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〔1〕 蘇生失敗-2
しばらく後、誠治は目を覚ました。
どれくらいの間気を失っていたにせよ、そう長い時間ではなさそうだ。耳鳴りの向こうで、ラシャとバシルが言い争っているのが聞こえた。目を開けると、二人は部屋の隅に立ち、こちらに背を向けているのが見える。
「あんたの言う通り、蘇 生 はうまくいかなかったらしい」
この声は……バシルのものだ。秘術師とも呼ばれていた。それが何を意味するのかは、誠治にはよくわからないけれど。
バシルの言葉に、ラシャが鋭く言い返した。
「そんなことはわかっている! どうすればやり直せるんだ」
「最初に説明しただろ、ラシャ。これは一回きりの秘術だって」
ラシャが唸るような声で言う。
「しくじる可能性はほとんどない、とも言ったぞ」
「ああ、そうだよ。それでも失敗したってことは……」
「失敗したということは、なんだ?」
バシルは一瞬躊躇 ってから、こう言った。
「ということは、あんたのご主人様の魂が蘇生を拒んだってことだ。ガイウス様は生き返りたくなかったらしい」
その言葉に、ラシャの背中が強ばる。痛いほどの沈黙の後で、ラシャが言った。
「……ガイウス様は殺されたんだぞ。復讐 も望まずに、ただ死を選んだというのか?」
「さあな。ケチな秘術師に、四百歳の大魔術師の気持ちがわかると思うか?」
皮肉っぽくそう言ってから、バシルは語気を緩めた。
「あのな……つらいのはわかるが、もう手の打ちようがない。こうなったら、せめてこの状況を利用する方法を考えるしかないんじゃないのか」
ラシャは、鋭く言い返した。
「どういうことだ?」
バシルは低い声で答えた。
「つまり、あんたのご主人様を殺した輩を見つけて、復讐するってことだよ」
ラシャが鋭く息を呑 む音がする。
「しかし……」
二人はさらに声を落として、話し合いを続けた。ハッキリとは聞き取れないけれど、断片は途切れ途切れに耳に入ってくる。
「あの男を──に使えと……?」
バシルが肩を竦 める。
「どうせ、赤の他人だ」
「しかし……」
ラシャは俯 いて考え込むような素振りの後で、ため息をついて、こう言った。
「確かに、これは好機かもしれない」
何が、『好機』なのだろうと考えながら、誠治はぼーっとラシャを見つめていた。
気を失う前からあった発熱は、相変わらず身体に居座っている。ラシャを見ていると、どういうわけか、それが一層ひどくなってくるような気がする。
なのに、目を離せない。
男が惚 れる男──という言い回しがあるけれど、ラシャはまさにそういうタイプだった。立ち姿を眺めていると、なおさらそう思う。
ラシャは、かなり背が高い。見たところ、身長は一九〇センチ近くありそうだ。ぴんと伸びた背筋、隙のない身のこなし。逞 しい四肢には力が漲 って……まるで、野生動物を見ているような気になる。
誠治の視線に気付いたのか、ふと顔を上げたラシャと目が合う。誠治が目覚めているのを見て取ると、彼はほんの少しだけばつの悪そうな顔をしたけれど、すぐに取り繕った。
「お目覚めですか」
無言のまま、こくりと頷 く。
ラシャはほんの一瞬、バシルと目配せをした。そして、こちらに一歩足を踏み出したその瞬間、たじろいでその場に立ち止まる。
「……っ」
すかさず、バシルがラシャの肩に手を置き、液体の入った瓶を差し出した。
「ほら、抑制剤だ。これで少しはマシになる。アンタの分と、そこの旦那の分」
ラシャは瓶を受け取ると、片方の栓を開け、栄養ドリンクでも飲むみたいに一気に飲み干した。
それからあらためて誠治のベッドの側に来ると、覚悟を決めるようにため息をついて、こう言った。
「あなたに、大事なお話があります」
それから、今し方バシルに手渡された瓶を、誠治に差し出した。
「まずはこちらをお飲みください。熱が少し楽になります」
妙な味の水薬を飲むと、誠治の意識にかかっていた靄がすこしだけ晴れたような気がした。相変わらず熱は高いし、頭はくらくらしているが、会話はできる。
ラシャは誠治が寝ているベッドの足下近くに腰掛け、誠治がここにいる理由を説明した。
「わたしは今夜、秘術師に依頼して、亡くなったわたしの主──ガイウス様の魂を身体に呼び戻すための蘇生術を行いました。ところが、主の身体に入ったのはあなたの魂でした」
質問を百個ほどぶつけたかったが、今はひとまず、彼の言うことを飲み込む。
「つまり……僕は手違いで、知らない人の身体の中に入ってしまったってこと?」
「そういうことです」
「はぁ……」
まだ半分夢の中にいるような気がして、呆けた返事をしてしまう。
「ここは……いったい何処なんだ?」
「イヴニア国と言います」
「イヴニア……? 聞いたこともない」
ラシャはさもありなんという顔で頷いた。
