、観客として来てくれるであろう女子中高生向けに演奏することになった曲。
この曲には、トランペットソロと絡む、わりと長めのトロンボーンソロがある。
山野辺は、隣にいるトランペットソロ担当の安藤佳之と並んで立ち上がり、アイコンタクトをとりながら高音のソロを歌い上げた。
そこそこ長いと思っていたのに、ソロはあっという間に終わってしまった。
楽しいことはすぐに過ぎてしまう。もったいないな。
そんなことを思いながら安藤とともに一礼して席に着く。拍手が起こる。
曲の途中だったが、密かにお互いの健闘を讃えて、安藤と小さくガッツポーズを交わしてみせた。
もう一度角谷を見た。
今度はなんだか不機嫌そうな顔をしていた。
すべての演奏が終わった後、山野辺は、舞台上の椅子と譜面台の片付けだけを済ませると、楽器の後片付けは後回しにして、客席に角谷を探しに行った。
角谷はまだそこにいた。
いそいで外に連れ出す。もう次のプログラムが始まってしまう。
「ありがとうな、角谷。ロミオとジュリエットは成功だったんだな。知らせに来てくれたんだろ?」
「あ、うん。そう。」
角谷の様子がおかしい。なんだかまだボンヤリしている?
「…角谷、体調悪い?」
「いや、そんなことはない。ただ…」
「ん?」
「山野辺の演奏、初めて聴いたけど、おまえ、凄いんだな。びっくりした。なんていうか、こう、心が揺さぶられる感じ?なんか、まだ、俺、現実に戻ってきてないかも。」
山野辺は、あっけにとられて角谷を凝視した。
そんな風に言ってもらえたの、初めてだ。それになにより、角谷にそう言ってもらえたのが嬉しい。
そして、妙に照れくさくなった。赤くなってしまったであろう頬を、俯いてごまかす。
「…ありがとう。最高の褒め言葉だ。」
学園祭2日目は、吹奏楽部の演奏とクラスの演劇の開始時間に余裕があり、山野辺もクラスの劇をゆっくり見ることができた。
ジュリエットを演じるのが長谷川、ということで、ストーリーは若干変更されている。
すなわち、体格の良いジュリエットには仮死の毒がなかなか効かず、ようやく毒が効いてもロミオが服毒自殺しようとした時にはさっさと仮死から目覚め、さらにヒョロヒョロなロミオから毒薬を力ずくで奪って、2人とも死なずにハッピーエンド、という風に。
結局、その独特ユニークな演出が評価された英語劇『ロミオとジュリエット』は特別賞を、類い稀な強面ジュリエットの顔面をキャンバスに見立てた角谷が、ありえない美術の才能を発揮してどうしてだか可愛らしく見えるメイクを施し、最優秀特殊メイク賞を受賞した。
自分が推薦したのだから責任を取る。そう断言した角谷は、その言葉の通り、見事に責任を取ってみせたのだった。
*****
「あ、山野辺せんせー!合奏何時からですかー?」
山野辺が音楽準備室に入ると、現部長の加々見範人 が話しかけてくる。
「あぁ、今日は3時から、って江田先生がおっしゃってた。」
「はーい、了解でーす。」
加々見は、その連絡を伝えに準備室を出て隣の音楽室に向かった。
吹奏楽部の顧問は3人。音楽大学を卒業し、山野辺の入学と同時にこの学校に着任した江田 克樹 が主にタクトをとり、山野辺達が現役だった頃と変わらず部員たちの指導を行っている。
残る山野辺ともう1人、山野辺が卒業した翌年度に着任した蜂屋 さゆりという生物教師とで、ライブラリアン的な楽譜の管理や、小さな企画コンサート、定期演奏会、コンクールなどの本番のスケジュール管理を行っている。
準備室にいた蜂屋に、山野辺は依頼演奏の資料を見せた。
「蜂屋先生、これ、今のところ依頼されている分です。」
「あ、ありがとう、山野辺先生。…うーん、これくらいならコンクールに支障はないかなあ。」
吹奏楽コンクールは、毎年夏に行われる。地区大会、県大会に始まり支部大会を勝ち抜いて全国大会へと進む。
山野辺の頃と変わらず、支部大会出場が今の吹奏楽部の悲願であり目標だった。
「ですよね。」
蜂屋の言葉に、山野辺も頷く。
「じゃ、このまま話進めておきますね。」
「うん、よろしくね。…と、そうだ、山野辺先生、ちょっと聞きたいんだけど。」
「はい?」
蜂屋はちょいちょい、と手で山野辺を呼ぶ。
「今度来る美術の先生のこと、知ってる?」
「…はい?」
「なんか、ヨーロッパで成功した有名な画家さんらしいじゃない?ここの卒業生らしいけど。山野辺先生知らない?たぶんあなたと同学年。」
「…えっと、産休の安田先生の代わりの先生ですか?」
「うん、そう。」
「いや、俺はよく知らないです。同窓生、って言っても1学年15クラスもあったし、同学年のヤツなら必ず知ってるというわけでもないですし。」
「そっかー、残念。」
大して残念そうでもなく、蜂屋がそう言った。
「でもまあ、ここの卒業生だか知らないけど、そんなすごい人よくひっぱってこれたわよね。」
そうか、そんなにすごい人なのか。
「そうなんですか。っていうか、蜂屋先生、よくご存知ですね。」
蜂屋は、にっこり笑った。
「そりゃね、若いイケメン講師が来るとなれば詳しくもなるでしょ。」
あ、そうですか…。
気が抜けたような山野辺の様子に気づいたのだろう、蜂屋が慌てて
「大丈夫、山野辺先生もイケメンよ⁈」
…何が大丈夫なのだろうか?
身長だけは、高校を卒業してからぐんぐん伸びて、なんとか平均はクリアした。だが、相変わらず華奢な体格はそのままで、顔に至っては、メイク次第で絶世の美少女になれる、と称えられた平凡あっさり顔のままだ。
イケメン、という言葉ほど自分と対極にある言葉はない、と山野辺は思っている。
だが、とりあえず礼だけは言っておこうと思った。
「…ありがとうございます?」
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