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第1章_消えた神の子_第4話_野本慎弥という男3

 永心と田坂に都合よく利用されながら、そのどちらも愛してしまった池内幹俊(いけうちみきとし)は、咲人の祖父にあたる永心拓史(えいしんたくじ)を看取った後、田坂と心中した。  それは、池内と恋仲にあった拓史氏が、それをひどく拗らせてしまったが故に起きた悲劇だった。  その結末を察知していた野本は、育ての親の非業の死をどうにかして止めようとしていたのだが、結局池内の方が野本を上回っていたために止めきれず、彼は亡くなってしまった。    そんな激情家とも言える男に育てられていたが、思春期に入ってガイド性が確定した事により、池内を追い出されてしまうことになる。  池内家はセンチネルしかいない。思春期のガイドが同じ家にいては、落ち着いて任務に当たれないというのが、当時の彼らの主張だったらしい。 「彼の母親は、潜入捜査をしていたんだ。そのミッション中にターゲットの子供を妊娠した。潜入先は、野本家。当時の野本家にはセンチネルの誘拐疑惑があったんだ。だから、永心家が池内のセンチネルに命じて野本家に潜入し、それを調査をさせていた。その時に、潜入したセンチネルは当主の息子との間に子供を(さずか)ったんだ。それが慎弥さんだ」  それを聞いて驚いた蒼が、目を丸くしている。そして、珍しく大きな声を上げた。 「池内の人間が、潜入捜査中にターゲットの子供を(みごも)ったの? そんなことある?」  蒼は、いつも穏やかな声でしか話さない。高レベルセンチネルは意識的に能力を調整出来るけれど、咄嗟のことであれば多少のダメージを負う。その経験が少ない方がいいのは間違いないので、そのパートナーであるガイドはいつも大きな声を出さないようにしてくれている。  そんな彼が驚いて叫んだ。うっかりとは言え咄嗟に叫んでしまったそのミスをカバーすべく、そのタイミングで俺の耳を塞いでくれたのはさすがだ。愛が深い。咲人も自分の手で耳を塞いでいたので、事鳴きを得ている。 「……やっぱりデカい声出したな。構えてて良かった」  しかし、驚いたのは蒼だけでは無い。俺も田崎も同じように驚いていた。  隠密集団である池内の者が、ターゲットの子供を妊娠するなど、本来であれば有り得ない事だ。野本のことを思うとあまり言いたくは無いが、それはつまりミッションを失敗したということになるだろう。池内の人間にとって、それは死に値する。  彼等は、生まれた時から人として当然与えられるべき権利を剥奪されている。そういう生き方しか知らないため、本人達はそのことに少しの疑問も持っていない。ただ、永心を影で支えるという目的を為すためだけに生きている。  そんな育てられ方しかしていな人物が、ミッション中に失敗するとどうなるか……。人格破壊レベルの自己嫌悪が起きるということを、俺たちは既に知っている。咲人の実母である世界最高峰のセンチネルと呼ばれたインフィニティ、池内大気(いけうちたいき)がそうだったからだ。 「お察しの通り、母親は妊娠中に正気を失ってる。そして、出産後すぐに亡くなった。だから執事長が育ててるんだ」  それを聞き、蒼が悲し気に目を伏せる。田崎も同じような反応を見せていた。 「やっぱりそうなんだ。……咲人、ごめんね。そんな辛いことを言わせてしまって」  すると、咲人は悲し気に微笑んだ。蒼の優しさを嬉しく思ったのか、金髪の巻毛を揺らす。 「いや、大丈夫だ。もうちゃんと受け止めてるからな」  しかし、その言葉とは裏腹に、痛みを堪えるように目を細めていた。  俺の胸の中にも、彼と似たような痛みが走る。俺たちの間に流れている高レベルセンチネル特有の血である野明の血(プラチナブラッド)が、そうさせているのかも知れない。  池内大気は俺の叔母に当たる人物だ。生まれた時は女性で、後に男性へと変わった。池内になる前は野明未散(のあけみちる)という女性センチネルだったのだが、男性になってからの功績は目を見張るものがあった。彼は、俺が目指した歴史上誰も到達し得ないレベルで活躍した、世界最高峰のセンチネルだった。  しかし、そんな彼でも性別を変えたことでケアが行き届かなくなり、次第に力が衰えていった。その任務中にミスを犯し、狂ってしまった(ゾーンアウトした)。永心四兄弟は大人になるまでそのことを知らず、知った時にはすでに母は亡くなっていたという憂き目に遭っている。  それも親の都合で苦しめられたことではあったのだが、永心家の場合は父の照史(あきと)氏が亡くなる前に息子たちに全ての秘密を伝えてくれている。そのため、それぞれが傷つくよりも兄弟の結束力を強めるという、いい結果をもたらしてくれていた。 「そっか。でも、やっぱり辛いよね。