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第1章_消えた神の子_第2話_野本慎弥という男1
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俺は驚いて、思わず素っ頓狂な声を上げた。それとは対照的に、場はすぐに緊張感を帯びていく。蒼と田崎は瞬時に表情を引き締めた。二人は、即座にそれぞれの役割をこなそうと動き始める。
田崎は、ランク上位のペアである真壁鉄平 と翔平 、そして野本のパートナーである永心咲人 へと召集をかける。そうしながら、通話内容の記録を取るために、録音を開始した。
蒼には別の役割がある。会話をするよりも早く意思を疎通させる必要がある場合には、そこがどこであれ俺の手を取る。そして、俺たちは精神感応 で繋がり、音による漏洩のない会議環境を作り出すのだ。ここは事務所だからその心配は無いのだが、楽だからという理由でこの方法を取ることが多い。
野本が電話で話している内容を俺は耳で聴き、蒼はそれを俺の手から受け取る。さらに、それを思念で飛ばしてテキストデータへと変えていく。いわゆる念写 のデジタルへの応用だ。田崎はそれを見て情報を共有する。この会社の緊急会議は、こうして始まることが多い。
音声がそのまま文字へ変わるデバイスを使用してもいいのだが、汎用性のあるものは、バース関連の言葉を使用すると誤字が起きやすい。こういう緊迫した内容のやり取りには、その修正は煩わしい。そういう時には蒼が活躍する。
もちろん、いくら能力者の集う会社とはいえ、これほどの精度で念写 が出来る人物は蒼だけだ。その習得はかなり大変だと言われているが、彼はそれをおくびにも出さない。まるでそれが出来て当然かのように、スラスラと正確な文字を起こしていく。
『取り急ぎ概要だけでもお知らせしようと思いまして……』
社内の状況を熟知している野本は、ゆっくりと話を進めようとしてくれているようだ。自分の過去と向き合うためにと帰省したはずの男は、親戚が誘拐されているという騒動に巻き込まれてもなお、職務に関しては常に冷静だった。
「で、誰が誘拐されたって?」
『はい。野本漱 、二十歳、大学生で男性。第二性はミュートです。戸籍上では私の甥にあたります。それ以上のことは、そちらでお話しした方が良いかと』
「甥……。じゃあ、あの有名な野本家の嫡男?」
俺はそう尋ねながら、手をひらひらと蝶のように翻した。それは、その野本家の嫡男に関する噂を表現している。田崎が検索した野本漱に関するデータを見ながら、蒼は俺が何をしているのかを理解したのか、ふわりと微笑んだ。
「……何笑ってんだよ」
「いや、だって。可愛くて」
そう言いながらくすくすと笑い続ける蒼に習うようにして、田崎も
「そうだ、可愛くて」
と言って笑っている。蒼はともかく、田崎にそんなことを言われると、俺も居心地が悪い。思わず思い切り渋い顔をしてしまった。
「……うえっ、お前は可愛いとか言うなよ。気持ち悪いわ」
「なんだと、失礼だな。じゃあ可愛いことすんなよ」
そうやって揉めていると、
『翠さん、もしかして踊ってましたか?』
と、電話の向こう側の野本の声も楽しげに揺れている。その緊張感の無い様子に、俺はやや違和感を感じた。
「おう。だって、野本の嫡男はダンサーで有名なんだろう?」
『ああ、なるほど。はい、そうですね。でも誘拐されたのは、その子じゃありません。甥は双子なんですよ。今回行方がわからなくなってるのは、その弟の方です。彼は今大学生だそうです。大農家を継ぐので、農学部へ進んだと聞きました』
野本は手元のメモを見ながら話しているようで、カサカサと紙を捲る音が鳴っている。自分の甥の話をするのにメモが必要なほど、彼は自分の親族のことを知らない。いちいち付き合っていられなかったくらいに忙しかったというのが一番の理由だが、もう一つ大きな理由がある。それは、現当主である野本崇 に婚外子が多くいるということだ。
俺がわざわざ嫡男という言葉を使ったのは、そのためだ。名前で区別がつかなくとも、正妻の子で次の当主となる男であれば、その言葉だけで誰だかわかるだろうと思ったのだ。
現当主は、ずっとセンチネルの子を欲しがっていたらしい。そのため、外に次々と子供を作っていたのだが、命を軽んじた罰なのか、生まれる子供はガイドばかりだったそうだ。そのことを呪いだと言って騒ぐ連中が一定数いると聞いている。
そんな軽率な行動をする当主が地元であまり批判されていないのは、その婚外子たちを全て預かり、成人するまで面倒を見ているからだと言われている。そのため、実線では繋がっていないものの、破線で記載されている名前が多く、家系図を見るのも大変なのだ。全員と親しくしていては、身がもたないだろう。
「翠、ほら」
田崎が、その野本の家系図と永心の家系図を合わせた相関図、それに、各家に起きた出来事をまとめた年表のようなものを見せてくれた。そこでようやく俺も気がつく。これなら、あの反応の薄さでも仕方がないだろう。
「お前、漱 くんに会ったことが無いんだな? 言われてみればそうだ。二十年前って言えば、お前はもうこっちにいたよな。家を出たのがそれくらいの頃だっただろう?」
俺がそう尋ねると、電話の向こうの空気が僅かにひりついた。それは、一瞬の静寂に現れる。彼の苦い記憶の扉が、一瞬開く様子が伝わってきた。
野本慎弥 が野本家に引き取られたのは、十二歳の春だ。政治家一家永心 家の秘書兼隠密集団である池内家に生まれ、その性質上戸籍も名前もなく育った少年は、当時の永心家当主永心照史 の命により、三男の咲人 の護衛として執事長の池内幹俊 に育てられた。
