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第20話 いざ
ぐっすり眠れたのだろう。山野辺の目覚めは爽やかだった。
角谷がことさら丁寧に山野辺を抱いたので、違和感は多少あるものの、痛みや体の不調を感じることはなかった。
夏の日の出は早い。午前6時の今、陽の光がすでに部屋に満ちている。
今日も快晴、暑くなりそうだ。
隣を見ると、角谷が眠っている。
…ああ、夢ではなかった。
全身で、自分を肯定してくれる角谷。自分の全てを受け入れてもらえたような、そんな充足感があった。
昨夜の出来事のうち、最後の方はあまり覚えていない。いろんなところからいろんな液体を垂れ流していたような気がするが、今の自分は全身がさっぱりしているし、ちゃんとパジャマも着ている。きっと角谷が後始末してくれたのだろう。
山野辺がもそもそと起き上がると、角谷も目を覚ました。
「…おはよ。」
角谷が寝ぼけた声で挨拶する。
角谷の寝起きを見るのは初めてかもしれない。山野辺は、知らず微笑んだ。
「今日は俺の方が早起きだったな。」
自慢げに言う。
「…はいはい。」
角谷はすぐにぱっちりと覚醒したようで、素早く山野辺にキスするとにっこりと笑った。
「起きているおまえにキスできるのは嬉しい。」
「…え?」
そして、するりとベッドから抜け出す。
「朝ごはん作ってくる。…あ。」
部屋を出る前に、角谷が振り返った。
「山野辺。身体つらくないか?無理はさせていないつもりだけど。」
1人で昨夜のことを思い出していた時にはあまり感じていなかった羞恥心が、角谷に言葉にされた途端に襲ってきた。
「…大丈夫だよ。」
なんとか、それだけ絞り出す。
角谷は、なんでもお見通し、みたいな顔でにっと笑うと、台所に向かった。
2人で、いつものように向かい合って、ローテーブルで朝食を摂る。
「なあ、今日おまえの家族は聴きに来るの?」
昨日の残りごはんを使った茶粥をすすりながら、角谷が不意に尋ねた。
気まずそうに、山野辺が答える。
「知らせていない。…知らせられなかった。」
「そうか。」
しばらく考えたあと、角谷が再び口を開く。
「もしよければ、お母さんとか尚之くんとか、来てもらったらいいんじゃないか?なんだったら俺がおまえの実家まで迎えに行って、一緒に会場のホールまで行くよ?おまえの実家、結構近くだったよな?」
角谷の気遣いが、嫌というほど心にしみる。
「あー、ありがたいんだけど、家族は弟のかかりつけの先生がいる病院の近くに引っ越した。ここからだったら電車で1時間半くらいかな。…だから、もう今日はいいよ。」
「え?」
角谷が驚く。
「…だから一人暮らし?」
「うん、そう。」
「そうだったのか。」
再び角谷が、何か考え込んだ。
「ごちそうさま。そろそろ俺行くわ。」
山野辺は立ち上がり、自分が使った食器をキッチンへ運ぶ。
角谷も
「ごちそうさま。」
と手を合わせている。
山野辺は洗面所で歯を磨いてから、寝室に戻りスーツに着替えた。気持ちがピリッと切り替わる。
リビングに戻ると、角谷が
「片付けておくからいいよ。早く行きな。」
とキッチンで、食器を洗っていた。
「ごめん。ありがとう。じゃ。」
出かけようとする山野辺を、
「あ、ちょっと。」
と、角谷が呼び止める。
「え?なに?」
泡だらけの手を濯ぐと、角谷は山野辺の肘をくっと引き、そのまま腕の中に抱きしめた。
「…え?」
驚く山野辺の耳元で、角谷がゆっくりと言う。
「昨夜も言ったけど。自信を持って振ってこい。俺がちゃんと見届けてやるから。」
「角谷…。」
山野辺も、角谷にぎゅっとしがみついた。
「それから。いつか尚之くんともちゃんと話せよ。」
「わかってる。」
名残惜しく思いながら、角谷の腕から離れた。
「ありがとう。なにもかも。角谷がいてくれて本当に助かった。ありがとな。」
心の底から礼を言う。
「本番は3時過ぎからの予定だから。角谷はゆっくり来てくれたらいいよ。」
リビングを出て、玄関で靴を履く。
「じゃ、行って来ます。」
山野辺の目に、もう迷いはなかった。
そんな山野辺を見送った角谷は、
「…俺も、どうにかしなきゃな。」
呟いていた。
*****
学校で9時に集合した。
丁寧に音出しをして、ロングトーンや基礎練習。
疲れない程度に合奏練習をして、昼食を摂ったら、手配しておいた貸切バスに乗って会場に向かう。
加々見の目が、田井の目が、部員全員の目が。
ギラギラしていた。
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