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第1章_消えた神の子_第1話_野本からの電話
『突然路上で倒れ、そのまま亡くなるという不審死が相次いでおり、警察は事件性の有無の特定を急いでいます』
茹だるような暑さが続いた夏が過ぎ、突然冷え始めた朝の出勤準備の途中、テレビでは連日謎の不審死を遂げる中年が増えていることを報道していた。寒暖差の激しさや持病の有無を考慮してもあまりに件数が多く、その体に複数のあざがあることから、何らかの事件に巻き込まれているのではと考えられていた。
そして、これが万が一事件であった場合の事を考えると、無差別殺人である可能性が高く、警察は早期解決へ向けて動き始め、協力体制を敷き始めた。証拠の解析を早めるため、VDSはセンチネルの派遣を求められている。
VDS、正式にはベクトルデザインサポーターズという名前のこの会社は、センチネルがその能力によって生きづらさを抱えずに済むようにと作られた会社だ。主な業務は、未成年のセンチネルに、家庭教師を兼ねた身元の確かなガイドを派遣する、派遣業だ。
センチネルが犯罪に巻き込まれると、元の生活に戻れなくなることが多い。それを未然に防ぐためにボンディングの斡旋をするのだが、その業務を他者に知られずに遂行するために、家庭教師の派遣を隠れ蓑にしている。
「翠、今回はあちらの課長さんからセンチネルだけの派遣を頼みたいと言われている。現場が複数箇所に分かれているから、何人か派遣した方がいいだろうが、そうなるとセンチネルだけ行かせるのは危険だろう。こちらからガイドとペアでしか行かせないと突っぱねるか? それともセンチネルだけで行っても大丈夫そうなレベルのやつだけで向かうようにするか? 今行方不明者の捜索の方に人手を取られてるだろう? どうする?」
ミュートのトップで副社長の田崎竜胆 は、警察からの依頼を受ける窓口をしている。社長であるセンチネルのトップの鍵崎翠 、もう一人の副社長であるガイドのトップである果貫蒼 とは、大学の時からの友人だ。公私共にパートナーである翠と蒼が現場で自由に動けるようにと、内勤業務の全てを彼が取り仕切っている。
「センチネルを派遣する時はガイドとペアか、それに見合うだけの能力者のガイドを向こうが用意するかのどっちかだろう? 今うちのセンチネルと同レベルのガイドなんて、向こうが用意出来るわけ無いからな。うちからペアで行くって言っとけ。どうせ金をケチってるんだろうから、俺と蒼、翔平と鉄平、咲人と野本で行くようにすればいいだろう?」
翠が面倒くさそうに、あくびを噛み殺しながらそう答える。
本来なら、彼は今日休みをもらっているはずだったのだが、この業務の調整をどうするか話し合うためにそれを取り上げられ、出社させられていた。まさかそうなるとは思っていなかった彼は、昨夜は蒼と恋人としてかなり長い時間をかけて愛し合ってしまっていた。
ケアではないその時間はとても幸せなものだ。それ自体はとてもいい。出来ればずっとそうしていたいとすら思っている。だからこそ、その余韻を奪われたという後味の悪さに苛立っている。
そして、なぜか田崎が面倒な電話をかけてくるのは、いつも幸せが絶頂な時間なのだ。タイミングが悪い男として認識されている彼に、翠は苛立ちを隠せない。
「いや、まあそうするのがベストだとは俺も思うんだが、野本が今日明日は有休なんだよ。あいつが自分から休みを取るなんて珍しいから、出来ればあのペアは外したい」
田崎自身も自分のタイミングの悪さを知っているからか、翠の苛立ちを理解した上で話を進めている。多少キツく当たられたとしても、それを機にする様子も見せない。そこには、二人の関係性の深さが見て取れる。
翠も長く腹を立てたりはしないため、すぐに頭は切り替わったようだ。
「ああ、そうか」
と言いながら頭を掻く。野本から休みをもらうからと頭を下げられたのは、昨晩だったなと思い出していた。
複雑な生い立ちの野本慎弥 が、珍しく過去と向き合うために帰省すると言うので、三役揃って驚いた。
彼はここに所属して十年ほどになるが、これまで一度も自分から休みを取ったことが無かった。その最初の取得理由が、祖母の米寿を祝うためだということを知り、社員は皆彼の優しさに癒されていた。野本本人は、長く避けていた自分の過去と向き合わねばならず、あまり楽しいものでは無いと言っていたのだが、周りはそれをあまり深く受け止めていなかった。
「現場が複数箇所あると言っても、移動距離はそう無いだろう? 件数が多いだけなら、上位2ペアで動けば何とかなる。俺たちとテッショーだけでいいんじゃないか? ちなみに、現場は全部で何ヶ所あるんだ? 十箇所くらいなら何とかなるだろう」
「今はっきりと同じ症状で亡くなったとされているのは、近隣で十箇所だ。ただ、どうも他にもありそうだと言ってるんだ。それに、現場の透視と証拠の解析ではっきりしたものが見つからなかったら、どこで切り上げるかも決めにくいぞ。どうする?」