「おそらく、あなたが生きていたのとは全く違う世界なのでしょう」
「ええ!?」
とんでもない言葉に、また意識が朦朧とし始める。
「あなたの世界でも、よその世界から魂が迷い込むことはあるでしょう?」
「まさか」と誠治は笑い飛ばした。
「ここが異世界なら、どうして日本語が通じるんだ? 君だって日本語を話してるし」
ラシャは戸惑いの表情を浮かべた。
「ニホンゴ……?」
「僕が話してる、この言葉のこと」
説明すると、ラシャは「ああ」と呟 いた。
「その身体の……元の持ち主であるガイウス様は、大変偉大な魔術師でしたので」
──魔術師、ときたか。いよいよ理解が追いつかなくなってきた。
けれど、もう一度気を失うのは御免だったので、誠治はどうにか、その事実を受け入れた。
「魔術師だと、誰とでも言葉が通じるようになるのか?」
「わたしには、あなたの言葉はイヴン語──こちらの共通言語に聞こえます。魔術師の血に宿る魔法が、あなたの思考をこちらの言語に置き換えているのでしょう。ご主人様は異国の文字で書かれた本でも、一目で中身を解読されていましたから」
この身体の『元の持ち主』の話をする時、ラシャの言葉の端々には尊敬が滲 む。だが、彼は頑なにこちらを見ようとはしない。
口に出してそう言わなくても、彼が喪失感に苦しんでいるのはわかった。
こんな異常な状況だというのに……胸を打たれずにいるのは難しかった。
「君は、ガイウスという人を大事に思っていたんだな」
ラシャは弾かれたように顔を上げて誠治を見てから、それを悔やむように俯いた。きっと、別人に乗り移られた主人の姿を見るのがつらいのだろう。
「ガイウス様は……わたしの恩人でしたので」
彼は言葉少なに言った。本当は、もっと言葉を尽くして説明したいのに、仕方なく諦めたような表情だった。
それから、彼は意を決したように唇を引き結ぶと、身じろぎをしてベッドの上の誠治に少しだけ近づいた。
途端に、甘い匂いが鼻 腔 を擽 る。本能を掻き立てるような、なんとも形容しがたい匂いだ。心拍数が上がり、呼吸が荒くなる。なぜだか熱まで出てきた。
「うわ、何だこの匂い……香水……?」
「いいえ。あなたが感知しているのは、わたしが発するフェロモンの匂いです」
「フェ……何!?」
ラシャはため息をつく代わりに少しだけ息を吸い込み、口を開いた。
「フェロモンというのは──」
「フェロモンが何かくらいわかってる。でも、人間の鋤 鼻 器官は機能してないはずだ」
「じょび……なんです?」
今度はラシャが困惑した顔をする。
「ええと……鋤鼻器官っていうのはフェロモンを受容するための器官だ。爬虫 類、両生類、哺乳類には備わっているけど、人間のはとっくに退化して機能を失って……る……はず……」
話す間にも、ラシャが少しずつ距離を詰めてくる。熱が上がり、頭がぼうっとする。舌もまともに回らない。
「そうですか。あなたの世界ではそうだったのでしょう」
理解を示すような口ぶりでも、ラシャの言葉の裏には非情さが隠れていた。ベッドの足下近くに腰掛けていたはずの彼は、誠治の方へじりじりと距離を詰めながらこう続けた。
「しかしこの世界では、あなたにはΩ と呼ばれる二次性が備わっている。Ωのフェロモンは、特にα を強く誘い寄せます」
「Ωにα? まるで支配性理論みたいじゃないか……」
「支配性理論?」
支配性理論とは、飼育下の狼 を対象とした研究を元に提唱されたものだ。
「狼は群れで序列を作り、α個体が群れの支配者になる。次いでβ がいて、Ωは群れの最下位に位置する、って理論」
後にこの理論は自然下では適用されないことがわかるのだが、動物行動学において、αが群れのリーダーを意味するのは変わらない。
ラシャは、表情のよく読めない顔で誠治を見つめていた。こちらのことを変な奴だと思っているけれど、同時に少し面白がっているような雰囲気だ。
「確かに、我々の社会にもそのような序列があります。Ω性の者は、身体の造りが男であろうと女であろうと、子を孕 むことができ──」
「いやいや待って待って」
誠治は片手を上げて、ラシャの言葉を止めた。
「僕の聞き間違いかな? 妊娠可能って、男が?」
ラシャは怪 訝 そうな顔で誠治を見つめて、「ええ、そうですが」と言った。まるで、そんなことは常識だろうと言わんばかりだ。
返す言葉もないまま、今の言葉が冗談なのか、ラシャの妄言なのか、事実なのかを判断しようとする。ラシャは、その沈黙を別の意味に解釈したらしい。
「では、ご理解いただけたようですので──」
そう言って、ラシャがさらに距離を詰める。
ご理解なんてとんでもない。誠治はあわてて、ラシャの身体を押しのけた。
「ま、ま、待って。ちょっと待て!」
──男が妊娠可能なんて、異世界云々 の話を抜きにしても、異常すぎる。
「じゃあ、この身体には腟 や子宮があるのか? まさか両性具有?」
