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第8話 氷解
深刻な話も少しはしたけれど、話題の中心は主にお互いの近況報告だった。
再会した時には、突然いなくなった角谷に対する蟠りもあった山野辺だが、屈託なく楽しく飲む角谷に、そんな気持ちもどこかへ行ったようだった。
美味い酒が進み、山野辺はしたたかに酔った。
ごくごく自然な態度の角谷に、どこか構えていた自分が少々恥ずかしくなる。自分は一体何に拘っていたのか、と、高校時代の親友に戻ったような、楽しい気分だった。
「おい、山野辺、大丈夫か?」
それに対して、角谷はあまり酔っていないようだった。
「大丈夫。」
山野辺はにこにこしている。だが、その足元はあまり大丈夫そうではなかった。
「送ってくよ。実家?」
「いや、学校の近くに部屋を借りてる。」
「一人暮らししてるのか?」
「おう。泊まってくか?」
一瞬、角谷の“自然な”態度が崩れたような気がした。
俺、なにか変なこと言ったかな…?
だが、酔った頭では、それ以上を追求できなかった。
すぐに“自然な”態度を取り戻し、角谷は
「じゃ、泊めてもらおうかな。どうせ部屋に帰っても誰もいないし。明日は昼前にギャラリーに行けばいいから。」
と言った。拍子抜けするくらい、あっさり。
俺は何を期待?意識?していたんだろうな。
山野辺は、自嘲する。
「俺は、明日も朝から学校!」
「大丈夫か?山野辺先生。朝、起きられるか?」
「角谷が起こしてくれれば大丈夫だ!」
酔っ払いは、妙なテンションで断言する。角谷に対して後ろめたさを感じている分、そのテンションは高かった。
2人でタクシーに乗り、山野辺の部屋に帰る。
「ソファでいいかな、適当に寝てくれ。シャワーも適当に使ってくれていいから。」
なんとか上掛けだけはクローゼットから取り出して角谷に渡し、自分はそのまま、寝室のベッドに潜り込む。
狭い1DKの単身者用マンション。ダイニングをリビング代わりに使っているのでダイニングセットは置かず、肌触りのいいラグを敷いてゆったりしたソファとローテーブルを置いている。
寝室のドアは開け放ったままにしていた。
「…なあ、なんで突然いなくなったんだ…?」
「…え?」
山野辺の小さな問いかけに角谷が反応を返す。が、山野辺を見るとすでに夢の中のようだった。
「…。」
残された角谷は、しばらくその場を動けないでいた。
*****
翌朝、山野辺は 美味そうな出汁の香りに意識が浮上してくるのを覚えた。
なんで、こんな香りが…?
まだ、はっきりと覚醒しない意識のなか、何かが自分の唇をかすめていった気がした。
無理やり両目をこじ開けようとすると、やんわりとその目に手を添えられた。
「まだ早いよ。もう少し寝ていても大丈夫だ。ちゃんと起こしてやるから安心しろ。」
角谷の声に、山野辺はひどく安心して、再び眠りのなかに逆戻りした。
「朝飯できたぞ。勝手にキッチン借りたからな。」
角谷の声で目覚めた。
「…朝飯?」
起き上がってはみたものの、まだぼんやりしている山野辺は、角谷の言葉を繰り返す。
「簡単なものだけどな。冷蔵庫、勝手に漁ったから。ほら、起きて。シャワー浴びてこい。」
キッチンに立つ爽やかイケメンが、振り向いて肩越しに寝室を覗いている。
「相変わらず寝起き悪いよな、おまえ。酒が入ると余計ひどくなるのか?」
ようやく目が覚めてきた山野辺が呟いた。
「…うるせー。」
シャワーを浴びて気分がすっきりしたところで、角谷と向かい合ってローテーブルについた。
1人で摂る食事の時と同じように、ソファには座らずラグに直に座り込む。
ソファには、昨夜、角谷に貸した上掛けが、きちんとたたまれて置かれていた。
テーブルには、大根の味噌汁とネギの入っただし巻き卵と白いご飯がほかほかの湯気をたてている。
「…角谷、料理できるんだ。」
「自炊した方が安上がりだしね。売れない駆け出しの画家としては。あ、今度はイタリアン作ってやるよ。」
自分も自炊はしているけれど、もっと簡単なものしか作れない。イタリアンとか、一体なに?
「…角谷は、なんでも器用にこなすよな。」
ふと、羨望の言葉が漏れた。
「おまえだって自炊してるんだろ?調味料とかちゃんと揃ってたし。」
「うん。一応ね。」
一呼吸おいて、角谷が聞いてくる。
「…ひょっとして料理するのはおまえじゃなくて、彼女?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「彼女なんていない。」
山野辺は、小さく言い返す。
「…そんな気もしたけどね。食器が1組ずつしかないし。」
汁椀も飯碗も2客無くて、角谷の味噌汁はマグカップに、白飯は小鉢にはいっていた。
「いただきます。」
手を合わせ、卵を一口、口に運んだ。
「美味い。」
山野辺の呟きに、角谷が嬉しそうに答える。
「それは良かった。ちゃんと出汁も取ったからね。」
そうだ。今朝、とてもふくよかな出汁の香りで目覚めた。
そのあと、何かあったような気が…。
「昆布とか鰹節とか、山野辺、よくストックしてたよな。キッチンの隅っこで埃かぶってたけどさ。」
だが、思い出そうとする山野辺の努力は、角谷の言葉で消え去った。
「…それ、いつのだ?」
「乾物なんて、いつのでも大丈夫だろ?」
「…うーん。」
和やかな朝食を終え、山野辺は余裕を持って出勤した。
「職場が近いと便利だな。俺、今駅前に住んでるからさ、学校までどうやって通おうか悩んでるんだ。歩くか、チャリでも用意するか。どっちかだよな。」
角谷と一緒に部屋を出る。
そうか、もうすぐ同僚になるのか。
改めて、角谷を見た。
昔は見上げていた角谷の顔が、今は同じくらいの高さにあった。
「ん?」
その視線に気づいたのか、角谷が山野辺を見る。
「なんでもない。」
慌てて視線をそらせた。
山野辺は、自分の部屋に戻る角谷とは反対方向の学校へとむかう。二人はマンションのエントランスで別れた。
「いってらっしゃい。」
角谷は、山野辺が出勤していくのをしばらく見守ってから、反対方向に歩き出した。
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