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第1章_消えた神の子_第3話_野本慎弥という男2
「……どういうことなんだろうね。正妻の子供が行方不明になってるのなら、もっと真剣に探しそうなものなのに。その漱 くんって子は、後を継ぐために農学部に行ってるんでしょ? 野本家って、確か後継とかそういうのにうるさいよね。それなのに、必死さが感じられない気がするんだけど。兄の祈里 くんが戻ってくるのを待ってるのかな」
蒼は子供を大切に扱わない家族を嫌っている。自分が母と二人だけの家族でとても大切にされて育ったからか、どんな大義名分があろうとも、それが子供を苦しめているのであれば、どうにも許し難いらしい。不謹慎かもしれないが、その憤りの現れた言葉の鋭さに、彼の優しさを感じて嬉しくなってしまう。
「そうだな。今の野本の話だけじゃなんとも言えねえけど……。野本家が後継は正妻の子供だけだって言ってるってのも、ただの噂だからな。実際婚外子たちもずっと一緒に暮らしてるんなら、誰でもいいってなってる部分はあるのかも知れないし……。まあ、だからと言って一人いなくなっても問題ないみたいな考え方は、人を人と思ってなさそうでどうなのか……。ただなあ、野本を養子に迎えてくれたっていう英子さんは、確か愛情深い人だったよな。その人が、孫の行方が分からないのに冷静でいられるってのがちょっと分かんねえ。まあでも、その辺りは夜にまた本人から直接聞こうぜ。とりあえず、鉄平と翔平と咲人にこの話と今日の現場の説明をしよう。そして、夜はブンジャガでミーティングだ」
「了解」
三人で時計を確認する。不審死の現場に関する周知だけならスマホでの連絡で十分だが、誘拐の件に関しては、機械を通さずに話さなければならない。俺たちは、社長室を出てスタッフが揃う事務所へと向かった。
所内にいるスタッフはミュートが多い。彼らは、センチネルの子供のいる家庭に派遣するガイドスタッフの選定を行いながら、俺たちが警察からの依頼を受けるにあたって預かった動画、写真、音声などのデータを案件ごとに整理するという事務仕事もする。
時には現場に出ることもある。五感の発達が普通であって、超能力のないミュートの彼らであっても、現場で活躍する者は多い。戦闘となると、それとは別に必要になるものがあるからだ。
センチネルもガイドもその能力が枯渇して戦えなくなった時に、体力と僅かな精神力が残っていればまだ戦えるというのがミュートの強みでもある。そういう風に考えると、現場は全ての能力者を揃えていく必要がある。
だから、ミュートであっても個人的に得意な部分を磨いていけば、現場ではリーダーを任命せることもある。うちは実力主義だから、配置に能力の違いはあまり関係無い。やれるかやれないか、それだけを見ている。
その最たる者が、俺たちが信頼を寄せるミュートのトップ、田崎だ。彼は基本的には内勤だが、時には現場に向かうこともある。特に銃の使用が必要になる時は、誰よりも必要とされる存在だ。その知識量と腕には、俺や蒼もまだ敵わない。
「あ、お三方いらっしゃいましたね。おはようございます」
新人のセンチネルたちに囲まれ、蒼のように柔らかな笑みを浮かべた翔平が、俺たちを見つけて頭を下げる。その隣で鉄平もそれに倣った。
「おはよう。現場の情報もらったか?」
「はい。俺と鉄平は、駅裏から住宅街にかけての八箇所を回って来ます」
「了解。お前の目と耳で三十分探して何も出なかったら何もないだろうから、きっちり三十分で切り上げろよ。十五時から事務所で情報のすり合わせだ」
「はい、もう十五時に会議室とってあります。じゃあ、行って来ますね。鉄平、行こうぜ」
「おー。翠さん、蒼さん、行って来ます」
優雅に先を行く翔平の後ろを、逞しく成長した鉄平が精悍な顔つきで追う。それを見ていると、俺は時々高校生の頃の二人を思い出す。状況に飲み込まれて卑屈になり、前を向けなかったあの弱虫二人組が、今や手を取り合って戦い、時には肉弾戦にも勝つような強さを身につけていた。
「おう、気をつけろよ」
と、その頃を懐かしみながらも、成長した二つの背中へと声を掛ける。二人は、田崎から奥歯に装着するタイプの通信機を渡され、それを受け取りながら出かけた。
「翔平も鉄平も逞しくなったよね。現場に向かう前って、いつも高校生の時の情けなかった鉄平思い出しちゃうんだよ。翔平は親のことで大変だったし。それが今や、ねえ?」
「そうだな。頑張れば道は開けるって、あいつらが一番教えてくれたかも知れない」
「だよね。僕なんて一時期鉄平から目の敵にされてたんだよ? もう信じられないよね。今やほぼ僕の信者だもん」
蒼が苦笑いを零しながらそう言う。
今やあの二人は、この会社で俺と蒼に次ぐレベルのカップルだ。難しい現場に向かう時は、必ず声をかけられる。しかし、高校の頃は人生に迷ってばかりで、本当に頼りない存在だった。
