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第1章_消えた神の子_第7話_始めよう

「センチネルを連れてくるっていうのは、誰かしらの紹介を経てるっていうことなのかな?」  怪訝そうな表情で蒼が尋ねる。他の皆も、祈里の言っている意味がいまいち理解出来ずにいた。  連れてくるとはどういう意味なのだろうか。言葉通りにセンチネルを家に連れてくるのだとしたら、その人はどこから連れて来られた人なのか、また、何か含みを持たせる意味でそう言っているのであれば、それはどういう事なのか……。全く見当がつかない。  祈里はその問いを受けて、そう聞かれるのは予想通りだといった様子で頷く。しかし、どうやら彼はそれの答えとなる明確な事実を持っていないようだ。 「そうですよね、その言葉だけでは全く理解出来ませんよね。実は、残念ながら僕もそうなんです。家を追い出されてすぐくらいには、漱から連絡をもらっていました。その時に、よく僕に言っていたんです。『僕、今回もセンチネルを連れて来れたんだよ。偉いでしょ?』って。でも、それをどうやっていたのかは、いくら聞いても教えてくれませんでした。そして、どうしても気になったのでそれを父に訊いてみたんです。すると父は急に怒り始めました。そして、そのまま僕は家を追い出され、それ以降家の敷居を跨ぐことを禁じると言われてるんです」 「お父さんは君に……実の子に、それも本家の後継者なのに、敷居を跨ぐなって言ったの?」  驚く蒼に、祈里は悲しげに目を伏せた。そして、消え入りそうなか細い声で 「はい」  と答える。それまでずっと柔らかな笑みを湛えていた祈里の顔に、年相応とも言える脆さが見え始めた。 「『余計なことを知ろうとするな。ただでさえガイドは余るほどいるんだ。後継だって、別に静子の……あ、僕の母の名前です。その、後継者は正妻の子じゃなくてもいいんだと、その時突然言われました。黙って俺の言う事を聞けないのなら、お前は必要ない』と……。そんな事が他にも何度かあって、中学を出たら本当に家を追い出されてしまったんです。もっと単純な家でなら帰れたと思うんですけれど、しっかり準備されて追い出されました。そこまでされたら、さすがに帰るに帰れなくて……。だから四年前の漱までは知っていますけれど、今の彼についてはお答え出来る事はほとんどありません。ごめんなさい」  祈里は俺たちに心を許してくれたのか、共感を防ぐために貼っていたシールドを弱め始めた。見えなかった壁が姿を現すと同時に、それにうっすらと亀裂が入る。そして、そこに生まれた僅かな隙間からは、はらりと一欠片の感情が崩れ落ちてきた。  それは、長年蓋をしていた悲しみが少しずつ漏れ出すかのような、静かな決壊だった。音もなく流れ出す悲しみについた色は濃く深い藍色で、祈里の傷の深さが見て取れる。 「深い悲しみの色と姿だな。それを隠して生きてきたのか」  そう声をかけると、彼は俺の顔を見て驚いていた。そして、誰かに共感してもらえたことが嬉しかったのか、堪えきれずに嗚咽を漏らしていく。  親に要らないと言われた子供の気持ちは、俺には分からない。でも、それがどれほどの悲しみなのかという事は、こうして能力が教えてくれる。祈里の周りのオーラは、話せば話すほどに暗くなる。体温は下がり、体が震え始めていた。 「でも、追い出された僕も悲しいですけれど、残った漱も決して幸せだったとは思えないんです。あの家ではミュートは人として扱われません。この数世代の間、ミュートは漱だけでした。だから、必死になって何かの役に立とうとしていたと思うんです。きっとセンチネルを連れてくるために漱がしていたことは、そう簡単な事ではないだろうと思います」  ふらつきながらもなんとか話をしようとするその背中を、肇がそっと支える。彼の手が触れると、祈里のオーラは僅かに明るさを取り戻し始めた。それは、彼が触れている部分での変化が特に大きい。その様子を見て、ふと研究の発表記事を思い出した。  レアタイプは、ケアの役割が入れ替わっているのだ。それは、俺が生まれて初めて見る光景だった。当時の記憶を辿るために摩耗した祈里の神経を、パートナーであるセンチネルの肇がケアしていく。 