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第11話 もがく
月曜日、江田が倒れたことを校長が報告した朝礼のあと、校長と蜂屋と山野辺の3人で吹奏楽部の今後の活動について話し合った。佳奈江が伝えた江田の言葉もあって、当面は山野辺が音楽的な指導全般を行う、という結論に至った。
細かい予定の調整はそのあと蜂屋と2人で行ったが、当面の目標は水曜日に設定されている合奏練習となった。
「山野辺先生にすべてお任せします。」
そう言ったという江田の気持ちに応えたい。山野辺は心の底からそう思っていた。
ただ、気持ちに実力がついて行っていない現実も、嫌という程自覚していた。
その日から、山野辺はコンクールとともに、いくつかの、差し迫った地域の本番の準備に追われることになる。
月曜の午後、たまたま授業が無かった山野辺は、江田の意識が回復したのを確認して病院に出かけた。
江田が入院するICUまで押しかけて、看護師に睨まれながらもアドバイスをもらった。レッスンを受けたい、と江田の指揮の先生も紹介してもらった。佳奈江に頼んで、江田が個人的に所有している、曲に関する資料を借り受けた。
いろんなチューブに繋がれてはいるものの、案外元気そうに見える江田の様子に心から安堵した。
学校に戻り、放課後には部員たちに江田の入院を知らせた。
そのあとは学校に保管されていた資料をできる限りかき集めた。
今までの合奏練習の録音を家に持ち帰り、江田の書き込みのある総譜 (注)で確認しながら夜通し聴き続けた。新しく用意した自分のスコアに江田の書き込みを写し、さらに新たに気づいた点や気になる点も書き込んでいく。
見学していた合奏練習を思い出しながら、借りた資料を読み漁った。
初合わせには間に合わないが、今週末には指揮のレッスンを受けられることになった。
翌火曜日も山野辺は、授業が始まる前の早朝や昼休み、食事を摂る時間も惜しんでスコアを読み込み続けた。
放課後、個人練習やパート練習を中心に行うことになった吹奏楽部の練習は蜂屋に任せ、さらにスコアを読み進める。もちろん、通常の授業に関する業務は並行して行っている。
時間も遅くなり、職員室から同僚の教師たちが1人2人と帰って行く。
角谷が差し入れと称してサンドイッチを渡してきた。
「少し休んだら?」
「…ああ、かどや。」
「今日は朝からぶっ飛ばしてるよな。相変わらずノーと言えないね。山野辺くん。」
山野辺が疲れた顔で角谷を見上げる。角谷は苦笑していた。
角谷から受け取ったサンドイッチを頬張り、すこし話をする。
常ならぬ事態でコンクールの指揮をする、という重大な責任を負うことになった山野辺を心配して、角谷は
「俺は、おまえのトロンボーンの演奏好きだし、おまえが作る音楽もきっと好きだと思う。おまえの思う通りに曲を作ったら良いんじゃないの?」
と言った。
サンドイッチとともに角谷の言葉を咀嚼し、飲み込み、考え考え山野辺は言った。
「…いや、俺はあいつらを江田先生から預かってるだけだからそれはできない。江田先生の音で、あいつらを必ず県大会に送り届けないといけないから。県大会で江田先生に返さないといけないから。」
昨日押しかけたICUで、「県大会までには必ず戻る。」と力強く言い切った江田の姿が脳裏に蘇る。
だが、自分の音楽を好きだと言ってくれた角谷の言葉は嬉しかった。
「でも、そんな風に言われたらすごく嬉しいよ。ありがとう。」
少し、肩の力が抜けた気がした。
できることをやるしかない。ようやく、開き直ることができそうだった。
「…って俺、高校の頃のおまえの音楽しか知らないけどさ。」
「そうだよな。角谷、イタリア行っちまったもんな。」
すこし苦々しく笑いながら、山野辺は続けた。
「でも、俺、高校卒業してからは全く音楽からは離れてたから、おまえが日本にいても何も聴かせてやれなかったよ。」
「…それは、コンクールで失敗したから?それとも、弟くんに、尚之 くんに気を遣ってのこと?」
山野辺の表情が固まる。
角谷はそれを見て、即座に謝った。
「悪い。今言うことじゃなかった。忘れてくれ。」
角谷はそのまま席を立ち、
「お先。あんまり根を詰めるなよ。」
と帰って行った。
そんなことがあった翌水曜日の放課後。
山野辺は、表情をなくしたまま音楽室を出てきた。
田井たち現役部員からのノーを突きつけられ、なすすべもなく逃げてきたのだ。
音楽室内では、蜂屋が何か話している。
どうしたらいいんだろう?
どうしたら…
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(注)
スコア
合奏・重奏におけるすべてのパートがまとめて書かれている楽譜(Wikipedia)
オーケストラ等の合奏・合唱・室内楽の各パートの譜表を、一目で見られるようにした楽譜(意美音)
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