田崎の問いかけに、翠は唸った。確かに、はっきりと探すものがわかっている訳でない場合、切り上げるきっかけが掴みにくい。そうなると一現場あたりの滞在時間が長くなってしまうだろう。
そこへ、丸く柔らかい響きながらもしっかりと芯のある声を響かせて、蒼が話に入って来た。
「それなら、取り敢えずその十箇所の透視と証拠採集を各現場あたり三十分で区切ったらどう? 後は事務所でその共通点を探ってみようよ。初日だし、取り敢えず全部回るっていうだけでもいいんじゃない?」
そう言って、翠の後ろから田崎へと和かに笑いかける。その手には、三人分のコーヒーが乗ったトレイがあった。そのカップの中には、田崎と蒼にはブラック、翠には甘いカフェラテが満たされている。蒼は、毎朝それを準備してくる。翠を溺愛しているからこうしていて、田崎の分はおそらくついでだろう。翠にとっての彼は、まるで王子のような存在だ。
しかし、そんな見た目と気配りに反して、その戦闘能力は社内一高く、まだ誰も彼には敵わない。生まれ持ったガイディング能力の高さもさることながら、研鑽の末にその能力を世界最高レベルまで上げた。そして、パートナーである翠への想いの深さが鍵となり、彼のピンチを救うためにサイコキネシスまで習得してしまい、今や立派な超能力者となっている。
格闘技や護身術の腕も確かで、銃の扱いも上手い。翠とシンクロした状態で戦えば、走りながらでも数キロ先の狙撃も可能という、バケモノじみた戦い方をする。
彼がそこまでの努力を遂げたのは、翠が生まれつき高レベルのセンチネルであったからだ。翠のケアを出来るようになるためには、彼自身がレベルを上げるしか無かった。その努力の甲斐あって、彼は何度か死の淵に追い込まれた翠を救っている。
そして、孤独に喘ぐ翠を救い、二人は結ばれた。今やこのペアが世界最高峰の能力者カップルとなっている。
「そうだな、今日回った現場の情報を整理して、野本が戻ってから三ペアで二度目を回るようにしよう。それならあちらも何も言わねーだろ? 全く、センチネル交渉課の課長が変わった途端にどえらくケチになったよな。他の会社に断られてるって聞いたけど、そりゃどこだって嫌だろう。センチネルとガイドを大事にしないなら、能力者の派遣会社に依頼してくんなっつーんだよ。自分たちでやりゃあいい話だからな」
そう言って翠は甘いカフェラテを飲み、楽しそうに微笑んだ。その姿を堪能しながら、蒼は彼の口元についた残滓を拭うと、
「まあ、自分たちの課長が殺人犯だったことを俺たちに暴かれたんだ。ここの連中のことが憎くて仕方がないんじゃないの? 儲けさせたくないんでしょ、きっと」
と、冷たい笑みを浮かべる。先だって送検された警察関係者は、翠の両親を殺した犯人だった。そのうちの一人、センチネル交渉課長だった佐倉桃矢の本性を、警察関係者が見抜けず、のうのうと普通の生活をさせていたことを、蒼は今でも根に持っている。
「でも、どれほど無理を言って来ても、俺たちはあちらの依頼には完璧に答えてやろう。それがVDSだからね。警察は気に入らないけれど、亡くなられた方々のために、きちんと働こう」
そう言って、その艶やかに輝く長い黒髪を耳にかけながら、柔らかく笑った。翠と田崎は、その言葉に無言で頷く。それが三人で会社を始めた時の誓いだからだ。
彼らにとって大切なのは、何よりも被害者の救済に他ならない。真相を突き止めるために情報を暴き出す。科学だけでは届かない領域へ手を伸ばし、真実を詳らかにすることを目的としている。
「なあ、そういえば野本の実家って山奥だったよな? じゃあ、今日は泊まりって事になるのかね」
不審死と判定された患者のリストを見ながら、翠が蒼に尋ねる。蒼は翠の髪を指で梳きながら、旋毛に一つキスを落とした。
「……そうじゃないの、だって二日間有給取ってるんでしょ? かなり長いこと帰って無かったらしいから、少しはゆっくりしてくればいいんだよ」
蒼はそう言って笑う。しかし、翠と田崎にはある心配事が頭に浮かんでいた。
「それはつまり、今日咲人は一人になるって事だろう? あいつ、野本と暮らし始めてから一人になるのって初めてなんじゃないのか。大丈夫なのかね。絶対寂しがりそうだけど……。呼び出しかかるだろうな」
そう言っていると、まるでそれを聞いていたかのように、ジャケットの内ポケットに入れている翠のスマホが鳴り始めた。
「あーほら、やっぱり……。仕方ねえな、飲みにでも連れていくか……。あれ? 咲人じゃなくて野本じゃねーか。休みなのに上司に電話してくるなんて、あいつも変わってんな」
そう言いながら、翠はその電話を受けた。
「はい。おう、お疲れ。野本、お前休みだろう? 急ぎか? 休みくらいちゃんと休めよ……。ん、誘拐?」
翠が軽い気持ちで受けた電話。それが、『神の子』と称される人物を巻き込んだ大事件へと発展していく事になろうとは、この時、誰も予想だにしていなかった。
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