15 / 24
第15話 覚悟
翌日、山野辺は合奏練習を振った。
不確かな音程、音価、リズムには次々にダメ出しをする。表に出るべきパート、裏でそれを支えるパートをはっきりさせる。みるみるうちに音楽が整理されていった。
最初は反抗的な態度をとる生徒もいたが、本番までの残り時間があまりないことに気付いた者から、的確な指示を出す山野辺に素直に従うようになった。
ここ3日ほどの個人練習では、音程や音価を揃えることの大事さを意識させていた。その効果が、合奏でも少しずつ現れてきた。
加えて、音色を揃えることにも注意を払う。
『海』は標題音楽(注)なので、映像をイメージして演奏することも意識させた。
江田の指導を、皆が少しずつ思い出していた。
山野辺と江田との付き合いは6年目になる。
江田がこの曲をどう振りたかったか、どう仕上げたかったかイメージは出来るが、そこに近づくためにはどうしたらいいのか、まだまだ模索が続く。
江田は一般病棟に移ったそうだ。
幸い大きな後遺症は見られないようで、早ければあと1週間ほどで退院できるだろうとのことだった。
ただし、まだまだ自宅療養が必要で、今すぐ学校に復帰できるわけではない。
合奏が終わったあと、ミーティングは蜂屋に任せ、山野辺は準備室に戻った。イヤホンを装着し、今さっきの練習の録音を聴きながら、スコアを見直し気付いたことを書き込んでいく。
そこに、ミーティングを終えた加々見が、田井とともに現れた。
「山野辺先生。ちょっといいですか?」
加々見の真剣な声に、山野辺は顔を上げた。
ミーティングに出ていた蜂屋も、準備室に戻ってきた。
「おつかれ。加々見も田井も、どうした?」
だが、蜂屋の言葉は、
「先生!」
田井の思いつめたような言葉に遮られ、空中に浮かんで消えた。
「先生は俺たちを県大会に連れて行ってくれるんですか?」
切羽詰まった田井の様子に、蜂屋がぎょっとしたようだった。
「田井?どうした?落ち着いて?」
蜂屋には答えず、田井が続ける。
「俺、出来ると思ってました。江田先生が曲に対する指示をたくさん残してくれていたから、それさえ守れば仕上げられると思っていました。
でも、仕上がらないんです。上手くならない。昨日よりどんどん下手になっていく。どうしたらいいのか、もう分からないんです。」
江田先生が倒れて山野辺先生が指揮をする、と聞いた時、誰かが、山野辺先生の現役の頃のコンクールの失敗の話をもち出して。
本当に任せて大丈夫なのか、って流れになって。
加々見は先生の事情知ってて。
大丈夫だって言ってたのに誰も聞かなくて。
1日置いてもう一度話し合って、やっぱりその流れになって。
みんなが、俺ならできるって言うから俺もすっかりその気になって。
「でも、もう限界です。俺の指揮では上手くならない。表面には出さないよう、自信たっぷりに見えるようにだけは気をつけてきました。でも、もうこれ以上は無理です。」
泣き出さんばかりの田井の様子に、蜂屋も狼狽えた表情をしている。
山野辺は。
「わかった。」
一呼吸おいて、意識して笑ってみせた。
「あとはこちらに任せて欲しい。信用できないかもしれないけど。」
田井の方を見て、しっかり目を合わせて話す。
「俺のせいで負担をかけたな。それでなくてもソロもあるのに。」
本番でちゃんと指揮する覚悟もなしに、指揮台に上がろうとした。
それを見透かされていたからこそ、生徒たちは山野辺を拒否したのだ。
不安なのは誰でも一緒。だが山野辺のそれは、誰にも気付かれてはいけない。
山野辺の決心が固まる。
何度も頭を下げながら、田井と加々見が準備室を出ていく。
「山野辺先生、かっこいい。」
2人が帰ったあと、蜂屋が言った。
「蜂屋先生、茶化さないでくださいよ。」
苦笑しながらも、山野辺は覚悟を決める。
もう、逃げない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(注)
標題音楽
音楽外の想念や心象風景を聴き手に喚起させることを意図して、情景やイメージ、気分や雰囲気といったものを描写した器楽曲のことをいう(Wikipedia)
題や説明文によって表された文学・絵画・劇などの内容を、音で描写する音楽(意美音)
ともだちにシェアしよう!

