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第22話 石に立つ矢
加々見が叩くティンパニの最後の音がホールから消えた時、大きな拍手が沸き起こった。
無我夢中のうちに、演奏は終わってしまった。
課題曲と自由曲、合わせて12分を振り切った山野辺はしばらく動けなかった。
それでもなんとか部員全員に立つように合図をし、指揮台を降り客席にむかって一礼した。
冷静に考えると傷は多々あったが、全員が『地区大会を突破する』という強い意志を持って臨んだ演奏は、鬼気迫るものがあったようだ。
舞台袖では蜂屋が泣きながら
「とってもよかった!」
「よくやった!」
「お疲れさま!」
と、部員ひとりひとりを出迎えていた。
山野辺の顔を見ると、
「先生、すごく良かったです!」
と握手した手をぶんぶん振り回された。
気持ちは高まったままだったが、写真撮影だとか、帰りの楽器の運搬だとか、何より結果発表が待ち受けている。
山野辺はなるべく事務的にそれらをこなしていった。
写真撮影の場所には演奏を聴きに来ていた保護者らが集まり、「素晴らしかったです。」と口々に褒められた。
そのあと片付けと楽器の積み込み。それが終わるとホールへ移動。
ここで、結果が発表される。
全ての学校の演奏が、すでに終わっていた。
部長の加々見と副部長の中川は舞台袖に向かい、他の部員は客席に座る。
客席にいた保護者などの観客は、みな出演者たちに席を譲り、2階席、3階席に移動している。
発表予定時間の5時まではあとわずかだった。
舞台の照明が明るくなる。連盟の関係者が舞台に現れ、出場20校の部長、副部長も、舞台上にプログラム順に並ぶ。
順番に成績が発表され、各学校に金賞、銀賞、銅賞の各賞が授与されていく。
そして金賞の中から数校、地区代表が選ばれることになる。
結果発表が、淡々と続く。
「…高等学校、銀賞です。」
「…高等学校、ゴールド金賞です。」
金賞を取った学校は、一際大きな歓声をあげる。
「…高等学校、銅賞です。」
自分たちの前に演奏した学校の発表が終わり、加々見が中川とともに舞台中央に向かった。
「湊南高等学校、ゴールド金賞です。」
山野辺は、静かに発表を聞いていた。
まわりで、部員たちが大喜びしている。
加々見と中川が、笑顔で賞状とトロフィーを受け取った。
だが、まず第一段階をクリアしただけだ。代表を取らなければ。
「次に、県大会に進んでいただく代表校4校を発表します。プログラム順に…」
時間が止まった気がした。
周りの音がなくなっていく。淡々と発表がすすむ。
そして。
「…4校目、湊南高等学校。」
選ばれた!
その瞬間、山野辺の全身から力が抜けた。
「先生!よかった!」
隣の席から蜂屋の声が聞こえる。
「先生!聞いてる?県大会よ、県大会!」
興奮した蜂屋に、背中をばんばん叩かれた。
「…蜂屋先生、痛いです…。」
山野辺は、涙目で蜂屋を見た。
その後のことも、山野辺はなるべく事務的に進めていった。
代表校の顧問を集めての連絡事項伝達、生徒を引率しての帰校、ミーティングして解散、学校での後片付け。
ちょっとでも油断すると緊張感が途切れていることが漏れ出てしまいそうで。
これからも練習に参加するとはいえ、自分の本番はここで終わる。だが部員たちはここからが勝負なのだ。
明日の練習はオフの予定になっている。1日英気を養って、明後日からは2週間後に迫った県大会に向け集中していく。
ミーティングが終わり生徒たちが解散した後、山野辺が準備室で雑務を片付けていると田井が現れた。
「…どうした?」
思いつめた表情の田井に山野辺が声をかけるが、田井は動かない。
山野辺は、何も言わず田井に近づくとその肩をぽんぽんとたたいた。
田井は泣きそうな顔を必死にこらえるようにして深々と頭を下げ、そのまま準備室を出て行った。
山野辺が学校を出たのは午後8時を過ぎていた。すぐに角谷にLINEを送る。
『今日はありがとな。いまどこ?』
『代表おめでとう。お疲れ。山野辺ん家にお邪魔してスケッチしてる。晩飯用意してるから早く帰ってこい。』
すぐに返事が来た。
そのメッセージに『了解』と返信してから、今度は尚之が無事に帰宅したかどうか確認するために実家に電話をかける。
演奏の後、結局、尚之には会えなかった。
電話には母親が出た。
「コンクールどうだったの?もう、あなたって子は何も言わないんだから。今朝、江田先生から連絡もらってどれだけびっくりしたと思ってるの?もっと早くに知らせてくれてたら私も聴きに行ったのに。」
「…あ、うん、ごめん。」
久しぶりに話す母親は、とどまるところを知らない勢いだった。
「尚之はちゃんと帰ってきてるわよ。もう高校3年生なんだから、そんなに心配しなくても大丈夫。私たちよりあなたの方がよっぽど過保護よね。」
「…はい。」
「ちょっと待って。尚之に代わるから。」
「あ、今じゃなくても別に…」
言いかけた山野辺の言葉が、虚しく夜の住宅街に吸い込まれていく。
電話の向こうでは、「なおゆきー、お兄ちゃんからー」と弟を呼ぶ声がかすかに聞こえた。
「もしもし、兄さん?」
尚之が出てきて、山野辺は足を止める。
「今日はお疲れ。結果、どうだったの?僕、演奏が終わったらすぐに帰っだから…」
「あ、うん、地区代表はとれたよ。」
「すごいじゃん!おめでとう。」
「ありがとう。というか、今日は来てくれてありがとうな。嬉しかった。」
「どういたしまして。」
尚之が笑いながら言う。
「それにしても、コンクールってあんなにピリピリしてるものなんだね。びっくりしたよ。兄さんが現役の時は僕小学生だったからよくわかんなかったけど。しかも、出演してる人たち、僕と同い年か年下でしょう?すごいよね。」
そして、尚之が少し声を落とす。
「…あの時、兄さんにはすごく迷惑かけたよね。今さらだけど。…ごめ…」
「ごめんな、尚之。」
尚之の言葉を遮るように、山野辺は謝罪の言葉を被せた。
尚之は何も悪くない。悪いのは自分なのだ。謝らせてはいけない。
大丈夫。角谷には話せた。尚之にだって謝れる。
角谷の顔を思い浮かべ、言葉を絞り出す。
「俺、おまえが苦しんでたの、知ってたんだよ。高3のコンクールの前の晩。」
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