翔平は、母がトランスジェンダーのゲイで、シス男性のストレートの父との間に生まれた自分の存在に戸惑っていた。しかも、その実父が母の昔の交際相手を殺してしまい、殺人犯の息子というレッテルを貼られて生きていかなくてはならなかった。
その頃は、まだセンチネルの能力が開花した直後でそのコントロールも難しく、色々なことが一気に押し寄せてしまって苦しい日々を送っていた。それを、蒼が家庭教師を務めながらなんとかその能力と制御を磨いて行き、ようやくその自己を確立することが出来ていた。
そして、鉄平はそれを側で見守り、俺たちに叱咤激励されながら成長した。危機に陥った翔平を助けるという経験を繰り返したことで急激なレベルアップを果たし、唯一無二のパートナーへと上り詰めた。今や長年の幼馴染で、ボンドの契約を交わしたパートナー、そして、かけがえの無い夫夫という絆で結ばれている。
「よし、俺たちも行こうか。田崎、俺と蒼は残りの十二箇所な。この近辺から駅前まで。大通りから一本入り、一区画までの検証な」
田崎へ声を掛けると、彼は「ああ」と言いながら充電済みのタブレット端末を蒼へ手渡す。それは、俺が見たものを蒼が念写するためのものだ。
「はいよ。翠、蒼をあまり疲れさせるなよ。お前はクラヴィーアも蒼の体液も使えるけど、こいつは自力回復しか出来ないんだからな。ガイディング以外で手をかけるなよ」
そう言いながら、俺の肩に手をかける。俺はそれを面倒くさそうに払いながら、
「分かってるよ。お前は俺のかーちゃんか。……かーちゃんなんていたこと無いから分かんねえけど」
と返す。すると、田崎は
「確かに、美人なパートナーと口うるさい友人を足したら、お前のかーちゃんとしての役割は果たせるだろうな」
と言って、楽しそうに笑った。
◇
「あ、来たわね。お久しぶりー、翠さん、蒼さん、田崎さん。私最近こっちが忙しくて、事務所にあんまり顔を出せてないから、寂しかったのよ。会えて嬉しいわあ」
「よう、ミチ。元気してたか?」
「ええ、おかげさまで私はいつも元気ですよ。お三方はどう? いつも忙しそうだから、心配してるのよ」
ブンジャガという店は、VDSが経営している。ミチはミュートのスタッフで、日中は事務作業をしながら、夜はここで店長を務めている。元々は違法な薬物を扱っていたこの店で働いていたのだが、ミチは直接の関わりが無かったために、摘発の際にも難を逃れた。
その時に、学歴も無く家族にも疎まれているような人間には、こういうところしか居場所がないのだと喚いた彼女を、俺たちはスタッフとして迎え入れた。それ以来、合法の抑制剤であるクラヴィーアの処方をここで行うようにして、その受け渡しをミチにやらせている。
そして、ブンジャガの予約が少なければ、事務所でミュートスタッフの仕事を覚えるようにしてもらっていて、いずれは現場のサポートに入ってもらう予定だ。ミチは働き始めてからずっと日々の業務に真摯に向き合い、徐々にこなせる仕事が増えていた。
しかし、最近ブンジャガのスタッフの一人がケガをして入院してしまい、人手が不足してしまった。そうなると皺寄せは店長である彼女へ来る。事務所へ顔を出す日が減り、俺たちとは今日が二ヶ月ぶりの顔合わせとなっていた。
実は、俺がミーティングをここでやるようにしたのは、彼女の状況を把握するためでもある。自己肯定感が低いためか仕事を認めてもらおうとし過ぎるきらいがあり、時々こうして様子を見ておかないと、あっという間に体を壊してしまうのだ。
「ミチ、お前また痩せただろう? そんなに頑張りすぎるなよ。人手が足りないなら、ちゃんと報告しろ。店長が倒れるとスタッフに迷惑がかかるんだからな。自分の体調が安定するように管理するのも、業務管理の一環だぞ」
俺が手を握りながらそう声を掛けると、嬉しそうな笑顔を見せる。そして、
「はーい、気をつけます。……あら、和人 は来ないの? ここでやるミーティングって事は、身内の話なんでしょ? そういう時に呼んでもらえないのって、パートナーとしては寂しいんだからね。和人、怒っちゃうかもよ?」
と、自分に都合の悪い話を軽口で誤魔化そうとしたのか、話の矛先を田崎へと向けた。
和人は田崎のパートナーだが、ガイドなので現場に出向いて留守にしていることが多い。時には潜入することもあるため、二人も|夫夫《ふうふ》なのだが、平日はあまり顔を合わせることが出来ない。ガイドとミュートの夫夫では、能力者カップルと違って常に隣にいるということが出来ない。そこを突かれて、田崎は途端に不機嫌になった。
「うるさいぞ、中瀬通明 。一人で喋りすぎだ」
突然本名のフルネームで呼ばれたミチは狼狽える。彼女は所謂男の娘だ。普段は女性として接している田崎も、何か気に触ることをされると、彼女が最も嫌がる本名で呼んで反撃する。幼稚な反撃だとは思うものの、ミチの発言もいただけない。面倒な事になりそうだなと思い、俺と蒼は顔を見合わせた。
