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第5話 田代

「ところで。久しぶりだし、飲みにいくよね?山野辺。」  角谷の消息を尋ねた時、山野辺は田代に、半ば強引に飲みの約束をさせられた。  確かに久しぶりでもあるし、まあいいか、と土曜日の夕方、山野辺は約束の場所に出かけた。  高校を卒業してから、まるまる6年が経つ。  そろそろ同窓会を考えている、という田代は、元同級生ほぼ全員の消息をつかんでいた。  この辺りでは一番の繁華街で、安い美味い早い、の居酒屋に入り、とりあえずビールで乾杯する。  山野辺が田代に尋ねた。 「同窓会は、クラスだけなのか?」 「うん、とりあえずはね。学年全部、とかはね、いくら人望のある俺でも1人ではちょっと無理だわ。」 「…まあそうだろうな。」 「そういえばさ…。」  意味ありげに山野辺を見てから、その反応をうかがうような口調で、田代が言った。 「あれからちょっとした目撃情報がはいってきた。角谷、帰って来てるみたいだよ?」 「…え?」  角谷のことで田代と連絡を取ったのだから、角谷の話題が出て当然の流れだったのだが、山野辺はなんだか虚をつかれた気がしてかなり動揺していた。そして、そんな自分を自覚して、さらに狼狽えた。  …俺、何をこんなに動揺しているんだろう…。 「駅前のなんとかいう有名なギャラリーあるでしょ?そこで師匠が個展やるから、その手伝いしに来てるんだって。」  駅前の、って、あのギャラリー? 「…俺、この間、それ見たわ。外からチラッとだけだけど。」  あの絵、やっぱり角谷と繋がりがあったんだな。  ということは、あの時角谷はあそこにいたのか?  …角谷が?あそこに?  本当に会える距離に角谷がいる。  急に現実的な存在になった角谷のことを思うと、別れ方が別れ方だっただけに、素直に懐かしく思う気持ちと素直になれない蟠りと、角谷に対して複雑な気持ちを抱いている自分に気づいた。 「角谷、っていったら、いっつもさりげなくおまえをかばってたよな。」 「…え、そうだったか?」  相反する角谷への想いに戸惑っていた山野辺は、一瞬反応が遅れてしまった。  そんな山野辺の反応を見て、田代が「おや?」という表情をする。 「そうだよ。3年の学祭の出し物決めるときの一悶着とかさ。おまえの女装、その前の年に約束させられてたんだろ?」 「ああ、うん。でも、だからってメイド喫茶は無いよな。」 「それ猛反対したの、角谷だから。」 「え?」 「言い出しっぺの高田とか三橋とか、あと山崎?1人ずつに話通して、で、結局、全員をねじ伏せた。」 「ねじ伏せた、って…」 「力ずく、ってわけじゃないよ。角谷も、そんなに腕っぷしが強いわけじゃないし。第一、暴力沙汰になってたら、もっとおおごとになってるでしょ。」 「え、じゃ、どうやって…?」 「それは角谷に聞いてね。俺は知らないから。…絶対に吐かなかったんだよね、あいつ。」  田代がふふん、と笑った。 「…そうだったのか。俺、なにも知らなかった。」 「だろうね。角谷、あいつらにも口止めしてたらしいからね。」  2年生の時、角谷に黙らされた形になった山崎は、3年生になっても山野辺と同じクラスになった。高田と三橋は3年生になって初めて同じクラスになったが、山崎は「去年からの約束だから」と、高田、三橋とともにしつこいくらいメイド喫茶を推していた。それが、ある日突然ダンスパフォーマンスでも演劇でもどちらでもいい、と譲歩してきたのだ。  何があって突然そんな気になったのか、山野辺が聞いても彼らは何も答えてはくれなかった。  …それらは全部、角谷がやったことで、そしてそのことを口止めしてたって…? 「あいつのことだから、おまえに気を遣わせたくなかったんだろうけどさ。