「レアタイプのセンチネルは、レアタイプのガイドをケア出来る……。本当なんだな」  驚く俺たちに、肇は苦笑しながら頷いた。 「俺はセンチネルとしてはレベルが低いですし、祈里の匂いも分からないようなポンコツです。でも、祈里をケア出来るのは僕だけなので、これだけが僕の唯一の自慢ですね。これだけが僕の存在意義だと思ってます」  そう言って、そっと祈里の手を握りしめた。  祈里の体の中には、いくつか傷ついて黒く抜け落ちたように見える箇所がある。そこは、エネルギーを失っている部分だ。肇は、握った手から祈里のその部分の負のエネルギーを引き受けて行く。そうしながら、同時に自分の中の正のエネルギーをそこへ送りみ、空いた隙間を光の粒で充していった。 「……センチネルがケアをする姿を見る事が出来るなんてなあ」  その光の粒子が祈里の姿を埋め尽くす。それを眺めながら、肇以外のセンチネルは皆同じ気持ちを抱いていた。 「羨ましいな」  思わずそう口に出してしまう。  普段人に与えてもらうばかりの俺たちは、こうして大切な人を自分の手で守ってあげられる肇に、どうしようもなく憧れた。これは、俺たちには何をどう頑張っても出来ない事だ。努力で埋められることは何でもして来た俺たちにも、決して辿り着く事の出来ない境地。肇は、生まれながらにしてそこにいる。 「……羨ましい? どうしてですか? あなたたちは世界最高峰のセンチネルとそれに次ぐレベルの人たちでしょう? 俺はあなたたちの方がよっぽど羨ましいですけれど」  ポカンとしている肇を見て、それはそうだろうと思った。俺たち三人は、それなりの社会的地位を与えられている。肇のレベルではそれを与えてもらう事ができない。そういう意味では、人から羨ましがられるのは当然だ。 「そりゃあ、俺たちは努力してどうにかなる事なら何でもして来たからな。持って生まれたものがプラチナブラッドだった俺と咲人、そうでなくてもそれに次ぐレベルに生まれついた翔平。それをコントロールするために、一般レベルのセンチネルには想像もつかないような訓練を重ねて、ずっと頑張ってきた。でも、お前のその力は、俺たちにはどうやっても手に入れられない。ガイドをケア出来るなんて最高じゃねえか。羨ましいに決まってるよ」 「……そんなに、ですか?」  理解に苦しむといった表情で、肇はそう訊ねる。だから、俺ははっきりと言い切ってやった。 「ガイドがどうでもいいやつだったら、きっとそうは思わねえだろうなあ」  その言葉で、肇にもピンと来たらしい。  そうだ、いくらボンドを交わしていても、相手がビジネスパートナーであればここまで彼を羨ましく思う事は無いだろう。俺たちにとっては、自分のガイドは誰よりも大切な人だ。この世で最も幸せにしてあげたい人だ。  だから、自分は幸せと安全を与えてもらえているのに、相手にそれを返せないという事は少々耐え難い。俺を回復させるために頑張ってくれた蒼が、共感のキャパシティを超えてしまって苦しんでしまった時は、絶望に打ちひしがれてしまうこともある。  今はクラヴィーアがあるし、俺は自己回復能力も高まったため、軽微な神経疲労なら蒼に頼ることは殆ど無い。  けれども、昔は本当に驚くほど少しの刺激にも耐えられず、常にガイドがいないとダメだった。その経験があるからか、ガイドをケア出来るスキルが手に入るのならば、喉から手が出るほどに欲しいと今でも強く願っている。 「そっか、パートナーが大事な人なんですよね。ケアも深くなると負担が大きくなるし、自分だけ楽になったら嫌ってことですか……」  それを聞いて、祈里が悲しそうな笑みを零した。 「肇さんは、ケアをしてもらう必要がないですもんね。だから、そんな風に思ったことが無いんでしょう?」  という。その言葉に込められた想いに、俺は胸が詰まった。  彼は、自分が肇にとって、まだ替えのきかない存在にはなりきれていないと思っているのだろう。その悲しみの色が見て取れる。しかし、どうやら肇はやや鈍いらしく、しかもセンチネルとしてのレベルもかなり低いらしい。祈里の本心を全く読み取れないようで、 「うーん、そうなのかも。