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第17話 告白
洗面所を出ると、台所で角谷が待っていた。
「…肉じゃない方が良かったか?」
「いや、そんなことない。ありがとう。いただくよ。」
いつものように、ローテーブルに並んだ角谷の心づくしの料理。
「いただきます。」
手を合わせ、箸を持つ。
一口二口、口に運んで箸が止まった。
向かいで角谷がこちらを伺う。
「…ごめん、とても美味いんだけど、今日はこれで。」
とても申し訳なかった。
「…かえって負担になったな。悪い。」
角谷に謝らせてしまった。
「こっちこそごめん。シャワーしてくるよ。明日早いんだ。…角谷はちゃんと食べて。片付けは後で俺がやるから。」
申し訳なさと情けなさから、さっさとリビングを出ようとする山野辺に、角谷が声をかけた。
「湯を張ってるからゆっくり浸かってこい。後片付けも俺がするよ。あと、今日は泊まらせてくれな。」
「…うん。ありがとう。何から何まで。」
そのまま、部屋を出た。
湯船に浸かるのは久しぶりだった。
ゆっくりと暖かい湯に浸かって体は多少リラックスするが、縮こまった心はゆったりできないままだった。
心をほぐすことを早々に諦め、山野辺は風呂を出る。
リビングはすっかり片付いていた。
山野辺に気付くと、角谷が
「俺も風呂借りるな。おまえはさっさと寝てろよ。」
と、部屋を出て行く。
1人になってソファに丸く座り、タオルで濡れた頭を拭く。
大きなため息が出た。
こんな弱気になるのは今だけだ。
明日、皆の前では自信を持ってやり遂げる。
明日は…
山野辺は、そのまま寝室に引っ込んだ。
*****
真夜中だった。
静かなエアコンの稼動音に紛れて、山野辺の寝室からうめき声が聞こえてくる。
角谷は目を覚ました。
いつもベッド代わりに借りているソファから立ち上がり、山野辺の様子を伺う。
「山野辺?大丈夫か?」
山野辺は額に汗を浮かべ、苦しそうな顔をしている。
「どうした?夢か?」
肩を掴んでゆすってみる。
「…!」
山野辺が、ぱっ、と目を開いた。
「大丈夫か?」
角谷が問いかける。
一瞬、なにが起こっているのか分からない様子の山野辺は、角谷を認めるとほっとしたように笑った。
「…かどや。」
「夢でもみたか?ずいぶんうなされていた。」
「…うん。夢、みてた…。」
山野辺はまだ呆然としていたが、とにかく意識ははっきりしているようだった。
「もう一度眠った方がいい。」
角谷は、そう言って山野辺のベッドから離れようとした。
が、着ていたTシャツの裾を掴まれ、その動きが止まる。
「…どうした?」
山野辺は答えない。
角谷は、仕方なくベッドの端に腰を下ろした。
「どうした?山野辺。」
「…もうしばらく、ここにいてくれないか。」
角谷が聞いたこともないような、弱々しい声だった。
「…わかった。」
角谷は、Tシャツを掴む山野辺の手をそのままに、山野辺の額に汗で張り付いた髪をとってやった。
「…あのときは、尚之が、呻いていたんだ。」
やがて、山野辺が訥々と話し出した。
「ん?あのとき、って?」
角谷が問うと、
「7年前。俺の最後のコンクールの、前の日の夜。俺は尚之が苦しんでいることを知っていたのに、知らないふりをした。」
夜中に、弟が呻いていた。
神経が高ぶっていて、俺は熟睡できないでいた。
同じ部屋で寝ていたから、弟が苦しそうにしていることはすぐに分かった。
でも、俺は次の日が大事な本番だからって、弟が苦しんでることに気付かないふりした。明日は大事な日なのに、って、むしろ弟を疎ましく思った。
朝起きて、弟の様子に愕然とした。
明らかにひどく発熱していて意識もはっきりしていないようだったし、頭痛がするのかずっと頭を抱えていた。
なにより全身にアザができていた。ひどい内出血をおこしていたんだ。
弟の様子がおかしい、って父親がすぐに救急車を呼んだ。
大丈夫だからお兄ちゃんはコンクールに行け、って言われた。両親は笑って俺を送り出してくれたけど、その目は笑っていなかった。
コンクールは聴きに行けないけど頑張って、って母親に言われた。
その後の弟の様子が全く分からないまま、俺は本番を迎えて。
角谷は聴きに来てくれてたから知ってるよな。弟を見捨ててまで大事にしようとした本番も、結局、結果は散々で…
「山野辺…」
角谷が、声を絞り出すように言う。
「びっくりしただろ?角谷が知らないだけで、俺はこんなにひどいやつなんだ。しかも、このことを誰かに話したのはこれがはじめてで。今まで誰にも、両親にさえ話していなかった。…最低だろ?」
山野辺は、角谷のTシャツから手を離し、むくりと起き上がった。そのまま、立てた膝の間に顔を埋める。
「吹部の奴らや、コンクール聴きに来てくれてた田代とかおまえには、その日の朝に弟が救急車で運ばれた、と、そのままずっと入院している、としか言っていなかったよな。
…弟の病名は血栓性血小板減少性紫斑病。難病に指定されてる病気だよ。」
山野辺は顔を上げて、虚空を見つめた。
「弟は、尚之は、まだ11歳だったのに。そんなひどい病気にかかって苦しんでいたのに。俺は、自分のことしか頭になくて。」
自嘲して笑う。
「さっき、その時の夢を見ていたんだ。尚之がずっと呻いていて。助けに行かないと、って思うのに体が動かなくて。」
暗闇の中、角谷は山野辺を見つめていた。
「あれから毎年、この時期にはこの夢を見る。やっぱり、俺はコンクールに関わるべきじゃないんだっていつも思う…。」
山野辺は、角谷の方を向いた。
「なあ、俺、明日、本当に振っていいのかな…?」
しばらくの沈黙の後、角谷が静かに言った。
「生徒に、山野辺先生に振って欲しい、って言われたんだろ?だったら自信を持って振ればいい。それに。」
山野辺は、角谷が笑った気配を感じた。
「おまえがどんなにひどいやつでも、俺はおまえの味方だよ。」
思いがけない言葉に、山野辺の頬を一筋の涙が伝う。
「まったく、見くびられたもんだな。相変わらず、1人で抱え込んで。そんなに頑張らなくても、もっと俺を頼ってくれていいのに。」
角谷の指が、山野辺の涙を拭う。
「かどや…」
暗闇に慣れた目が、角谷の笑顔をはっきりととらえた。どこか心のこわばりが解けた気がした。
「…頼って、いいのか?」
「いいよ。」
「甘えて、いいのか?」
「まかせろ。」
「…なんでそんなに優しいんだよ。」
角谷は一呼吸おいて、はっきりと告げた。
「そりゃ、おまえのことが好きだから。どんなおまえでも好きだから。」
山野辺は息を飲んだ。恐る恐る尋ねる。
「…どんな、俺でも?」
「もちろん。」
「好き、って、どんな?」
角谷が静かに山野辺を抱き寄せる。
「こんな。」
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