…少し落ち着いた頃だったかもしれないけど、おまえが、とてもメイド喫茶なんてやれる精神状態じゃなかったって知ってたの、クラスでは俺と角谷くらいだったろ?」 「ああ、そう、か。」 「で、弟くんは元気なの?」 「…え、あ、うん。元気にしてるよ。おかげさまでね。」 「今いくつ?」 「18歳。高校3年。…あの頃の俺たちと同い年。」  田代と話すうち、角谷との思い出が次々と思い出された。  そんな風に言われれば、あれもこれも、ひょっとしたら山野辺をかばっての行動だったのかもしれない、と思い当たることが多々あった。  けれども。  その表情の変化を見て取ったのか、田代がにやにやと笑う。 「あんなに山野辺の事気遣ってたのに気づいてもらってなかったとか。角谷、可哀想すぎでしょ。」  山野辺は思わず狼狽えて 「…え、いや、気づいてなかったわけじゃないよ。ただ…」 「ん?ただ?」  一拍置いて、山野辺が言う。 「イタリアに行くこと、角谷はおまえには言ってたんだよな。」  言いにくそうに言葉を紡ぐ山野辺の顔を見て、田代が 「…なるほど、拗ねてる訳だ。」 納得したように言う。 「拗ねてなんか…。」  田代の言葉を山野辺は即座に否定するが、 「いやいや。『あいつは俺には何も言わずにイタリアに行った。あいつにとって俺はその程度の付き合いの人間でしかなかったんだ。』って、そういうことでしょ?」  田代は楽しそうに続ける。 「誰もそんなこと…。」  不機嫌そうな山野辺の物言いに、田代は笑う。 「そうかそうか。」  意味ありげに笑っている。 「ま、飲め飲め。どっちにしてももう時効でしょ?」  そう言って、さっき乾杯したジョッキを山野辺に押しつけてきた。 「とりあえず、今回、角谷が帰って来ている間に、一回飲み設定するから。山野辺も来るでしょ?」  田代の笑みは、山野辺に断る余地を与えなかった。  *****  結局、揉めに揉めた3年生の時の学園祭の出し物は、担任の古典教師の強い推しと、山野辺の女装が映える、という絶対条件により、近松門左衛門の人形浄瑠璃『心中天の網島』のタイトルを借りて『曽根崎心中』を演じることになった。  当時、吹奏楽部をすでに引退していた山野辺は、言うまでもなくヒロインお初役をもらった。  背景などの大道具、そしてメイクは当然のように角谷が担当した。  角谷は、背景の描写に日本画的な表現への挑戦をみせ、山野辺は、これは新境地を開いたんじゃないか、とひたすら感心していた。  同時に、角谷は初めての和風メイクに戸惑いながらも試行を重ねた。体の線があやふやになる着物の効果もあって、山野辺は日に日に綺麗になっている、と大評判だった。  演技の練習が終わった後、2人で教室に残ってメイクの試行を重ねる日が続いた。 「疲れていないか?」 「遅くまで学校に残っていても大丈夫なのか?」  角谷は常に山野辺を気遣っていた。 「去年からの約束だからね。ちゃんとやるよ。」  角谷の気遣いをありがたく思いながら、山野辺は自分の出来る精一杯をしようと決心していた。  翌日に本番を控えた週末も、いつものように2人で、メイクの最後の調整をした。  全てを角谷に委ねた山野辺は、何の疑いもなく目を瞑ってメイクを施される。  そのうち、角谷が顔に触れてこなくなった。しばらく何もしない状態が続き、けれども山野辺は、角谷の視線だけは感じていた。  メイクの出来を確認しているのか、と思い、そっと目を開けてみると。 「…かどや?」  一瞬、燃えるような目で自分を見つめる角谷と目が合い…  その時感じた視線の熱さに。  キス、されるかと、思った。

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