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第13話 師弟
「これ、誰の車だよ?」
「田所さん。って、ギャラリーのオーナーね。師匠を空港まで送るって言ったら、喜んで貸してくれた。」
シルバーの国産セダン。山野辺を助手席に乗せ、そのあと師匠である神崎敬仁 夫妻を迎えに、駅前のホテルへと向かう。
「やべ、右側に入りそうになる…。」
角谷のつぶやきに、山野辺は何度「俺が運転しようか?」と言いかけたことか。
神崎は落ち着いた初老の紳士だった。
妻のロベルタは日系のイタリア人だそうだが、その見た目は日本人そのもので日本語もとても堪能だった。
山野辺に気を遣ってくれているのだろう、日本語で話される角谷とのやりとりに、遠慮のない実の親子のような印象を受けた。
神崎夫妻を後ろの席に乗せ、角谷は高速を飛ばして行く。
「少し休憩しましょうか?」
最近増えて来たハイウェイオアシスと呼ばれるレジャー施設のようなパーキングエリアに立ち寄ることになった。
土産話に、との角谷の配慮なのだろう。人気の大きな観覧車が見えた。
「ミツグ、お土産買うから一緒に来て。」
ロベルタが、早々に角谷を連れてパーキングエリア内のショッピングモールに入って行った。
「山野辺くん、とおっしゃったかな。」
残された形になった神崎と山野辺が、ゆっくりショッピングモールに向かって歩き出す。神崎が話しかけて来た。
「あ、はい。」
「角谷をよろしく頼みます。」
立ち止まった神崎が、深々と頭を下げた。
「え⁈いや、あの、頭を上げてください!」
山野辺が慌てて声を大きくする。
顔を上げて、神崎がにっこり笑った。
「少しお話ししていいですか?」
山野辺は「はい。」としか言えなくなる。
2人はカフェに向かった。
*****
2人ともコーヒーを頼んだ。
運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、
「なかなか美味しいですよ。」
神崎が微笑む。
「イタリア人はよくコーヒーを飲むのでね、そこそこ舌が肥えてしまった。ここのコーヒーは美味しいです。」
「…それは良かったです。」
相槌をうつ山野辺に、神崎が穏やかに微笑む。
「角谷がね、ギャラリーのオーナーに車を借りたからどうしても私たちを空港まで送る、と言ってきかなくてね。
荷物も多いので助かるのは助かるんですが。
ただ、『きみは日本での車の運転には慣れていないから、帰り道1人では危ない。誰か信頼できる人を連れて来なさい。』と言ったらあなたを連れて来たんですよ。」
「…そうなんですか。」
神崎は、山野辺を探るように見つめている。
「ちょっと長くなると思いますが、私の話を聞いてもらっていいですか?」
「あ、はい。」
山野辺は居住まいを正した。
「…彼と私が初めて会ったのは、彼が高校1年生だった時です。
私はこの辺りの出身でして、毎年、幼馴染である友人のギャラリーで個展を開いてるんですが、そこに来てくれました。展示されている絵がとても好きだ、とすごい勢いでした。」
神崎の表情が、昔を懐かしんでいることを語っている。
「個展の会期中、ほぼ毎日来てくれてましたね。そのギャラリーのオーナーの田所ともいつの間にか仲良くなっていて。田所からの強力なプッシュもあってね、それからは私が日本にいる間は彼の絵をみるようになりました。
彼の家庭が父ひとり子ひとりなのはご存知ですよね?
お父さんは、彼が画家になることにはあまり乗り気ではなかった。
そりゃね、画家なんてヤクザな商売、諸手挙げて賛成する親はあまりいないでしょう。」
神崎は、一呼吸おいて
「それにしても、いきなりイタリアまで来るとは思いもしませんでしたよ。」
当時のことを思い出すように苦笑した。
「私から学びたいことがたくさんありすぎて時間が足りなさすぎる、とはずっと言っていましたがね。
反対するお父さんとは喧嘩別れ同然に家を出て来たようなんです。
今回、1年の契約ですが産休の代理教員という仕事に就けた。それに、イタリアでそれなりに認められているコンペで入賞もした。この機会にお父さんとの溝が埋まれば、と思ってたんですけどね。私では橋渡しはできませんでした。お父さんにとって、私は、大事な息子を唆してイタリアくんだりまで連れて行ったロクデナシでしょうからね。」
一息ついてコーヒーを飲む神崎は、
「…賞?」
と呟く山野辺に、
「賞のことはご存知ない?角谷は言ってませんでしたか?」
驚いたように言った。
「彼はいつも風景画を描いています。イタリア国内の小さな賞には何度か入選もしているんですよ。
それが、ある時、何か思うところがあったのか、突然、人物画を描き始めましてね。いつもの絵と違ってタッチがとても優しくて、描いているときの彼もとても幸せそうだった。なにかね、いつもの絵と違ったんです。
だからね、少し大きなコンペに出してみるように勧めたんです。ARTE LAGO 国際アート賞。そうしたらファイナリストまで残りまして。
4月頭まで、ファイナリスト展に参加してたんですが、なかなか評判も良かったんですよ。
わりと大きな賞なので、部門もいっぱいあってね、ファイナリストと言っても100人からいるので、日本のメディアではそんなに取り上げられていなかったんじゃないかな。」
そのあと一呼吸おいて、神崎は先を続けた。
「その絵はね、着物を着て日本髪を少しほどいた少女を描いていました。
きっと彼の大切な人なんでしょう。
だから、彼にはもう日本に帰った方がいいと言ったんです。彼の描きたいものは日本にあるのだろうから。」
描きたいものは日本にある…?
神崎の台詞に、山野辺はなにか違和感を感じた。
だが、自分をじっと見つめる神崎の視線に気づいたとき、山野辺の心臓が、どくんと音を立てた気がした。
「あなたは、あの絵のイメージにとても近い感じがします。」
山野辺の心臓がさらに早鐘を打つ。
だがそこまで言い切った神崎は、ふと視線を外し、続けた。
「彼とお父さんは父子家庭で父ひとり子ひとりでしょう。お互い、弱みを見せられない関係なのかもしれない。」
そして、再び山野辺に視線を戻す。
「だから、角谷をよろしく頼みます。しっかりしているようでいてキリキリと張り詰めたやつなので、きっと1人ではぽっきりと折れてしまう。
あなたには随分気を許しているようだ。仲の良い友人としてでもなんでも、肩書きなんてどうでもいい。どうか彼を見守ってやってください。」
そう言って、再び深々と頭を下げた。
神崎の話が一区切りついた頃、ロベルタたちがカフェに現れた。
それに気付いた神崎が、片手を上げ2人を呼ぶ。
「ユキ、山野辺くんとのお話は終わったの?」
ロベルタの問いかけに神崎が頷いた。
山野辺と話をするためわざとロベルタが角谷を連れ出したのだ、と、この時ようやく山野辺は気付いたのだった。
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