「やだ、やめてよ! フルネームで呼ばないで! ミチって呼ばないとお酒出さないわよ!」
自分のしたことは棚に上げて、ミチは拗ねた。腕を組んだまま背中を向けて強がっているが、実のところはかなり落ち込んでいるだろう。田崎はデリカシーに欠ける男だ。時折こうして許されないラインの反撃をするので、俺と蒼は知り合った頃からずっとそれをフォローし続けている。ただ、今のはお互い様だ。それは間違いない。
「こら、お前ら。変な事で揉めんなよ。田崎、部下が嫌がるって分かってることを、わざわざ言うな。立場のある者のする事じゃないぞ。ミチもだぞ。お前も立派な社会人だろう? ほら、さっさと機嫌直せ。頑張って働いた社長にビールくれよ、な?」
俺はそう言って両手の指を組み、祈りのポーズをとって彼女を見つめた。そうしていると、初めて出会った時を思い出すのか、彼女の態度は多少軟化する。
俺たちが出会ったのは、まさにこの場所だ。潜入捜査のために俺も男の娘のふりをして、蒼とここへやって来た。その時、仲良くなった店員がアイちゃんという名前で呼ばれていたミチだ。俺がこうして女の子っぽい行動をするのを見ると、仲間がいると思って安心するらしく、彼女は少しだけ溜飲を下げてくれたようだ。
「……はあーい。分かりました」
そう言って、冷えたジョッキにビールを三つ注いでくれた。
「ありがとうな。今日も可愛いぞ」
そう声をかけると、
「ありがとね」
と言って笑ってくれた。
「あ、咲人」
そんなこんなで、ようやく一口ビールを飲んだところに、疲れた様子の咲人がやって来た。鉄平と翔平ももうすぐ着くらしい。
「よお、お疲れ。今日悪かったな、どうしても抜けられない食事会だったから……。兄さんからごめんって言伝預かってる。ここの支払い持ってくれるらしいぞ」
咲人はネクタイを緩めながら座り、ミチに追加のビールを頼みながらそう言った。
今日は咲人の兄永心澪斗 が後援会主催の食事会に呼ばれていて、秘書アシスタントをしている咲人もどうしてもそちらを優先しなければならなかった。そこに人手を割いてしまったことを詫びているのだろう。澪斗さんらしい気遣いだ。
不審死の現場の捜索は、時間で区切っていたからか滞りなく終わったため、お詫びをされるほどの事はないのだが、奢ってくれるというのならそれに甘えてもいいだろう。俺たちは、グラスを鳴らして喉を潤すと、しばらくただ杯を重ねる事に専念した。
「しかし、久しぶりに四人で飲もうかって言ってたら、まさかの展開だったな。お前、今日はもう仕事終わり? 澪斗さんと父さんは帰ったのか?」
咲人の兄で永心家の長男の澪斗さんは、俺の戸籍上の父鍵崎海斗 とボンディングしている。そして、二人も夫夫になった。
父さんはタワーのセンチネルとして働いていたが、もう引退しているため、今は秘書を務めている。三十年間ほとんど一緒にいられないまま愛を貫いた二人は、今は常に一緒にいられるようになった。
普段は二人だけで仕事をこなしているが、時々今回のように咲人に手伝いを頼むことがある。無理をし過ぎて体の自由が利きにくくなった澪斗さんのサポートをする必要があるからだ。
うちの会社は永心によって支えられているため、彼らの頼みは何よりも優先される。咲人の予定は、いつも澪斗さん次第なのだ。
「ああ、今日はもう終わりだ。俺は明日休みをもらってる。野本家へ慎弥さんを迎えに行こうと思ってたんだ。もうその必要も無くなったから、今日は飲むよ」
そう言って大口を開けながらビールを流し込むと、口の周りに泡がつき、それがふわふわと揺れている。咲人は髪が金髪で巻き毛なので、まるで口に髪の毛が張り付いているように見える。それを見て、蒼がくすりと笑った。
「なあ、咲人。本人に聞いてもいいんだけどさ、多分それどころじゃ無いと思うから、野本の出生の話を先に教えておいてくれないか?」
「そうだ、その話をするんだったな。いいよ、話しておこう。もしかしたら、何か関係があるかも知れないから……」
そう言って、咲人はもう一度ビールを飲んだ。今度は泡はつかず、彼の表情もやや険しい。ふうと一呼吸つくと、自ら調べ上げた野本の身元の話を聞かせてくれた。
「慎弥さんの母が、池内のセンチネルだってことは知ってるだろう? だから、池内の中で育ってるし、人として扱われないから戸籍もなく、名前も持たなかった。永心のセンチネルとして使われるための訓練を受けて育ったんだよ。育てたのは、こないだの事件で亡くなった執事長だ。それはもう知ってるだろう?」
俺たちはその咲人の言葉に頷いた。野本慎弥を池内の家の中で育てたのは、彼の母ではなく、執事長として働いていた池内幹俊 。昨年、国会議員の田坂竜麿と心中を図った男だ。
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