平気なフリはしないでよ、咲人」  そう言って、蒼と田崎は咲人を励ますようにその背中を叩いた。俺はそれをただ見ている。  俺にはこの反応は出来ない。こういう時にかけてあげる言葉を知らないのだ。何もしてあげられず、ただ黙って見ていることしか出来ない。  二人は母を知っている。だから、それを失うという悲しみに理解を示す事が出来るのだろう。俺は実母と実父と共に過ごした記憶が無い。  養父もずっと任務についていていなかったので、中学生までは児童養護施設で育っている。だから、親を失くすという悲しみがよく分からない。  そう考えていて、ふと思った。もしかしたら、野本は俺の気持ちを理解出来るのかも知れない。彼は思春期まで、俺はつい最近まで親を知らなかった。幼少期を寂しく過ごしていたという意味では、俺たちは似ているのかも知れない。 ——ああ、だから俺は何となく野本を気に入っていたのかもな。  そんな風に考えていると、またあることに気がついた。野本は、現当主の他の子供達よりもずっと歳が上なのだ。  正妻の子供である祈里(いのり)(すすぐ)の双子はまだ二十歳。それ以外の婚外子も、確か三十代にはなっていなかったはずだ。対して、野本は今年で四十歳を迎える。そして、父の野本(たかし)はまだ還暦前だ。 「なあ、咲人。あいつって正妻の子供たちよりもずっと年上だろう? もしかして、野本崇の最初の子供にあたるのは野本ってことになるのか? 年齢を考えると、野本崇が二十歳になる前に生まれた子供っていう計算になるだろう?」  俺の問いに、咲人は「そうだ」と頷く。そして、ビールの入ったグラスをぎゅっと握りしめた。  白くほっそりとした指先に、冷たい雫がするりと絡みつく。それは彼によって温められ、やがて体へと馴染んでいくだろう。そして、そのうちにそれは不快に絡みつくものへと変わっていく。  しかし、それは認識の問題だ。そうなる前に拭って仕舞えば、ただ気持ちがいいものとして捉えられる。それなのに、なぜか咲人はいつまでもそうしようとはしない。敢えてそのままにして、その不快感を求めているように見えた。  彼は、野本のことを考えると、いつも幸せそうに笑う。子供の頃、親が多忙であまり構われずに育っていたためか、その時自分に寄り添ってくれていた野本を、唯一の安らぎとして捉えているのだ。だから、彼のことを想うだけで、自然と心は満たされるのだと、恥ずかし気も無くいつも惚気まくっている。  だが、この話はそういう気分では話せないのだろう。自分も同じ気持ちになりたいと思っているのか、次第に不快感へと変わっていくものを、敢えてそのまま受け入れようとしているように見えた。自分の実母(インフィニティ)の話の時には微塵も見せなかった辛そうな表情を、野本のためには衒いなく見せてしまう。その様子を見ていると、俺たちの胸も痛んだ。 「大学に入ってすぐに池内のセンチネルと出会った野本崇は、自分が探られているとも知らずにその女性に夢中になった。そして、猛烈に求愛したらしい。いつしか池内の方も野本崇を好きになってしまったらしいんだ。でも、ミッションが終了したら、彼女は彼の前から消えなくてはならない。だから、せめて繋がりが残せるようにと子供を望んだみたいなんだ。でも、野本崇の方は、まだ父親になる覚悟が決まって無かった。それを分かっていた池内は、野本に妊娠を知らせずに家を去ったんだよ」 「池内のセンチネルが、恋をした……? そんなことがあるんだな」  驚く俺に、田崎が冷静にツッコむ。 「いや、そりゃあるだろ。一応人間だからな。そういう相手に出会えれば、恋愛感情が生まれる事もあるだろう。池内幹俊だって永心拓史や田坂に恋したわけだろう?」 「ああ、そうか」  そうだった。池内幹俊は昔から池内にいた。永心のために生きた人間の筆頭だ。その彼だって恋をしていたんだ。前例が無いわけでは無かった。  しかし、愛し合うもの同士の間に授かった命ではあるものの、片方にはそれを迎え入れる覚悟が無かった。そういう状況で生まれてきた場合には、子供は一体どう思うのだろう。親同士は確かに想い合っていたのだろう。でも、親子間はどうだろうか。  父の方は確実に子供を疎ましがっていたわけで、それを知った子供の方は悲しいと思うだろう。その上、母も子供を置いて亡くなっている。本当に子供を望んでいたのなら、ケアさえ受けていれば気が狂うことはなかったんじゃ無いだろうか。それでも狂ったのは、母としての人生よりも自分の人生を重要視していたんじゃ無いだろうか。俺は、どうしてもそう思ってしまう。 ——野本はどう思ったんだろうか……。  俺は子供を持てない。だから、親としてどうしようもない事情があるとしても、それを理解することは出来ないだろう。どうしても子供としての気持ちでしか考えられず、親を求めていた当時の自分と重ねて考えてしまう。あの頃の自分は、ただ寂しくて悲しかった。