ケアしてあげてるんだから、俺にも同じくらいの何かを返せよっていう気持ちとかは、全然経験がないから分からないなあ」  と言った。祈里の表情が、ふっと暗くなる。オーラが悲しみの色に滲んだ。 「……だから、僕が肇さんのために役立てることって無いんですよね」  酷い無力感に打ちのめされるように、そうポツリと呟いた。  俺たちには、肇のその言葉の裏にある意味が理解出来る。それは、ただ単に見返りなどは求めていないという、揺るぎない愛の表れだろう。  肇はケアをする側の人間だ。そして、センチネルのレアタイプである彼は、ゾーンアウトしない限りガイドのケアを必要としない。そのあたりは、センチネルであるけれども、立場としては一般的なガイドと同じだろう。相手にとって、パートナーが自分である必要があるのだろうかという悩みとは、無縁なのだ。  反して祈里は、軽微なダメージは自己回復できるものの、それを超えた場合は肇からのケアが必要不可欠になる。彼は一般的なセンチネルと同じ感覚になるのだろう。  その上、肇以外の人間には一般的なガイドとしてケアをする義務を負っている。無理は出来ないけれど、ケアはしなくてはならない。だから、彼はケアをする場所と時間を限定する事が出来るようにと、ダンサーという仕事を選んでいるのだ。  二人は運命に定められた存在で、祈里にとっては替えがきかない。しかし、肇は自分よりレベルが上であれば、他のガイドのケアを受ける事も出来る。お互いを必要としてはいるものの、その重要度にかなりの違いがある。  だからこそ、祈里は二人を繋ぐものは恋愛感情であって欲しいと思っているはずだ。能力だけでの繋がりだと、他の人でもいいと考える事が出来てしまう。そうではなくて、自分を好きだから一緒にいると思って欲しい、そう思っているのでは無いだろうか。  与えられるだけの立場である俺たちには、それは容易に理解出来る。蒼や野本や鉄平も、俺たちをよく見てくれているからか、その気持ちに理解を示している。ただ、どうやらそれをこの男は分かっていないらしい。とんだ鈍感野郎だ。 「祈里くん。君、大変だな」  俺がそう声をかけると、祈里は困ったように眉根を寄せて笑った。 「本当だねぇ。彼ちょーっと人として色々危ういところがあるもんね。遊び人だったわけだし。あ、こういうのどお? 祈里くん、うちの会社に入ったらどうかな? ここにいれば、いつでもこのおにーさん方が相談に乗ってくれるよ? もちろん、私もね」  いつの間にか戻って来たミチが、突然そう言って首を突っ込んで来た。悲しそうな顔をしている祈里を見て不憫に思ったのだろう。  ミチは誰よりも愛を求めて生きていた。それをしてもらえない悲しみを誰よりも知っている。だからこそ、肇の事が憎らしく思えるのだろう。彼の顔を、じっとりとした目で睨みつけていた。 「え、なんですか。俺、何か変なこと言いました?」 「……べっつにぃー。肇ちゃんが何も思わないならいいんじゃない?」 「ええ……」  困った肇は、祈里に助けを求めた。それを見て、咲人が呆れている。  確かに、このままでは祈里は苦労するだろう。双子の弟の行方が分からず、心配しているのに自分は役に立てる情報を持っていない。その心労を抱えたまま生活をしなくてはならないのに、パートナーはとても鈍い。ミチの言う通り、相談相手が身近にいた方がいいのかも知れない。そう思った俺は、二人に提案をする事にした。 「なあ、君たち。本当にうちで働いてみないか? そうすれば、弟を捜索するために動く事も出来るし、ボンドの先輩たちに色々聞く事も出来るよ。どう?」  そう声をかけると、祈里は弾かれるように立ち上がった。そして、 「……僕、働かせてもらいたいです! 漱を探してあげたい。けど、今から警察に入る事は出来ないし、僕だけじゃ家には近づく事も出来ません。それに、みなさん温かい……。こんな能力者がいるって知りませんでした。鍵崎さんがそう言って下さるなら、是非お願いします!」  そう言うと、膝につきそうなほどに深く頭を下げた。 「……だってよ。高月肇くん、君はどうする?」 「えっ? あ、俺は……」  肇は迷っているようだ。彼は精神・神経内科クリニックでカウンセラーとして働いている。