「いいえ。男のΩの場合、そのような行為は肛門 で行います」
「総 排泄 腔 ってこと!?」
総排泄腔とは鳥類や爬虫類に備わった臓器で、尿や糞 、卵や生殖器の通り道だ。
人間の胎児にも同じ臓器が見られるものの、通常は成長していく過程で分離する。
誠治は、目眩を堪えながら呟いた。
「正直、異世界に転移して他人の身体に乗り移ったと言われるより、こっちの方が受け入れがたいくらいだよ……」
「はぁ」
ラシャは気のない返事をすると、厄介だなと思っているらしいのを隠しもせず、大きなため息をついた。
「では、実際に体験なさった方が早いでしょう」
「えっ……」
迫力のある眼差しに見つめられて、誠治は思わず生唾を飲む。まるで、蛇に睨 まれた蛙 だ。
ラシャが放つ甘い匂いはさらに濃くなり、誠治の身体の中心から、熱がじわりと広がってゆく。
誠治の身体の反応を見抜いたかのように、ラシャが言った。
「その熱も、一度吐き出してしまえばマシになります。わたしがお手伝いしますので」
──手伝うってことは、つまり……。
脳裏に浮かんだその光景に、身体が真っ先に反応する。今までに体感したことのない疼 きが、腹の底から溢 れてくるようだった。
会ったばかりの他人に、こんな衝動を感じるなんて……ありえない。どうかしている。
頭では納得できなくても、身体の方はとっくに受け入れて、必要を満たすための行為を要求している。
「君と僕が、その……今から?」
「ええ、そうです」
ラシャが当然のように言うので、ますます追い詰められる。
治療のために、動物の生態を研究する立場として、フェロモンを受容した個体がどういう衝動を覚えるのか、考えを巡らせたことはある。
だが、理性を持っているはずの人間にとっても、これほどまでに抗いがたいものだとは思いも寄らなかった。
確かに、ラシャは魅力的な男性だ。異性愛者でも「抱かれたい」と思えるほどの色気を纏っているのに、よりによって誠治はゲイだ。彼を拒絶する理由が、ノンケの男よりも一つ少ない。そのことが、この状況をよけいにややこしくしてしまっていた。聞き分けのない好奇心と相まって、本能が騒ぎ立てている。
──今すぐ、この雄の身体を知りたい。
けれど、本能がなんと言おうと、なけなしの分別 は必死で逃げ道を探そうとした。
「薬か何かで抑えられないのか?」
ラシャが小さくため息をつく。
「先ほどあなたに飲んでいただいたのが、その薬です。しかし、身体が薬に慣れていないので、効果が出るまでには時間がかかる」
すこしだけ躊躇ってから、ラシャは言った。
「ガイウス様はαでした。しかし、あなたの魂が身体に入ったことで、二次性はΩへと変わった。これは非常に珍しいことで、負担も大きいのです」
「で、でも……」
「この状態を放置する方が危険です」
ラシャは断言した。
「Ωであるあなたの魂と、αだった肉体の定着がうまくいっていないのです。Ω性であることを肉体に理解させなければ……秘術師の話では、死に至る可能性もある、と」
「死ぬって、そんな」
重大な話をされているのに、理解しきれている気がしなかった。ラシャから漂ってくる匂いに、まともな思考が邪魔されていた。
──彼に組み敷かれてみたい。痛みを覚えるほど激しくされたい。
「駄目だ!」
野放図な欲望をなんとか抑えつけて、理性を引っ張り出す。
「見ず知らずの君に、そんなことは頼めない……!」
「かまいません。慣れておりますので」
ラシャは相変わらずこちらを見ようとしない。『慣れている』という言葉が何を意味しているにせよ、主人の顔をした他人を抱くことではないはずだ。
本能と取っ組み合いながら逡巡 する誠治をよそに、ラシャはさらに距離を詰めた。彼が身動きするたびに、襟元や、衣服の隙間から匂いが漏れ出る。
屈服を促すような、解放を唆すような……人としての道理など捨てて、望むままに乱れてしまえ、と囁 きかけてくるような匂い。心臓がバクバクして、臍 の奥が甘く疼く。
──この雄の種を、孕みたい。
誠治はおぼつかない手で、頭を抱えた。
「ちょっと……待ってくれ……」
これまで、ゆきずりの関係を持ったことも、会ったばかりの相手とセックスしたこともない。そんな衝動を抱いたことさえない。自分は色恋沙汰には興味を持てない人間なのだと思っていた。
それなのに、ラシャが相手だと、本能に抗うのがこんなにも難しい。
「あなたを死なせるわけにはいかないのです。どうか協力してください」
ラシャの手が伸びてきて、誠治の両手をそっとどける。それから、目隠しをするように瞼を覆った。
「目を閉じて」
低く豊かな声が、耳元で囁く。
「……っ」
迷い、一度は抵抗しようとしてみる。だが結局、誠治は言われるままに瞼を閉じた。
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