野本もそうだったのだろうか。 「でもさあ、妊娠してるのを知らなかったからって、自分の子供を引き取ろうとしないなんて酷くない? だって、好きだった相手が産んだ子なんだろう? そりゃあ、野本がどこかの家庭で幸せに暮らしてたんなら放っておいてもいいと思うよ。でも、そうじゃ無かったんだろう? 行き場を無くしてるって知ってて認知しなかったのって、なんでなんだろうな。で、結局野本崇はその責任を母親の英子さんに押し付けたって事なの?」  蒼はまたヒートアップしかけている。咲人は、その頃の孤独な野本少年の事を想い、長いまつ毛の下で瞳を揺らしている。 「……そういう事になるだろうな。慎弥さんが池内を出ないといけなくなった時、池内執事長は野本家に連絡を入れた。でも、野本崇は引き取りを拒否したんだ。その理由は、慎弥さんが野本家に来ることを正妻が嫌がってるからっていうものだったらしい。でも、もう池内は野本を追い出そうとしていた。だから、見かねた大叔母様が自分の子供として育てるため、養子に迎えてくれたんだよ」 「俺さあ、父親に子供として認めてもらえずに同じ家で一緒に暮らすなんて、絶対に嫌だと思うんだよ。それも、正妻も同じ家に住んでたんでしょ? その上、当主は野本が同居してからも、ずっと外に子供を作り続けてるんだよね。そしてみんな引き取って同居してる。家系図に名前が載ってるってことは、野本以外は認知はしてるってことでしょう? どういうことなんだろうね。あいつだけ自分の子供として認めてくれてないんだろう? それ、酷くない?」  そう言うと、拳をテーブルに叩きつけた。それを受けて、田崎がポツリとつぶやく。 「そうだろうな。おそらく地獄のような生活を送っただろう」  そして、握りしめた拳にさらに力を込めていく。  親が子を大切にしない事への憤りもあるが、蒼も田崎も野本を人として好いている。だから、余計に腹が立つのだろう。眉間に深い皺を刻み、抑えきれない思いを飲み込むようにしてビールを煽った。  それを見て、咲人がふっと笑みを零す。自分の大切な人を同じように思ってくれる友人の存在が嬉しいのだろうか、話している内容とは似つかわしくない幸せそうな笑顔を見せていた。 「酷いよなあ。だって、あの男は連絡をして来た池内に『あの女の子供は要らない』って言ったらしいぞ」 「要らないって言ったのか? 嘘だろう、どれだけ自分勝手なんだよ。……まさか、それ本人には言って無いよな?」 「いや、……実は言われたらしいんだ。慎弥さんが池内から向こうに移ったその日の夜、たまたま野本崇と家の中で鉢合わせてしまったらしくて。そこではっきり言われたって言ってた。お前なんか要らないのにって……」  しん、とその場が静まり返ってしまった。  それは、あまりに酷い話だ。  池内は、子供が生まれればその子は過酷な人生を送ると分かっていたはずだ。それでも産むことを望んでおきながら、子供の将来まで見届けずに自分が狂うのを止められなかった。野本の姿を見ていたら、任務失敗の責任を感じたのだろうか。それとも、周りから疎ましがられたのだろうか。でも、そんな事は彼には関係が無い事だろう。生まれて来た方には、どうしようも無い。  その上、父であるはずの人は、彼の存在そのものを否定している。しかも、本人に向かってそれを突きつけてしまっているんだ。そんな酷い話があるだろうか。その時のあいつの気持ちは、一体どんなものだったのだろう。  俺は親の愛を知らなかった。今こうしていられるのは蒼のおかげだけれど、養父が俺に両親の仲の良さと俺への愛の深さを教えてくれたことも、生きる原動力の一つになっている。  それなのに、野本はその部分でも孤独を味わされているのだ。想像するだけで悲しくなってしまった。  俯いていると、咲人があっと声を上げた。  同時に俺の耳にも聞き覚えのある足音が飛び込んでくる。  外は雨が降っているのだろうか、その靴が浅い水たまりを踏んでしまう音が混ざっていた。  短い階段を登り、扉を開く。小さな店の扉にしては重厚なその先には、可愛らしい音でなるベルがついている。それが、軽快な音色で彼を迎える。 「ただいま戻りました。遅くなりまして、申し訳ありません」  そこには、数歩歩くだけでびしょ濡れになるような雨の中を帰って来た、野本の穏やかな笑顔があった。 「慎弥さん」  咲人がスツールを飛び降りる。そして、濡れたままの夫の下へと駆け寄っていった。 「咲人、ただいま。どうした? 濡れるぞ?」  咲人は、その大きな体に身を任せるようにして、腕の中に飛び込んだ。野本はそれをふわりと抱き止める。そして、無言のまましがみつくパートナーをその腕の中で守るように包み込むと、俺たちに向かって慇懃に頭を下げた。

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