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第6話 猫、気持ちを再確認する
トルスが困ったように眉毛を下げて僕を見ている。
困らせているのが分かっているのに離れ難くて、僕の目からはまたポロッと涙が落ちた。
「しょうがないな……」
トルスの困りきった声が聞こえる。
「お前が他人を怖がる気持ちはわからんでもない。あんな目にあったばかりだからな」
「ごめん……なさい」
「お前が悪いわけじゃないだろう。俺といた方が安心するなら落ち着くまで居てもいいし、抱きつきたいなら体も貸してやるよ」
「ホント!?」
「ああ。立ってると疲れるから、ベッドで勘弁してくれ。あと、俺が寝ても怒るなよ」
「怒るわけない!」
「ぐはっ」
思いっきり飛びついたら、ちょっと苦しそうにされた。勢いが良すぎたらしい。
魔術師にしては大きくて、広い胸板に頬を埋め、僕は思いっきりトルスの匂いを吸い込んだ。この暖かい胸で、この落ち着く匂いに包まれてなら、眠ることだって出来そうだと思った。
「う、上に来るのかよ……!」
ぼやかれたけど、これが一番密着できる気がして、怒られるまでこうしていようと思ったら、優しく頭を撫でられた。
「……俺は口下手だからうまく言えないが……今日の事は、お前に落ち度などないからな。あの男は一見人当たりが良くて面倒見がいいから、皆騙されるんだ」
「し……知らなかった」
「ヤツは前科が多くて懲戒スレスレで、勧告も受けてた。本人も二度と過ちを犯さないと宣誓していた筈だ。ここ数年は問題行動もなかったし、皆も人生を投げ打つほどバカではあるまいと思っていたんだ」
「オレの入所の時には警戒するよう注意があったが……なかったか?」
僕はブンブンとクビを振る。そんな話、聞いた事なかった。けれど、ゼッタさんとの共同研究だけはなぜか申請が降りなかったから、上層部は完全には警戒を解いてはいなかったんだろう。
「そうか……周囲ももっと気をつけておくべきだったな。助けるのが遅くなって済まなかった」
優しく撫でられて、落ち着かせるように背中をポンポンと一定のリズムで軽く叩かれて、僕の心はゆっくりと恐怖から解放されていくようだった。
「だが、この研究所も大きな組織だ。いいヤツもいればえげつない事を仕掛けてくるヤツもいる。ケツを狙われる事もあれば、共同研究で進めていた筈の物を横取りされることだってある。自分の欲望に忠実なヤツも一定数はいるんだ」
トルスの落ち着いた声が、僕の心にゆっくりと沁みていく。
「気を許しすぎるな。自分の身は自分で守れ。……それが、結局は相手のためにもなる」
その通りだと思った。トルスは一見他者に冷たいように見えて、実は優しい。
そのまま眠りに落ちた僕は、翌朝トルスが出勤してから目覚め、帰って来たトルスにもう一晩お世話になってから自室へと戻った。
それからの僕はトルスの助言通り他者との距離を適度に持つようになったし、トルスにはうるさがられるくらいアプローチするようになった。
結構な塩対応の連続に、ちょっと拗ねてみたり切なくなったりする事はあれど、それでもただただトルスの傍にいたかった。
トルスの匂いのするベッドの中で、僕は小さくため息をつく。
猫のままなら、トルスと一緒にいれるのかなぁ……。
いや! 何をバカな事を! 僕は、僕のままトルスに愛されたいんだ!!!
ローグが起こしてくれたおかげでなんとか始業には間に合って、無事に午前中の仕事を終えた俺は、午後は寮で仕事できるように申請して急いで仕事場を出た。
今日はやる事が山のようにある。
図書室に行って古代魔術の本を借りられるだけ借りて空間収納に押し込んだら、今度は市場でローグでも食えそうなもの、好きそうな物、ローグの世話に必要そうなものを急いで買い漁ってこれも空間収納にぶち込んだ。
ローグをあまり待たせたくもないから足早に帰寮する。
部屋に入ったら、ローグの姿が見当たらなくて、俺は急に不安になった。古代魔術には、魔術の体裁をとった、悪質な呪いが紛れていることも、進行型の呪いもある。呪いが第二段階に移行する事も視野に入れるべきなのだ。
もしくは、ローグが新たな協力者を得て、出て行った可能性もある。考えたくはないが。
「ローグ! ローグ!!」
慌てて名を呼べば、俺のベッドからでっかいはちみつ色の毛玉が現れた。
「あ……トルス、お帰りなさい」
「そこにいたのか」
俺はホッと安堵の息をつく。
「姿が見えないから心配した」
「ごめん。いつの間にか寝ちゃってた。ここ、トルスの匂いがするから落ち着くんだ」
「……」
俺はつい真顔になった。コイツはいつもこうだ。
なんて事ない顔で、こっちが赤面しそうな事を平気で言ったりしたりする。その度に俺はどう反応したらいいのか分からなくて、真顔でやり過ごす羽目になるのだ。
俺の忠告に従って他のヤツには適正な距離を保っているようだが、俺よりもずっと人付き合いが好きらしいローグは、それが多分寂しいんだろう。その分俺に構ってくるようになった。
どうやらゼッタの魔手から助けた事で、俺はローグから『絶対に安全な人』認定されてしまったらしい。
だが、違うんだ、ローグ。
俺は別に正義感が強いわけでも特別自制心が強いわけでもない。あの時ただあの場にいて、他に助けられるヤツがいなかったから助けただけだ。
ついでに言うならこのところの俺はそう安全な人物でもない。
あれだけ好意を前面に出されて、意識しない人間がいるのだろうか。俺はすっかりローグの事を意識するようになってしまっていた。
そもそも生来人へのあたりも不器用で顔も怖いらしく、俺は敬遠されがちだ。あんなに屈託なく話しかけられる事自体が稀で、ローグが満面の笑顔で話しかけてくるのは嬉しくて仕方がない。
けれどどうしたらいいかも分からないし、邪な感情を抱くようになった分、あまり親しくなってはゼッタの二の舞にならないとも限らない。
俺はいつも葛藤していた。
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