しかし、十二歳になった日に照史 の義母である華子の妹、つまり咲人 の大叔母の野本英子 に引き取られ、六年間をその養子として過ごしている。そして、大学進学を機に、籍はそのままに家を出ていた。
『はい、そうです。双子の祈里 と漱 が生まれた年に家を出ました。タイミングが合わず、俺は一度も顔を見ていません。照史 氏に頼まれて、中学で家を出て寮に入った咲人 の護衛をと言われたのがその頃です。ですから、大学は咲人 が通っている中学の大学を指定されました。私にとってはその方が大事なことだったので、野本に双子が生まれたという話も、今回こちらへ帰るまで忘れていました。野本の家とは、その程度の付き合いしかありませんので』
そう答えた言葉には、少しの寂しさも含まれていなかった。
周囲の都合に振り回され、生まれた当初は名前与えられなかった男は、その後に育った環境にあまり感謝の意を示さない。野本の家に入ったことでようやく慎弥 という名を授かったのだが、それ以降の日々の方が彼にとっては辛かったようだ。
真面目で優しい人柄の彼が、なぜ地元へ顔を出さないのかをずっと気にしてはいたのだが、今知った情報だけでもそれを説明するには足りないような気がしている。やはり、他に何かあるのだろうか。
「そうか。まあ、あれだろう? お前は咲人を守るために生きていくことが、何よりも大事だからだろ? 今だって人への気遣いは出来る方だけれど、咲人 がいたらそれしか見えて無いもんな」
『はい、そうです。俺には、それ以上に大切なことはありませんから』
そう言った声は、先ほどとは打って変わって柔らかく穏やかな響きに満たされている。咲人とボンディングして籍を入れて以来、愛する者同士の魂の深い部分が繋がった事によって、彼は一層逞しくなった。咲人との生活によってついた自信が、彼の生命力を強化したのだろう。
しかし、それは言い換えれば、咲人 がいなければ生きたいと思えないほどに、生に対して執着が無いということだ。その証拠に、野本は咲人 とボンドの契約を交わした際、少しの躊躇いも見せなかった。俺にはそれが気にかかって仕方がない。
ボンディングするということは、相手と魂を分け合うということだ。相手が死ねば、自分の魂も半分失うことになる。そうなることを少しも躊躇わないことが、愛の深さ故と言えば聞こえはいいだろう。ただ、野本の場合はそれだけではないような気がするのだ。
咲人 は殺しても死なないようなタイプだから、心配は杞憂に終わるだろう。それでも、センチネルとガイドを雇う会社の社長として、俺自身が野本についてもっと知らねばならないのでは無いかと思い始めていた。
「野本家は婚外子も含めてガイドしかいないんだよな」
『そうです。農家なので本当はセンチネルが欲しかったらしいんですけど、結局今の当主には生まれませんでした』
その呪いとも言われている大ガイドの集団の中で、最も不思議な人物として名を馳せているのが、今の嫡男だ。彼は、誰にも触れずに複数のセンチネルをケアすることが出来るという。
世界的にも稀なガイドで、その血液型は「Rg+」と名付けられている。ガイドのレアタイプだ。その特殊な能力を最大に活かすためにダンサーとなり、国内を放浪しながら生活しているという噂がある。
嫡男が家を出て放浪の旅をしていて、その弟が誘拐されている。およそ穏やかとは思えないその状況の中で、野本家は二十年ぶりに養子である野本を招いた。祖母の英子 が彼に助けを求めているのだろうが、その行動自体に謎がある。
長男の祈里 が後を継がなかった場合、次男の漱 が後継者になるはずだ。それなのに、他の者は、特に現当主は一体何をしているのだろうか。
「それなら俺たちが現地に状況を確認しに行かないと、何も掴めないだろうな。そうなると……。今日は行方不明者の捜索協力があって、日中は誰も動けない。明日以降の対応で大丈夫なのか?」
『はい、大丈夫です。ここは夜は危険ですから、明日以降で構いません』
「ああ、そうか、そうだよな。じゃあ、ランク上位の三ペアで明日現地に向かうぞ。今日はその六人と田崎でミーティングだ。お前のことだから、どうせもうこっちへ戻って来てる途中なんだろう? 夜には着くよな? ミチに連絡を入れてブンジャガを貸切にしておくから、戻り次第お前もそっちへ来い。警察への連絡は、そのミーティングが終わってから、うちから入れよう。いいな?」
『はい、それは大丈夫だと思います。祖母からは、大ごとにしたく無いと言われていますので、警察への連絡は慎重にお願いしたいと言われています。だから、VDS への捜索依頼も個人的にお願いしたいんだそうです』
それを聞いて、それまで黙っていた蒼が眉を顰めた。思わず念写の手を止めて、会話に入ってくる。
「……どうしてお祖母様はそんなことを? 孫が誘拐されたのに、隠したいの?」
すると、野本は何かを言いかけたが、慌ててその言葉を飲み込んだ。どうやら何かを警戒しているようだ。それは場所を選ばないと口にすることが出来ないのだろう。話は一旦中断した方がいいだろう。
「よし、これ以上はブンジャガで話そう。咲人 には俺から連絡しておく。永心から直接向かわせるから、お前は迎えに行かなくていいぞ。お前も駅に着いたら店に直行しろよ」
『……承知しました』
迎えに行ってはいけないと言われたことが不服なのか、その声は少し不機嫌な音に変わっている。俺はその声を出す野本の姿を想像して、思わず吹き出しながら通話を終了した。
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