レアタイプの記事を読んだ時に、なぜその仕事を選んだのかをこう答えていた。 ——『僕は事件捜査でのヒリヒリした生活に向いてません。その仕事以外だったら、カウンセラーならセンチネルであることを活かせるかなと思いました。実際、仕事でクライアントの様子を観察する上では、この能力はお役に立てていると思います』  その言葉には、捜査に対する恐れが滲んでいた。事件捜査に入るためには、身体的な訓練に加えて精神の訓練も必要になる。彼は、それを恐れているのだろう。  経歴を見た時にも思ったのだが、彼は長年レベルが上がっていない。そこから考えると、訓練の苦痛に耐えかねて逃げ出した過去があるに違いない。今もその恐れを抱えているのかも知れない。  でも、パートナーの弟が行方不明で、その捜索を担当する人物から仕事の誘いを受けている状況で、それを断るほどの嫌悪感は抱いていないだろう。それなら、背中を押してやればいい。 「うちには優秀なスタッフが多いんだ。漱くんの捜索は、その中でもトップレベルに当たるメンバーが担当するよ。それがここにいるメンバーだ。他にもいるから、どうか安心してくれ。高月くん、祈里くんを守れるのは君だけだろう? 弟を探しているパートナーなんて、そばにいないと心配で仕方ないと思うぞ」  俺の言葉を受けて、蒼も肇に声をかける。柔らかな笑顔を向けながら、彼の肩をポンと叩いた。 「そうだよ。祈里くんを放っておくと無理しちゃうかも知れないし、その時彼を助けられるのは、君だけだなんだよ? ちゃんとそれ分かってる? そばにいてあげた方が良くない?」 「……あ、そっか。そうですね」  救う側の人間の言葉の方が、彼には伝わりやすかったらしい。蒼の言葉に、はっと息を呑んだ。 「うん、そうだよ。俺たちが全員揃った現場で解決出来なかった事件は、今のところ無い。最終的にはみんなで問題を解決して来たけれど、能力を失ったり取り戻したりっていう、過酷なタイミングが何度かあったんだ。そういう時は、必ずパートナーがそばにいないといけない。規定で決まってるとかそういうつまらない話じゃないよ。そばにいないと、君が死ぬほど後悔する事になる。経験者は語る、だ。どうか参考にしてほしい」  そう言って、自分を指さして自嘲気味の笑顔を見せた。 「それでも、心配する事はない。皆こうして元気にやってる。事務所には優秀なミュートのスタッフも多い。センチネル、ガイド、ミュートがそれぞれ特性を活かしてうちの会社は回ってるんだ。結果的にはいつもうまく行く。会社が一丸となって動くからな。だから、少しでもやる気があるのなら、何も不安に思う事はない。高月、覚悟を決めたらどうだ?」  田崎はそう言って、肇に向かって手を伸ばす。そして、 「俺はミュートだ。それでも、捜査で現場に入る事はある。うちは能力に頼りきらなくともやっていける会社だ。テクノロジーと併用すれば、ゾーンアウトに陥る危険性は下げられる。俺たちミュートは、センチネルとガイドが能力に振り回されて危機に陥った時に、その危険性が無いという特性を利用して彼らを支える。ミュートにも、存在意義はあるんだ。能力はバースによるところだけじゃない。うちなら、どのバースでも努力の仕方をきちんと教えられるぞ。活躍したけりゃ、頑張ればいいだけだ」  彼が能力の低さによる失敗を恐れているのであれば、それを持たなくとも活躍している男の姿には、響くものがあるだろう。田崎はそれを肇に伝えようとしている。肇は、力強く差し出された田崎の手を、じっと見つめていた。 「能力があってもなくても、活躍出来る……」  そう呟いた肇に、田崎は笑いかけた。 「保証はしねえけどな。結果はお前の頑張り次第だ。当然だけどな」  その嘘のない言葉が、肇には真っ直ぐ届いたのだろう。うっすらと諦めの色を浮かべていた彼の瞳に、ふっと希望の火が灯るのが見えた。俺はそれを確認すると、田崎と蒼に視線を送り、笑い合う。そして、三人で肇と祈里の手を取った。 「では、ようこそベクトルデザインサポーターズへ。俺たちと共に、祈里の大切な弟、野本漱の捜索を始めよう」

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