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第14話 再開
角谷とともに神崎を空港に送った翌日の月曜日から、山野辺は部活に顔を出すようになった。
すでにカレンダーは7月になっている。吹奏楽コンクール地区大会まで1ヶ月をきっていた。
蜂屋には、一番に長期の不在を詫びた。
「蜂屋先生、勝手してすみませんでした。今日からはちゃんと部活に出ますから。」
蜂屋は泣き笑いのような表情で、山野辺を迎えた。
ミーティングでは、部員たちに
「コンクール前の大事な時期に勝手なことをして申し訳なかった。
これからは全力でサポートしていくから、俺で役に立つならなんでも相談して欲しい。」
と素直に詫びた。
相変わらず、練習は田井が仕切っている。
その姿も、今では穏やかな心で見守ることができた。
「角谷が元気で、描きたいものを描いてくれさえすれば、それでいいんです。どこにいようと、私は角谷を見守り続けますから。」
昨日の別れ際に神崎が言った言葉。それを聞いて山野辺は、自分も部員たちに対してそんな気持ちを抱いていたことに気がついた。
そして、彼らの気持ちにどこまでも寄り添っていく覚悟が、自分には足りなかったことも。
山野辺は積極的に、パートや個人で練習している部員たちの指導にあたった。
田井の指揮のフォローも兼ねて、ここ数日で雑になりつつある音程や音価(音符、休符通りの長さ)を正確に演奏すること、発音をはっきりさせること、音の処理の仕方を揃えることなどの基礎的なことを中心に指導して回る。同時に楽譜に書かれた楽語の解説をし、その指示を守らせるようにした。
3日ほどして、練習終了後に部長の加々見が、山野辺のいる準備室を訪れた。
何か話したいことがあるのだろうけれど、なかなか言い出せない。
見かねて山野辺から口を開いた。
「加々見の兄さん、元気にしてるか?俺のこと覚えているかな?」
弾かれたように、加々見が話し出す。
「覚えてますよ!当たり前じゃないですか!山野辺先輩のトロンボーンは神的にうまかった、崇拝してる、っていつも言ってますよ。なんてったってソロコンテスト最優秀じゃないですか!」
「…おまえ、よく知ってるな。」
加々見の言葉に、山野辺は苦笑をもらす。
加々見の兄、清人 は、山野辺が高校3年生の時の1年生で、吹奏楽部に在籍していた。担当楽器はユーフォニアム。
「兄は大学ではオケ(オーケストラ)に入ってトロンボーンに転向したんですよ。山野辺先輩に教えてもらいたかった、ってずっと言ってました。自分がトロンボーンを吹くようになって、ますます先生のことを尊敬してるみたいです。今は市民オケでトロンボーンを続けていますよ。」
「へぇ。」
ずっと音楽を続けている後輩の話を聞き、山野辺は嬉しくなった。
「おまえの兄さんのこと、もっと早くに聞けばよかったな。なんでだろう、今まで加々見とこんな話したことなかった。」
「そうですね。」
話に一区切りがつき、再び加々見は口をつぐむ。
諦めて、山野辺は直球を投げた。
「で?何か話があるんだよな?」
加々見が、しばらく迷ってようやく口を開いた。
「先生は、田井が振ることをどう思ってるんですか?」
直球で返してきたな。そう思いつつも、
「…そうだなぁ。おまえたちのコンクールなんだから、おまえたちが納得する形での演奏が一番優先されるべきだと思っている。おまえたちが納得できて、それで地区大会、県大会を突破することができればベストだな。だから、田井が振ることがおまえたちの総意なら、俺はなんとも思わない。ソロさえなければ、むしろ地区大会で田井が振ってもいいと思ってるくらいだ。生徒が振ってはいけない、なんて規定もないし。」
「それ、本気ですか?だってドビュッシーですよ?あんな大変な曲、あいつに振れるはずがない。」
一瞬の逡巡のあと、加々見が続ける。
「拍感がね…。なんとか俺らパーカス(パーカッション、打楽器)で引っ張ってますけど。
こないだの夏祭りの時も、メドレーとかで曲が変わったり拍が変わるとき、あいつ、ちゃんと振れていないんです。
もともと、打点をはっきりさせる振り方はしない奴ですけど、拍をごまかすためか無意識なのか、最近ますます打点がわからなくなってきているし。他の部員もうすうす気付いています。先生も分かってるでしょう?」
「…ああ、そうだな。」
考えつつ、山野辺が答える。
しばらく迷っていた様子の加々見が、意を決したように言った。
「あんな偉そうなこと言ってたくせに申し訳ないんですが…」
「ん?」
「先生、一度、合奏を振ってもらえませんか?」
加々見の言葉に、山野辺はぐっとつまった。
「いや、でもそれは…」
「お願いします。もう限界です。田井も自分で分かってるんです。自分たちじゃ仕上げるのが無理なことくらい。」
必死な加々見の様子に、無下に断ることもできずに
「…俺も付け焼き刃で1〜2回レッスン受けただけだから。そんなに上手く振れないよ。」
山野辺は言葉を濁す。
「兄が江田先生から聞いたそうです。山野辺先生は耳がとてもいいんだ、って。それに、」
言ってもいいのだろうか?
一瞬迷ったようだったが、加々見は続けた。
「それに、先生の最後のコンクールのとき、先生が弟さんの病気のことで冷静な状態での演奏じゃなかったというのも、兄から聞いてます。それでも、ソロは成功させた、って。」
「加々見…」
「そんな山野辺先生に、俺は振って欲しいんです。教えて欲しいんです。顧問が倒れたから、生徒が振って地区大会に参加、とかそんな美談いらないんです。」
加々見が勢いよく立ち上がると、がばっと頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
山野辺はため息をつく。
「田井が振るのは、全員の意思ではないということなんだな。」
加々見が頷くのを見て、
「…そういうことなら、わかった。じゃ、明日の合奏振ってみよう。」
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
「俺もそんなに上手く振れないけど、できるだけのことはするよ。それは約束する。」
「ありがとうございます!」
帰っていく加々見の後ろ姿に、山野辺は1人呟く。
俺のことはどうでもいいんだよ。
一番大事なのは、おまえたちが地区大会、県大会を突破することなんだから。
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