4 / 24

第4話 ギャラリー

 山野辺が、そのギャラリーの前を通ったのはほんの偶然だった。  昔からある、老舗と呼ばれるにふさわしい『アートギャラリー(でん)』。  駅の構内で開催するコンサート、いわゆる駅コンの依頼を受け、その打ち合わせに蜂屋と出かけたのは、ゴールデンウイーク明け、イケメン美術講師の話をした翌々日の放課後のことだった。 「蜂屋先生、なんか雰囲気がいつもと違いますよね…?」  山野辺が思わずそう問いかけてしまうほど、蜂屋はいつもと違う大人可愛いファッションに身を包んでいた。  普段はシンプルなシャツとパンツに白衣を羽織ることが多い蜂屋だが、今日は、凝ったデザインのきれいめブラウスにロングのプリーツスカートを合わせている。  おまけに、普段はきっちりとひとまとめにくくっている髪はゆるふわハーフアップに、存在感のある黒縁メガネはコンタクトに変わっていた。  とは言っても、頑張った感を前面に押し出した切羽詰まった風ではなく、どこか大人の抜け感を感じさせる余裕のあるものではあったが。 「だって、駅コンの担当してくださる駅員さん、ものすごいイケメンなのよ!」  蜂屋の勢いに、山野辺は、若干どころかかなり引き気味だ。  そんな山野辺に、蜂屋はフェロモンを垂れ流すような笑顔をむける。  山野辺が、思わずその笑顔から逃れるように視線を彷徨わせた先に、そのギャラリーがあった。  個人の展覧会の準備中のようだった。出入り口は閉ざされていたが、ガラス張りのディスプレイスペースにはとても大きな風景画が展示されており、その横には5月半ばから開催される個展の会期が記されている。  どこかで見た絵だと思った。  …どこで?  この、圧倒的な風景、雄大で、何もかもを包み込んでくれそうな大きな…  その瞬間、山野辺の脳裏に、ごく自然に角谷の顔が浮かんだ。  そうか、角谷が描きそうな絵だ。角谷が好きそうな絵なんだ。  立ち止まり絵を眺める山野辺に、立ち止まるつもりのない蜂屋が、通り過ぎざま遠慮のない声をかける。 「山野辺先生、ほら、おいていきますよ?」 「えっ?蜂屋先生?待ってくださいよ。ひどいなー、全く。」  仲よさそうに歩いていく自分達を、そのギャラリーからじっと見つめていた人影があったことなど、山野辺は全く気づいていなかった。  *****  高3の春頃、山野辺は角谷に誘われ展覧会を見に行った。ちょうど、今のギャラリーのように個人の展覧会を開催していた。 「俺の尊敬する画家の先生なんだ。実は少し指導もしてもらってる。」  嬉しそうに誇らしげに角谷が言った。 「俺の絵を褒めてくれたから、きっと山野辺も気にいるだろうと思って。」  展示されている絵画は、確かに角谷の描く風景画に通じるものがあるように思えた。  もっとも、山野辺が角谷の絵を見たのは学園祭の劇の背景画だけで、まともにキャンバスに描かれた絵などは見たこともなかったが。 「俺もこんな絵が描きたいと思ってる。」  角谷の絵よりも圧倒的な存在感と雄大さを持ってそこにあるそれらの絵画を、じっと見つめ呟く角谷の真剣な横顔。きっと一生忘れられないだろう、と山野辺は思った。  ***** 「アートギャラリー田。って、そうか、このギャラリーだったか…。」  ふと呟いた独り言に、蜂屋が山野辺の方を向いた。 「山野辺先生、何か言いました?」 「…あ、すいません。俺、喋っちゃってました…よね?」  やべー、無意識だったわ。  なおもブツブツ呟きながら、再び駅を目指して歩き出す。  そう、高3のあの日、角谷と見に来た個展が開かれていたのは、あのギャラリーだった。  この辺りの出身で、現在はイタリアに在住する日本人画家だと聞いた。その風景に惚れ込んでイタリアの片田舎に移住し、そこの風景を描き続けているのだと。 「かっけーよな。自分が描きたいものがあって、それを描き続けられる、って。」  角谷が、えらく熱弁をふるっていたのを思い出す。  そうだな。かっけーよな。  でも、同じように夢を追いかけて世界に飛び出していったお前も、充分かっけーよ。  山野辺は、つい、自分の記憶の中にいる高校生の頃の角谷に話しかけていた。  なあ角谷、おまえ今、どうしている?  先日、高3の時の委員長である田代一眞(たしろかずま)に、久しぶりにメールで角谷の消息を尋ねてみた。だが、やはりと言うか、残念ながら田代も角谷の現在を把握してはいなかった。  多くの同窓生たちが大学を卒業し、働き始めて2年と少し。  そろそろ同窓会も考えているから、俺としても角谷の消息は知っときたいとこなんだけどね。  そんな返事が、田代からは送られて来た。  元気でいるといいな。  山野辺はそう願わずにはいられなかった。

ともだちにシェアしよう!